廃墟からの挑戦状 陸



広範囲に渡るペイント弾の雨が落ち着いたタイミングで、男は物陰から姿を現した。

発射と着弾時に感じたこれほどの威力は、支給されているどの種類のモデルガンにも備わっていない筈である。短時間の間に何らかの手が加わっていることは間違いなく、加えて強化された筒状の兵器を肩に乗せて構えているのが女性プレイヤーであることは男を大いに感心させた。
あの爆音に耐え得る度胸は勿論のこと、発射時の反動も決して馬鹿には出来ないであろう代物を抱え、蜜璃は未だ一歩も後退の様子を見せない。

「・・・その細腕でここまで使い熟すとは、見事」

“リスト”に載らない女生徒から爆撃と呼んでも差し支えないほどの威嚇を受けてしまえば、獲物が彼女一人でない場合当然他を当たるだろう。恐らくはこれまでこうして他の狩人を退けて来たのであろう高校生を相手に、男は賞賛の意を込めてサングラスの下の目を細めた。

しかし残るプレイヤー数が一桁を切った今、男が目の前の獲物を諦める理由には至らない。

「だが―――二度目は無い」

男は構えることもなく音も立てず、獲物を捕らえるべく地を蹴る。瞬きの瞬間に間合いを詰められた現実に蜜璃は目を見開き、咄嗟にポケットの中の物へと手を伸ばした。



* * *



低く空を切るような奇妙な音に振り向くと同時に、後方に黒い煙が立ち昇る瞬間をは見た。随分と距離は開いたが、それは疑い様も無く先ほどまでいた場所から上がったものだった。

「っ甘露寺先輩・・・」

思わずといった様子での口から零れ出たその名に妓夫太郎が足を止め、周りも自ずとその動きを止めた。
つられる様に背後の空を仰ぎ見た佐伯が眉を顰め、頭を抱えこむ。

「マジか・・・」

彼はあの黒い煙の意味を知っているのだろう。説明を求めて彷徨うの視線を受け止め、しのぶが冷静に口を開いた。

「ここへ来てはいけないという合図です」
「それじゃ・・・甘露寺先輩は・・・」
「・・・恐らくは。先輩の銃は少し細工をさせていただいたので、大抵の狩人さんなら撤退させられたんですが・・・流石に最後の一人は、そう簡単には行かない様ですね」

細工とは。
問いたいことは多々あるが、あのインパクトで押し切れるかと思われた蜜璃でも通用しないとなれば、事は随分と深刻な上に早急な対応が必須だ。
しのぶはその場で素早く地図を開き、全員に見えるよう指先でバツ印を結んだ。

「追手がすぐに来ます。二手か出来れば三手に分かれましょう。合流場所はここです」

彼女が指したのは、敷地の南に位置する小さな診療所跡だった。今いる位置からはそう遠くは無いが、確かに一ヶ所に集まったまま移動するより安全だろう。
どう分かれるかという問題は、あっさりと決着が着いた。

「俺は一人で良い」
「俺は一人じゃ無理」
「はいはい、わかってますよ佐伯くん」

一人と即答した狛治に続き、キリっとした顔をしつつもしのぶのシャツの端を掴む佐伯。彼はしのぶと同行することとなれば、残るはと妓夫太郎だけだ。
むしろこの流れで二人を離す案は誰も通さないだろうに、安堵した様に息をつくを見てしのぶが微笑んだ。

「では謝花くん、さんをよろしくお願いしますね」
「・・・誰に向かって言ってんだぁ」
「ふふ、それもそうですね。失礼しました」

言われるまでも無いとその目が物語る。肩に担いだアサルトライフルがモデルガンであることを忘れる程、妓夫太郎の表情は硬い決意に険しくなっており頼もしい。
はひととき離れることになるしのぶの手を握り、心の底から無事を祈った。

「しのぶさん、素山くんと佐伯くんも、気を付けてね」
「ええ、お互い鬼さんに追い付かれないことを祈りましょう。それから・・・」

しのぶがの手に握らせたもの、それは。

「万一の時は、これを」

恐らくは蜜璃が先ほど空に向けて撃ったであろう、いざという時に黒い煙を噴くための小さな拳銃だった。



* * *



あらかじめ設定されたコース取りによれば、自分たちに割り当てられた直線距離が最も短いことを二人は知っていた。なるべく開けた場所には身を晒さぬ様、影を縫う様身を低くして進む。
恐らくもうじき目的地へ到着するであろうタイミングで、から手を握る力に変化が見られた。

