願いが繋ぐ彼らの日常



「おい、多過ぎないか」
「うるせぇなぁ・・・良いだろうがよぉ」

立花家のリビングテーブルは最大六人掛けだった。
短辺の席に腰掛けた幸太郎は、両側で向かい合っている狛治と妓夫太郎のやり取りを気にしつつも手早く餃子の皮を包む。
狛治が気にしているのは大皿に仕上がっていく餃子の大きさ、更に言うならば包む餡の量について、である。確かに妓夫太郎の仕上げたものは形は綺麗でも大きさにややバラつきが見られる。そこを指摘されたことで彼は面倒臭そうに眉を顰めていた。

「良くはないだろう。均等にしろ」
「細けぇ野郎だなぁ・・・」
「ひとつが多ければどこかが少なくなる」
「チっ・・・わかってるっつーの・・・」

出来上がったものは当然恋雪も口にする、狛治はそれ故に拘っていた。しかし妓夫太郎もぶちぶちと文句を言いつつも怒りだすことはしないし、手も止めない。

男三人で餃子を包む空間は不思議と平穏で、幸太郎は思わず小さく肩を揺らして笑った。

「・・・ふふっ」

何と平和なことだろうか。

「幸太郎?」
「何笑ってんだてめぇは」
「いえ、お二人とも今日の激闘を経て、仲良くなられたと思いまして」

今日は学園で体育祭が行われた。運動全般が不得意な幸太郎はともかく、狛治と妓夫太郎は競技に出る度注目の的となる一日だった様に思う。

高校入学から約一月半、二人が合同体育でレベルの高い競い合いをしていることは噂に聞いていたが、今日の直接対決は幸太郎も胸を熱くして見守ったものだ。
やはりお互いに出来る人間だからこそ、競い合うことで仲良くなったのではないか。そうした幸太郎の問いかけに対し、二人は数秒の空白を空けた末に同時に口を開いた。

「そうか?」
「そうかぁ?」

やはり。
本人たちは怪訝そうな顔をしながらも同じことを口走っている。
声には出さず可笑しそうに肩を揺らす幸太郎を見遣り、狛治は一瞬止まっていた手を動かし始めた。仲良くなったかどうかはともかく、今日一日で正面に座る男を相手に幾度も本気を出したことは事実である。

「・・・足の速さは敵わないな。リレーは俺の完敗だった」
「引っかかる言い方すんなよなぁ。走り以外だって負けてねぇだろうが」
「妓夫太郎、お前は確かに個の身体能力は飛び抜けて高い。だが、協調性が圧倒的に足りてない。二人三脚の相方を強引に引き摺る奴があるか。他人の身体はお前の思い通りにはならないぞ」
「・・・」

そこを突かれると弱く、妓夫太郎は眉間の皺を深めて目を逸らした。
鬼であった頃は妹の身体も操作出来たとは言えないが、確かに他人と息を合わせることは得意ではない。戦術は組めたとしても心を許した相手以外との連携は難しく、結論力技で押すしかなく不本意ながら教員からは小言を言われた。
そうして苦い顔をしている妓夫太郎と競えたことを、狛治が楽しく感じたこともまた事実だった。ここまで強い相手が身近にいることは幸運としか言えないだろう。

「まぁ、個人競技なら負け無しなことも事実だがな・・・授業の柔道以外の話だが」
「言ってろ。今にぶん投げてやるからなぁ」

足の速さでは妓夫太郎に僅差で遅れを取る狛治だが、今のところ授業での柔道対決では負け無しである。今にぶん投げるという宣言の通り、正直なところ気を抜けば危うい状況ではあるが、譲るつもりは一切無い。
そろそろ切り替わるであろう授業内容は水泳か、サッカーか。どちらにせよ合同体育のクラスは一年間変わらないため、好敵手と競う楽しみは始まったばかりだ。

