秋色ノスタルジー 3





「少し良いか」

淡々とした問いかけだった。
誰もが使命の如くはしゃぎ騒ぐ今宵に浮いてしまう程には深刻過ぎることもなく、しかし今伝えるべきことだと明るい睫毛に縁取られた瞳が告げている。
相変わらず圧の強い奴だと妓夫太郎は溜息をつき、彼の後に続き部屋を出たのだった。




* * *




『さっきは羽織貸してくれてありがとう。返しに行きたいんだけど、ちょっとだけでも会えないかな』

考えに考え抜いた末の文面を、は送信前に再度読み返す。
消灯までは一時間を切っており、それほど時間に余裕は無かった。無理をせずとも明日になればまた会える。それこそ明後日も、その次の日も。いつだって会える、二人は今そういった間柄だ。しかし限られた今宵、何故か会いたくて堪らなくなってしまった。これも修学旅行マジックだと自身に言い聞かせる様に念じ、えいやと送信して数秒。不意に、迷惑では無かっただろうかと不安が顔を出しそうになるそんな時だった。

『少し待ってろ』

すぐさま返ってきたのは簡潔な答えだったが、否ではない。思わず頬を綻ばせた刹那、突如着信に切り替わったディスプレイには慌てた様にわっと声を上げた。
発信元は当然妓夫太郎だ。ドキドキと高鳴る鼓動ごと押さえ付ける様にして端末を耳へと押し付けた。

「もしもし?」

電話の向こうは随分と賑やかだ。
目を丸くするの耳に、予想とは違った明るい声が届けられる。

「あっ立花妹?オレオレー!!」
「っざけんな殺されてぇか・・・!!!」

奪ったスマホで電話しながら逃げ回る男子と、背後から険しい形相で追い立てる彼の姿が浮かぶ。は唖然とした表情から一変、小さく噴き出す様に肩を震わせ破顔した。妓夫太郎に対し臆せずここまで踏み込んだふざけ方が出来る男子は一人しかいない。

「今さぁ枕投げしてんの!立花妹も俺らの部屋来いよぉ!胡蝶も誘ってさ!」
「勝手なこと抜かすな雑魚が!!」
「勝負中に携帯見ちゃった甘さが命取りだっつーの、まぁ可愛い彼女に一秒でも早く返信したい気持ちはわからんでもないけど」
「てめぇにわかる筈が無ぇんだよなぁ・・・!!」
「えっ酷い、彼女いないのは本当のことだけど・・・!!」

消灯までの残り時間を気にしているのはこちらだけの様だ。賑やかな大騒ぎを背景にはっきりとした誘いを受け、は嬉しそうに微笑み立ち上がる。

「ふふ。しのぶさんに声かけて今から行くね。佐伯くんは早く妓夫太郎くんに携帯返してあげて」
「やりぃ!待ってる!!」

結局本人に返されることなく切れた通話に苦笑を零し、は先程肩を温めてくれた上着を大切に胸へと抱いた。
今宵は月がとても綺麗だった。




* * *




女子と男子の宿泊棟は隣あっているものの別の建物だ。
隣接の棟同士は物理的にそれほど距離は開いていないが、三階の連絡通路を渡らなければ行き来は出来ない造りになっている。棟が違えば部屋の間取りも当然異なる様で、女子は三人から四人ひと部屋のところ男子はほとんどが大部屋だ。どこの部屋からも明るい声が漏れ出す廊下のつきあたり、指定された部屋の扉に手をかけたの表情が固まった。

豪速球とも呼べる速度で目の前を通過した代物の正体が枕であることに気付くまで数秒を要してしまう。何しろ大部屋の隅には腹や頭など患部を抱え呻く男子が団子状態になっているのだ。
部屋全体を陣地とするならば、左半分に立っているのは妓夫太郎、狛治、佐伯しか残っておらず、三人共に苦い顔をしている。佐伯もなかなか動ける部類の男子であるが、それ以上に運動神経抜群で度々競い合っている二人がここまで追い詰められるとは何事か。

