廃墟からの挑戦状 参



幸太郎はまずこの四人で集まれたなら、話し合うべきことが沢山あると考えていた。

禁止エリアを気にしつつ、身を潜める拠点はまめに移すこと。
廃墟の建物は身を隠すには都合の良い点も多いが、二階以上には決して長居をしないこと。
高所から様子を窺う必要に迫られた際は短時間で済ませ、かつ必ず階下の様子を探れる様に等間隔の見張りを全員で務めること。
真夏の日中に体力を温存するためにも、日陰を優先的に進むこと。

しかしこのゲームにまったく新しい可能性を見出してしまった今、それら全てを置いてでも話し合うべきことに彼は頭を悩ませていた。
勝率は恐らく相当に高い。問題は、妓夫太郎に負担がかかる点である。言い出すべきか、黙っておくべきか。ああでもないこうでもないと難しい顔をしている幸太郎に、三人が気付けない筈も無く。最終的に妓夫太郎から凄まれる形で幸太郎が吐露した作戦は、“やられる前にやれ”であった。

まさしく文字通り、狩人をこちらから制圧することで積極的に数を減らす案だ。先ほどの妓夫太郎との連携技を見た瞬間から、幸太郎の頭の中では鬼ごっこに対する禁じ手の様なこの策が一番に思えて仕方が無くなっていた。
プレイヤーが4人固まっている以上、複数の狩人に追われた際のリスクはどうあっても高くなる。妓夫太郎一人ならば逃げ切れるところだろうし、幸太郎は囮になる心積もりがあるが、と梅を守りながらの逃走劇は流石の彼も容易ではない筈だ。
ならば早い段階で、集団のリスクを逆に有効活用すべきだ、というのが幸太郎の主張だった。プレイヤーが一人でも多く、狩人たちが散らばっている間に、一人ずつ確実に制圧する。全員の動きを止めることが出来れば、自動的にゲームセットに持ち込める。

この立案に対し、最も負担がかかるであろう妓夫太郎の反応が気がかりな幸太郎であったが、張本人の返答はあっさりとしたものだった。

「良いんじゃねぇかぁ?逃げの一手よりかは面白ぇ」

先ほどは梅と幸太郎を守る為強引に割って入ったが、手応えとしてはなかなかに悪くは無かった。
考えてみれば、逃げ隠れすることが主流の鬼ごっこに、ルールとして認められた反撃法があるのならば積極的に攻めるべきだ。妓夫太郎は本心からそう考え、にやりと口端を上げて盛大に拳を鳴らす。狩られる側から狩る側に転じることが可能だとは、実に嬉しい発見だ。

さてどう調理してやろうかと穏やかでない目で笑う恋人を前に、が苦笑を浮かべる。一人目の流れを見る限り、恐らく誰が相手であっても彼の圧勝は確実だ。

「えっと、妓夫太郎くん。やり過ぎ注意ね」
「わーってる・・・まぁ、さっきの奴の手応え的には出力六割くらいで丁度良いかもなぁ」
「・・・全力ではなかったんですね、流石妓夫太郎殿」
「お兄ちゃんかっこいい!」

善は急げ、である。
妓夫太郎は珍しく意気揚々と腰を上げた。



* * *



朽ちかけた巨大な橋には一面蔦が張り巡らされており、とても人が渡りきれる代物では無さそうだった。
しかし見方を変えれば、容赦の無い真夏の太陽光を遮るにはうってつけの素材とも呼べる。元は川が通っていたのであろう橋の下は、大きな影に覆われて風通しの良い空間だった。
尤も、暑さからの解放は危険からの解放に直結しないのがこのゲームなのだけれども。

打ち捨てられた廃材の山の隙間から、と梅、そして幸太郎は身を低くして目の前の光景を見守っていた。の手にはピストルが握られており、いつでもトリガーを引ける様彼女は集中を切らさない。梅と幸太郎もまた、援護射撃には回らないものの周囲への警戒は怠らず注意深く身を屈めている。

そして残された妓夫太郎はと言えば、ようやく釣れた二人目の狩人を前にして構えの姿勢を取っていた。
恐らく、能力的にはそれほど一人目と差は無いだろう。実際に掴み合いにはならずとも対峙した時の緊迫感で相手の力量は大抵わかる。加えて、こちらを掴もうと突き出された腕を払った瞬間の衝撃具合で確信する。これならば、狛治の方が格段に強い。何かと競う機会の多い彼の研ぎ澄まされた気迫を思い起こし、迫る二撃目をかわし回し蹴りで応戦する。避けきれずに大きく後退した相手は大柄な割に出力六割の価値も無い様に思えてならず、妓夫太郎は物足りなさに舌打ちをした。