との長年の友人関係が無ければ繋がらなかったであろう稀な縁に、狛治は感謝するように小さく笑った。

「ああ、楽しみだ・・・ほら、また多いぞ」
「うるせぇんだよなぁ・・・」
「まぁまぁ。その分私が小さめなもので調整しますから」
「幸太郎、甘やかすなよ。協調性は日々の積み重ねだぞ」
「余計な世話を焼くなってんだ・・・」

ヒートアップしそうでしない際どい線で幸太郎が曖昧に笑う、その刹那。
隣接するキッチンから聞こえて来た慌てる様な声に、その場の空気が変わった。



* * *



「ちょっと、お姉ちゃん?」
さん・・・?」

リビングとキッチンは辛うじて薄い簾に仕切られてはいるが、余程小声でない限り基本的に会話はお互い筒抜けである。
梅と恋雪の心配一色の声を耳にし、妓夫太郎は迷わず手元のものを放り出し席を立った。

女子だけで副菜とスープを作るのだと、つい先ほどまで楽し気な笑い声が聞こえていたというのにどうしたことか。
踏み込んだキッチンにて、潤んだ目元を擦るの姿を目にしてしまい、当然のことながら彼は大きく動揺する。

「っおい、?」
「な・・・なんでも無いの!」

は慌てて両手を振り作り笑いを浮かべているが、どう見ても涙は誤魔化せていない。両側で心配そうな面持ちの梅と恋雪の様子からも、状況の不自然さは明らかだった。
心配せずにいられる筈も無く、妓夫太郎が詰め寄るとますますは困った様に眉を下げる。

「ごめんなさい、玉葱が目に沁みたかな・・・」
「下手な嘘つくんじゃねぇぞ、どうしたってんだ」
「ほ、本当に、大したことないの・・・」

本格的に悲しい時の泣き方ではない、それはわかる。しかし納得出来る理由が無ければ引き下がれる筈も無い。譲らない妓夫太郎の視線に数秒躊躇った後、は鼻を啜りながら苦笑を浮かべた。

白状するのも恥ずかしい、何ということは無い話なのだ。
女子三人で楽しく喋りながら作業をする一方、リビングで餃子を包んでくれている三人の声が聞こえてきた途端、急に込み上げたもの。自宅でこうして集まり夕飯の支度をする、平穏で優しい空間の中に、去年まではいなかった二人がいてくれると実感した瞬間、突然潤んだ視界。
秋の再会から半年以上経って尚、何気ない日常の中に大切なひとがいることの幸福に、は未だ慣れてはいなかった。

「妓夫太郎くんと梅ちゃんがここにいて、馴染んでるなぁって思ったら、つい・・・」
・・・」
「ごめんね、泣くことじゃないよね」

実のところ、これまでも危ない場面は何度もあった。
約束通り炭治郎のパン屋へ初めて二人を連れて行った時であったり、本当に何でもない日々の中に妓夫太郎と梅がいることは時に泣きたくなるほどの感情の波を生んだ。
こんなことではいけないとその度堪えていたものが何故このタイミングで決壊したのかは定かでは無かったが、胸を張って言えることでは無い。
困惑する恋人を前に気恥ずかしそうに頭を掻く妹に助け船を出すべく、幸太郎が妓夫太郎へ声をかけた。

「妓夫太郎殿、戻りましょう」
「けどよ・・・」
「大丈夫です。梅殿、ここはお願いできますか?」

妓夫太郎に心配されることを妹が望んでいないと、幸太郎はわかっていた。正解は無いだろうけれど、少しずつ慣れていくしかないであろうことも理解している。

今この瞬間適任なのは彼ではなくその妹だ。突如名前を呼ばれた梅は瞬間背筋を伸ばし、そして力強く頷いて見せた。

「・・・任せて!」
「流石、頼もしいですね。恋雪殿も、梅殿のお手伝いお願いしますね」
「はいっ・・・」

そうして早々にリビングへ戻った幸太郎であったが、妓夫太郎はなかなかを置いてその場から動けない。
幸太郎から直接この場を任された身として、梅は両手を腰に当てて二人の間に入った。

