気になる一匹狼



天神杯の連覇を決めた瞬間のの表情は、達成感と向上心に満ち溢れた明るいものだった。
彼女の狙いは三冠のため二度目の王座は通過点に過ぎず、しかしその道のりは決して容易ではなかったことを妓夫太郎は知っている。既に一年先を見据えながらも、安堵の笑顔で表彰台に上がるの姿が眩しい。
彼女の勝利の様子は以前から目にしていたものだが、を思い出せなかった頃よりも、努力の過程を身近に見ている今の方がより感慨深い。の頑張りが報われる瞬間を特別嬉しく思ってしまうのは、そう不思議なことではない筈だ。

放課後の教室にひとり、既に何度見たかわからない一月前の映像を眺めていた妓夫太郎は、瞬間背後への警戒を怠った。

「・・・立花妹じゃん」

ぽつりと呟かれたの呼び名に、妓夫太郎は勢い良く背後を振り返る。
ひとつ前の席のクラスメイトが、目を丸くして佇んでいた。佐伯という名のこの男のことを良く知らない妓夫太郎は、思わず威嚇の様な睨みを利かせることで背後を取られたことを悔やむ。

とのことを隠すつもりは無いが、関係の無い相手と慣れ合うつもりも無かった。大抵の生徒であれば、妓夫太郎に睨まれてしまえば即座に退散する筈である。
邪魔をされたことも含めて鬱陶しく感じ、追い払う様に舌打ちをすると、佐伯は何を思ったのか自分の席に逆向きに腰掛け、妓夫太郎の机に頬杖をつくなりしみじみとこう呟いた。

「謝花お前、本っ・・・当に立花妹のこと大好きなのなぁ」
「はぁ・・・?」

妓夫太郎を恐れて退散するどころか、佐伯は目を輝かせて満面の笑みを浮かべていた。

「しょっちゅう一緒にいんのに、一人の時は動画で彼女見てんのかよぉ・・・立花妹には優しいのは知ってたけどさぁ、ここまで彼女大好きとかすごくね?正直侮ってたわ、俺お前のこと気に入った!」

佐伯にとって妓夫太郎は、少々気になるクラスの一匹狼の様な存在だった。

に対しては大変に優しく、どうやら付き合っているらしいという噂は学年内では既に有名であるが、とにかく関わりの無い人間を寄せ付けないオーラを放っている。彼女の兄である幸太郎や、合同体育を機に競い始めた狛治とは普通に話している現場を目撃するものの、その他の同学年には一切気を許す兆しが無いのだ。
是非とも話しかけたいが隙が無い、佐伯はこの時を待ち望んでいたと言っても良いだろう。
体育祭のクラス対抗リレーで見せた狛治とのアンカー対決は最早伝説である。足が速ければモテるというのは宇髄の持論であったが、それは男女問わずの話の様で、接戦の末ゴール間際で逆転した妓夫太郎の俊足に佐伯は大変胸を熱くしていた。

加えて今一人きりの時間にすら有名人の恋人を画面越しに眺める熱烈さを目撃してしまっては、佐伯はもう黙って機会を待ってはいられなくなった。脅威の身体能力だけでも気になって仕方が無い相手が、周りの人間を寄せ付けない反面恋人への愛がとてつもなく深いだなんて、話しかけずにはいられない。
そうして前のめりに距離を詰める佐伯を前に、妓夫太郎は一歩椅子ごと後ずさり眉間に皺を寄せた。

「俺はてめぇを一切気に入って無ぇけどなぁ」
「まぁそう言うなって!俺去年立花妹と同じクラスだったから色々お得よ?」
「安心しろ、のことでてめぇが知ってて俺が知らねぇ事は無ぇからなぁ」
「そんなこと無いっしょー。あ、ホラこれとか見たくね?」

素早く佐伯が差し出したスマホの画面に、妓夫太郎は釘付けになった。何とか気を引こうとした一手であったが効果は抜群だった様で、佐伯は内心でガッツポーズを決める。

「・・・」
「文化祭オフショット。柊組の共有アルバムなんだけどさ、結構皆良い写真撮るんだわー」

“柊組文化祭”とタイトルの付けられた共有アルバムは、各々が撮影した昨年の文化祭までの軌跡そのものだった。
体育館の片隅や、噂に聞く鱗滝の自宅での練習風景。クラスTシャツの原案の文字を書いている、の真剣な横顔。当日の写真も多々あり、配信では映らなかった舞台裏での写真が満載だった。特に昨年の柊組の出し物はを中心としたパフォーマンスだったこともあり、クラス全員のアルバムでありながら圧倒的に彼女の登場率が高い。カメラ目線のものから完全に無意識の一瞬を切り取ったものまで、あの文化祭に関わるの様々な表情がそこにあった。

思わず無言で画面に見入る妓夫太郎の顔を前にして、佐伯は頬の緩みが止まらない。の姿を一枚でも多く目に焼き付けようと真剣な目が物語る、いかに彼女を好きかと言うことを。

「立花妹が写ってるやつ、転送してあげよっか?」
「・・・」
「つきましては連絡先交換したいんだけど、一切気に入ってない俺とは交換出来ないかぁ残念!」
「てめぇ・・・」
「嘘ですゴメンナサイ手を放して」

即座に片手とは思えぬ力で鷲掴みにされた頭を解放して貰い、佐伯はいそいそと二台のスマホの連絡先を交換することに成功した。
手早くの映っているものを選び抜き共有する。似たような角度のものも多いが、この際多少のダブりがあっても構わないだろう。正直妓夫太郎はの写真であれば連写でも違いを見抜きそうである・・・とは、殴られそうなので口にはしなかった。

