廃墟からの挑戦状 漆



時刻は少々遡り、五人が三手に分かれた後のこと。

とある建物の一室にて、しのぶが一人佇んでいた。壁が部分的に崩れ、そこから差し込む陽の光は徐々に西日へと変化しつつある。残り時間は確実に少なくなっていた。
部屋の中央に陣取り端末を見下ろす彼女の目が、捕獲者リストの中に蜜璃の名を捉える。
口元が小さく“すみません“と動いたが、それは言葉にはならなかった。
微かな音を耳にしたしのぶは顔を上げ、朗らかな声と手拍子をもって相手を迎え入れる。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

状況の緊迫感には決して似つかわしくない、しかしある意味圧力を秘めた声に導かれる様、最後の狩人が姿を現した。
同時にしのぶが放った筒状の物から白い煙が噴き出す。即座に鼻と口を覆った狩人を見据え、彼女は薄く微笑みを浮かべる。

「私が薬学に詳しいこと、ご存じなんですね」

今回の煙幕はすぐに治まったが、その一言は二人の間に新たな緊張を齎した。
学外の人物が、しのぶが薬学に詳しいことを知っている。つまりそれは、事前に参加者の情報が洩れているということだ。
間合いを計る黒死牟を前に、しのぶは貼り付けた様な笑みを浮かべたまま淡々と告げる。

「私とさん、あと素山くんは何とか獲りたいところでしょうけど、そう簡単にはいきませんよ」
「・・・そこまで、読めているか」

それ以上のことを口に出しはしないが、彼女は主催側の狙いを見抜いている。
特筆すべきは高い洞察力、すべてを承知していながら肝心なことを口にはしない思慮深さ。

「だが、ここを一人で抜けると思い上がったなら―――」

しかし、判断力には欠ける。そう告げようとした黒死牟の息が止まる。
間合いを瞬時に詰めて来たしのぶの小さな手に、何かが握られていた。獲物へ向かって真っすぐに突きを繰り出すそれを、狩人は間一髪仰け反ることで避ける。

彼女が手にしているのは、何処で調達したのか細長い剣フルーレの様だった。先端には、ご丁寧にペイント弾の塗料が赤く光っている。

「即席で用意したので、加減を誤ってしまったらすみません。何しろ他の狩人の方々、皆さん制圧されてしまって試す機会が無かったんですよ」

先ほど相対することとなった規格外に威力の強いロケットランチャーは、間違いなく目の前の彼女の仕業だろう。
フェンシングの世界に名を轟かせる才女の力量は如何に。

「・・・面白い」

そうしてしのぶと向き合う黒死牟の背後、物陰からライフルの銃口が顔を出す。
あまりの緊張にごくりと唾を飲む佐伯の指先がトリガーにかかり、狩人のヘッドセットに狙いが定まった。




* * *



診療所跡は、しのぶ達が拠点として使っていた場所の様だった。
一体何をどうしたらその発想が生まれるのか、モデル銃やペイント弾そのものを分解した形跡が残っている。診察室の一角に溶け込むには異様過ぎる実験の跡を横目に、妓夫太郎はベッドに横たわる獪岳の姿を睨み下した。

先に入り込んでいた存在はここで堂々と眠っていた様で、と妓夫太郎の姿を見るなり焦った顔をしつつも立ち上がる気力が無く寝台へ逆戻りしている。
一体どうしたことか。しかし妓夫太郎は、がこの状況を前に黙っていられない性格であることを痛いほどに熟知していた。
獪岳の額や首筋に手を当てて慎重に様子を伺う彼女に、腕を組んだまま問いかける。

「・・・こいつは今、どういう状況なんだぁ?」
「水分不足だと思う。支給されてる飲み物、全然口を付けた形跡が無いし・・・多分、給水ポイントでも飲んでなかったんじゃないかな」

今こそ徐々に日は落ちてきているが、それでも真夏の日中なのだから暑さは凄まじい。この中で水分を摂らないことは無謀としか言い様がない。学生に無理をさせる筈が無い等散々主催の肩を持っていた割には、自己管理がお粗末過ぎる。
苦い顔をする妓夫太郎の横から、が獪岳へとペットボトルを差し出した。元々彼に支給されていた未開封のものを、あえて本人の目の前で蓋を緩めて見せる。

