白く眩しく



は隣の教室の前で目を見開いた。

「・・・」

正確には、目の前に現れた友人の姿に、目を見開いた。

「まぁさん、こんにちは」
「・・・こんにちは、しのぶさん」

しのぶは今、白衣を纏って自分の教室へと帰ってきたところだった。
誰もいない教室の謎はつまりそういう理由があり、教室移動があったのだとは今更に理解する。化学の授業で実験があったのだろう、それは簡単に察することが出来た。

問題はその格好だ。しのぶに続き続々と戻って来る生徒たちの姿を目にすることで、は確実に心拍数を上げていく。

「すみません、化学の授業が少し長引きまして、今終わったところなんですよ」
「そう、なんだ・・・」
「すぐに謝花くんも戻りますよ、恐らく私と同じ格好で」
「・・・っ!し、しのぶさん・・・!!」

にこやかに告げられた事実はの核心をついており、彼女はにこやかに微笑みながら教室へと入っていった。途端に落ち着かなくなるが、逃げたいような見たいような複雑な気持ちに足が縫い付けられる。

教室へ入っていく生徒達の中から、明るい髪色の知った顔がを見つけて手を振ってきた。柊組時代に一緒だった佐伯だ。が妓夫太郎のクラスに顔を出す際には何かと声をかけてくれる。彼もまた、例外なく制服の上から白衣を纏っていた。

「あ。立花妹。おいっすー」
「うん・・・」

友人には申し訳なく思いつつも、は完全に上の空で返事を返した。
一体どうしたことだろう。ほぼ毎日一緒にいて色々な姿を見ている筈が、これほどに緊張するとは。思わず眉間に皺を寄せて足元に目を落とした、その直後。

「・・・?」

恐れていたような、待ち望んでいたような瞬間が訪れた。
恐る恐る、は顔を上げる。妓夫太郎は突然現れた恋人の姿に、小さく驚いているような顔をしていた。
勿論彼もまた白衣を纏っており、初めて見る恋人の姿には内心で息を呑む。

「悪い、何か借りたままだったかぁ?」
「あ、その・・・違うの」

思いがけず会えたことは嬉しいが、何か返し忘れでもあって迷惑をかけただろうかと妓夫太郎は問うた。何かと忘れ物をしてはに世話を焼いて貰っている手前、ありえない話では無い。
しかしは小さく両手を振って見せた。

「ただ少し時間空いたから、顔見に来ただけで・・・」

事実だった。前の授業が少し早めに終わったため、少しでも顔が見れたら嬉しいと思ったのだ。
用事も無い訪問だったが、大切な人に顔を見に来たと言われて嬉しくない筈がない。妓夫太郎は小さく口元を緩め、その柔らかな髪を優しく撫でた。
相変わらず可愛いことを言ってくれる、は妓夫太郎の特別だ。

「・・・そうかよ」

しかし、普段なら嬉しそうに微笑むであろうの様子が少しおかしい。
耳が赤く、妓夫太郎を凝視しつつもその眉は困った様に寄せられている。何かあっただろうかという妓夫太郎の疑問は当然のものだった。

?どうしたぁ?」
「・・・反則だよ」
「あぁ?」

しかし、その答えは想定外の方向から飛来した。

高校一年目も残り早数ヶ月、お互いに化学の実験など何度か経験している筈だった。しかし妓夫太郎とはクラスが違う、隣のクラスとはいえその姿を目にするのは今日が初めてのことで。は自分自身の動揺ぶりに戸惑いを隠せない顔のまま、両手を握り締めて妓夫太郎を見上げた。

反則だ。
こんな光景は反則過ぎる。

「妓夫太郎くん、白衣似合い過ぎて反則」
「はぁ・・・?」
「も、もう、何か色々話しようと思ったけど全部飛んじゃったよ。ごめん、私教室戻るねっ・・・」

細身の長身に白衣が似合うなんて次元の話ではない。妓夫太郎の雰囲気に合いすぎていて、少なくともの中では脳内の処理が追い付かない。
折角会えたのに勿体無い話ではあったが、最後に一瞬手を握り締めた末に素早く踵を返して自分の教室へ逃げ帰ってしまった。
一方取り残された妓夫太郎の方も、いまいち理解が追い付かず唖然とその背中を見送ってしまう。

「・・・何だぁ?」

そんな妓夫太郎の視界に、教室から半分顔を出した佐伯の姿が被る。どうやら去年とクラスが同じだったらしいこの男は、夏前あたりから積極的に妓夫太郎へと話しかけてくるようになった。

「はえー、立花妹って謝花の前だとあんな可愛いのなぁ」
「・・・佐伯てめぇ殺されてぇのかぁ?その目ん玉でを見んなよなぁ雑魚がぁ」
「きっつ。減るもんじゃなし、ケチ」
「確実に減るんだよなぁてめぇみてぇな野郎の目に晒されるとよぉ」

佐伯は妓夫太郎が凄んでも動じないという、このクラスにおいて珍しいタイプの男だった。
ぶちぶちと文句を言いながら妓夫太郎は白衣をロッカーへ仕舞い、自身の席へと戻る。妓夫太郎から二つ前の席がしのぶ、二人の間が佐伯。入学から席替えは二度ほどしたにも関わらず、何故か名前順で固まった三人の順は未だ崩れていなかった。

