幸せ写し



放課後の校内は、部活動に勤しむ学生達の声に溢れている。
いつぞやの教訓を活かすべく、窓に背を向ける様横向きに掛け、片側だけのイヤホンで動画を流すことにも慣れたものだ。一人きりの教室で画面の向こうのを眺め、実物の彼女を待つ時間が、妓夫太郎は決して嫌いではなかった。

今日のはどうやら美術部から協力要請を受けているとかで、少し遅くなると事前に話を聞いている。顧問が宇髄という点は大いに気に入らないが、美術部にはが恩人と仰ぐ蜜璃がいるのだ。彼女の協力が無ければ無事再会出来たかどうかわからないとまで言われてしまえば、妓夫太郎もまた一学年上の蜜璃に対して不遜な態度など取れはしない。が美術部に協力したいと言うならば止めはしないし、何時間でも待つつもりでいる。

夕飯の準備を口実に梅と幸太郎を先に帰し、一人こうしてを待つ時間を満喫し始めて三十分が経過しようとした時の事だった。前方のドアが開く音に顔を上げた妓夫太郎は、自身の額に青筋が立つ感覚をはっきりと感じ取る。

「よぉ。ここにいたか」

相手は至って平気な顔をして片手を上げているが、この苛立ちはどうしようも無い。文字通り前世で死闘を繰り広げた相手がこの学園には二人いるが、妓夫太郎はこの男のことが心底苦手であった。
今日も変わらずフードの下から派手な装飾を覗かせ、ガムを膨らませた美術部顧問・宇髄天元がそこにいた。威嚇をする獣の如く毛を逆立てる勢いで妓夫太郎は立ち上がり、突如現れた天敵を追い返そうと鋭く睨み付ける。

「今すぐ出てけよなぁ・・・・!!」
「おいおい、随分なご挨拶じゃねぇか」

お互いに前回の記憶があることは、入学早々に確認が取れている。炭治郎と同じく、宇髄もまた前世が鬼である妓夫太郎が同じ世に生きていることに抵抗は無い様だった。

しかし宇髄と炭治郎の違いは明確で、とのことで揶揄おうと、更に言うならば煽って来ることが多い点である。完全にこちらの反応を面白がっていることがわかっている手前、律儀に反応を返すことも腹立たしいものであるが、これが実に無視出来ない様な言い回しで絡んで来るものだからたちが悪い。
いくらが悪い教師では無いと庇おうが、妓夫太郎と梅の中で彼の印象が好転することはそうそう無い、宇髄はそういった立ち位置の教員だった。出来る限り関わりたくは無い。

「そんな態度で良いのかねぇ?折角この俺直々に、立花妹が今どんな格好でいるのか、教えてやろうと親切で出向いてやったんだがなぁ」
「・・・はぁ?」

血管が切れるのではないか。まさにそんな勢いで妓夫太郎の顔色が変わった。
いかにも訳ありな言い回しの宇髄は得意気に口元を緩めていたが、返答によってはただでは済まさない。冷静さを欠いた反応であることは百も承知で、妓夫太郎は宇髄に詰め寄った。

「てめぇまさかとは思うが、制服脱がしたりは、」
「そりゃあ脱ぐだろ。モデルだぞ」
「っ・・・!!」

どんな格好でいるのか、だなんて。一体何を考えているのかと怒りに震えた次の瞬間、妓夫太郎は宇髄を残して教室を飛び出していた。
決して近くはない距離をものともせず、廊下を走るなと注意する教員の声を無視し、放たれた矢の如く校内を駆け抜け、勢い良く目的の部室の扉に手をかける。乱暴に開けた扉の先に広がっていた空気は、想像していた最悪のものとは少し違っていた。

「いらっしゃい妓夫太郎君!待っていたわ!!」

桃色の髪を揺らして明るく微笑んでいるのは、が大恩を感じているという蜜璃である。広い部室の中には美術部員が何人もおり、それぞれが妓夫太郎の登場を待っていたかの様に目を輝かせている。美術部員のことは蜜璃以外にはほとんど知らない妓夫太郎でもわかる、その視線はどれも悪意が無かった。

大切な恋人が望まぬ無理を強いられている現場とは思えぬ雰囲気に、全力疾走の末息を切らしたままで唖然とするしかない妓夫太郎をそのままに、蜜璃がにこやかに部屋の隅のカーテンレールの向こう側へと声をかけた。

ちゃん、彼がご到着よー」
「え?もうですか?どうしようまだ支度が・・・」
「ゆっくりで大丈夫よっ!きちんとおもてなししておくわ!」
「甘露寺先輩すみません・・・」

