少年たちの同盟結成



日曜日の昼過ぎ、スーパーマーケットはそこそこの賑わいに満ちている。
入口付近の棚影に隠れる様に、一人の少年が息を潜めていた。本人は忍んでいるつもりなのだろうが、傍から見れば目立って仕方が無い。

「・・・竹雄くん?」

びくりと大きく肩を揺らし、少年―――竈門竹雄は背後を振り返った。

明るい炎の髪色をした同級生が、声をかけた側にも関わらず竹雄に負けず劣らず驚いた様な顔で佇んでいる。友人だと知るや否や、彼は脱力感に首から大きく斜めに傾いた。

「びっくりした・・・千寿郎かぁ」
「すみません、突然話しかけてしまって」
「良いよ。ただ、ちょっとだけ静かにな」

竹雄が指先で静かにする様告げるものだから、千寿郎も黙って頷き彼の視線を追った。
果物コーナーの前に、幼い少年がひとりで立っている。買い物かごが若干大きく見える様な小柄な少年だったが、時折片手に持ったメモを見ながら真剣に棚を眺めていた。

髪は短く刈り込んでいるが、今隣にいる少年と似ていることに千寿郎はすぐ気付く。内心で推理した答え合わせの様なタイミングで、竹雄が口を開いた。

「・・・弟の茂だ。今日、初めてのおつかいに来てる」
「なるほど・・・」

店内にも関わらず竹雄の両手が空な理由がわかった。目的は買い物ではなく、はじめてのおつかいの見守りなのだろう。何とも微笑ましい気持ちで千寿郎は表情を緩めた。
茂はりんごを二つかごに入れてメモと照らし合わせると、よしと一人頷き隣のコーナーへと足を進める。弟の順調な行程に兄の表情も和らいだ。

「うん、今のところばっちりだ。良いぞ茂」
「ふふっ、頑張っていますね」

千寿郎もまた、小学生になった頃ひとりで買い物に行かされたことがある。その時もこうして家族の誰かに見守られていたのだろうかと宙を見上げ、竹雄と同じく忍んでいるようで忍べていない兄の姿を思い浮かべ思わず小さく笑ってしまう。優しい兄が心から自身を大切に守ってくれていることを、千寿郎は感謝の気持ちと共によく知っていた。

竹雄が不意に千寿郎を見つめたのは、丁度そんな時のことだ。

「・・・千寿郎さぁ、よくここ来るのか?」
「え?そうですね、近いので買い物はここが多いと思います」

近辺で最も規模が大きく品揃えの良いスーパーと言えばこの店の為、千寿郎は度々ここへ買い物へ訪れていた。母と一緒の時もあれば、千寿郎一人の時もある。改めて問われたため正直に答えたところ、竹雄がひとつ頷きつつ目線を逸らした。

「この前ここで、さんと妓夫太郎さんと話してたの、見た」

言われたことを反芻し数秒後、思いがけず遭遇した二人の姿を思い起こし千寿郎が笑みを浮かべる。ちょうど店の入口で出会えた嬉しい出来事は、本当につい先日起きたことだ。同級生に見られていたとはまるで気付かず、少々気恥ずかしい。

「はい、お会いしました。献立の話で少し盛り上がってしまって・・・すみません、煩かったですか?」
「いや、そういう訳じゃないけど・・・良いなぁと思って」

これには、おやと千寿郎の目が丸くなる。
羨望と、ほんの少しの嫉妬を混ぜたような瞳で、竹雄は茂の方を見ていた。

「妓夫太郎さんと、仲良いのか?」
「仲が良いと言える程かはわかりませんが・・・」

妓夫太郎さん。千寿郎も同じ様に彼を呼んでいるけれど、竹雄の呼び方からは特別に彼を慕う様な響きがして。内側から門を開く様に、千寿郎は優しく笑いかけた。

「竹雄くん、さんがうちに稽古に通っていることはご存じですか?」
「え?」
「父が剣道を、母が書道と競技の振り付けを担当していまして。お蔭様で、立花家の皆さんとは昔から家族で仲良くさせていただいています」