「・・・妓夫太郎くん」
「どしたぁ?」
「何か、悩んでる?」

これにはぎくりと妓夫太郎の肩が固まり、の指摘が正しいことを証明する。
白煙の中、思いもよらぬ邂逅を果たしたその瞬間から、狩人の正体をに告げるべきか否か。妓夫太郎は自問自答を繰り返していたが、その答えは未だ出ないままだ。

「・・・何でも無ぇ」
「うそ。何でも無いって顔じゃないよ」

後ろから手を引くように引き留められてしまえば、それ以上抵抗が出来ない。黒い瞳は一心に心配していることが明らかで、妓夫太郎は彼女のこの表情にも弱い。

「・・・足、止めんなよなぁ」
「あっ・・・うん」

乱暴にならない程度の力で手を引けば、はすんなりと言う事を聞き後に付いて来る。どうしたものかと前を走りながら妓夫太郎は思案した。

鬼としての話は、上弦の陸という席を妹と共にしていたことまでは彼女に伝わっている。上弦の壱という数字を具体的に出すことでのメリットは何か、逆に話すことのデメリットは何か。様々な可能性を短時間で出来うる限り熟考し、そして妓夫太郎は答えを導き出した。

「これが終わって、落ち着いたら話す」
「・・・」
「確かにこのゲームに関わりのある話だが・・・今話すのは、違ぇような気がすんだよなぁ」

が何かあることに勘付いている以上、隠すことはしない。しかし今この場で明かすことは、彼女に必要以上の動揺や不安を与える可能性があると妓夫太郎は考えた。
今このゲームで鬼役として残っているのは、前世で上弦の壱に席を置いた最強の剣士である、などと具体的な話を出して怯えさせることに意味は無い。大事なことは出来る限りを近寄らせない、これに尽きるのだから。

「ただ・・・残りの狩人は、これまでの奴らとは訳が違ぇ。お前は絶対に、手ぇ出すな。発砲も、もうしなくて良い。とにかく、」
「それは約束出来ないよ」

しかしその単純明快な望みは、外ならぬ自身によって否定された。

かつての姿ではあるが、相手の恐ろしさを知っている。それ故にを遠ざけたいという願いは、それほど道理から外れたものでは無い筈だ。その確信が今でもあるからこそ、妓夫太郎は歯がゆい思いに眉を顰めてしまう。

「妓夫太郎くんが危ない時は、きっと身体が勝手に動くと思う」
「・・・
「敵う敵わないの話じゃないの。お兄ちゃんや、梅ちゃんと一緒」

そこで幸太郎と梅の話を出されたことで、妓夫太郎の言葉が詰まる。大事な相手のどうしようも無い危機を前に、頭より先に身体が動くこと。それは彼自身が身を以て知っていることでもあった。

前を走っている為に背後はしっかりと振り返れない。しかし、が手を握り返してくる力加減は優しい。

「最後の一人は本当に気をつけなきゃいけないのは、よくわかったよ。だから、一緒に逃げ切れるように頑張ろう」

こちらの心配も知りもせずとも思う。けれど、同時に逆の立場ならと理解も出来てしまう。
後ろを走る彼女と確かに繋がっている感覚に、妓夫太郎は苦笑を漏らした。

まったく、察しが良いのか悪いのか。

「心配してくれて、ありがとう」
「・・・ったく、こういう時は聞かねぇのなぁ」
「ふふ」
「褒めてねぇぞ、ばぁか」

納得は出来ないが、彼女が折れないこともわかっている手前仕方が無い。最後は軽口の様なやり取りで話がまとまった頃、二人は目的の診療所に辿り着いた。

小さな建物は正面と裏口の二ヶ所から出入りが出来る様で、確かにここであれば一方的に追い詰められるリスクも少なく済むだろう。
長く走り続けたことでも尚息の上がらないが、にこやかに正面の入口を仰ぎ見た。