「だらしがないのぉ、どいつもこいつも話にならんではないか」

敵陣に仁王立ちしているのは朱紗丸だった。矢琶羽も近くに座り込んでいるが、出る幕無しと愉快そうに成り行きを眺めている。まさかの展開であったが、朱紗丸は驚異的に“投げ“が強かった。佐伯など、彼女の腕が稀に六本に見える幻覚が頻発し、幾度も目を擦ってしまった程だ。異常な速度に乗った枕が鉄球の如く繰り出される度、圧倒的に多数だった筈の男子たちは次々屍と化したという訳だ。

「あらあら、思っていた以上に一方的ですね」
「し、しのぶさん・・・」

のんびりとした声色は正直に見たままの状況を語ると共に二人の来訪を告げた。見るからに格好のつかない状況にますます苦い顔をする男性陣に対し、朱紗丸はケラケラと悪そうな笑みを浮かべ友を手招きする。

「お。立花妹に胡蝶ではないか。同じ風呂に入ったよしみで私の配下に加えてやろうぞ」
「ちょ!待て待て待て!パワーバランス考えろって!!俺たち壊滅させる気かよ?!嵐みてぇに突然乱入してきた癖に・・・!!」

もしのぶも括りとしては当然女子だが、其々の運動能力は並の男子では歯が立たないほどに高いことを危惧して佐伯が思わず割って入った。ただでさえ一方的な展開なのだ、これでは益々朱紗丸が優位に立つばかりである。しかしながら本人は不服そうに眉を顰めており話が一向に通じない。

「なんじゃ、女は女同士で組んで何が悪い?」
「お、俺ぁ今日に限ってはお前を女とは認めねぇよ朱紗・・・!!」
「無礼な奴じゃ。潰して女にしてやろうかのぉ」
「物騒なこと言わないで洒落になんないから!!!!!」

佐伯が咄嗟に急所を隠し震え上がると同時に、隅で倒れている幾人かが消え入りそうな悲鳴を上げた。既に哀れな被害者が何人か出ているらしい。

しのぶは部屋全体を見渡し、状況をざっくりと把握した。数の優位が逆に足枷となる程に強烈な朱紗丸の弾丸もとい枕、試合展開に不満の声をあげる男子たち、そして隣に立つはソワソワと胸元の羽織りを抱き寄せ恋人を案じている。取るべき手段はひとつだ。

「それでは、ダブルスはいかがでしょう」
「何じゃ胡蝶。ダブルス?」
「はい。組み合わせは・・・そうですねぇ。まずは佐伯くんと朱紗さん、素山くんと私というのはどうでしょうか」

両手をぱんと合わせたにこやかな声は、不思議なほどに部屋中の注目を集め、全体をまとめ上げる力を持っていた。決して強引では無いのだが、引き込まれる何かがある。は感心しきった様子で隣に立つ友人を見つめてしまった。

「一対多数では朱紗さんの独壇場の様ですが、ダブルスなら人数も男女比も合わせられます。陣地も広く使えますし、これなら佐伯くんも納得なのでは?」
「良いじゃん良いじゃん!バランスも悪くねぇし、さっすが胡蝶!」
「・・・別に俺は構わないが」

指名されたメンバーはそれぞれに異論無い様だ。さて、今生き残っていながら外された妓夫太郎には当然別の役割が残っている。しのぶはにこやかな微笑みをそのままにに向き直った。お膳立てはここまでが限界だ。

「という訳で、さんは謝花くんとお散歩でもして来てください。消灯時間になる前に一緒に戻りましょう」
「・・・ありがとう、しのぶさん」

の言葉には感謝の意がこれ以上無いほどに込められており、この提案が別の目的を伴っていることを知らしめるには十分過ぎる力を持っていた。ニヤニヤとした眼差しの集中砲火の中を進み出る妓夫太郎の眉間には皺が寄っていたが、見るからに喜び全開のを前にしてはその装いもあまり意味を成さない。

