歩み寄りは遠くとも



ジャージ姿の男子生徒が、横から女子生徒に支えられながら歩いている。
ただでさえ目を引く構図がどちらも知った顔となれば、教師として声を上げるのは道理だろう。

「おいおい、何だぁ?」

宇髄の怪訝そうな声を受け、前を歩く二人が振り返った。後ろ姿で察した通りの組合せに違いなかったが、片割れは全身で拒絶を表現する。

「・・・話しかけんなよなぁ」
「宇髄先生、こんにちは」

近寄るなと眉間に皺を寄せる妓夫太郎に対し、は自然に微笑み頭を下げる。相変わらず真逆な対応を目の当たりにして宇髄は片方の眉を上げた。

「お前なぁ、ちったぁ彼女を見習えや。挨拶もろくに出来ねぇ男はモテねぇぞ」
「てめぇの言動こそ色々矛盾してんだよなぁぁ」

を彼女と認識しているのであれば、モテるモテないは関係無い筈だ。そうしてますます険しい顔をする妓夫太郎であったが、宇髄は特に気に留める様子も無く改めて目の前の惨状を見遣った。

妓夫太郎のみ捲り上げた膝小僧を見事に擦っており、全体的な汚れ具合からしてジャージの下も擦り傷だらけであろうことが窺える。

「で?このド派手な怪我はサッカーか?」
「そうなんです、スライディングでボールはカット出来たんですけど、擦り傷が凄くて・・・」
「へーえ?」

男女別体育の授業内容にしては、が状況を詳細に把握し過ぎている。早く終わった女子たちに見守られながらの延長戦は想像に容易く、宇髄は愉快そうな笑みを浮かべた。
妓夫太郎と狛治の競り合いは校内でも有名な話である。さて、この生意気な生徒が大切な彼女の前で勝利を収めることが出来たのか、非常に気になるところだ。警戒心を強めて半歩下がる妓夫太郎を見下ろし、にやりと口の端を上げて問いかける。

「で?立花妹の見てる前で勝てたのか?」
「チッ・・・当たり前だろうが」
「そりゃあ結構。試合に負けて怪我の世話までされてたんじゃ男として格好付かねぇもんなぁ?」

校庭でスライディングをした負傷と聞くが、傷口は既に水で綺麗に洗われた形跡がある。
世話焼きなと妓夫太郎の並びは最早見慣れた光景ではあったが、宇髄は揶揄うことが楽しくて仕方が無いといった様子で笑った。

必要以上に反発する妓夫太郎の反応が可笑しいこと、そして彼とその妹が学生の中にすっかり溶け込んだことを喜ばしく思う気持ちの裏返しであったが、それは伝わる筈も伝えるつもりも無いことだ。

ギリギリと歯を食いしばる妓夫太郎と、得意げな笑みを浮かべる宇髄を見比べていたが、にっこりと笑ったのはそんな時のことだった。

「良いんです。勝っても負けても、怪我のお世話は私がしたくてしてることなので」

特別妓夫太郎を庇おうとした訳でも、宇髄に意見をした訳でもなく、ただ本心からの言葉であるとその柔らかな声が告げていた。
は何を恥じることもなく晴れやかな笑顔をしており、隣にいる妓夫太郎の方が照れ臭さに若干狼狽えている様子である。
極端な並びを前に、宇髄は瞬間目を丸くした末に豪快な笑みを浮かべた。

「そーだったそーだった、お前はそういう奴だよなぁ!ド派手に手当てしてやれや!」

妓夫太郎は油断をしていた。が宇髄を前にしても尚、あまりに淀みなく本音を通すものだから、ある意味気圧されていたのかもしれず。

とにかく彼を引き戻したのは、突如鳴ったパァンという力強い音。
ぎょっとする妓夫太郎の目の前で、宇髄の大きな手がの腕を叩いていた。

一瞬の空白の末、妓夫太郎は息を飲みの身体を慌てて引き寄せる。この細身に向かって、何と言うことをするのか。青い瞳は非難に見開かれた。

「ってめ・・・!なんつー馬鹿力で叩きやがる・・・!」
「はぁ?お前こいつの体幹どんだけ鍛えられてるか知らねぇの?こんなんじゃビクともしねぇっつーの。挨拶だよアイサツ」
「そういう問題じゃねぇんだよなぁ・・・!」
「妓夫太郎くん、私は全然大丈夫だから・・・」

目に見えて動揺しているのは妓夫太郎ばかりで、宇髄も本人すらも深く気にする素振りが無い様子だ。
中学時代に二度担任と生徒の関係だった二人にとって、今のやり取りは至って日常的なものであり、は一度として宇髄の手でよろめいたことが無かった。事実としてはその細身からは想像も付かないほどしっかりとした体幹をしている。
しかしながら、そういう問題ではない。
眉間の皺を深める妓夫太郎を前に、宇髄の目がにんまりと細まった。