「稲玉くん、これ飲んで」
「・・・」

流石に健康状態の危機を感じたのか、獪岳は大人しくそれを受け取り口を付け始める。
本格的な熱中症やそれに伴う初期症状にまでは至っておらず、そこだけが安堵出来るポイントだった。
は小さく息をつくなり、今度は手頃なものを団扇代わりに獪岳へ風を送り始める。勝手ながら靴も靴下も脱がせ、妓夫太郎が止めなければカーゴパンツのウエストも緩めようとしたであろう徹底ぶりで、彼女は今完全に世話焼きのスイッチが入っていた。

言っても聞かないことをわかっている手前、妓夫太郎は眉を顰めて見守るしか無い状況であったが、世話を焼かれている張本人は違った。

「・・・放っておけ」
「え?」

容器の半分ほどを残し、その手が口元から離れる。
獪岳は酷く投げやりな態度で虚空を見つめていた。

「どうせ、俺は顔の無ぇ脇役だ」

顔の無い脇役。
突然の表現には言葉を失くしてしまうが、そこを引き継いだのは眉を顰めた妓夫太郎だった。

「・・・はぁ?暑さで頭やられたかぁ?」
「知るか・・・俺だって何でまたこんなことになってるのか、さっぱり理解が追いつかねぇんだ」

直前に見てしまった夢のせいか、獪岳は今から懸命に世話を焼かれることが苦痛で仕方が無い。

産屋敷の牛耳る学園で、内情を探ることを命じられていた筈だった。特に今回は何かと因縁深い学生を集めた“報復”だ。一人でも多くの獲物を仕留められる様裏から動くことを求められている。
にも関わらず一体このザマは何だと、自分自身を嘲笑う様に獪岳の目から光が消えていく。

「何でこんなことでダウンしてるのか、何でてめぇらなんかに世話を焼かれてるのか」

何故自身の管理を怠ったのか。何故焦っていたのか。
命じられたことに対し、ほとんど自発的には動けずじまいだった為だ。

開始早々、偶然近くにいた見知らぬプレイヤーを背中から狙い撃ちにした時の、何とも言えない虚無感が今も胸に巣食う。
訳も判らず地に這い蹲る羽目になった相手のことを、獪岳は知らない。与えられた任なのだから、知る必要が無い。
しかし後味の悪さが尾を引き、それ以降彼はまともな働きを成せなくなってしまった。
結果として入り込んだグループは分け前を巡っての口論に発展し自壊、の兄には背後からの一撃を見舞ってしまったが完全に誤射だった。獪岳は今日最初の一人を仕留めて以降、自らの意思で引き金を引けていない。

更には絶好の機会であった煙幕の中、背中を狙うどころか女を逃がそうとしてしまうだなんて。

「・・・俺は、何をしてんのか」

自分の責任で調子を崩した今、手を振り払われた女に世話を焼かれている。
無様だ。
獪岳は奥歯を噛み締め、夢の中までも主役を攫って行く相手を睨み付けた。

「人生の主役を張ってる奴がよぉ、脇役に構うんじゃねぇよ、余計に惨めだろうが」

に当たることは筋違いだ。わかっていても止められない。
当然この状況で黙っている筈の無い妓夫太郎が眉間の皺を深めた、その時。

「・・・おい」
「脇役じゃないよ」

の口から、はっきりとした否定の言葉が飛んだ。

彼女は静かに憤っていた。
しかし、少し前に妓夫太郎を庇い憤っていた時とは違う。理不尽な当たり方をされたことへの怒りでもない。

「稲玉くんの人生は、稲玉くんが主役でしょ。私もそう、妓夫太郎くんもそう、皆そう。顔の無い脇役だなんて、惨めだなんて言わないで」

は、獪岳自身のために獪岳本人へと憤っている。自分の人生の主役は自分自身である。当然のことの筈が、頭を殴られた様な衝撃を伴うのは何故か。

真面目な顔で若干眉を険しく寄せるを前に、獪岳は目を丸くして完全に気圧されてしまう。納得のいかない卑下の仕方に異を唱える彼女は、舞台上にいる時の表情に近い。狛治の問いには否定を返したものの、実のところ獪岳は書道家としてのを度々見ていた。

