廃墟からの挑戦状 伍



白い煙幕は突如として視界を覆い、それは上から全員を見下ろしていたの周囲にまで及んだ。
一体何が起きているのか、咄嗟には頭が回らない。音も無く表れた最後の狩人、一時は助かったと思われた兄が梅諸共手錠をかけられてしまった光景、突如撃ち込まれた発煙弾。最後に聞こえた、逃げてという悲鳴の様な叫び声。
あまりに色々なことが同時に起きて困乱が収まらない。とにかく、妓夫太郎の無事を確かめなくては。その一念で不安ながらも手探りに立ち上がろうとした次の瞬間。

白い煙の中からその腕を掴もうと伸ばされた手を、は力いっぱいに振り払った。

「っ・・・!」

相手が誰なのかを探る間も無い、反射的な拒絶だった。
男性の手であることはわかる。しかし、妓夫太郎の手では無い。咄嗟に狩人ではないかと腕を大きく振ったことにより煙幕が僅かに薄れる。

斑な視界の先に、振り払われた手をそのままに唖然とした表情の獪岳を見た。

「・・・っあ・・・ごめん、なさい」
「・・・いや、良い。それより、早く隠れるぞ。こっちに抜ければ煙幕も薄い」

良好とは言えない視界の中でも、全身での拒絶を受けた獪岳の表情が、何処か傷付いたような色をしている気がして。は思わず詫びの言葉を口にしたが、彼はそれを流し別の方向を指差した。
確かに狩人が近くにいる以上、この煙幕に紛れて身を隠すことは今の最優先事項だ。獪岳の言うことは正しい。

「・・・ごめんなさい」
「だから、謝る暇があるならさっさと移動を、」
「私、行けない」

しかし、はその提案に乗ることが出来なかった。
苦し気に眉を寄せてその場を動かない態度を見て、獪岳が苛立ちに眉間の皺を深める。

「誓って言うが、さっきのは誤射だ。俺はお前の兄を狙った訳じゃ・・・」
「そういうことじゃないの」

幸太郎を陥れたと誤解してのことならば違うのだと、そう申し開こうとした獪岳を遮りは告げる。

「妓夫太郎くんと一緒じゃないなら、私は行けない」
「馬鹿か。状況を考えろ、すぐに捕まるぞ」
「折角助けようとしてくれてるのに、ごめんなさい」

状況をわかっているのかと厳しく歪められた顔を前に、は真剣だった。
彼の手を振り払ったことは詫びる、抜け道を指し示してくれたことには感謝する。

「でも、私は妓夫太郎くんとは離れない」

けれど、一緒に行くことは出来ない。
決して譲らぬ黒い瞳は、提案を飲むつもりが一切無いことを主張していた。
胸の奥に深く棘が刺さったような痛みに気付かぬふりをして、獪岳は背を向ける。

気に入らなかった。執拗に敵視してくる妓夫太郎も、その手に触れることすら全力で拒絶するも、何もかも気に入らない。

「・・・勝手にしろ」

吐き捨てるような台詞を残し、白い煙の中へとその姿が消える様子を、は最後まで注意深く見送った。
この決断に後悔は無い。ただ、漠然とした不安が渦巻くだけのことだ。未だ深い霧の中にいる様な心細さに小さく溜息をついた、その刹那。

駆け寄ってくる足音を耳が広い、は顔を上げた。
何故だろう、今度は音だけでも安心出来る相手だとわかってしまう。
耳を頼りに両腕を伸ばして間もなく、その小さな期待は現実のものとなった。

「・・・っ・・・!」

白い煙ごと強く抱き寄せられ、願った相手の登場に思わず感嘆の息が零れる。
彼の心音が乱れ、息が上がっていることを直に感じる。この不明瞭な視界の中を懸命に探してくれていたことは容易くわかり、は目を伏せて妓夫太郎に擦り寄った。
状況がどんなに不安なものであっても、共にいさえすればきっと大丈夫。何の根拠も無い自信を、不思議と信じることが出来た。
数秒も経たぬ内に妓夫太郎は抱擁を解き、今度は両肩を掴んで彼女の無事を確かめる。