カーテンに仕切られた小さな空間に、がいるのは間違いない様だった。しかしその声色に危機感の色はまるで無く、蜜璃との会話も非常に穏やかなものだ。
いよいよ困惑が止まらない妓夫太郎であったが、軽やかに駆けて来た蜜璃と向き合うと反射的に小さく頭を下げる程度には冷静さを取り戻しつつあった。

「ごめんなさいね、まだちゃんの準備が出来ていないの。お茶とお菓子があるから、寛いで待っていてね!」
「・・・状況が、読めないんスけど」

の準備とは。そもそも、モデルとは。妓夫太郎が来たことを歓迎している様な部員達の雰囲気も気になって仕方が無い。状況にまるでついて行けないことを正直に告げると、数秒の空白を置いた後に蜜璃の首が横に傾いた。

「あら?あらあら?宇髄先生、ちゃんと説明してないんですか?」
「俺のせいかぁ?だってコイツ話聞かねぇからよぉ」

いつの間にか隣に滑り込んでいた宇髄は汗一つかかず、余裕の表情で腕を組んでいる。妓夫太郎と目が合うなり、にやりと口の端を上げて見せた。

「制服脱がなきゃ着替えは出来ねぇよなぁ?」

一体何を想像していたのやら、と言わんばかりにその目が細められている。
が酷い目に遭っている訳ではないことに対しては安堵を、そしてこの男に良い様に揶揄われたことに対しては怒りを。妓夫太郎はその拳を力の限り握り締め、青い瞳を怒りに燃やして宇髄を睨み上げた。

「・・・てめぇ、」
「まぁそう怖い顔をしなさんな。部外者は本来立ち入り禁止のところ、特別に入れてやるんだからよ。あのカーテンが開いたら、間違いなくこの俺に感謝することになると思うぜ?」
「ふふふ。それじゃあ妓夫太郎君は上着だけこれに着替えて貰えるかしら?下はそのままで良いから」

妓夫太郎が如何に不穏な空気を醸し出したところで宇髄にはまるで効かず、加えて蜜璃が間に入ったことで怒りの炎は強引に鎮火させられてしまう。が慕う多才な彼女は、その明るさをもって周りの空気を丸くしてしまう様な不思議な力を持っていた。
手渡されたものを広げると、若干時代を感じる様な黒いジャケットであった。一体これはどういうことか。

「今日のデッサンのテーマはずばり、夜会前のときめき!」
「・・・」
「最初はちゃん一人の予定だったけど、考えてみたらパートナーがいた方がもっと良い構図になると思ったの!だから妓夫太郎君、腕とか手とか、身体の一部で良いからどうか我々美術部にご協力をっ!!」

話が徐々に見えてきた。
は今日、美術部のデッサンのモデルとしてここに呼ばれたのだろう。テーマはともかく洋装で挑むその相方として、妓夫太郎に白羽の矢が立てられたのだ。身体の一部で良いという発言からして、主のモデルはであり、恐らくパートナーはその存在が見え隠れする程度の位置付けで良いのだろうと察せられた。

その程度なら協力を断る理由も無いと告げようとした、その時。
部室奥のカーテンが、控えめな音を立てて開いた。

「・・・あ、あの、お待たせしました」

途端、部室の中が部員達の歓声で沸いた。
いつの間にか用意されていた上品なヒールに踵を包まれ、独特な音を立てて数歩前進したは頬を赤く染めており、妓夫太郎と目が合うなりその歩みを止めた。
照れたような表情はそれでいて嬉しさを隠しきれておらず、薄ピンクに彩られた愛らしい唇はきゅっと端が上がっている。
しかし、その装いの新鮮さがあまりに強烈過ぎて妓夫太郎は言葉が出てこない。

「きゃああ!!!ちゃん、とっても素敵!!!」
「流石、俺の見込み通りだな。なかなか良い仕上がりじゃねぇか」

彼女は今、頭の先から爪先に至るまで、品のある良家の令嬢そのものと化していた。首元に腕と足に至るまで露出の少ないその装いはレトロな雰囲気を醸し出しており、に大変良く似合っている。白いレースとボルドーで統一されたワンピース姿は、部員達の絶賛を受けてやや落ち着かない様子で部室中央に佇んでいた。
いつまでも言葉が出てこない妓夫太郎を見遣り、宇髄が呆れた様に眉を顰める。

「おい、気の利かねぇ野郎だな。彼女だろ、派手に褒めてやれや」
「宇髄先生、私たちがいたら恥ずかしくて言えないんですよぉ!ちょっと全員で席外しません?」
「あっ・・・甘露寺先輩、大丈夫、大丈夫ですから!!」

