君は君であって 伍





他愛ない会話を繰り返し、同じ日傘を分け合って浜辺を歩き回る内、時は少しずつ定められた時刻へと近付いた。
暑さを感じているのは誰しも同じの筈が、並んで石段を登るその間も度々体調を気に掛けられ、はその度緩く首を振って大丈夫と告げる。
見た目や年齢、感情表現の度合いが変わろうとも、彼が優しいというその根本は変わらない。当初の衝撃が落ち着いた為か、残り少ない時間になってようやくこの事態に慣れてきた為か。大人の彼に時折十八歳の妓夫太郎の姿が被る様な錯覚を、は嬉しく受け止めた。

往路と同じ様に中腹の休憩を入れつつ、二人は一歩一歩を踏み締め長い石段を登り切る。やはり誰もいない境内の厳かな雰囲気が、そこで静かにと妓夫太郎を待っていた。
独特の空気に飲まれそうになるの背を押した妓夫太郎は、十八歳の彼とは違い参拝の作法が頭に入っている様だ。半歩先を行き正しく先導する姿に瞬間目を瞬いたは、しかし疑問を口には出さなかった。
十二年。その年月の間に彼がどう生き、どう影響を受けて少しずつ変わっていくのか。残された時間の中で想像することもまた、心が躍るというものだ。例えば、さっぱりだと言っていた参拝の作法が身についてしまうほどに、この夏以降二人は定期的に神社を訪れたりするのだろうか、と。人生の岐路や互いの行く末について、並んで手を合わせる機会がこの先も続くなら、それはとても素敵なことだ。記憶を失う前の今だからこその優しい未来を思い描き、はこっそりと微笑んだ。

「不思議なもんだよなぁ」

拝殿を前にして、二人して時を待つ。
顔を上げたの目に映ったものは、少し遠い目をした横顔だった。

「お前はに違いねぇんだが、俺のじゃねぇんだよなぁ」
「・・・」

同じだと思う。
その横顔が誰を想っているのか、誰に焦がれているのか。一目瞭然に見通せる上、痛い程に気持ちがわかる。
であって彼のではない。その意味は非常に良く伝わった。
不意に目と目が合い、お互いに一瞬の間を置いた末緩く笑い合う。

「お前も同じだろ。俺は俺だが、お前の俺じゃねぇ」
「・・・そう、だね」

どんな姿だろうと思い描いた未来は、想像以上の眩しさをもって目の前に現れた。
心配になってしまう程の完璧さは紛れもなく誠実で、宣言通りこの別れの時まで見事にを守り抜いてくれた。
彼は未来の妓夫太郎だ。束の間でも傍にいられて嬉しかったことも、色々なことに少々ドキドキさせられたことも嘘では無い。
けれど彼と話す度、大人の一面を目の当たりにする度。逢いたいとの心が強く望んだ相手は、十八歳の妓夫太郎だった。

「大人の妓夫太郎くんはすごく格好いいけど、私が隣にいたいのは、同い年の妓夫太郎くんだから」
「戻ったら本人に伝えてやれよなぁ・・・って言いてぇところだが、多分覚えちゃいねぇな」

ちょっとしたことでも緩く笑ってくれる大人の表情は、優しさに満ちている。
十二年後の未来に、この素敵なひとの隣で胸を張れる自分でありたいと、は小さな決意のもと口端を上げた。

「・・・時間だなぁ」

長く二人を陽光から遮っていた日傘が閉じられ、妓夫太郎からの手へと渡る。
二人分の賽銭を準備するその横顔を見上げ、残りの時間が本当に僅かであることを察したが一歩を踏み込んだ。

「随分先まで忘れちゃう出来事でも、会えて良かった」

未来の彼に充てた言葉など、数時間前までは考えたことも無かった状況のため、正直なところ考えも言葉も咄嗟にはまとまらない。
けれど今、最後の時まで優しく見下ろしてくれる彼に対して、別れの言葉に代えて伝えたいことがある。

