二人の兄と妹について 弐・伍



「どうかなぁ?」
「・・・軸は悪く無ぇな。あとは奥行きだなぁ」

四角いガラスケースを前に、が険しい顔をして中腰になっている。同じく屈んで中身を見据える妓夫太郎との距離がかなり近いことも、今だけはまるで気にならない程に彼女は真剣だった。

12月24日の今日、当然のことながらクリスマスソングの流れる店内で、二人はとあるクレーンゲームの前で暫く足を止めている。
狙いは大変に愛らしい猫のぬいぐるみだった。実物は子供でも片手で抱えられる程度の大きさではあるが、プライズの景品としては少々難有りの造りかもしれず。何が何でも欲しいという明確な決意を持ってアームを操作するだったが、決め手となる二回目のボタンを押すことを躊躇してしまう。

「んんん自信無い・・・妓夫太郎くん、横から見ててくれないかな?ストップって言ってくれたら止めるから」
「おい、責任重大じゃねぇかよ・・・」

この際限度はあれど何回か挑戦する気ではいるものの、出来ればスマートに決めてしまいたいのだ。
真剣一色な表情でからその様に頼み込まれてしまっては、妓夫太郎に残された選択肢は承諾以外に無い。しょうがないと溜息を吐きながらも、依頼通りに側面へと移動して狙いの猫を睨み付けた。
ガラス越しに目配せを感じ、の指が緊張と共に奥へと進むボタンを押す。ゆっくりと進むアーム、他の景品に埋もれる猫、そしてガラス越しの鋭い眼光。

「・・・止めろ」
「っ!!」

早過ぎず遅過ぎず、絶妙なタイミングでの指がボタンから離れた。果たしてどの程度の強度か未知数のアームが、猫を目掛けて降りていく様子に思わず息を呑む。もっと深く刺さってくれれば良いものを微妙な高さで降下をやめたアームがその腕を狭め、そして。見事首を引っ掛けられた猫のボディが、宙へと持ち上がった。

「・・・っ・・・!!」

これには妓夫太郎も小さく目を見張る程だったので、は最早声にならない叫びと共に両手を握り締め飛び上がった。
早く出口へと落として安心させて欲しいものだが、ゆっくりとした動きがもどかしい。祈る様な思いで見守っていたの目の前、あと一息。

穴の手前で頭が飛び出ていた他のぬいぐるみが障害になるだなんて、考えもしなかった。大した大きさも無いであろうそれは、何故か強固な壁となり猫とアームの繋がりを断ち切ってしまう。ぼて、という効果音が相応しい様な有様で、猫は出口付近に転がった。

「あぁー!!そ、そんな・・・」
「チッ・・・せこい配置しやがるなぁ・・・」

なまじ期待したばかりに、の落胆は一目瞭然だった。見落としていたと言えばそれまでだが、この出口付近の壁は意図的なものかもしれず。妓夫太郎は小さな舌打ちと共に正面へと回り込み、眉間の皺を深めた。たかがクレーンゲームであるが、が懸命になっている以上は捨て置けない。

、退いてろ」
「・・・!!妓夫太郎くん、助けてくれるの・・・?!」

肩を落としていた状態から一変、期待に満ちた瞳がキラキラと輝きこちらを見上げてくる図は、何度見ても嬉しいものだ。些細なことからどんな困難なことまでも、が頼ってくれるならば何でも出来る。
表向きは涼しい顔をしつつも、マフラーの下で緩む口元はどうしようも無い。

「・・・何とかしてやるから、黙って見てろよなぁ」
「うんっ!頑張って!!」

さて、どうしてくれようか。
忌々しいクレーンゲームを前に、妓夫太郎は腕を組んでありったけの考えを巡らせた。



* * *



結論、そこから通算三度目の挑戦で願いは成就した。
邪魔な障壁を強引にずらすことに二回を費やしてしまったが、読みは正しかった様で三回目にしてすんなりと猫は出口の穴へと落ちた。
目当ての景品を取り出し、喜びに飛び上がるの目が妓夫太郎を捉える。

「っやった・・・!!やった!!ありがとう妓夫太郎くん!!」

思わずといった様子で飛び込んでくる華奢な身体を正面から受け止め、妓夫太郎は堪らず苦笑を浮かべてその背を軽く撫でた。まったく。どうしてこうもいちいち可愛いのか。
ぼんやりと彼女を見遣る男性の一人客を鋭く睨むことで蹴散らし、内心では重苦しい溜息を吐きながらもには悟られない様髪を柔らかく梳いた。
恋人達の溢れ返る今夜は、良からぬ男もまた普段以上に多い。大切な存在はこの手でしっかりと守らなければ。そうした決意と共に額にマフラー越しの口付けを贈れば、がくすぐったそうに身を捩った。