誰に師事しているかは、彼女自身が特別隠すことをしていない。それこそ物心ついた頃から千寿郎は家へ通うと触れ合う機会が多く、煉獄家にとって彼女は家族にも似た存在だ。まずはこの関係性を開示することが必要だろう。千寿郎から聞かされる初めての話に、竹雄は真剣に耳を傾けていた。

「妓夫太郎さんは去年の春からこちらに越していらしたそうで、それ以来さんの稽古の日は欠かさずうちまで迎えに来るんです。大体週に二、三回ですが、大会前はほとんど毎日ですね。必ず門の前で待たれているので、私の方からご挨拶させていただいて・・・最近は少しずつ、お話出来るようになってきたところです」

まずと煉獄家の繋がりを知らなかった竹雄にとってその話は驚きだったが、妓夫太郎が毎度迎えをしているということであれば千寿郎との関わりも頷けた。
羨ましいことには違いないが、門の外で佇む妓夫太郎と竹箒を手に様子を窺う千寿郎の姿が目に浮かぶ気さえしたものだ。

「そっか・・・確かに、うちに買い物に来る時も、さんと妓夫太郎さんが一緒に来るようになったのは春からだったかもなぁ」
「ふふ。竹雄くんの家のパンの話はたまにさんからも聞いていますよ。妓夫太郎さんも、美味しいって言ってました」
「ほんとか?!うわぁ・・・それ、嬉しいなぁ」

自店のパンを褒められていたという言葉に、竹雄の目がキラキラと輝く。同級生の素直な反応を受け、千寿郎は目を細めて笑った。彼は大変にわかりやすい。

「竹雄くんは、妓夫太郎さんに憧れてるんですね」

千寿郎の笑顔は優しく、その言葉は真っ直ぐだった。
憧れている。まさにぴったりな表現で気持ちを言い当てられ、竹雄は照れ隠しに鼻を擦った。初めは珍しい程の気怠い風貌に目を引かれたものだが、常に隣にいる彼女を守る為に気を配っていることに気付いて以来目が離せなくなってしまったのだ。

怖いと優しいが融合した結果、それは酷く竹雄の心をくすぐった。誰にでも優しい訳ではないところが特に良い。雰囲気は若干近寄り難いが、そこがまた格好良い。

「いっつもさんのこと守ってて、格好良いよなぁって」
「私もそう思います。少しお顔は怖いですけど、さんのお隣にいると優しいんですよね」
「わかってんじゃん。怖い顔もかっけーけど」
「ふふ。確かに」

憧れている人を話題に同級生と話が弾むとは思ってもみず、竹雄の表情が緩むと同時に千寿郎も肩を揺らして笑った。
はっと竹雄が我に返ったのはそんな時である。

「・・・あれ?茂?」

いつの間にか、忍は本来の任務を忘れていたことに気付いた。



* * *



事前の予告無しにセールが始まるとは、誰が予測出来ただろう。
赤いシールを貼られた商品を我先に取ろうと、精肉コーナーは突如として人で溢れ返った。

茂がそこを通りがかったのは偶然だったのだ。偶然前を通りがかったタイミングでセールが宣言され、偶然人の波に揉まれ、偶然手に持っていたメモを取り落としてしまった。慌ててそれを拾おうと飛び出した先に運悪く柄の悪い男がいたことも、偶然であった。

「あぁ?邪魔くせぇガキだなぁおい」
「あっ・・・ご、ごめんなさい・・・!!」

理不尽に凄まれ当然茂は怯んだが、メモは今も男の足元にある。それを拾おうとするあまり茂がその場を立ち去らなかったことが、男の態度を増長させることとなってしまった。

「人にぶつかっておいてごめんで済むかよ、なぁ?」
「っあの、あの・・・!」

男は決して声を張り上げはしない。それが悪い要因となり、周囲の大人が異様な雰囲気に気付くことを遅れさせた。
涙目になり震える茂と男の間に、素早くひとつの影が滑り込んだのは間もなくのことだった。