「無事か?怪我は?」
「私は大丈夫・・・素山くんは?」
「詳しい話は後だが、ひとまず無事だ。行けるか?」
「うん・・・!」

この煙幕は何なのか、狛治は何処に身を潜めているのか、狩人はどうしたのか。様々な疑問はありながらも、彼の傍にいるだけでこんなにも心強い。
状況に不釣り合いなほどの温かな思いを胸に、は妓夫太郎に手を引かれて煙幕の中を駆け出した。



* * *



太陽光を遮る屋根の下に見知った顔を見つけ、の目が大きく見開かれる。

「しのぶさん・・・!甘露寺先輩・・・!」

心得た様に繋いだ手を放されたことを合図にが駆け出し、三人はお互いを安堵の表情で抱きしめ合った。

「ご無事で何よりです、さん」
ちゃん!会いたかったわぁー!!」
「甘露寺先輩、しぃー、ですよ。少し声を落としましょう」
「はっ・・・ご、ごめんなさい、しのぶちゃん」

穏やかな中にも冷静さを忘れないしのぶと、天真爛漫な蜜璃の声が耳に優しい。
恋人の抱擁とはまた違う柔らかさに思わず目を細めて笑うに、横から別の声がかかった。
大袈裟に両腕を広げ、天を仰ぐ様にして明るい色の髪が揺れている。

「立花妹、俺ともハグしとく?」
「・・・おい」
「冗談だよぉそんなことするわけないじゃんかぁ・・・!」

射殺さんばかりに向けられた鋭い視線に、飛び上がって弁解するのは勿論佐伯だ。
人一倍陽気な彼の存在が加わったことで、その場の空気が随分と明るくなるのを感じてが微笑む。

「佐伯くんも無事で良かった・・・」
「おう、サンキュな。合流出来て良かった」

親指を立てて笑う佐伯の表情は明るい。つられてが笑うのを横目に、妓夫太郎はしのぶを見遣った。
突然の発煙弾には驚かされたものだが、このクラスメイトが絡んでいたとわかれば不思議と納得してしまう。
状況的に大変助かったことは間違いないが、この彼女の頭脳明晰さは普通とは少し規格が違っていた。

「あの煙幕は、お前の仕業かぁ」
「余計なお世話でしたか?」
「そんなことないよ、しのぶさんのお蔭で助かったんだし・・・でもどうやって・・・」
「ふふ。準備さえしておけば、創意工夫で何とでもなるものですよ」

創意工夫で煙幕を即席に用意出来るものだろうか。

唖然としてしまうだったが、彼女と同行していたであろう蜜璃と佐伯も遠い目をしているため真相は藪の中なのだろう。は必要以上の詮索をすることを止めた。

ちゃん、妓夫太郎君も。幸太郎君と梅ちゃんのこと、間に合わなくてごめんなさい」
「そんな・・・甘露寺先輩が謝ること、無いです」

緊迫感を忘れる空気から一変、蜜璃の真剣な言葉にが首を横に振る。
どうしようも無いことだった。あの場にいた誰一人として、狩人の接近にも二人の確保にも気付くことが出来なかったのだから。

別格の相手との邂逅を思い起こし、一瞬場が静まり返った。
大勢のプレイヤーを一気に確保したのは残されたあの狩人であることは、疑い様の無い事実だ。
集団であるリスクを逆手にとり減らすことに成功した“鬼”は、最後の一人こそが最も厄介な強敵であるということを彼らは知ってしまった。

妓夫太郎に至っては、彼がかつて何者であったかということまで知っている。外見こそ当時と違い人間と同じくしているが、あの静かな威圧感を受けて人違いとは到底思えなかった。
一切探知出来ぬ間に背後に立たれたあの緊張感もまた、確信の後押しとなる。何の因果か、まさか同じ上弦の鬼の中でも最高位の存在と再び相見えることになるだなんて。
同じく参の数字を持っていた男と身近な友が繋がっていることには気付くことなく、妓夫太郎は奥歯を強く噛み締める。

「あの狩人、一人だけちょっとレベルが違うんだよなぁ」
「ちょっとどころの問題じゃない・・・次元が違う」

困り切ったような佐伯の呟きに応えたのは狛治だった。
同じ屋根の下にいながら周囲の警戒のため一人端に陣取り、たちには背を向けたまま腕を組んで立っている。

「上には上がいる。わかってはいたことだが、あんな感覚は滅多に無い」

真っ直ぐに伸びた背は相変わらず緊迫感を纏っていたが、ふと先ほどの回想に遠くをみつめるその後ろ姿から、一瞬警戒が薄れる。
圧倒的な強敵を前に、眉を険しく寄せつつも口の端を上げている狛治の表情が背後からでも読み取れる気さえする、そんな声色だった。
数の問題ではなく、状況はかなり不利なことに変わりはない筈だ。しかし、は今長年のクラスメイトを相手に問いかけずにはいられない。