「おい・・・ちったぁ気合い入れろよなぁ」

その気怠い言動が相手のプライドを刺激したのか、瞬間圧の増した突きが確実に肩を掠めた。飛び退いたその先にも追撃が迫る感覚は危機感と愉快さのバランスが程良く取れているもので、そう来なくてはと妓夫太郎は口元を歪めて笑う。
腕を払った際の摩擦音が格段に重くなった。パワーは一人目よりあると目測を訂正し、両足をバネの様に使って屈み込むなり相手の脇をあっさりと抜ける。
スピードは大したことはない、背中がガラ空きだ。

「俺を相手に“鬼”ごっこかよ、笑えるよなぁ」

の援護を借りるまでも無い。至近距離から振り返りざまのヘッドセットを狙い撃とうとした、その時のことだった。

鋭く風を切る音と共に狩人の鼻先を下から裏拳が掠め、次の瞬間には巨体が弧を描き宙を舞っていた。
鮮やかな投げ技で狩人を沈め、涼しい顔をして見上げてくるのは当然のことながら見知った顔だ。

「・・・何か言ったか?」
「あぁ、気にすんなよなぁ、独り言だ」

身動きが取れずにもがく相手のヘッドセットを今度こそ妓夫太郎が撃ち抜き沈黙させると、狛治が探り当てた手錠を狩人の両手にかけ、瞬く間に事は済んだ。
いつの間に滑り込んで来たのやら、何とタイミングの良い登場か。脳裏に思い描いていた通りの見事な手捌きを目の当たりにし、感心に似た感情をひた隠しに妓夫太郎は顔を背けた。
一方、陰から狙撃の頃合いを見計らっていたを含め、梅と幸太郎も突然の共闘に驚きを隠せない。

「素山くんも合流しちゃった・・・」
「これは・・・ゲームセット、意外と早いかもしれませんね・・・」

唖然としている友人達の姿を認め、狛治は早速大体の状況を把握した。

「やられる前にやる・・・考えることは同じか」
「えっ、あの・・・狛治殿、お一人で実行されるおつもりだったんですか?」
「そうだが?」

幸太郎がこの作戦を立案した背景には、人数が多いことを逆手に取るということが前提条件としてあった。妓夫太郎は一人でも十分だと言い張るものの、少なくともの援護射撃であったり、複数の狩人に囲まれない様見張りも必要であるし、一人では厳し過ぎる計画と考えるのは自然なことである。
それを目の前の男は、至極当然の様に単独での実行予定でいたことを頷いて見せた。

「恋雪さんに活躍を誓った。これくらいは当然だろう」

優しく背中を押してくれた恋雪の思いに応える。
唯一絶対の行動原理に対し、静かに燃える狛治の言葉に迷いは無かった。
しかし、投げ技を決めるには両腕が空いている必要がある。見た限り、狛治の身体のどこにも銃を収めるホルスターらしき物は見当たらない。

「うん。素山くんらしいけど・・・銃は?」
「支給されたものが扱い辛くてな。一応持ち歩いてはいるが恐らく使わずに終わるだろう。そこの裏に隠してある」

単独な上にペイント弾を使う気さえ無いとは恐れ入る。確かに狛治の投げ技を持ってすれば不要な反撃手段かもしれないが、それにしても頼もしいが過ぎるといったものだ。と幸太郎は同時に苦笑を浮かべ、指し示された瓦礫の裏側に目を向けた。

「うわぁ」
「・・・スナイパーライフル、ですね」

細いが重厚さのある長物は、瓦礫の影で奇妙な存在感を放っている。遠距離から不意を衝く一撃必殺には有効な銃だ。しかし、正々堂々力技で捻じ伏せることを体現した様な彼には確かに不似合いな武器でもある。
と目が合うと、狛治は小さく肩をすくめて苦笑を浮かべて見せた。