「ここかな。私たちが最短コースだったから一番乗りだね」
「待て」

その戸口に手をかけようとしたの手を、妓夫太郎は咄嗟に掴んだ。後手に彼女を下がらせ、背を壁につけた状態で中の様子を探る。

「・・・中にいやがるなぁ」

微かに開いたドアの隙間から、妓夫太郎は屋内の気配を感じ取った。



* * *



物心ついた頃より、獪岳は同じ夢を度々繰り返していた。

夜の闇の中を、松明を手に進む一行の一人。
この一行に加わるに至る記憶は無く、周りを歩む男達の顔も靄がかかったように判別が出来ない。

ああ、またこの夢か、と。ぼんやりと考えながら足を進める中、いつも考えることがある。これは獪岳の夢の中でありながら、主役は獪岳では無いのだ。
恐らく自身も、周りの男たちと同じように顔が靄がかった曖昧な存在なのだろう。不思議と獪岳にはその確信があった。
何故ならその夢の中では、一人だけ顔立がはっきりとしている者がいたからである。
主役はその女であると、彼の勘が告げていた。

暫く暗い道を進んだ末に辿り着いたのは、何かの植物の群生地の様だった。目的地であるその場所で、一人の男の指揮によって彼らは散り散りに植物の調査へと乗り出す。獪岳もその一人だった。
何故こんな夜間に植生調査などしなくてはならないのか。分厚い本と振り分けられた提灯を手に、獪岳は生い茂る草木を掻き分け小さく舌打ちをする。
自身が苛立っている理由も、駆り出されている理由も、何もかも不鮮明な夢で気分が悪い。女の声がしたのは丁度そんな時のことだった。

『ね、もう少し先、照らせるかなぁ?』

思いの外近くに、その女はいた。
火の灯りがあって尚誰もがぼんやりと靄掛かる夢の中で、はっきりとした女の存在は異質だった。

年の頃は獪岳より少し下くらいだろうか。女というよりは少女だ。何故こんな一行の中に年若い少女が紛れ込んでいるのか。
単純な疑問から、視線を惹かれた。少女は華奢な身体に見合わず誰より分厚い図鑑と帳面を抱えており、着ているものが汚れることなどお構いなしに地面に屈み込んでいる。

『こうかぁ?』

少女の傍には年の近い少年が立っており、彼女の提灯を持ち観察箇所を照らすのは彼の役割の様だった。
やはり獪岳の目からは、少年の顔にも靄がかかっており判別が出来ない。

『うん、ありがとう。助かるよ。』
『・・・礼は良いから手ぇ動かせよなぁ。』
『ふふっ、そうするね。』

少年を振り返る様に見上げ、少女がにこやかに微笑む。
角度的にその笑顔を正面から見遣ることになり、獪岳は暫し目を瞬いた。

理由はわからない。ただ、このような夜間の調査に今の笑顔は場違いな光景に思えてならず、やはり行き着くのは何故彼女のような少女がここにいるのだろうという疑問に尽きる。
何故。獪岳自身がこの調査にあまり乗り気でなかったことも手伝い、すっかり手は止まりながらも視線は少女の方へと泳いでしまう。女が学問を身に付けてどうするのか、気にすべきは植物のことよりも地面に擦れそうになっている着物のことではないのか、等と余計なことばかりが脳裏に浮かぶ。
気付けば獪岳は、植物や土の状態を熱心に書き写す真剣な横顔を、ぼんやりと見つめていた。女の身でこんな場所にいるのだから変わり者には違いないが、まるで化粧っ気の無い顔は悪くは無い。

そんなことを考えていた刹那、殺気にも似た刺す様な視線を感じて思わず奥歯を食い縛る。
慌てて視線を逸らしたため目線が交わることは無かったが、獪岳にははっきりと理解できた。

『・・・どうしたの?』
『何でも無ぇ。』

靄がかったあの少年から、睨まれたのだと。
胸の内が騒つく。何故自分が目を反らなくてはならないのかと、納得の行かない羞恥心に苛立ちが募る。
ただその一方で冷静な自分がいて、こう告げるのだ。
どうせこの夢の主役ではないのだから、目が覚めるまで適当にやり過ごせ、と。確かにその通りだ。
しかし、只でさえ現実では内通者として気の進まない任を負わされているというのに、自分の夢の中でさえ主役になり得ないことには納得がいかない。
獪岳は屈辱に己の唇を強く噛み締めた。








夢は決まって、その前後で覚める。
またこの夢かと眉を顰めた直後、漠然とした違和感に獪岳は身を固くした。
何故自分は夢を見ていたのか、何故眠っていたのか、今は大切な任務の最中ではなかったか。

「・・・稲玉くん?」

遠慮がちにかけられた声を振り返り、獪岳は余計に顔を強張らせる。
立花―――夢に見ている少女に、酷く良く似た女。
そしてその隣に、こちらを鋭く睨み付ける謝花妓夫太郎の姿を見た。







狩人:残1名 / プレイヤー:残7名

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