「さ、餃子係のお兄ちゃんは戻って!ちゃんと同じ大きさで包んでね!粉まみれの手でお姉ちゃんの頭触ろうとしないの!」
「・・・わーったよ」

どちらが年上なのかわからない様な物言いで追い立てられ、妓夫太郎は肩で息をついた。最後に一度目が合った際、が困ったような顔で笑いかけたため、納得は出来ないが多少は理解したような顔をして一度頷き、彼はリビングへ戻った。

さて、助け船を出してくれたのは兄であるが、こうして間に入ってくれた頼れる背中は梅のものである。幸い涙はすぐに止まってくれたので、は柔らかく微笑んで美しい白髪を撫でた。

「・・・梅ちゃん、お姉さんになったねぇ」
「もう、お姉ちゃんってば。アタシ今度は一個違いなんだからね」
「ふふ、そっかぁ・・・そうだよねぇ」
「心配しなくてもずっと一緒にいるわ。慣れてくれなきゃ困っちゃう」
「うん・・・そうだね、ありがとう」

つい以前と同じく小さな妹の様に接してしまいがちであるが、本人の言う通り今の彼女は達と一年しか違わない。
慣れてくれなくては困ると口調こそ強気であるが、正面から抱き着いてくる温かな体温には癒される思いがして、は華奢な身体を優しく抱き締め返した。

梅の表情が溶けそうに緩んでいることは、からは見えないだろう。恋雪は小さく微笑んだ。

さん、温かいお茶を淹れます。少し休憩しましょう」
「ありがと、恋雪ちゃん。でも大丈夫だから・・・」
「良いのっ!お姉ちゃんは休んでて!」

梅はをカウンターへ押し込み、慌てた様に恋雪の後をついて歩いた。
恋雪はのマグカップだけでなく、茶葉の棚までもしっかり把握しており手早く湯を沸かし支度を整えていく。悔しいが完璧な手際の前では手が出せない。

「・・・アンタ何でお茶の棚知ってるのよ」
「前に一度お邪魔した時に、教えて貰ったの」

前というのは、文化祭より前のことなのだろう。
自分は介入できない時の話に面白くなさそうな顔をする梅を横目に、恋雪は小声で囁いた。

「梅ちゃん、今日はヤキモチは無しだよ」
「・・・」
「そんなの必要無いって、わかるよね?」

二人はを巡り、主に梅から恋雪に噛み付くことの多い間柄であったが、今日のこの一言は良く効いた。は何でもない不意の瞬間にすら、妓夫太郎と梅がこの場にいることの尊さに涙が出るほど彼らを愛しているのだ。恋雪と梅では何もかもが違う。それを恋雪自身から告げられ、それでも尚言い返せる言葉を梅は持ち合わせていない。

ケトルの湯が素早く沸き、茶葉の良い香りが立ち昇った。

「・・・年下の癖に。生意気」
「お誕生日一ヶ月も違わないのに・・・はい、さんに持っていって」
「言われなくても持ってくわよ・・・ありがと」

憎まれ口を叩きながらも、些細なことでは礼の言葉が言える。素直でない友人のそんな一面が好ましく、恋雪は小さく笑った。

彼女の気遣いによりお茶を手渡す役を得た梅は、カウンターの丸椅子に大人しく収まるの横にぴったりとくっつく。
トレイを置くと立ち昇る良い香りにすんと鼻を鳴らした次の瞬間、の方からも体重をかけられる感覚に梅は目を丸くした。

「お姉ちゃん?」

また涙が出て来たのかと顔を覗き込むが、そうではない様だった。
は柔らかく目を細め、梅に寄りかかって来る。

「梅ちゃん、ありがとう」
「なぁに?今日はお姉ちゃんが甘えたさんなの?」

日頃梅の方からに甘えているので、よくわかる。少し体重をかけて頭を押し付ける、何とも言えない多幸感。
梅は堪らず横からを抱き締め返した。柔らかな感触が心地良い。一緒にいたいのは梅も同じ気持ちだ。昔と違い年の差は縮まったが、大好きな姉には変わりない。