「・・・素山くん、ちょっとわくわくしてる?」

その一言に、彼らしくも無くぎくりと肩を震わせて。
若干気まずそうに振り返るその表情は、隠しきれない高揚感を漂わせていた。

「まぁ・・・多少は」
「嘘つけよぉ、めっちゃワクワクしてんじゃん素山。あんな怖ぇの相手によくそんな感じでいられるよなぁ」
「強者との対峙は、自分のためにもなるからな」
「うえー、武闘家の精神強靭すぎんよー」

この状況下で心が躍るとは、流石としか言えず。全力で突っ込む佐伯を始めとして、女性陣三人も程好く肩の力を抜いて笑いあった。
そんな中浮かない顔をしている恋人の姿を捉え、はそっと近くへ寄って顔を見上げる。

「・・・妓夫太郎くん?」
「あいつも相当に厄介だが、もう一人厄介なのがうろついてんだろ」

腕に触れることで表情の険しさは幾分か和らぐが、根本的な解決には至らない。
獪岳のことを言っているのは明らかだった。白煙へ飲まれるように姿を消した背中を思い起こし、は密かに眉を下げる。
幸太郎の件もあり、姿を消した獪岳のことを妓夫太郎は今も尚警戒し続けているのだ。あの時手を振り払わなければ、その場に彼も残るよう説得出来ていれば、違っただろうか。
苛立ちの中に傷付いた様な目をしていた転入生を思い起こしたところで、は途中から合流した三人には何のことか話が通じないことに思い至る。

「・・・あの、しのぶさん、佐伯くんも。二年の稲玉くんって知ってる?」
「稲玉ぁ?」
「ああ、転入生の方ですね。クラスが違うのでお話したことは無いですが、変わった時期に入って来られたので覚えていますよ」
「そいつがどしたん?あ。残り一人ってそいつ?」

察し良く佐伯が言い当てた状況は、それほど楽観的なものでもない。何と説明すべきか口籠ってしまうに変わり、狛治と妓夫太郎が口を開いた。

「仲間に入れて欲しいとやって来たんだが、態度に若干問題ありでな。他にも色々あって拗れてしまった」
「若干どころの話じゃねぇ。あんな敵意丸出しの奴を近くに置いたのがそもそも間違いだったんだろうが。俺は立花のことも誤射じゃねぇと思ってるからなぁ。下手すりゃこいつらも狙われるぞ」
「え。なにそれどゆこと?」

不穏な単語に思わず佐伯が頬を引き攣らせたが、獪岳との間にトラブルがあったことはすんなり伝わった様だった。
一歩引いて話を聞いていた蜜璃が遠慮がちに手を上げたのは、そんな時のことだ。

「あの、もしかして、黒髪にツリ目で・・・先の細長いハンドガンの男の子・・・?」
「多分合ってると思いますけど・・・甘露寺先輩も知ってますか?」
「その・・・見間違いじゃなければ、私少し前に見かけたと思うの」

どう見ても妓夫太郎は獪岳をよく思っていない。それは蜜璃にもわかっていたことだったが、迷った末に彼女は見たままのことを告げる決意を固める。

ゲーム開始から中盤にかけてのことだった。誰とも合流出来ず物陰に潜み移動を繰り返していた蜜璃は、複数のいがみ合う声に身を固くした。

「彼がいたグループ、原因はわからないけど酷い喧嘩になっちゃったみたいで・・・禁止エリアの近くで言い争って、何人か超えちゃいけないラインを踏んで失格になって・・・それからは残った数人で撃ち合いになってたわ」

原因はどうあれ、プレイヤー同士で撃ちあいになるとは普通の状況ではない。
自身の理解がまるで追い付かない中、蜜璃は最後の一人となり駆けて行く少年の背中を見て感じたのだ。
ああ、哀しい、と。