「逃げ隠れは性に合わないんでな」

珍しく意見が合った。
しかし、妓夫太郎がそれを口にすることは無かった。
* * *



三人目の狩人は、若干気の毒になる様な短時間で沈黙した。まさに、瞬殺であった。

何しろ狛治の気迫が凄いのだ。対峙して構えただけで相手を怯ませる圧は、武道の道を究めた者のそれに違いない。
高校生相手に大人が防戦一方になるのも無理は無い不利な状況下、背後から妓夫太郎が飛び掛かってきてはどうしようも無いだろう。体格差など物ともせず繰り出される素早い足払いに、正面からは容赦の無い突きが繰り出され、見る見る内に狩人は劣勢に追い込まれていく。

学内では体育絡みで競い合う二人であるが、同じ敵を相手に共闘となるとここまで無敵とは。このゲームのことを知らせてくれた彼ならきっとこの光景を見たがっただろう。何とか赤点を回避したお調子者の同級生を思い、は思わず緊張感を忘れて小さく笑ってしまう。
勿論、何も彼ら狩人たちを無駄に痛めつけるような気は一切無い。猛攻に堪らず両腕が開いた瞬間を逃さず、のペイント弾が急所の胸部センサーを打ち抜いた。
手錠の収納箇所は共通してスーツの内ポケットらしい。今回も手早く拘束して制圧は完了した。

「二人とも、お疲れ様」
「立花もなかなかやるな、狙撃の腕も良いとは驚いた」
「ありがと。でも援護が無いと厳しいかなぁ・・・」

夏雲と青空のコントラストが眩しく広がる廃墟の都市は、スタート当初の緊張感が薄れて非日常の高揚感を齎してくれる。一人きりではなく心強い仲間が傍におり、敵の数も順調に減らせていることが大きく影響してのことだった。
鬼ごっこで鬼を逆に狩って回ることになるとは、始まるまでは考えもしなかったことだけれど。これもまた滅多に無い経験には違いなく、全員揃いの恰好で汗をかいていることすら今は楽しげに感じる。

「残りは・・・二人かぁ。全員訓練されてるって話だったが、大したこと無ぇなぁ」
「ふふっ!!さすがお兄ちゃん!一人残らずやっつけて!」
「おぉ、任せろぉ」

梅の歓声をうけて妓夫太郎が得意気に肩を回した、その時だった。
禁止エリアを確認するために端末へ目を落とした幸太郎の表情が強張る。

「・・・えっ」

明確な動揺と焦り。それらが色濃く表れた一言は、ほぼ勝ちを確信していた彼らにとって想定外の響きだった。
一人硬い顔をしている幸太郎を案じ、思わず梅が傍に駆け寄る。突如として、その場の空気が変わった。

「先生?」
「あの・・・皆さん、端末を・・・」

歯切れの悪いその言葉を受け、各々自身の手元を覗き込む。
主催側から支給された決して大きくはない画面には、現時点での禁止エリアが明示されていた。それ以外に特別な案内は来ていない。尚も顔色の優れない幸太郎の様子に不安を抱き、画面をスクロールする。
ほぼ同じタイミングで視界に入った数値に、誰もが自身の目を疑った。

「プレイヤーが・・・残り、9人?」

がそれを読み上げた後、瞬間その場が静まり返る。沈黙の重さは、その状況が異常であることの証明だった。
全30名でスタートしたプレイヤーの数が、急激に9人にまで減っている。
少なくともと妓夫太郎、梅と幸太郎が合流した時点では残り29名だった筈なのだ。あれからそう長い時間は経過していない、そんな中20人も減るのはどう考えても不自然だった。

「・・・どういうこと?だって、お兄ちゃん達だけで狩人3人潰してるのよ?」

梅の疑問は尤もなものだった。
ある意味ゲームを裏から崩そうと、鬼役をこちらから3人狩っているため、計算上では短時間の間に20人を牢屋送りにしているのはたった2人の狩人ということになってしまう。
確かに妓夫太郎と狛治は集まった30人の中では圧倒的に強い部類だろう、彼らの様に容易に狩人相手に立ち回れる学生はそう多くはいない。しかしそれにしてもこの減り方は異常だ。
は残り9名と表示されたデータの詳細を開いた。誰が残っているかは表示されないが、捕まったプレイヤーの名簿はその理由と共に開示されている。5名が禁止エリアへの踏み込み、その他は全て捕獲により牢へ入れられている様だった。