「ははぁ、さてはお前妬いてるな?この俺と立花妹のスキンシップを見せつけられて、悔しいんだろ?」
「あぁ?何だと・・・」

宇髄が楽し気に笑う度、妓夫太郎の機嫌が急降下していく様子がわかる。このままではいけないと、は少々強引に妓夫太郎の背を押す様に進路を元へ戻した。

「せ、先生!私たち保健室に急ぐので失礼しますね!」
「おぉ、気ぃ付けてなぁ」

整った顔立ちでぱちんと片目を瞑り笑う美術教員は、信頼の置ける相手だ。
はそれをわかっているからこそ、苦笑を浮かべて会釈をした。



* * *




保健室の美しい養護教諭は、丁度離席しなくてはならないタイミングで現れた二人に対し心苦しそうに詫びたが、そこはが留守番に手を挙げることで事を丸く治めた。
彼女がその手の知識に明るいことを知った珠世は安心してその場を任せ、何故か中等部の男子生徒がついて出て行った為保健室はと妓夫太郎の二人きりだ。
のてきぱきとした処置により痛々しい擦り傷がひとつずつ消毒を施され、ガーゼや絆創膏で手早く覆われていく。

「よし、これでひとまず大丈夫。マンションに替えのガーゼあったかなぁ。帰りに薬局、寄って良い?」
「・・・おぉ」

一通りの確認を終えたの表情は明るかったが、対する妓夫太郎の声は低く掠れたままだ。
これで何も察せられない筈は無く、彼女は小さく苦笑を浮かべた末に彼の隣へと腰を降ろす。

保健室の窓からは青空が覗き、白いカーテンが舞う様はとても爽やかだった。

「煉獄先生は大丈夫なのにね」
「あいつは・・・別枠だからなぁ」

誰と比べて、とは言うまでもない。

の稽古先である煉獄家の長男にして歴史教員を務める男もまた、豪快に笑いながらや妓夫太郎の肩を叩く。時には兄の様な顔をして頭を撫でることすらあるが、妓夫太郎は煉獄に対し過剰な拒否反応は見せない。
それは彼の持つ太陽の如き溌剌さがそうさせるのか、はたまたと煉獄家の特別な師弟関係を鑑みてのことか。それとも、前世での関わりが無い為か。
面白くなさそうな横顔をこっそりと見遣り、はそっと妓夫太郎の手を握った。

「実は中学に入学してすぐの頃、宇髄先生には書道で名前を広めたい理由、話してたんだよね」
「・・・はぁ?」
「妓夫太郎くんと梅ちゃんの名前は勿論出してないよ。でも、放課後は部活に入らないで練習時間を増やしたいとか、学校休んででも大会に沢山出たいとか、色々ワガママを押し通した時に相談に乗って下さったから」

考えてみればしっかりと説明をしてこなかったことを反省し、は改めて口を開いた。
何しろ宇髄の名を出しただけで兄妹揃って顔を歪めるものだから、これまでに改めて話す機会が無かったというのは、都合の良い言い訳だ。

美術教員はどうにも兄妹との相性が悪い様を装ってはいるが、実のところ温かく見守ってくれていることをは察している。

「逢いたい人がいるって。見つけて貰えるように名前を広めたいって正直に話したら、応援して下さったのは宇髄先生。まさか妓夫太郎くんと戦った鬼狩りの人で、記憶も引き継いでるなんて、その時は夢にも思わなかったけど」

当時宛もなく実る保証も無かった道を、大層な野望だと力強く笑って頭を撫でてくれた。全面的にの希望を後押し、それからも度々気にかけてくれた宇髄の存在は間違いなく心強いものだった。
すべての繋がりが紐解けた時、時代の違いはあれど互いに妓夫太郎たちを挟み繋がりがあったことには心底驚いたものだが、今も尚にとっての宇髄の印象は変わらない。

白いカーテンが風にのり、秋の風が心地よく二人の間を吹き抜けた。

「妓夫太郎くんが色んな記憶の関係で、どうしても納得出来ないなら、なるべく関わらない様には努力するよ」
「・・・」
「嫌がることは、なるべくしたくないから」

炭治郎と宇髄が鬼狩りとして生きていた時代を、は話の上でしか知らない。
両者共に鬼であった妓夫太郎と梅の転生を祝福してくれているのはにもよくわかるが、当人にとってみればそう簡単に割り切れる話ではないだろう。
大事な存在は数多くあれど、優先順位は決まり切っている。一番大切なひとがそれを望まないとわかっていながら、無理を通すことはしたくないとは曖昧に微笑んだ。