「恋雪ちゃんも、ありがとう」
「・・・はい」

少し遅れてやってきた恋雪の足音に、は逆側の手を伸ばす。
遠慮がちにその手を握り返した恋雪の表情を見た瞬間、梅の眉が吊り上がった。

「ちょっとぉ!近いわよ恋雪!」
「もう。今日はヤキモチ無しって言ったのにすぐ忘れちゃうんだから」
「・・・ふふっ、二人とも可愛いなぁ」

の幸せそうな声が軽やかに響く。
リビングから様子を窺っていた男性陣が、揃って安堵の息をついた。


* * *



体育祭のお疲れ様会と称した夕飯の席は、大変賑やかで楽しいものとなった。
定員ギリギリのテーブルは若干狭かったが、それもまたお互いの距離が近く良い材料となる。
長辺にと妓夫太郎、狛治と恋雪、短辺に梅と幸太郎が向かい合うように座ったが、見方によってはテーブルの中心から男女で別れている様でもあり、特に女子三人側は明るい笑い声が絶えなかった。

想定外の出来事は、丁度食事を終えた頃に起きた。今晩は催事で外泊をする筈の母親が、一時帰宅したのである。
彼女は玄関先でに小ぶりなホールケーキを渡すなり、追う様に出て来た友人たちに当たり障りの無い挨拶をしてすぐに去った。
状況が読めずに困惑するにケーキカットを依頼し、幸太郎が電話で確認をしたところ、事前に友人たちが来ると申告を受けていたためケーキを届けに寄った、とのことだった。
外泊するくらいなのだから催事会場と自宅とは距離がある筈だが、本当にこのためだけに一時帰宅したらしい。
表情は普段通りかなり淡泊だったにも関わらず、なかなかサービス精神に溢れた対応である。

「美味し過ぎたんだけど。こんなの初めて」

結構なボリュームの夕食の後だったが、全員綺麗に平らげて今に至る。呆然と呟いた梅の感想は、この場にいる誰もに共通するものだろう。箱に入っていた小さな冊子を広げ、幸太郎が熱心に読み込んだ。

「どうやら有名なお店の看板商品らしいですね」
「あの、私も知ってます、かなり人気のお店です。ここからは結構距離があると思うんですが・・・」

何でもない顔をして届けるには、ますます特別過ぎた代物だった様だ。戸惑った様に小首を傾げるに向けて、狛治が小さく呟いた。

「・・・良い親御さんだな」

狛治の言葉に嘘偽りは無く、それは客観的に見ても間違いない表現だろう。
今回は前回と比べて良い親子関係を築けている自信のあるであったが、やはり少々落ち着かない。
慣れていないのは、妓夫太郎と梅との関係だけではない様だ。思わず僅かに苦笑を零してしまう。

「んー・・・ちょっと今日はびっくりしたけど。でも、皆と一緒に食べられたのは良かった、かな」
「明日帰って来たら、改めてお礼を言いましょう」
「うん」

兄の言葉に素直に頷くを見遣り、梅が頬杖をついた。
ケーキは大変に美味しかったし、これをわざわざ届けに寄ってとんぼ帰りとは、狛治の言う通り良い母親だ。
けれど梅の記憶の中にぼんやりと残る、隣の区画の女将の姿とはどうもイコールで繋がりにくい。

「意外だったわ。別にアタシも、そこまでしっかり覚えてる訳じゃないけど・・・正直、そんなに良い印象も無かったっていうか」
「そうだよね、私も意外に思ってる」
「記憶が無いのが良かったのかも。本当はああいう人だったのかもしれないし。ちょっと顔怖いけど、アタシは今の方が好きだわ」
「ありがとう、梅ちゃん。そう言って貰えると私も嬉しい」

