あの日の君がそこにいた





挿絵版
お世話になっております鳩ぽっぽさんより素敵な挿絵をいただきました!
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広々とした和室に通され、妓夫太郎は落ち着かない様子で眉を顰めた。
普段通りを迎えに来たつもりが、何故こんなことになってしまったのか。
胡坐を組んで背を丸めたところで、妓夫太郎を邸内に入れた男が襖を開ける。

「すまないな。天神杯が目前ゆえ、稽古にも熱が入っている様だ」
「・・・別に良い。俺なんかに構うなよなぁ」
「何を言う!大切な生徒を日暮れに外で待たせるわけにはいかんだろう!」
「・・・」

相変わらず声が大きい歴史教員は、溌剌とした圧が凄い。妓夫太郎は完全に押される形となり小さく頭を掻いた。

は今、迫る天神杯で念願の三冠に王手をかけ、日々稽古に力を入れている。それは妓夫太郎も十分に理解していることであったし、その影響で稽古が伸びるのならばいつまででも待つ心積もりでいたのだ。この底抜けに明るい教員に見つかるまでは。
何も中へ入らずとも平気だと何度言っても聞き入れられず、今こうして和室で教員と向かい合うことになっている心境は複雑だ。
そこへ、控えめな音を立てて再度襖が開いた。

「兄上、失礼します。お茶をお持ちしました」
「有難い!謝花、弟の千寿郎だ」

そうして紹介された彼の弟と目が合い、苦笑を返される。
若干言い辛いが、とうに知っている相手だ。

「・・・知ってるんだよなぁ」
さんのお迎えの度、ご挨拶はさせていただいていますよ、兄上」

これには千寿郎も言葉を添える。
学園に遅くまで残りがちな煉獄は知らないことであったが、妓夫太郎と千寿郎は既に見知った間柄だった。
何しろ彼はの稽古の度に門の前まで必ず迎えにやって来るのだ。両親に師事する彼女を幼い頃より見てきた千寿郎としては、気にならない筈が無い。
最初は小さな会釈から始まり、千寿郎から丁寧な挨拶をして一言二言会話を交わすようになるまでに、そう時間はかからなかった。妹の影響か、以前の世における茅川町での影響か、妓夫太郎は基本的に年の離れた子供を邪険にはしない。
千寿郎が彼をの大切な人と認識してから、既に半年以上が経過していた。そうとは知らなかった煉獄は元々大きな目を更に丸くする。

「よもや!そうであったか!俺が忙しくしていた故、知らないことが多いな!」
「ふふ・・・妓夫太郎さん、こんにちは。お茶です、あと良ければこちらを・・・」

千寿郎から差し出されたものに目を向け、妓夫太郎は怪訝な顔をした。
一冊の本、否これは恐らくは。

「・・・あぁ?アルバム・・・?」
「これは・・・千寿郎、良い物を持ってきてくれたな!」
「母上にお願いをして、お預かりしてきました・・・妓夫太郎さんにならお見せしても良いかと」

兄弟は顔を見合わせて頷きあっているが、妓夫太郎にしてみれば理解が追い付かない。開いてみるよう煉獄に促されるまま、その表紙を捲った。
その写真の中に見つけた少女の姿に目を見開き、妓夫太郎は小さくその名を呟く。

「・・・

疑問符も確認もいらなかった。間違いなく、幼い頃のだ。

今回の世の空白の十五年を、妓夫太郎は知らない。しかし見間違えようもなく、あの日のがそこにいる。
最初の人生で未だ梅が小さかった頃、苦しい環境の中で寄り添ってくれたが、そこにいた。
突然のことに妓夫太郎は暫し言葉を失い、その写真の中の彼女を見つめることしか出来ない。

「うむ!立花が初めて我が家で稽古をした時だな!」

真新しい剣道着に身を包み、緊張の面持ちで竹刀を握る姿。また別の写真では、赤い袴に白い着物を合わせて琉火に襷をかけて貰っている姿。今も華奢な身体は当然のことながら更に小さく、しかし懸命に稽古に励む姿は幼いながらに必死さが伝わってくる。

思わずフィルター越しに指先が触れてしまうほどに、実際には初めて見る筈の彼女の姿が酷く懐かしい。ああ、やはりなのだと思わず苦笑が漏れそうになるのを、妓夫太郎は懸命に堪えた。

「預かっている間の様子をあちらの母上に伝えるため、最初の内は撮っておいたのだ。なかなかに良い出来のアルバムに仕上がっているだろう!」
「・・・」

返す言葉がうまく見つからない。食い入るように妓夫太郎は一枚一枚を見つめ続けた。
何ページか捲ると様子が変わり、稽古後のひとときが残っている様だった。煉獄家の広い庭で水撒用のホースを持つ姿、未だほんの小さな千寿郎を膝に乗せてすました顔の姿。瑠火と並んで背を伸ばし墨を刷る姿、そして不意にカメラに気付いた時の照れたような笑顔。