会えて良かった。例え忘れてしまうことであっても、未来の姿を見せて貰えて安堵出来た。

「私の勘違いじゃなければ・・・今の妓夫太郎くんは、幸せそうに見えるから」
「おい。そいつは聞き捨てならねぇなぁ」

思わぬ反論の気配に、瞬間の目が丸くなる。
言葉はどうであれ、眉を下げた彼の表情は穏やかだった。

「え?」
「それを言うならなぁ、今の俺“も”だろうが。ついでに、“幸せそう“ってのも訂正しろよなぁ」

一瞬考える様な間を置き、大きな手がの頭の上に柔らかく置かれた。
ぽん、ぽん、と優しく撫でられる感覚は、堪らなく優しい。
唖然とするしか無いを見下ろす青い瞳は慈しみに満ち溢れ、息が止まる程美しかった。

「俺は間違いなく幸せだ。十二年前も、今もなぁ」

大好きで堪らないひとに、今も未来も幸せであることをこんなにも真っ直ぐ告げられて。
嬉しさも、多幸感も、何もかもが身体に収まらないほど大きく広がって、正しく表現出来る言葉が見つからない。
気を抜けば何かが決壊しそうになる強い思いを胸に、が辛うじて口に出来た言葉。それは。

「・・・ありがとう」
「そいつはこっちの台詞なんだよなぁ」

語尾が震えそうになった礼の言葉すら、彼は穏やかで優しい笑みを持って包み込んでくれた。

「ありがとうなぁ、




* * *




手を合わせ、目を閉じる。
音がする訳でも、強い発光がある訳でも無い。
けれど不思議と、彼女が帰ってきた様な気配がして目を開ける。
長く時を共にしたが、そこにいた。
ショートカットの毛先を揺らして隣を見上げた彼女が、瞬間目を大きく見開いた末にふわりと笑う。

「・・・ただいま」
「おぉ、お帰り」

普段通りの見慣れた笑顔を前に、妓夫太郎も肩の力を抜いて笑い返す。
遠い夏に経験した通り、無事に何もかもが元通りだ。
想定と少し違ったことは、こうして二人がただいまとお帰りを言い合えている点だろうか。

「こっちの記憶はそのままかぁ」
「そうみたい。多分、昔の私たちは今頃忘れちゃってると思うけど・・・」
「あいつらが思い出すのは十二年後、だなぁ」

未来への影響を考えれば、記憶を手放す必要があるのは十八歳の二人のみだ。
起きたこと自体は人知を越えた現象に違いないが、大人側になった自分たちには不要の忘却だろうと、お互い柔軟に理解した。
不意に時計を気にしたが背筋を伸ばして声を上げる。

「あっ・・・お迎えの時間・・・!」

どんなに不可思議な現象から抜けた直後であっても、大人の二人が最優先すべきは今だ。
大切なことを確認すべく顔を上げた彼女の期待には、当然応える義務がある。

「心配すんな、梅に頼んだからなぁ」
「良かった・・・流石妓夫太郎くん、ありがとう。梅ちゃんにもお礼買って帰らなきゃ」

普段通りであれば、土産を選ぶなら何が良いかと相談を持ち掛けてくるであろうの言葉が途切れた。
じっと見つめてくる黒い瞳に負の意味合いは無さそうであるが、逆に真意も読めず妓夫太郎が小首を傾げる。