そうしてが梅の頭を撫でる光景を見つめ、妓夫太郎は先ほどの邂逅を思い返す。

が二度目の母娘関係を継承していることは事前に聞いて知っていたし、これまでの半年の間に瞬間顔を合わせたことも無くは無い。
ぼんやりとした記憶の梅と違い、妓夫太郎は娘に一時期折檻をしてまでも自分達との関係を咎めていた女将のことを記憶していた。
が今良好な関係を築いているならば何も言うことは無いが、やはり心の何処かで悪い印象を拭い切れずにいたのだ。

「・・・」

だが先ほど、直接挨拶をされた時のことが引っかかる。
無難な挨拶であったが、妓夫太郎を見るその視線がやけに真っ直ぐで。決して嫌な意味ではない違和感を感じた。
何の根拠も無い話のため誰にも明かすつもりは無いが、思ったのだ。本当に、記憶を持っていないのだろうか、と。

「・・・妓夫太郎殿?」
「いや、何でも無ぇ」

瞬間のつもりが物思いに耽り、注目を集めてしまっていたらしい。
隣の席で小首を傾げてこちらを見ているの視線に、妓夫太郎は小さく口元を緩めて手を伸ばす。

がやりてぇことを、今度こそ分かってるなら・・・良かったじゃねぇか」

柔らかな黒髪に手を置いて、そう告げた。
お互いにお互いの進む道に理解が無い。前回の親子関係の決裂にあたり、最初のすれ違いはそこだった筈だ。
環境の劣悪さに差はあれど、幼少期のを孤独に虐げた原点が今世においては良い母として生きているならば、それで良い。
そうして過去のことを含め理解を示した妓夫太郎に、は救われる思いで緩く微笑み返した。

「・・・うん、ありがとう」

と妓夫太郎が隣り合う光景など、秋以降、更に四月以降は毎日の様に見ている筈だった。
けれど今目の前で穏やかに笑い合う二人を目にし、狛治は改めての思いを口にする。

「・・・不思議な感じだ」
「素山くん?」

今目を丸くしてこちらを見ている彼女が、如何に不安な道のりを兄と二人きりで歩んできたかを知っている。
妓夫太郎に会いたいと大きな声で泣いた姿も、不安に背中を丸くした姿も、この一年で事情を明かされて以降傍で見て来た。
けれど二人が揃う姿があまりに自然過ぎて、狛治は不意にその孤独な経過を忘れてしまいそうになる時がある。

「お前たちを見ていると、十五年の空白があったようには思えなくてな」
「・・・」
「無論、立花が必死になっていたこともわかってはいるが・・・まぁ、それが前世からの縁とやらなのかもしれないな」

前世からお互いを唯一と誓った相手と聞かされてはいたものの、いざ目の前に現れた妓夫太郎は想像以上にの隣がしっくり来る男だった。
理屈抜きに、お互いにお互いしかあり得ない様な空気感は、言うまでも無く特別なものだ。それがかつての人生からの縁と呼べるものなら、狛治はそれを疑うことなく信じることが出来る。
そして同時に思うのだ。が穏やかに満たされている、そんな日があの秋に訪れて本当に良かった、と。

「本当に、お二人は素敵です・・・私、今ここにいられて・・・さんの幸せそうな笑顔が見られて、とても嬉しいです」
「まさに願えば叶う、だな。俺も恋雪さんと同じ意見だ」

それは、心からの祝福だった。
当事者で無いにも関わらず現実離れした話を信じ、時には背中を押し、時には不安に寄り添ってくれた二人。
瞬間言葉が詰まってしまうような胸に迫る思いに、は小さく唇を噛んだ。

「・・・二人が、沢山助けてくれたお蔭だよ」
「私も、そう思います。狛治殿と恋雪殿にお話を聞いていただけてから、色々なことが好転しました」

何度礼を言っても、それは二人を見つけ出してからだと励まし続けてくれた。
秋以降はとにかく梅の受験に全てを費やしたため、なかなかこうした機会を改めて作れずにいたのだ。
夏のある晩この二人を招いた時、ここに妓夫太郎と梅がいてくれたらどんなに良いかと願ったことを思い出す。
気が緩んだのはそういうことかとは目を細め、そして深々と正面に掛ける二人に頭を下げた。