「止めろ、謝っているだろう」

年の頃は竹雄とそう変わらず、しかし大の大人を相手に堂々とした雰囲気の少年だった。茂を背に庇った少年は険しく眉を寄せ、ぴしりと背を伸ばしたまま男と睨み合う。二人がぶつかった瞬間以降のことを少年は全て見ており、当然のことながら憤っていた。

「子供を相手に、恥ずかしくないのか」
「そういうお前もガキだろうが、年上に向かってその態度はなぁ・・・」

少年には、大人を相手にしようとも負けない自信のある特技があった。尤も今はその装備が無いが、最悪手を出された場合でも身のこなしだけで何とか防ぎ切ることは出来るという自覚もある。この人目の多い場所で手を上げるほど、相手が愚かであった場合の話だが。そうして一層険しく瞳を細めた少年の前で、男の顔色が変わった。

「・・・っ?!」

正確には少年を見ての豹変ではなく、その背後を見ての顔色の変化だった。敵意を隠さない圧は少年も背に感じることが出来る程露骨なもので、男ははっきりと見て取れる怯えの色を浮かべた。そして何を吐き捨てるでもなくその場を走り去る。誰かが茂の背後にいることは間違いなく、少年はひとつ唾を飲んでゆっくりと振り返った。

「・・・」

爪先を捉え視線を上げるより早く、横から降ってきた女性の声に少年の意識は引っ張られた。

「茂くん大丈夫?」
さん!」

茂の隣に屈み込む様にしてその身を案じる声の主を、少年は知っていた。恐らくは書道の世界で最も有名な学生パフォーマーが、舞台を降りれば普通の高校生であることに目を丸くして、少年はその名を呟く。

「・・・立花、さん」
「あっ、知っててくれてありがとう」

穏やかな笑みを浮かべて、は少年の肩に手を置いた。彼女もまた静かな騒動を途中から目撃していたため、その手は素直に少年の勇気ある行動を讃えている。

「勇敢で格好良かったよ。茂くんを守ってくれて、ありがとうね」
「いや、俺が追い払ったわけじゃ・・・」

少年はそこで改めて思い出したかの様に視線を逸らした。
男を追い払ったのは少年ではない。しかしその張本人は今先ほどの殺気に似た圧を潜め、ただ眉間に皺を寄せているのみだ。茂を見下ろし小さな溜息をつく妓夫太郎の横顔を、少年はまじまじと見つめてしまった。

「お前、ひとりかぁ?」
「うん。おつかいに・・・」

自分でおつかいと口に出して思い出したのだろう。大切な買い物メモを拾い上げ安堵の息をつく茂に向かって、飛び出て来た影があった。

「あのっ・・・!!ごめんなさい!」
「竹雄くん、千寿郎くんも」
「兄ちゃん!」

慌てて駆けて来た竹雄と千寿郎は、と妓夫太郎、そして少年に向かって深く頭を下げる。目を離した隙にとんでもない状況になってしまったが、二人が思い切って飛び出そうとする前に妓夫太郎が相手の男を睨んで追い払ったというのが現実だった。

「茂のおつかい、見守らなきゃいけなかったのに俺が目ぇ離しちゃったんだ。ごめんなさい」
「私が竹雄くんに話しかけてしまったんです、ごめんなさい」
「兄ちゃんを叱らないで!俺がおつかい出来なかったから!ごめんなさい!」

突然集まったと思えば、少年たちはお互いにお互いを庇い合い謝罪の言葉を述べている。瞬間呆気に取られたような顔をしたの目が、柔らかく緩んだ。その手が順番にひと撫でずつ、少年たちの頭上を渡る。

「皆優しい良い子だね。誰も怪我しなくて良かった、謝らなくて大丈夫だよ」

中でも一番に責任を感じて眉を顰めているのが竹雄だったが、それを察したが傍らの妓夫太郎を見上げる。心得ている様に目と目を交し合い、彼の手が竹雄の頭へと乗せられた。びくりと肩を揺らした末、炭治郎に似た大きな目が見開かれ妓夫太郎を見上げる。