「どしたぁ?」
「ううん・・・改めて思ったの」

至極真面目な顔をして。しかし次の瞬間には目尻を和らげ、は告げる。


「高校生の妓夫太郎くんはすごく可愛かったけど、私が隣にいたいのは私の旦那さんだなぁって」



『大人の妓夫太郎くんはすごく格好いいけど、私が隣にいたいのは、同い年の妓夫太郎くんだから』


十二年若いの言葉が、真っ直ぐな瞳が、ぴったりと重なる。
これには思わず、妓夫太郎が肩を揺らして小さく笑った。
何のことか理解出来ないは当然不思議そうに目を瞬く。

「妓夫太郎くん?」
「いや・・・は本当に変わんねぇなと思ってなぁ」

変わらない。
昔から、何ひとつ変わらない。
変わらず自慢で、変わらず大切な存在だ。

それを隠すことをしなくなった柔らかな笑い声に、の頬が緩む。
彼女の方から一歩近付き、腕同士が自然と絡んだ。

「暑いけど今日はくっついて帰りたい。だめ?」
「断る理由が無ぇんだよなぁ」

影をひとつに纏め、二人は歩き出す。
まだ家族ではなかった頃の懐かしき相手との邂逅により、帰路の話題は尽きることが無かった。





* * *




「妓夫太郎くん、本当に何ともない?大丈夫?」

が不安気に眉を寄せて顔を近付けてくるものだから、妓夫太郎は両肩に手を置いて彼女を落ち着かせなければならなかった。

「お前こそ、どこも悪くしてねぇんだな?」
「うん。至って元気」

その言葉に強がりや嘘偽り無しと判断すると、妓夫太郎は深く安堵の息を吐いた。
不安も動揺も仕方の無いことだ。二人は今まさに、奇妙な体験をしてしまったのだから。

「・・・二人して何時間も記憶が飛ぶなんて、あり得るのかなぁ」

セミの合唱が鳴り響く神社の境内。
参拝の為並んで手を合わせた途端、二人して時間と記憶が何時間も飛んだ。
俄かには信じがたい現象は互いに相手を案じさせるに十分過ぎるものだったが、幸いどちらにも不調の兆しすら無い。
不思議そうに首を傾げることしか出来ないを横目に、妓夫太郎が境内を見渡した。

神社には、当然神が奉られている。
そして神の遣いたる狐の石像が、この境内には点在している。
背筋を伸ばした高貴な顔の獣と、何故か目が合った様な気がして。

―――化かされたのだろうか。

しかし、彼は胸の内に沸いたひとつの可能性を言葉にはしなかった。
和製ホラーや怪談の類が得意でない彼女に対し、必要以上の負担や動揺を強いることは避けたい。
更に言うならば、この際どんなに説明のつかない奇妙な出来事であっても、原因の究明はそれ程重要ではないのだ。
が何事にも害されていないなら、それで構わない。
その手が不意に華奢な肩へと伸びた。

「・・・妓夫太郎くん?」

何の抵抗も無く、すんなりと腕に収まったに対し思うこと。
無事で良かった。
同時に、何故かずっとこうしたかった気がする。

「・・・いや、何でも無ぇ」

普段外では滅多にこうしたことに及ばないが、二人しかいないと確証が得られた場合は例外だ。
太陽に温められた旋毛に無言で口付け、大人しくしているの顔を覗き込む。
外気のせいかこの状況のせいか。頬を上気させつつも嬉しそうに笑っている黒い瞳と目が合い、妓夫太郎は僅か眉を下げる様にして息をついた。

「まぁ腑には落ちねぇが。お互い何とも無ぇなら、暑さのせいにでもして納得するしか無ぇよなぁ」
「そっか・・・うん、そうだよねぇ」

いつまでも説明はつきそうにない。何たって二人して記憶が無いのだから。
何より大事なことは互いに変わりなく、こうして傍にいられることだ。

「帰んぞぉ」
「うん」

が差した日傘を、当然の様に妓夫太郎の手が攫う。
同じ影を分け合って隣に収まった彼女はその腕に触れるなり、何故か楽し気に細い声を上げて笑った。

「何笑ってんだぁ?」
「ふふ、何でだろう」

お互いに若干汗ばんだ肌が、日傘の下でぴったりと触れ合っている。
の黒い瞳が細められ、満開の花が咲いた。

「よくわからないけど、ずっとこうしたかった気がしてるの」
「・・・そうかよ」

強引に視線を引き剥がし前を向く妓夫太郎の腕に、は上機嫌に寄り添った。







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