「本当に、ありがとう。二人にはもう、いくらお礼してもし足りないくらいで・・・」
「私からもお礼を・・・。お二人には、心から感謝しています」

友人兄妹から改めて頭を下げられ、狛治と恋雪は視線を交し合う。
何も言わずとも伝わっている様な感覚に恋雪が小さく表情を緩め、に向かって口を開いた。

さん、私からひとつお願いです」

恋雪がこんなことを言い出すとは実に珍しい。
これにはも幸太郎も頭を上げて、何度も頷きながら話を聞く姿勢を取った。

「なぁに?私で出来ることなら、何でも聞くよ」
「私もです。狛治殿と恋雪殿の力になれるなら、何なりと」

注目の集まる感覚に頬を赤く染め、恋雪が両膝の上の手を握り締める。俯きそうになる衝動を堪え、その煌めく瞳が柔らかく細められた。

「これからも、ずっと幸せでいてください」
「・・・恋雪ちゃん」
「それから・・・出来れば、近くで見守らせてください」

その願いは、思いの外大きくて。

「私、さんの笑顔が、大好きなんです」

そして想像以上に、の胸を熱くした。
可憐な笑顔と共に告げられた言葉を飲みこみ、高鳴る鼓動に唇を噛み。

「・・・素山くん、」
「俺に断るな、好きにしろ」

心得ている様に苦笑を浮かべる狛治の反応に、は勢い良く席を立つ。
テーブルを回り込み、嬉しさを爆発させるように強くその身体に抱き着いた。

「・・・っ!!」
「恋雪ちゃん・・・本当にありがとう・・・!」

可憐で健気なこの少女の優しい気持ちに、何度助けられただろう。そうでなくともファンを公言して真っ直ぐに応援してくれる恋雪には、感謝の気持ちが絶えないと言うのに。その願いがこんなにも嬉しいものだなんて、恵まれ過ぎて気持ちが追い付かない。

「その気持ちが本当に嬉しい・・・これからも、ずっと友達でいてね・・・!」
「・・・っはい!」

赤面を隠せない恋雪が幸福に目を輝かせる瞬間を、誰もが眩しい気持ちで見守った。
するとその次の瞬間、ぼふ、と音を立てての背中に連なる様に梅が抱き着く。

「・・・梅ちゃん?」
「アタシだって、お姉ちゃんの笑顔が大好きよ。お兄ちゃんと先生以外には分けてあげたくないわ」

その表情は拗ねたようであり、同時に葛藤に揺れたもので。数秒の末にの後ろから恋雪を覗き込んだ梅の表情は、険しくも若干心を許したものだった。
負けを認める訳では決して無いが、恋雪の真っ直ぐさは梅の心を動かすに至った様だ。

「でもしょうがないから、アンタ達が近くにいることも許してあげる」
「・・・うん。ありがとう、梅ちゃん」

婚約者が目を細めて喜ぶ姿を隣に見据え、狛治は緩く口元を上げた。
素直ではない梅が“アンタ達”と呼ぶならば、それは狛治も含めてのことなのだろう。女子が三人重なって笑い合っている光景には苦笑を。

「・・・おい、拭け」
「すみません・・・」

そして逆側では片方が眉を顰めてティッシュケースを押し出し、押し出された方は目を潤ませている。そんな友人二人にも、やはり苦笑を。

「素山くんも」
「ん?」
「これからも、仲良くしてくれると嬉しいな」

付き合いも四年目に突入したクラスメイトが、恋雪と梅に挟まれた状態のまま微笑んでいる。
狛治は瞬間目を丸くした末、呆れたような溜息と共に笑って見せた。

「・・・今更確認することか?」
「ふふっ・・・ありがと」

不思議な縁に繋がれ、彼らの日常は続く。


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