「佐伯くんは、以前さんと同じクラスだったんですよね?」
「そうそう、俺去年中3柊組でさー。あのクラスは熱かったんだよなぁ、すげぇ楽しかったよ。輩先生担任だったし」

宇髄の渾名を聞いた妓夫太郎が青筋を立てる。因縁深い相手であると同時によくよく確認すれば記憶も有しており、妓夫太郎にとっては何かとの話題で煽って来る嫌な教師である。

「あの野郎の名前は聞きたくねぇからその話やめろ」
「まぁそう言うなってのー。あの年は立花妹の知名度爆上がりでさぁ、特に文化祭の時なんか凄かったんだぜ?」
「私見てましたよ、さんの密着配信。あれ以来ずっと彼女とお話したいと思ってたんです」
「ははーん、薬学研究部の下りね。あれはちょっと異次元で俺は解読不能だったわ、さっすが胡蝶」

前の席で繰り広げられる話題は妓夫太郎も良く知るところだが、頼むから余所でやれと眉間の皺を深める。
文化祭でのの密着配信は妓夫太郎の記憶を取り戻すきっかけであったし、翌日余さず見届けたお蔭で未だに全てが目に焼き付いている。
あれはから妓夫太郎へ向けての精一杯の呼びかけであったことを知っている以上、第三者目線からの感想は妙に落ち着かない。

「俺も和太鼓の実演部隊で、休みの日も返上して鱗滝さんのところに稽古通ったりしてさぁ。いやー大変だったけど楽しかったんだよなぁ、文化祭。当日も立花妹の配信のお蔭で体育館の椅子足りなくなるレベルで人集まってさぁ・・・」

そこまで口にしたところで、佐伯の時間が一瞬止まった。
の配信。その内容はクラスで生中継を常にチェックしていたため、佐伯も良く知っている。彼女は大変によく集客に貢献してくれた。

「・・・え、ちょっと待って?」
「佐伯くん?」

見ている貴方を幸せにします。だから会いに来て下さい、待ってます。
これは旧柊組の中では伝説の殺し文句として今尚語り継がれているものだ。実際にあれを聞いて学内の男性客が多く詰めかけた説も、は否定しているが無いとは言い切れない。

しかし、今まさに佐伯の後ろの席にいるのは、高校に入って突如現れたの恋人である。ギギギという音を立てるかの如く、佐伯の視線が妓夫太郎へ向けられた。

「あの時の公開プロポーズの相手って、まさか謝花?」
「・・・」
「視聴者全員に向けてプロポーズしちゃったってネタじゃなくて、マジだったの?」
「・・・」

妓夫太郎は眉を顰め気まずそうに視線を逸らすが、否定の言葉が出てこない。余計なことに気付かれてしまった。
驚愕の事実に砂と化しそうになる佐伯を挟み、しのぶがにこやかに微笑みかけて来た。

「確かに素敵なお誘い文句でしたけど、謝花くん宛の恋文でしたか。それは大胆で素敵ですね!」
「えっ、ちょ、すげぇドキドキじゃん!ねぇこれ柊組のグループラインに上げて良い?ねぇ良い?」
「駄目に決まってんだろうが絞めるぞ佐伯・・・!」
「ねぇもう締まってる締まってるヤメテ・・・!!」

行動が早い・・・!と佐伯は咽ながら妓夫太郎の腕を抜け出す。毎度のこととはいえなかなかに妓夫太郎は佐伯に対し手厳しい。それでも尚付き合いをやめない姿勢はかつての世の立花に若干通じるところがあったが、妓夫太郎はそれを未だ認めていない。
ともあれ驚きの事実に対し、それほど驚いていないような顔をしてしのぶは穏やかな笑みを浮かべていた。

「それではお二人は高校入学前からのお付き合いだったんですね、それなら少し納得です」
「・・・何が言いてぇんだぁ?」
「謝花くんとさん、さっきの様な微笑ましい新鮮さもあれば、時折熟年夫婦のような雰囲気もあったりして、不思議に思ってたんですよ」

熟年夫婦とは何だと妓夫太郎は思わず眉を顰めたが、しのぶはあくまで自身のペースを崩さない。恐らくそう感じているのはしのぶだけではないだろう。

時に初々しく手を繋ぐだけで背景に花が飛ぶこともあれば、時にお互いの何もかもを知り尽くしているような顔で見つめ合っていることもある。と妓夫太郎の二人は、そうした不思議な雰囲気のカップルとして知られていた。
冬前頃から少しお互いに遠慮を失くした様で、堂々と並んで寄り添う姿が微笑ましく、しのぶは今や二人の観察が日々の楽しみのひとつとなっている。

「いつからかは存じませんが、昔からのお付き合いがあったなら納得です。謝花くん、幸せですね」
「なぁわかったからさぁ、グループラインには載せねぇから教えてくんない?いつから付き合ってんのー?」

非常に面倒臭い事態になった。
妓夫太郎は思わず溜息を吐いて気怠げに腕を組んだ。

いつから、だなんて。
そんなこと、この場で語り尽くせる筈が無い。

「俺らのことに首突っ込むには・・・二百年は早ぇんだよなぁ」
「はぁ?なにそれどゆこと?」
「ふふ、会話をする気がまったくありませんね」

当然のことながら通じる筈の無い言い回しに、佐伯としのぶはそれぞれ違う反応を返してくる。
との話は、ここで容易く語れるほどのものではとうになくなっている。
妓夫太郎は会話をシャットアウトする様に机へ伏した。

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