彼に憧れるその理由



よく晴れた昼過ぎのことだった。
気温の上昇と共に、本格的な夏の訪れが近いことを感じさせる休日。パン工房竈門のドアが、軽い鈴の音と共に開いた。

「こんにちはー」

聞き慣れた明るい声は、紛れも無くお得意様のものだ。炭治郎が奥から顔を出すと、やはり慣れ親しんだ姿がそこにある。

「あっ・・・さん!いらっしゃいませ!」

炭治郎の歓迎を受け、がにこやかに手を振って応える。

学園の二年先輩である彼女は、今年の春高等部へと進学した。相変わらず書道の世界で活躍を続けるは、学内外を問わず有名人だ。校舎が変わったため学内で顔を合わせる機会は減ってしまったが、立花兄妹は変わらずこの店の常連客のため度々挨拶を交わしている。

彼女が一人で買い物に来る可能性は低い。さて、今日の相方は誰か。炭治郎が頭の中で色々な組み合わせを考える中、店のドアが閉ざされる。どうやら今日は二人での来店だった様で、炭治郎は後から入ってきた同行者にも歓迎の笑顔を向けた。

「妓夫太郎も、いらっしゃい」
「気安く呼び捨てにすんなよなぁ」
「もう、妓夫太郎くん」
「・・・」

妓夫太郎と炭治郎は、以前の世で命を懸けて戦った鬼と人間であり、その首は最終的に炭治郎が斬り落とした。
奇跡的に二人とも記憶を引き継いでいるため、因縁の相手である炭治郎に対して妓夫太郎は常に棘のある話し方をする。しかしその度に窘められては彼が押し黙ることを知っているので、炭治郎は特別気に留めることも無く穏やかに微笑んだままだ。

例え前世が鬼であったとしても、罪を償い人として生まれ変わったことが今の彼の全て。鬼となるより前の彼が、と生きていた少年であったことを炭治郎は知っている。鬼として最期に見せた涙と強く焦がれる匂いが、へ向けられていたことも知っている。今こうして二人が並んで目の前にいることは、炭治郎にとっても嬉しい光景そのものだ。

さん良いタイミングです。これからどんどん追加で焼き上がりますよ」
「本当?嬉しいなぁ、たくさん買っていくね!」
「いつもありがとうございます!少々お待ちくださいね!」

空いたバスケットの目立つディスプレイは、丁度これから追加のパンで埋められていくところだった。嬉しそうに笑うの声は店としても大変有難く、炭治郎はにこやかな笑顔で礼を返す。

彼女と和やかな会話をする度、半歩後ろの妓夫太郎が苛立ちのオーラを隠さないことが若干困る点ではあるが、そこに屈する炭治郎では無かった。は店のお得意様である双子の片割れであり、同時に炭治郎は彼女のファンでもあるのだから。いくら妓夫太郎とが特別な間柄であろうとも、この貴重な交流の機会は譲れない。炭治郎は曇りなき眼で鼻息をひとつ、奥へと踵を返した。

「はぁー、良い匂い。何買おうかなぁ」

は鼻からいっぱいにパンの焼ける匂いを感じ、幸せそうに頬を緩めている。
妓夫太郎は炭治郎自身との反りは合わないが、この店のパンの美味しさは理解していた。同時に、が主食を鞍替えするほどにここのパンを大好物としていることも知っている。鼻歌交じりに店内を見渡す彼女の表情を見て、知らず知らずのうちに妓夫太郎も口元を緩めてしまった。

「ほら、荷物貸せ」
「ありがとう、お願いします」

自然な流れでの荷物を受け取り、トレイを片手に抱え彼女の後をついて歩くのも慣れたものだ。
トングを手にあれやこれやと悩むの姿を見ているだけで小さな幸せを感じてしまうことは、最早病のようなものだろうか。何と言われようともどうしようもない、と過ごす何気ない日々は妓夫太郎にとってかけがえのないものだ。
外見の気怠さとはイコールで繋がり辛い穏やかな心境で、彼女が躓いたりしない様見守る最中。看板商品の棚の前で、が足を止めた。