「だけど宇髄先生は、私にとっては良い先生だし、感謝してる人だから。それだけ、少し覚えておいて貰えたら・・・」

不意に、握っていた手を下から抜き取られたかと思えば。
横から肩を抱かれ、は目を瞬いた。

「妓夫太郎くん?」

鼻先を埋められ、その表情が見えないことには戸惑った声を上げたが、妓夫太郎は重苦しい溜息で応えた。

納得できないならば、関わらない様努力するだなんて。
それこそ望まないことを彼女に言わせてしまっている罪悪感に、何とも思わない筈が無い。

「お前にそんなこと言わせてよぉ・・・小せぇことを気にしてる俺がバカみてぇだろうが」

数秒の空白を挟み、の表情が和らいだ。決して小さなことではないだろうに、やはり妓夫太郎は優しい。
擦り寄る様に預けた頭に緩く頬擦りをされた様な心地がして、何とも言えないくすぐったさに多幸感が溢れる。

「バカじゃないよ。ヤキモチ自体は、嬉しいの」
「・・・うっせ」

必要以上に反発してしまう原因の一欠片すら言い当てられ、照れ隠しに脇腹を小突くとが声を上げて笑う。秋の風に乗ったその軽やかな笑い声が耳に心地良く、妓夫太郎は思わず苦笑を浮かべた。
宇髄に対しても炭治郎に対しても、どうしたって思うところは残るだろう。
しかしながら時代も変わり立場も変わり、かつて敵対した彼らが好意的に接してくれていることは、妓夫太郎にもわかる。加えて、腕の中で笑う幸せの塊の様な彼女がこう言うのだ。歩み寄りとまでは行かずとも、見方を改めることくらいならば出来る。

いつだってきっかけをくれるのはだ。妓夫太郎は温かなぬくもりを引き寄せて息を吸い込んだ。

「・・・
「ん?」
「ありがとうなぁ」

それは、何に対しての礼か。
小首を傾げて見上げてくるに対し、瞬間言い淀んだ妓夫太郎の頬が緩む。

「まだ、手当の礼を言ってなかったからなぁ」

空いた手に前髪をひと撫でされたの目が、ゆっくりと細められた。
何もかも見通した様な黒い瞳は、嬉しそうな笑みを象る。
真意はどうあれ、全て受け止めるその笑顔が、堪らなく好きだ。

「私、妓夫太郎くんのそういう所、好き」
「・・・お前なぁ」

相変わらず真っ直ぐな好意は衰えを知らない。
部屋の主は留守とはいえ、外は外だと妓夫太郎が何とも言えない顔をしたその時。
細い手が、擦り剥けた膝の患部より上をそっと撫でた。

「本当は怪我もして欲しくないけど、こういう時に任せて貰えるのは嬉しいの」

怪我は瞬時には治らない。鬼であった頃の様にはいかない。

「昔も今も、これから先も。この役目は、誰にも渡したくないなぁ」

けれど、早く治せる様世話を焼くのは、今も昔もの役割だ。
これから先も変わらないことを今更望む彼女を見下ろし、妓夫太郎が小さく肩を揺らす。

「決まってんだろ、ばぁか」
「ふふ、嬉しい」

保健室は未だ二人きりだ。
甘える様に再度預けられた頭に、妓夫太郎は小さく口付けた。



* * *




何の因果か。
保健室を出て間もなく鉢合わせることとなった男を前に、妓夫太郎は顔を引き攣らせつつも腕を組んで立ち止まった。

「鍛えてる鍛えてねぇはともかく、遠慮無しにを叩くんじゃねぇ」
「ほぉー・・・」

対抗する様に腕を組んで対峙する宇髄は、何やら意味ありげに思案顔だ。ハラハラと二人の間で状況を見守るを前に、その端正な顔立ちはひとつ納得をした様に緩められた。

大事な存在を持つ男としては、その主張は悪くない。

「ま、そこは飲んでやろうかね」

が安堵の息と共に妓夫太郎に笑顔を向けた、その時である。

宇髄の逞しい腕が、何の前触れもなくの肩へと回された。

え。という間の抜けた声と共に、空気がぴしりと固まる。

「俺とコイツの仲は、そんなスキンシップ無しでも磐石だからなぁ!」
「ちょ、宇髄先生・・・!」
「なんたって俺はこの学園の誰より色男だしなぁ!ハッハッハ!」

ああ、駄目だ。
の見ている目の前で、妓夫太郎の米神に青筋が走る。

「・・・やっぱりテメェは潰すからなぁ!」
「やってみやがれクソガキ、この宇髄様を潰そうなんざ百年早ェわ」
「ちょ、待って、待って下さい二人とも!」

何故こうなってしまうのか。
慌て戸惑うと苛立つ妓夫太郎をよそに、宇髄の楽し気な笑い声が廊下に木霊した。



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