恋人の昔の姿に見入る彼の姿を、この家の兄弟は微笑ましく見守った。

「日付はちょうど十年ほど前になっていますね、私は流石に幼過ぎて記憶が曖昧ですが・・・」
「それは当然だな!だが、実に良い写真ばかりだ。千寿郎も随分と彼女に可愛がって貰ったな」
「あ。兄上が学生服を着てます!」
「ははは!それはそうだろう!俺も昔は学生だった!」

千寿郎の指摘した通り、学生服を纏った煉獄の姿がそこにあった。肩車をするには少々大きいようなを楽々と担ぎ、今より少年らしさの残る明るい顔をして笑っている。担がれた側のは慌てたような顔で煉獄の頭にしがみ付いており、妓夫太郎としては少々気に入らないながらも、幼い彼女の愛らしさにはどうしたって頬が緩んでしまう。

煉獄家との関わりは恐らく両親との師弟関係以上のものだと、妓夫太郎も理解していた。今こうして昔の写真を目にすることで、一層そのイメージが強まる。煉獄もまた被写体として映っているということは、この写真を撮ったのはあの厳しい顔をした両親のどちらかなのだろう。彼女は自分の家族とは別として、この家族からも大切にされて育ったのだ。

またひとつの辿った道を新たに知れたことは妓夫太郎にとって嬉しいことで、静かな気持ちで新しくページを捲る。
再び剣道着を纏ったひとりの姿が映っていた。槇寿郎の指導で竹刀を振り被るその姿は、どこからどう見ても幼い子どもだ。

「・・・懐かしいな。立花少女が完全に子どもの顔をしている。そうか、もうあれから十年も経つのだな・・・」

あまりにしみじみとした声色は、彼にしては珍しく。立花少女という呼び名もまた、教師としての煉獄からは聞いたことのない単語で。
思わず顔を上げた妓夫太郎の視線を受け、煉獄はふと我に返ったかのように笑って見せた。

「む!すまんな、ついつい懐かしさに気が緩んだ」
「別に良いけどよぉ・・・」

妓夫太郎の視線に非難の色は無かった。
高校に入学して以来、欠かさずを迎えに来るというこの生徒が彼女の大切な人であることは煉獄も勿論知っている。何かと喧嘩っ早く周囲から恐れられている彼が、に対して特別優しいのだということも、知っている。
妹の様に思うが見つけた、大切な存在だ。安堵の気持ちを胸に、煉獄は妓夫太郎に笑いかける。

「齢七歳の幼い少女が、緊張の面持ちで我が家の門を叩いた日のことを、俺は未だに覚えている。何かの決意のもと、あの小さな身体で懸命に努力を積み重ねてきたことも、勿論記憶している」

煉獄は、あの華奢な身でが積み重ねてきた努力を知っている。あれから早十年の時が経ったなど、今日このアルバムを捲るまでは考えもしなかったことだ。

書道の世界に飛び込んだ小学生の少女は、いつしかその世界で最も有名な中学生となり、そして今高校二年生となった彼女は天神杯三冠という栄誉を掴もうと懸命に稽古を続けている。
は十年前から変わることなく煉獄にとって誇りであり、同時に大切な妹の様な存在だ。

「名声と実力を高めていく一方、思い詰めている様で少々心配な時期もあった。だが、今は違う様だ・・・君のお蔭なのだろう。それは俺にもよくわかる」

何もかも投げうって尚進もうとする様な危うさは、彼が隣に現れたことで薄まった。若干戸惑ったような妓夫太郎を見据え、煉獄は穏やかに微笑んだ。
のこれまでの努力を知っている、彼女の成功と勝利を勿論祈っている。

しかし何よりも強く願うのは、の幸せだ。
煉獄は力強く妓夫太郎の肩へと手を置いた。

「立花少女を頼むぞ。我が家の誰にとっても、大事な子だ」

厳しい父と母にとっても、千寿郎にとっても、勿論煉獄自身にとっても。この家の誰にとっても、は大切な存在だ。

煉獄の言葉は熱く真摯で、真っ直ぐに妓夫太郎へと飛び込んだ。他の誰かなら違ったかもしれないものが、不思議と素直に染み入る。
手を置かれた箇所が熱を持ったような気さえして、妓夫太郎は一度頷いた。

「・・・おぉ」

そのタイミングで、稽古場の引き戸が開く音がした。次いで一人分の足音が重く響き、槇寿郎が出てきたことを知る。
数秒の沈黙の末、最初に口を開いたのは妓夫太郎だった。

「・・・これから例の反省の時間だろうなぁ」
「流石妓夫太郎さん、わかっていらっしゃいますね」
「ではもう暫しゆっくりと眺めていると良い!貴重なアルバムだからな!」

今はその言葉に甘えることを決め、妓夫太郎は新たなページを捲る。
先程より心なしか穏やかな表情を認め、兄弟はこっそりと視線を交わし微笑みあった。




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