「あっ!!クロワッサンがもうすぐ焼き上がりの札出てる!妓夫太郎くん、一個ずつイートインしていく?」

ぱっと目を輝かせて見上げてくる期待に満ちた表情が、堪らなく可愛い。しかしそこは素直な反応をぐっと堪え、妓夫太郎はわざとらしく眉を顰めて見せる。

「お前・・・昼で腹膨れたって言ってなかったかぁ?」
「うん、ここのは別腹」

即答する彼女の瞳は、断られないことを信じて期待の輝きに満ちている。
まったく、困ったものだ。
困ったことに、この笑顔を前にして駄目だと言える気が一切しない。

「・・・しょうがねぇなぁ、梅と立花には黙っとけよなぁ」

そうして妓夫太郎が渋々折れる真似事に、が喜びの声を上げたその時。

「あの、こちらへどうぞ!」
「どうぞー!」

随分と可愛らしい声がふたつ響き渡り、妓夫太郎とはおやと姿勢を向けた。小学生だろうか、二人の少年がイートインのスペースからたちを手招いている。ひとりは十歳前後、もうひとりは更に幼く小学校に上がりたてといった頃合だ。
状況と二人の顔立ちから、彼らが誰かを察することは容易い。はにこやかに微笑み、二人の元へと近付いた。

「まぁ、竈門くんの弟さん?」
「あっ・・・すみません、竹雄と茂と言います」
「いらっしゃいませ!」
「こんにちは!」

弟たちの声に気付いたのだろう、奥から顔を出した炭治郎が二人を紹介する。長男の彼に少しずつ似た小さな兄弟は大変に愛らしく、はますます笑みを深め、二人の傍に屈み込んでしまった。

「ふふ、こんにちは。ちゃんとお店のお手伝い出来て偉いねぇ。私はお兄さんと同じ学校の・・・」
さんと妓夫太郎さん!」
「・・・あら」

自己紹介をする筈が茂に素早く先を越され、はぱちりと目を瞬いた。思わず彼らの兄を振り返ると、苦笑する炭治郎と目が合ってしまう。

「うちの家族は皆、さんのファンですから」

事実、竈門家には幸太郎伝いに、の出た大会における関係者席の録画データが毎回渡されている。最初は炭治郎と両親だけで見ていた映像も、が昨年の天神杯を制して以来ますます有名になった今となっては家族全員で見逃せないものとなっていた。竈門家全員がの顔と名を知っている、そこまでは頷ける。

「・・・何で俺まで知られてんだぁ?」

怪訝な顔で妓夫太郎が口を開いた、その直後。
二人の兄弟が揃って興奮に目を輝かせる決定的瞬間を、は目撃した。

「ぎゅ、妓夫太郎さん、ここ!ここどうぞ!」
「・・・」

竹雄がわざわざ椅子を引いて、茂が懸命に彼を手招く。そこまでされて拒否をするつもりも無く、やはり怪訝そうな顔のまま席についた妓夫太郎を前に、竹雄が緊張の面持ちで背筋を伸ばした。

「ごっ・・・ご注文は!」

既視感が告げる、この反応は間違いない。
妓夫太郎の正面に掛けたは、決まっていたオーダーを敢えて彼に任せた。

「・・・妓夫太郎くん、お願い」
「あぁ?・・・クロワッサン、ふたつ」
「・・・!!かしこまりました!!」

妓夫太郎から直接注文を承ったことが余程嬉しかったらしく、竹雄と茂は幼い笑顔を輝かせたかと思えば素早く奥へと駈け戻る。

「ひゃーっ・・・!!注文取っちまった!」
「やっぱり格好良いねっ!兄ちゃん!」
「二人とも大丈夫か?自分たちだけで出来るか?」
「大丈夫ーっ!任せてくれよ!」

ダダ漏れになった彼らの本音は、が見抜いた通りのものだった。思わず緩む口元をそのままに、は正面に掛ける妓夫太郎に向かって頬杖をついて足をぶらつかせてしまう。

「二人とも確かにファンだけど・・・私じゃないね」
「おい、何ニヤニヤしてやがる」

眉間に皺を寄せてはいるが、妓夫太郎にもあの真っ直ぐな好意は伝わっており、気まずそうに頭を掻く彼が今考えていることがには手に取る様にわかる。彼もまた、既視感に内心懐かしさを感じているに違いない。

「間違いなくさんのファンでもありますよ。ただ・・・」
「ふふっ、良いの良いの。妓夫太郎くんは昔から小さい子に人気があるの、よく知ってるから」
「あっ・・・それって、もしかして、前の・・・?」
「うん、そう」