「私、その時一人で、身を隠すのに精一杯で出ていけなかったんだけど・・・お友達同士であんなことになったら、気持ちが荒れちゃうのも・・・少し、わかるかもしれないわ」

蜜璃の同情的な声が、切なく響いた。
最終的な人数は少ない方が好都合故に、他の参加者を減らしているのではないか。極端にプレイヤーが減ったタイミングで現れ、不遜な態度を隠そうともしない獪岳に向かって妓夫太郎はそう告げた。その際に見せた獪岳の苛立ち、そして些細な動揺。妓夫太郎はそれを疑念の後押しと判断したが、今の蜜璃の話が正しければ別の理由があった可能性も考えられることになる。

真相がはっきりしない以上は警戒を解くことは出来ない。しかし僅かな戸惑いの色を滲ませる妓夫太郎の手を、の手がそっと包んだ。

「・・・妓夫太郎くん。稲玉くんのことは、そこまで警戒しなくて大丈夫だよ」
「お前な・・・」
「守ろうとしてくれてありがとう。でも、そんな気がするの」

あらゆる脅威から守ろうと、妓夫太郎が懸命になってくれていることはよくわかる。
しかし蜜璃の話と、白煙の中で匿おうとしてくれた姿が繋がった今、の中で獪岳に対する見方は変わりつつあった。

生まれ持った性格や価値観の違いはあれど、誤解や疲弊によってすれ違いが生じているだけなのだ。妓夫太郎に対して彼が行き過ぎた言葉の応戦をしたことも、気持ちの遣り場を無くした故のことかもしれず。少なくともはそう信じたいと願っているし、ただでさえ気の抜けない状況の中、これ以上妓夫太郎に負担を強いることは望まない。

「今はここにいる皆で、逃げ切ることだけ考えよう」

残る一人の狩人は桁違いに強敵なのだ。獪岳への警戒よりも逃げ切ることに集中すべきだと告げるの瞳は、気遣わし気で優しい。
そうすんなりと頷くことも難しいが、が負荷を減らそうと口にしていることも理解出来てしまい、妓夫太郎は重い溜息を吐いた。そもそも、彼女の言うことを撥ね付けられる筈が無いのだ。
納得は出来ないがひとまず呑み込む。そう妓夫太郎が言葉にしようとした直後、広場跡地の入口付近から何かの破裂音が響き渡った。

思わず身を固くするを妓夫太郎が背に庇う、その様子を横目にしのぶが自身の頬に手を当てる。

「おやおや、そんなに長くは待ってくれない様ですね」
「えっ・・・これ、しのぶさんが・・・?」
「胡蝶のトラップは凄ぇんだ、俺も何回も助けられてる」

佐伯が自慢気に片目を瞑って笑うが、そう悠長なことは言っていられないだろう。
今の音がしのぶの罠ということであれば、もう相手は近くまで来ていることになる。
警戒を強める妓夫太郎の脇を抜けるようにして、しのぶがにこやかに囁いた。

「大丈夫ですよ、謝花くん。相手が誰であれ、そう簡単には獲らせませんから」

これには思わず妓夫太郎も目で彼女を追ったが、それ以上のやり取りは叶わなかった。
蜜璃と佐伯はこの行動パターンを心得ている様で、手早く地図で合流の取り決めを交わし事を進めてしまう。

「最後尾は私が務めるわ。皆を誘導して、しのぶちゃん」
「ではお任せします、ご武運を」
「まかせてっ!!」

溌剌とした蜜璃の声を最後に、しのぶが先頭に立ち五人は駆けだすこととなった。
半ば引き摺られるような形で蜜璃を置き去りにしてしまったことに、が慌てた様に背後を振り返る。
あの狩人を相手に、彼女一人で足止めだなんて無茶に決まっている。

「っ甘露寺先輩・・・!」
「だいじょーぶだよ、立花妹」

しかしその不安は、佐伯の爽快な笑顔によって包み込まれてしまう。

「あのひと、すっげぇから」

その言葉から数秒後、五人の背後から地面が揺れるのではないかと思うほどの爆音が轟く。

「・・・ロケットランチャーか」

狛治の落ち着いた声に、と妓夫太郎が揃って戸惑いの表情を浮かべる。
その様が振り返らずともわかる様で、先頭を走るしのぶが可笑しそうに肩を揺らして笑った。







狩人:残1名 / プレイヤー:残7名
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