「捕まってる名簿には、佐伯くんの名前は無いね。あとは・・・しのぶさんと、甘露寺先輩の名前も無い」

船着き場で別れて以来行方が知れない三人の無事がわかっても、の表情は晴れない。見通しの明るい状況から一変、得体の知れない不安が音も無く忍び寄って来る様な心地に息を呑んだ。自分たちの知らない所で確実に良くない何かが起きている。その確信を胸に、は顔を上げた。

「妓夫太郎くん、素山くん、残り2人も先手を打つなら慎重に行こう」
「あぁ。油断はしない」

即答した狛治の表情は楽観的なものでは無かったが、普段通りの落ち着きを宿していた。
妓夫太郎にも念を押そうと振り返ったその直後、すぐ傍まで来ていた彼の手が頭に乗せられる感覚には目を丸くする。
大きなその手は優しく、そして青い瞳は頼もしくこちらを真っ直ぐに見つめている。彼へ寄せる全幅の信頼は、生まれるよりずっと前から薄れることの無いものだ。

「・・・任せろ」
「うん・・・頑張って」

まだ見ぬ脅威は未だ不明瞭で、不安なことには変わりない。けれど、妓夫太郎が任せろと言うのなら信じることが出来る。は薄く口元を緩めて彼を見上げた。
狛治と妓夫太郎は残り2人の狩人に対し警戒を強め、もまた気持ちを新たに慎重さを深めている。動揺してばかりではいられないと気を引き締めた幸太郎は、不意に隣で俯く梅の異変に気付いた。
例えどんな危機的状況であったとしても、眉を顰めて考え込むようなその表情を放っておくことは出来ない。

「・・・何か、気になることがありますか?」

隣にいるからこそ聞こえる程度の、細やかな問いかけだった。穏やかな瞳に見下ろされ、梅は幸太郎のシャツの裾を握り、考えを上手く言葉に纏めようと懸命に頭を働かせる。

あの時のけたたましい電子音と、不気味な赤い点滅が頭から離れない。
そう、この白いシャツだ。
最初に確保されたプレイヤーの白い背中にべったりと刻み込まれていた、あの光と同じ赤い印。
あれは、つまり。

「・・・あの、ね」

その言葉は、細かいコンクリートの破片が転がる音によって途絶えた。

即座にライフルを構えた妓夫太郎が前に飛び出し、音がした方向へ厳しい視線を送る。

、梅、下がれ」

硬い言葉に従う様に幸太郎が梅を庇い、更に二人の前にはが姿勢を低くしたままピストルを構えた。開けた場所のため他の方角には狛治が気を配り、隙の少ない防衛網が完全する。
妓夫太郎が狙いを定めた真正面の物陰から、両手を上げた人影がゆっくりと姿を現した。

「っ撃つな・・・狩人じゃない」

規定の白いTシャツに迷彩柄のカーゴパンツ姿は、プレイヤーであることの証だった。
しかし妓夫太郎は、構えたライフルを降ろさない。一切の警戒を解くことなく、目の前の男を鋭く睨み付けた。

「それ以上、近付くな」
「おい。どう見てもお前らと同じプレイヤーだろ」
「見りゃあわかる。だが、俺はお前を知らねぇからなぁ」

残りのプレイヤーは9人。ここにいる5人と佐伯、しのぶ、蜜璃。そして目の前の男が最後の1人であることは理解出来ている。
しかし、信用出来るかどうかは別問題だ。

「失せろ、信用出来ねぇ奴は敵と同じだ。こいつらに近付くんじゃねぇ」

ゲームであろうが無かろうが、得体の知れない存在は決してや梅には近付けさせない。強固な意志をもって拒絶する妓夫太郎の態度に、その男は苛立たしげに眉を顰めた。
空気が鋭く張り詰める中、次に口を開いたのは狛治だった。

「まぁ、それは極論だが・・・確かに、俺もお前の顔を見たことが無い。学年と名を名乗れ」

妓夫太郎がここまで過剰に目の前の男を拒絶する理由。それは相手が同じ高等部の生徒でありながら初対面なことであり、中学から学園に在籍している狛治もまた、この男の顔を知らない。
警戒を解かれないことには理由があると突きつけられ、その男は心底面倒だと言わんばかりに溜息を吐き、険しい顔で腕を組んだ。

「―――二年、稲玉獪岳。転入生だ」









狩人:残2名 / プレイヤー:残9名

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