近しい人間に向ける穏やかな笑みではなく、妓夫太郎を暴言から庇った時の非難一色の表情でもない。ただ、違うものは違うと獪岳本人のために主張する目力は強く厳しいものだった。

「稲玉くんは、元気になってから稲玉くんのしたいことを思うようにすれば良い。その代わり、私も好きにするから」

自分のしたいこと。自分のなすべきこと。
自分がどうしたいのか。自分がどうあるべきなのか。

見て見ぬふりをしていた大きなずれを突き付けられた様な思いに、獪岳は目を見張る。
こんな姑息な手を使うことでしか評価されない任とは何だ、本当にこれしか方法は無いのか。

あの夢の中の自分は、本当に顔の無い脇役だったのだろうか。確認する術もない状況で、決めつけてしまったのではないか。
課された任務は裏から背を狙う密偵だ。だからと言ってこの後ろ暗さを引きずり続けるのか。自分の人生を、脇役として諦め続けるのか。

否、きっとそれは違う。そう思わせるだけの影響力を、今のは持っていた。
がんじがらめになっていた苛立ちそのものに風穴を開けられた様な気分に、彼は思わず目を瞬く。

「放っておけってさっき言ってたけど、そんなの聞けないよ。あとちょっとなんだから、何とか逃げ切れるように頑張ろう」
「・・・」
「ほら、続き飲んで。まだ全然残ってるからね」

付き合いの長い妓夫太郎でもそう何度も経験の無い押しの強さは、容易く逆らえるものでもない。呆気に取られたように固まっていた獪岳は、に押されるまま水分摂取を再開した。
よろしいと言わんばかりに彼を扇ぐ手を再度動かし始めた彼女の目が、不意に斜め後ろの妓夫太郎を振り返る。妙にドキリとした彼の胸中など知る由も無く、は普段通りの様子で頼る目をしている。

「妓夫太郎くん。私タオル濡らしたりしたいんだけど、ちょっとの間だけ・・・」
「・・・しょうがねぇなぁ」
「ありがと、助かるよ」

この状況で妓夫太郎が断らないことはわかっていそうなものだが、それでもは嬉しそうに微笑んで礼を言う。
手渡された団扇代りの物を手に彼女と入れ違いに向かい合った妓夫太郎と獪岳の間に、瞬間険しい火花が散った。
先に沈黙を破ったのは妓夫太郎の方で、乱暴に椅子に掛けるなり顔を背けたままの指示通り獪岳を扇ぐ。

「・・・何のつもりだ?」
「てめぇが卑屈ぶるのは勝手だがなぁ、こうと決めたあいつの頑固さは筋金入りだ。諦めるんだなぁ」

律儀に送られてくる風は、執拗な敵視を止めなかった男と同一人物からのものとは思えない。
怪訝な顔をする獪岳に対し、相変わらず目線を合わせないまま妓夫太郎は呟いた。

「どっかの馬鹿が、大掛かりな諍いであぶれたところを見たって人がいてなぁ」
「・・・」
「そのせいで特別虫の居所が悪かったんじゃねぇかと聞かされたんだが・・・その様子じゃ、図星か」

半分正解。しかしこの真意など、伝わる筈も無い。
獪岳の表情が硬くなる様を横目に捉え、妓夫太郎が深い溜息を吐いた。

「信用はしねぇ。だが、一時休戦なら出来なくはねぇ」
「・・・何だと?」
を無事に逃がす。そのためなら、誰とでも組めるからなぁ俺は」

あくまでも、残りの時間でを守り切るため。その目的を強調することで、妓夫太郎は険しい顔をして獪岳を見据える。

「例え、てめぇみてぇな得体の知れない野郎でもなぁ」
「・・・上等だ、クソ野郎」

獪岳は勢い良くペットボトルの残りを飲み切った。


* * *



まさに、瞬く間の出来事だった。
トリガーを引こうとしたその瞬間、狙いの人物が姿を消したことに佐伯は目を見開いた。
え、と思わず声を漏らした時には、その銃口は素手で押さえつけられ手錠がかかろうとしていたのだから、頭の中は瞬時に色を失う。