「俺も昔、妹から目ぇ離して大変な目に遭ったことがあるからなぁ。まぁ、焦ったり後悔する気持ちは、ちったぁわかるつもりだ」

彼の口から淡々と告げられる内容は事実であったが、弟を危険に晒して落ち込む兄を励ますにはこれ以上無い特効薬だ。憧れの存在が同じく苦い経験をしていることは、竹雄の心に確かな温かさを灯した。

「俺に言えたことじゃねぇだろうが、次は気ぃつけろよなぁ」
「・・・はいっ!!」

後悔に元気を無くしていた竹雄の瞳に力が戻る瞬間を見届け、の頬が緩む。本人は認めないだろうがこうした手腕は見事であるし、やはり彼の子どもを引き付ける力は素晴らしい。気付くのが瞬間遅れた為に茂には怖い思いをさせてしまったが、これで一件落着だ。

「それじゃあ皆気を付けて買い物してね。千寿郎くん、明日また伺うから師範と先生によろしくね」
「はいっ!ありがとうございました!」

そうして立ち去ろうとする二人の背を追い、少年が声を上げた。

「・・・あの!」

その視線はではなく、妓夫太郎を見上げている。密かに助けられたことを確信している、そんな視線だった。

「ありがとうございました」
「・・・何のことだぁ?」
「妓夫太郎さん!ありがとう!」
「・・・」

面倒な為しらを切るつもりが、茂の真っ直ぐ過ぎる言葉を駄目押しにぶつけられてしまえば成す術が無い。妓夫太郎は何とも言えない顔で眉間に皺を寄せ、後ろ手に片手を上げて歩き出した。

「ふふ、妓夫太郎くん格好いい」
「しょうがねぇだろ、お前がやれって煩かったからなぁ」
「嘘ばっかり。放っておけなかったでしょ」
「うるせ。ほら、カート寄越せよなぁ。さっさと済ませるぞぉ」

筒抜けな会話はそれだけでと妓夫太郎の関係性を現しており、残された少年たちは暫し間を置いた末に顔を見合わせた。やはりあの二人が揃うと、特別に格好良い。

「やっぱり妓夫太郎さん、カッコいいねぇ、兄ちゃん!」
「ん。そうだなぁ」

怖い思いをしたことなどすっかり忘れてはしゃぐ茂の頭を撫で、竹雄が傍らの少年を見遣った。男を追い払ったのは妓夫太郎だが、この少年が先に間に入ってくれていたことも彼は知っている。

「あの、ありがとう。弟を助けてくれて」
「いや、俺はほとんど何もしてない」
「そんなこと無いですよ、格好良かったです」

竹雄と千寿郎と年の頃も近そうな少年は最後まで二人の背を見送った末に謙遜の意を示したが、大人を相手にまるで怯まない度胸と伸びきった背筋は同年代から見ても凄いものだった。感心しきる二人を追う様に、茂が少年へと笑顔を向ける。

「ありがとうお兄ちゃん。俺、茂。お兄ちゃんは?」
「・・・錆兎だ」

錆兎。少年の名乗った珍しいその名に一拍の間を置いて反応を示したのは千寿郎だった。彼自身は縁遠くとも、剣道の世界で有名な名前は煉獄家の人間ならば度々耳にする機会も多い。

「えっ・・・もしかして、剣道の小学生チャンピオンの・・・?!」
「春から中学に上がるから、もうすぐ肩書返上するけどな」

驚きに目を見開く千寿郎に苦笑を返し、錆兎は話の舵を切る。今はそんなことよりも、この少年たちに聞きたいことがあった。

「それより、あの人のこと教えてくれないか」
「え?」
「立花さんと一緒にいたひと」

錆兎の目は今、好奇心と静かな興奮に満たされていた。日々鍛錬し自身と向き合う時間が多いからこそ気になる。あの圧を持ちながらそうとはわからぬ様に振舞う妓夫太郎とは何者か。

「あんな凄い人が近所にいるなんて、知らなかった」

純粋に彼を知りたがるひとつ年上の少年の言葉に、竹雄の口端がにんまりと上がる。
彼らは今、とあるひとりに憧れるという共通点で繋がり合う同志だった。

「皆うち来いよ、妓夫太郎さんの話、たくさんしようぜ!」

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