フォローを入れようとした炭治郎は、思わぬところで驚きの事実に目を丸くすることとなった。

前世の記憶を有しているのはも同じことだと、それは妓夫太郎が人間として生きていた時代のものだということを、炭治郎は知っている。詳細までは聞かされることの無かった、鬼となる以前の妓夫太郎の話だ。正直とても気になる。
そうした炭治郎の本音に応えるかのように、が昔を懐かしみ柔らかく微笑んだ。

「妓夫太郎くん、強くて格好良いって、江戸の街の子どもたちから大人気だったの」
「おい、・・・」
「おまけに優しいし。そりゃあ、人気も出るよねぇ」

懐かしい。ああして妓夫太郎を見上げて目を輝かせる竹雄と茂を見るとどうしたって思い出す、茅川町のこと。春男を筆頭に、鬼の兄ちゃんと彼を慕い駆け寄ってくる子ども達。困りながらも彼らを邪険に扱えない妓夫太郎の姿が、今もの目に焼き付いている。
酔った男から春男を拳一発で鮮やかに救った強さ、その気難しい顔で中身は優しいとくれば、それは子ども達も憧れて当然だろう。

「・・・さんの隣にいることが、良い影響力になってるんですね」

自身の恋人の誇らしさに改めて頷いていたまさにその瞬間、炭治郎からの言葉にの時が一瞬止まった。

「・・・え?」
「勿論、妓夫太郎自身の雰囲気もあるんでしょうけど。子どもの気を引いてるのは、多分それだけじゃないと思って」

炭治郎は至極当然のことの様に優しく微笑んでいた。彼が嘘や誤魔化しをする性分でないことを良く知っている手前、は口を挟むことが出来ない。

「店に来て貰う度、さんの隣で荷物を持ったり、危ないことが無い様に見守ってる時の表情が・・・とても優しいので。弟たちが憧れてる理由は、多分そこです。前の時も、そうだったんじゃないですか?」

これにはも言葉を無くし、正面に座る妓夫太郎の表情を盗み見る。唖然とした様な目が徐々に泳ぎ、最終的には気恥ずかしそうに伏せられていて、は途端に頬が熱くなる感覚に両膝へと手を置いた。

好き勝手にパンを選んでいる間にどんな目で見られているかなど考えたこともなく、第三者目線でその様なことを言われると照れてしまうが、妓夫太郎が反論をしないということは事実なのだろう。炭治郎の見立てが正しいのならば、竹雄と茂も妓夫太郎のそんな姿を見て彼に憧れていることになる。

前もそうだったのだろうと問われ改めて思い返せば、茅川町に出向く際は必ず彼が隣にいたことを再認識する。妓夫太郎はいつも隣でを守り、仕事の話以外では決して一人にしない様寄り添ってくれた。
妓夫太郎が優しいことは十分理解しているが、子ども達が彼に憧れる要因のひとつに自分が絡んでいるなど、正直考えたこともなく。不意に妓夫太郎の困り果てた様な青い瞳と目が合い、は困ったような嬉しい様な曖昧な笑みを浮かべた。
正直なところかなり気恥ずかしい。けれど、大好きなひとに優しく見守られていることを改めて実感出来て、嬉しくない筈が無い。

小さなテーブルの下で、こっそりと二人の足が触れ合った。それを合図に妓夫太郎の表情が僅かに緩んだ瞬間を認め、が小さく肩を揺らして笑った。

「お待たせしました!クロワッサンふたつです!」

竹雄と茂が戻ってきたことにより慌てて足先を離し、は焼きたての看板商品に感激するていで頬の赤みを誤魔化すことに成功する。
両手をパチンと合わせ、二人の少年に向かって優しく笑いかけた。

「二人ともありがとう!」

目の前に置かれたクロワッサンは焼きたての香ばしい匂いを放ち、早めに美味しく食べなければ損なことは間違いない。
けれどは、いただきますの言葉を紡ぐ前に妓夫太郎をじっと見つめた。早く食べたいのは山々だが、妓夫太郎はするべきことがある筈だ。の視線の意味は勿論妓夫太郎にも通じており、数秒宙を見上げ考えた末、彼の大きな手がすぐ傍に佇む少年たちの方へと伸びた。

「・・・兄弟で助け合うのは、良いことだよなぁ」

ぽん、ぽんと。
並んだ小さな頭の上へと、一度ずつその手は乗せられた。

「店の手伝い、続けろよなぁ」
「っ・・・!!はいっ!!」
「うんっ!!!」

二人の少年の瞳が眩しく輝く瞬間を目の当たりにし、炭治郎とは思わず小さく声を出して笑った。

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