これにはが慌てて数歩前に進み出た。美術部の部室だと言うのに、部員を追い出してしまう訳にはいかない。それに、妓夫太郎からの感想ならば既に必要が無いものだ。

「・・・充分なくらい、伝わってます」

言葉はいらなかった。
目が合った瞬間から今に至るまで、彼のその表情が心からの賞賛を物語ってくれている。
そうして小さく呟いた本音は思いの外しっかりと部員達の耳に届き、次の瞬間部室は違った意味での盛り上がりに沸いた。

「おーおー、なかなかやるじゃねぇか」
「ひゃああああ・・・キュンキュン止まらないわぁ・・・」

無論、妓夫太郎は余計に何も言えなくなってしまったが、何も言わずとも全て伝わることはくすぐったくも温かい。
未だ見慣れぬの姿を懸命に記憶へ焼き付けようと、その青い瞳が彼女から逸らされることは無かった。




* * *



広い部室の中央に、の洋装の雰囲気を壊さない様な椅子が二脚。
ひとつにが腰掛け、角度違いで隣合った椅子に妓夫太郎が横向きに掛けることで二人が同じ方向を向いて座る図が出来上がる。
指定されたポーズは、まず妓夫太郎が椅子の背凭れに肘をかける体勢を取ること。そしてがその肘に手を添え、妓夫太郎の方へ顔を向けていること。
この二点のみ十分間維持することを求められ、その間は自由に会話をして構わないと告げられた瞬間こそは思いの外自由が多いと感じたものだが、実際に周囲を取り囲まれて真剣一色な目で観察され描き起こされるとなると、そうそう気楽に会話が弾むものでもない。
かと言って部員達の写生音だけが響く静寂も緊張感が増すので、はあまり表情を変えないことを意識しながら小さく口を開いた。

「ごめんね、突然こんなことお願いしちゃって」
「・・・別に」

妓夫太郎は蜜璃の依頼通り、制服の上着のみを指定されたジャケットに着替えていた。
部員達にはどの角度から描くにしろ妓夫太郎は全体を写さず、身体の一部のみで抑える様指示が出ている。今回のポーズではどう考えても腕だろう。背凭れにかけた肘、そこに控えめに触れているの手が不思議と温かかった。

「この衣装は、どこから・・・」
「演劇部だって。たまにデッサン用で借りるって言ってた」

成程、今回はがモデルに選ばれた訳だが、部同士で定期的にこうしたことはしているのだろう。
それにしても部員達の視線はどれも真剣なもので、二人が指定のポーズを取るまでは誰もが浮かべていた盛り上がりの表情はなりを潜めている。流石は美術部である。

は不意に文化祭でフェイスペイントを施していた宇髄を思い出したが、あの芸術的な熱無き視線を今語ることは得策ではないと思い至り、違う引き出しで会話を続行した。

「えっと、モデル自体は引き受けてたんだけど、こんな素敵な衣装着るとは思ってなかったから私がここに来てすごい緊張しちゃって・・・リラックス出来るようにって、甘露寺先輩が妓夫太郎くんを呼べるように宇髄先生にお願いして下さったの。それで、折角だから少しだけ妓夫太郎くんにもデッサンの協力して貰えないかってことになって・・・」

改めて経緯を説明され、妓夫太郎は目だけでを見遣り納得の意を示した。
流石に断ったが、妓夫太郎も全身写させてくれるなら今すぐ不足分の衣装も用意すると蜜璃が意気込んでいたのは、そういう理由だったのだろう。

は大舞台に何度も立っている身でありながら、やはり演技中は何かのスイッチが切り替わっているらしく、意外に緊張し易い性格である。その性格が幸いして今この状況が叶っているのだから、妓夫太郎としては嬉しい反動であるけれどそれは今口に出さない。

着る者によっては浮いてしまいそうな程に隙無く上品な装いは、に本当に良く似合っている。自然と目が合うと、柔らかく微笑まれた。
デッサン中なのだからあまり表情は変えない方が良いのではないかという建前と、目が合って微笑まれることが堪らなく嬉しいという本音が混ざり合う。

毎日どれだけ一緒にいても日々好きだと感じる気持ちは、いつか落ち着く時が来るのだろうか。
妓夫太郎がぼんやりとそんな事を考えていた時のことである。

「はいっ、ここで少し休憩よ!二人ともお疲れ様!」

小さなアラーム音が開始10分を告げ、蜜璃の声を合図に部室内の空気が緩んだ。
真剣にキャンバスと向き合う部員達も一斉に伸びをして肩を回しているが、十分間動かないモデル側もそれなりに疲労が溜まる。特に背凭れ無しで耐え切った妓夫太郎は疲れているのではないかと、は小さく笑ってその顔を覗き込んだ。