「ほい、共有完了。確認してくれい」
「・・・おぉ」

佐伯の端末から移された写真の数々は、確かに妓夫太郎の手元に渡ったのだろう。これでゆっくり確認が出来ると言わんばかりに足を組む彼の姿に、佐伯は思わず小さく肩を揺らして笑った。

「何ニヤニヤしてやがる・・・」
「いーや?立花妹は幸せ者だなぁって」
「あぁ?」

怪訝そうに眉を顰める妓夫太郎に怯むことなく、目の前の男は当然のことの様に笑って告げる。

「だって謝花からこんなに愛されてんだもん、そりゃあ幸せっしょ」

たった数分のやり取りでも十分にわかる、いかに妓夫太郎がを好いているのか。何一つ取り零したくない程に、彼女の一瞬をひとつでも多く知ろうとする気持ちは、紛れも無く愛だ。それ程に強く想って貰えるは幸せ者だと、佐伯は本心からそう告げた。

しかし、妓夫太郎は小さく目を見張ってしまう。の傍にいられる自分を幸せ者と思うことはあれど、逆のことを考える機会など滅多に無い。
彼女自身が幸せだと言ってくれることは、有難いことに幾度もある。その度に、こちらの台詞だと返してしまう程に妓夫太郎は満たされている。競うことでは無いだろうと理解はしているものの、どちらが幸せかと言えば自分の方だろうと妓夫太郎は信じていた。
それを第三者から、自分に愛されては幸せ者だと言われた今、覚える気持ちは。周りから忌み嫌われながらも何とかの隣にいたいと格差に足掻いた頃からは、考えられない様な状況に対して覚える思いは。

―――やはり、幸せだという思い以外の何物でも無い。

「・・・謝花今笑った?」

ほんの瞬間、正面に誰がいるかを失念して気が緩んだ。
幸せを噛み締めるあまり束の間装うことを忘れた仏頂面で、妓夫太郎は佐伯を睨む。

「・・・笑ってねぇ」
「いーや今めっちゃ優しい顔で笑ってた!ね、もっかい、もっかい!」
「うるせぇぞてめぇ痛い目に合いてぇか・・・?」
「ひぃー暴力反対・・・!」

気恥ずかしさと苛立ちが混ざり合い、妓夫太郎の手が佐伯の胸倉へ伸びかかったその時。
教室の後方ドアが、軽い音を立てて開いた。顔を出したのは勿論、妓夫太郎が待っていた恋人である。

「妓夫太郎くんお待たせ・・・って、佐伯くん?」
「おー立花妹じゃーん。あ、待ち合わせだった感じか」
「そうなの、私がちょっと職員室に用事あって・・・」

以前のクラスメイトへにこやかに応じつつ、は妓夫太郎の元へと駆け寄ってきた。用事を済ませてから小走りで駆け付けたのだろう、若干髪が乱れている。そんなところにも頬が緩みそうになるところを佐伯がいる手前堪え、妓夫太郎は席を立った。

「帰んぞ」
「うん。お兄ちゃんと梅ちゃんは?」
「梅が買い物してぇって言うから先に行かせた」
「そっか、待っててくれてありがとう」

が現れた途端に、教室の雰囲気が一変する。二人の背景がパステルカラーに見える気さえするのは何の幻覚だろうか、まぁ良いだろう。
そうして微笑ましく目を細める佐伯へと、の目が向けられた。

「佐伯くんは?一緒に帰る?」
「お誘いは気持ちだけサンキュ、死ぬほど睨まれてるからやめとく」
「え?」

が見上げて確認するまでのほんの一瞬、鬼の形相で睨まれては敵わない。無論彼女の前では素早く何事も無かったような顔をするのだから面白いものだ。
漫画の様なやりとりをする二人を前に、佐伯は困ったように両手を上げて見せた。実際に今日はこの後も校内に残る理由がある。

「つーか俺これから中間の補習なんよ・・・地獄・・・」
「ふふ、佐伯くん相変わらずなんだね」

佐伯は正直に言って頭が良くない。試験の度に頭を抱える様は去年から変わっていないようで、は小さく苦笑した。

「っは、万年補習組かよ、雑魚か」
「妓夫太郎くん」
「・・・」

明確に佐伯を鼻で笑った筈の妓夫太郎は、恋人の一言で押し黙ってしまう。誰も寄せ付けないような怖い顔をしながら、の前ではこんなにも弱いだなんて嬉しい発見である。
気になっていたクラスメイトとようやくまともに話すことが出来た今日は、補習があろうとも紛れも無く良い日だ。
佐伯は吹き出すように笑い、荷物を手に明るく手を振った。

「っははは!やっぱ謝花面白ぇわ、じゃあ俺行くからさ!死なないように応援してくれぇ!」
「うん、頑張ってねー!」

の応援を受け、佐伯は慌ただしく教室を去った。途端に静かになった空間に、妓夫太郎は思わず溜息を吐いて頭を掻く。まったく、こんなつもりでは無かった筈が余計な隙を見せ過ぎた様な気がして仕方が無い。

「・・・騒がしい奴だよなぁ」
「ふふ。でも妓夫太郎くん、ちょっと楽しそう」

の黒い瞳に射抜かれ、妓夫太郎は動きを止める。優しげな笑みはこちらを見上げ、その声は柔らかく弾んでいた。

「クラスにも話せる友達出来たんだね、嬉しい」

何故が嬉しがるのか。胸の内をくすぐる気恥ずかしさに、妓夫太郎は彼女の前髪を雑に混ぜた。
素直に新しい友人とは認め難い。しかし、の写真は帰宅後に見返そうと心に決めた。


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