「っ佐伯くん!」

しのぶの声が響くと同時に、咄嗟にでも身をかわせたことは奇跡としか言いようが無い。
四つん這いの犬か猫の如く下を抜けようとした佐伯の足を、黒死牟の手は逃さなかった。
しまったと息を呑んだ時には遅く、カシャンという無機質な音が足首を拘束する。

苦い顔を顰めた佐伯はしかし、未だ諦めてはいなかった。
自身の足首に気を取られた黒死牟の背後を、確実に狙っている剣士の存在を信じていた為だ。
彼がこのルートで追いかけてきていることを察知したしのぶから、元より二人で挟み撃ちにする策は授けられていた。
佐伯が捕まったその瞬間こそ、絶好の機会となる。

斜め後方から振り返り様の胸部を狙おうと繰り出された渾身の突き。それは、あえて迎え入れるという手法によって破られた。

「・・・っな・・・?!」

突き出した剣ごと腕を脇に挟まれることで動きを封じられるとは思いもせず、しのぶが息を呑む。
彼女の判断は早く、即座に潜ませていた拳銃を外に向け黒い煙を噴くと同時に二つ目の手錠がかけられた。



* * *



「これはどういう状況だ?」

ベッドに横たわる獪岳が、濡れタオルで額と首を冷やされ風を送られ続けている。
辿り着いた光景の奇妙さに、狛治は素直な疑問を口にした。

「素山くん!大丈夫だった?」
「俺は見ての通りだが・・・そっちが大丈夫じゃなさそうだな」

別れ際の誤射騒動を引き摺ることもなく、狛治は淡々と状況を見極め獪岳を案じた。
その視線を受け、獪岳が身を起こす。時間をかけ過ぎる程に世話を焼かれ、起き上がるには丁度良い頃合いだった。

「あっ、稲玉くんちょっと・・・」
「・・・もう良い。大分良くなった」

落ちたタオルを拾い慌てた声を出すを片手で制し、獪岳は彼女を見遣る。

認めるのは癪な話ではあるが、先ほどの問答は少々効いたというのが本音だ。快方に向かい始めた体調も手伝い、鈍い頭痛が抜けた様な感覚は悪くない。

「・・・借りは返す」

未だ心配そうな黒い瞳に対し、獪岳は一言そう告げた。
素直に礼を言えるような間柄ではない。ただ、このまま何も無かったことにも出来ない。
確かに目の力が戻った様な獪岳の言葉を受け、が小さく苦笑を零した。

「そんな、借りなんて、」
「当たり前だ。仇で返しやがったら容赦しねぇからなぁ」
「てめぇには言ってねぇぞ。俺はこいつに言ったんだ」
「あぁ?」

眉間に皺を寄せて睨み合う二人の空気は相変わらず険悪だ。しかし、当初の様な致命的な亀裂は感じられない。
が僅かな安堵と共に二人の間に入ろうとしたその時、不意に狛治が窓辺へと視線を向けた。

「動けるならすぐ動いた方が賢明だろうな」
「えっ?でも、しのぶさんと佐伯くんがまだ・・・」
「・・・外を見ろ」

その言葉に従い、窓の外へと目を向ける。

遠くに立ち昇る黒い煙に、は息を呑んだ。

確かに時間がかかっているとは思っていたが、狛治も無事に辿り着いたのだからきっと二人も無事だと、そう思いたかった。
言葉も無く窓の外を見つめるを横目に、妓夫太郎は端末を確認する。未だプレイヤーの残数は六のままだが、時間の問題で四へと更新されるだろう。何より、ここに長居出来ない理由はもうひとつある。

「次の禁止エリアにここが入ってるなぁ・・・」
「裏から出て移動した方が良いな。残りの時間は・・・三十分か」

残された時間はそう長くはない。
調子の戻った獪岳を含め、各々身支度を手早く整えこの場を発とうとする中、の目が部屋の片隅を捉えた。

「・・・?」
「あっ・・・ごめん、今行く」

布の袋に入った長細いもの。思った通りそれほど重量の無いそれを抱え、は妓夫太郎の後を追った。








狩人:残1名 / プレイヤー:残4名
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