「ふふ、妓夫太郎くん肩凝ってない?大丈夫?」
「んなヤワじゃねぇよ。お前の方こそ、無理してねぇか」
「うん、大丈夫。ありがとう」

特に前触れも無く、妓夫太郎の指先がの前髪あたりを撫でた。
ほんの短い間優しく触れてすぐ離れる、ほぼ無意識の柔らかな触れ合いだった。

二人にとっては日常的な優しい一瞬だが、偶然近付いたタイミングで被弾した蜜璃にとっては大変に刺激が強い光景で。カッと目を見開いたかと思えば、二人を目の前にしてその場に屈み込んでしまった。

「・・・甘露寺先輩?」
「も、もう・・・本当に今日は二人揃って描かせて貰えて幸せだわぁ!二人の優しい雰囲気、私大好きなのっ!!」

心がキュンとするなんてものではない。宣言の通り、蜜璃は目の前の後輩カップルのことがとても好きになっていた。
が如何に妓夫太郎を好きかということは、文化祭を通して蜜璃は良く知っている。しかし妓夫太郎の入学以来陰ながら二人を見守っていた限り、彼からへの気持ちもまるで劣らず大きいものだから参ってしまう。目と目で物が言える上、お互いを見遣る視線の何と優しげなことか。
ふるふると拳を震わせ昂ぶる気持ちを抑え込み、蜜璃は気合いを入れるべく顔を上げた。こちらを唖然と見つめる二人の顔が何だか似ているように見えてしまって、何故か可笑しい。

「さてっ!次は妓夫太郎君に少し屈んで貰うことになるけど大丈夫かしら?」
「・・・良いっすけど」
「お手本見せるわね。ちゃんは座ったままで、足を片方貸して貰える?」
「え?足、ですか?」

次のポージングに向けて、蜜璃が持参した小道具は演劇用の小さな足置きだった。妓夫太郎に手本を見せるべくの足元にそれを置き、さっと音も無く―――跪いた。
これには思わず、の目が丸くなる。

「・・・っえ、」
「ふふふ・・・!お約束よねぇ」

蜜璃はにこにこと微笑みつつの片足を足置きに乗せ、その靴からほんの少し小さな足を浮かせてしまう。今蜜璃がしていることは、この後妓夫太郎がしなくてはならないことである。

大好きなひとに跪いて貰い靴を履かせて貰うのは、確かに一度は憧れる場面かもしれないけれど。いざこの場で急に実現されてしまうことは、心の準備期間が圧倒的に足りない。逃げ腰になるの雰囲気を察知してか、片足を掴む蜜璃の手がほんの少し硬くなる。

「妓夫太郎君に来て貰えた瞬間から、皆この構図を描きたくてうずうずしてるの・・・是非じっくりお願いしたいんだけど、良いかしら?!」

期待に煌めく先輩の瞳を見てしまっては、もう逃げることは出来ない。
が何も言えずにいる間に蜜璃は妓夫太郎を呼び寄せ、自分のいた位置に彼を押し込んでしまった。

「そう、この辺に片膝着いて貰って・・・右手で靴の爪先、左手で踵を支えてあげる感じね」
「・・・」
「あら上手!妓夫太郎君ばっちりよ!」

ストッキング越しに、妓夫太郎の手が踵の近くに触れる。手を繋ぐことは毎日の様にあり、時にはそれ以上寄り添うこともあるというのに。この特別な装いのためか、普段あまり触れられない箇所のためか、部員達の目があるためか、理由は定かではないが酷く落ち着かない。何よりも、妓夫太郎が足元に跪いている状況が大変に心臓に良くないのだ。
まだ始まってもいない内から赤面が隠せないの様子に、蜜璃が負けずに頬を染めて親指を立てた。