「キャハハハ!命拾いしたのぉ謝花」
「うるせぇ。勝負はついて無ぇからなぁ」

朱紗丸の挑発も、佐伯の緩みが極まった視線も、しのぶのにこやかな無言に隠された圧も。何もかも後回しに出来る程、と二人の時間は大切だ。囃し立てる指笛が聞こえてきそうな空気の中、妓夫太郎は半ばの肩を抱く様な形で足早に部屋を後にする。

「しかし、なるほど。陣地の内と外の敵を潰せば良いと。これは面白そうじゃ」
「え。今内の敵を潰すって言った?」

最後の会話が漏れ聞こえ、二人は思わず顔を見合わせ小さく笑った。




* * *




女子の泊まる宿泊棟には、温泉街を一望出来る屋上テラスが併設されている。夜中の数時間以外であれば出入りが自由な為、宿泊客の中でも夜間にここを訪れるのは男女の組み合わせが多い。同じ学生カップルとすれ違い、何ともくすぐったい気持ちになりつつも互いに手を繋いだまま、二人はこの場に落ち着くこととした。

「寒くねぇか」

秋の夜は若干冷えた。浴衣の上から羽織りを重ねた同じ格好で街並みを見下ろす最中、問いかけられた気遣いには瞬間目を瞬いた末柔らかく笑って見せる。人気が無いとは言えないが、それぞれに距離がある上自分たち以外には恐らく注意を払っていないだろう。思い切っての方から一歩近付いた。腕を絡めて横に立つと、ぴたりと触れ合う面積が増える。これは間違いなく、温かい。

「大丈夫。あったかい」
「そうかよ」
「楽しい一日だったねぇ」
「・・・まぁ、そうだなぁ」

僅か数秒の遅れから少々の疲れを滲ませつつも、否定の言葉を出さない妓夫太郎は優しい。不意に露天風呂での会話を思い返し、は隣の体温に頭を預ける様にして目を細めた。

彼と一緒にいる時はいつも幸せそうに見えるとしのぶは言った。
ずっと一緒にいて飽きはしないのかと朱紗丸は問うた。
こんなにも満たされた気持ちは幸せとしか表現のしようが無い。
どれだけ一緒にいようとも、飽きる日など来る筈も無い。

「今日ね、藤堂さんと光谷さんに会えて、中学の時のお話聞けて・・・すごく嬉しかった」

胸の内に灯る強い想いは、気が遠くなる程長い間燃え続けたものだ。今更何が起ころうとも揺らぎなどしないが、思わぬ邂逅はより一層気持ちを強くしてくれたと言える。
何も知らない中学生の妓夫太郎がいつも自分を画面越しに見ていてくれた。
知っていた筈のことが、第三者から告げられることでこれほどまでに胸を熱くするとは嬉しい誤算だった。

「ありがとう、妓夫太郎くん」
「・・・」
「全部思い出す前から私のこと気にしてくれて、本当にありがとう」

感謝の気持ちを告げずにはいられない。例え無意識のことであっても、この嬉しさを齎してくれたことには違いない。はその身に持て余してしまう様な多幸感を精一杯に閉じ込めるべく息を吸い、妓夫太郎の腕へとまたひとつ頬を擦り寄せた。
故に、その時の彼の表情に気付きはしなかったのだ。

「・・・
「なぁに?」
「俺もお前に、言うことがある」

敢えて絡んだ腕を解かれ、正面から向かい合う様にして優しく肩を掴まれる。
一体何の話か見当もつかず小首を傾げるの前で、妓夫太郎の眉が僅か下がった。

「・・・悪かったなぁ」
「え・・・?」

何故、妓夫太郎がこんな顔をするのか。
何故、青い瞳がこんなにも気遣わし気な色をしているのか。

「俺のせいで、水族館で泣かせちまった」

ひとつの瞬きと共に、の心臓は瞬間動きを止めた。


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