ちゃんは・・・そうね!もう、そのままで完璧って感じ!今回はお喋り無しで行きましょう!その表情が最高だから!」
「かっ・・・甘露寺先輩・・・!!」

困ったように声を上げるの表情が固まった。
足を掴む妓夫太郎と、瞬間目が合ったためである。
覚悟を決めろと言いたげなその青い瞳に射抜かれ、心臓が強く高鳴った。

「それじゃ、皆準備は良いわね?!今から10分間、よろしくお願いします!!」

心臓に大変な負担のかかる10分が、はじまった。



* * *



「はぁぁ・・・先生、私今日の活動は心の底からキュンとしました」

半分放心状態の様な部員の声に、宇髄はキャンバスから顔を上げた。部活が終わりほとんどの部員が片付けをして去った後も、蜜璃はぼんやりと自分のキャンバスの前から動かずにいる。
手元のスケッチブックは今日だけで凄い量の描き込みをした上、中身も大変な充実ぶりだ。宇髄と目が合ったことで、彼女は力強くその拳を握って見せる。

「今日は多分、全員かなり筆が乗ってたと思うんです!」
「そりゃあ良かったじゃねぇか。部員の士気が上がるのは良いこった」

ふと振り返った窓の外、正門へ向かうと妓夫太郎の姿を見つけ、蜜璃は思わず窓際へと駆け寄った。並んで歩く二人は後ろ姿だけでも仲睦まじく、自然と頬が緩んでしまう。

今日だけでも色々なポーズを依頼したが、どれも大変に良い仕上がりの絵が描けた様に思う。中でも靴を履かせる王道のポーズが蜜璃のお気に入りであったが、妓夫太郎の方も全身描けたらどんなに良かっただろうかと少々後悔が残る。
次回以降で改めて頼み込めば少しは可能性もあるだろうか、なんてことを考えてしまうのは決して蜜璃だけではない筈だ。

ちゃんと妓夫太郎君って本当に素敵なカップルですよねぇ、憧れちゃいます」

信頼の置ける部員のその言葉を耳に、宇髄は宙を仰ぎ見る。

“会いたい人の目に留まる様名前を広めたい”というの願いを知ったのが、彼女が中学に入学してすぐのこと。
そこから懸命に努力を重ねた末、約三年の時を経て見事に運命の糸を掴んだの相手が、まさか前世で激闘を繰り広げた鬼だったとは、流石に驚いたものだけれど。

よくよく話を聞いてみれば、兄妹が鬼となる前から傍にいた間柄だったと言うのだから、最早驚きよりも感心の気持ちが遥かに勝った。自身の闘志を武器に闘う教え子を応援していたつもりでいたが、この世に生まれるより前からの縁を手繰り寄せようとしていたとは。
途方も無い願いを自力で掴み取った信念の強さは、刀を手に鬼と戦っていた自分達にも決して劣らないと、宇髄はそう感じていた。まず同じ時代に転生出来ているかもわからず、もし叶っても記憶がある可能性も低く、努力したからと言って何の保証も無い道のりだった筈だ。見事それを乗り切ったを誇りに思ってしまうことは、不思議ではない筈だ。

鬼だった彼らからの威嚇を感じる度、ついつい揶揄うような接し方をしてしまうのは、記憶を持った彼らが平和な世で生き直せることへの宇髄なりの祝福なのだけれど、恐らく伝わってはいないだろう。それで構わない。

「・・・諦めねぇ根性の勝利ってヤツだよなぁ」
「え?」
「いや、何でも無ぇ。それより、良い物見せてやる」

その言葉に、回り込んで来た蜜璃がキャンバスを覗き込む。
大きな瞳が驚きに見開かれる様を、宇髄は楽しげに見守った。

「・・・あっ!!」

そこには、の足元に跪き靴を履かせる妓夫太郎の姿が精巧に再現されていた。身体の一部ではなく、どこからどう見ても彼とわかる。何しろ全景のデッサンなのだから。
脳裏に色濃く残るものの自身のスケッチブックには残せなかった光景に、蜜璃が瞬間表情を緩める。
次の瞬間見交わした視線は、何やら複雑な色に満ちたものだった。

「宇髄先生、妓夫太郎君からは許可貰ってないから、ほんとは描いたら駄目な絵ですね?」

デッサンに起こせるのは、本人から許可を貰っている領域のみである。は良くとも、妓夫太郎は全身を写す許しを得ていない。
だからこそ全景を写し取れなかった悔しさを残す蜜璃であったが、彼女が今話している相手は美術部の神を名乗る男である。
わざとらしく肩眉を上げて口の端を上げる端正な顔立ちは、答えをわかっていながら楽しげに思ってもいないことを口にした。

「ほぉ?じゃあお前が破り捨てるか?」
「とんでもないっ!これは美術部内で永久保存です!」
「話がわかるヤツで助かるぜ」

最終的に色を乗せたら何かに使えるだろうか。
卒業祝いか、それとも更に先の祝いの席か。
線書きでも幸せが滲み出る教え子の姿に、宇髄は満足気な笑みを浮かべた。



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