「・・・良かったなぁ」
「うん!!梅ちゃん、これ・・・!!」

意気揚々とが振り返った先に、見知った顔はいなかった。

「・・・」

さて、何故がここまでクレーンゲームに躍起になっていたのか。何故、ひとつのぬいぐるみを獲ることにここまで執念を燃やしていたのか。
それらは全て、可愛い妹の様な存在からの願いを叶える為に他ならない。

の腕に収まっている愛らしい猫のぬいぐるみは、元はと言えば梅が欲しいと言い出したものである。結果として妓夫太郎に助けられる形にはなったが、望みが叶ったことを報告すべき相手がいない。
しかし、黙りはしても慌てる様子の無いを見下ろし、妓夫太郎は素直に思ったことを口にする。

「・・・ここまでは、お前の筋書き通りかぁ?」

一拍の間を置いて、が浮かべた苦笑が答えだった。
今日は例によって四人で行動していたのだ。当初は後ろで様子を見守っていた筈の梅、そして幸太郎の姿が今は無い。
と妓夫太郎が二人で何かに注意を向ければ、恐らく梅は幸太郎を伴い姿を消すのではないか。妓夫太郎の言う様に、これは予めの頭の中で予測された筋書き通りの展開だった。

「えっと・・・ざっくりだけど」
「・・・連絡は来てんのかぁ?」
「ちょっと待って?・・・あ。来てる。デート楽しんで、帰りに入口で待ち合わせね・・・だって」

遠い昔と違う点は、今は離れた場所でも容易に連絡が取り合えることだ。はこっそりと返信を打ち、傍らに立つ恋人を見上げる。

「・・・心配?」
「・・・」

梅と幸太郎に、二人の時間を作ってあげたい。それはから妓夫太郎に明かしていた思いであり、了承も得ていたことだった。
しかし梅の兄である彼にしてみれば複雑な気持ちもあるだろう、無理を強いてしまっただろうかとは小さな不安と共に妓夫太郎を見上げる。
気遣わし気な視線を受け、妓夫太郎の手がの頭へと乗せられた。

「・・・俺の考えは変わってねぇからなぁ」

ぽん、ぽんと優しく動く指先は、妹にそうする時の仕草に似ていた。
梅と幸太郎の間に何かがあり、少なくとも妹の方は彼を大層気にしていることはわかっていて。の言う通り、一度二人だけで話をした方が良いということは妓夫太郎も納得した上での決断だった。

心配かどうかと問われれば心配だ。妹なのだから、相手が誰であろうとどうしたって心配だ。しかしそれは妓夫太郎の兄としての気持ちであり、優先すべきは妹の気持ちである。昔からその一点は変わることの無い考えだ。

「梅が喜ぶなら、それで良い」
「妓夫太郎くん・・・」
「それに、立花の奴は・・・」

その名の通り、幸せに約束された男だ。そう口にしかけ、妓夫太郎は口を閉ざした。幸太郎に関してそう感じていることに今も昔も嘘は無い。彼は妓夫太郎の目から見ても明らかな賢さと誠実さをもって、その身に自然と幸福が集まる様な男だ。その見込みに恐らく間違いは無いだろう。

しかし、妓夫太郎は知っている。生まれ持った名の意味は決して文字通りではなく、特別な誰かが傍にいることでどんな意味にも上書きができること。の傍にいることが叶っている今、妓夫太郎もまた幸せなのだから。

「・・・いや、何でも無ぇ」
「え?お兄ちゃんの妹としては今のすごく気になるんだけど・・・」
「うるせ。行くぞ」

の手を取り、妓夫太郎は歩き出す。
二人の関係がどうなろうと、幸太郎は梅を悲しませることはしない筈だ。

今夜成すべきことは、の笑顔が曇らぬ様大切に守ること。上着の内ポケットに入った物をいつ渡そうかと、妓夫太郎は素知らぬ顔で白い息を吐いた。


* * *



デートを楽しんで欲しいと送ったメッセージに対して、驚いたスタンプと共に感謝を告げる返信が返ってきたことに、梅は表情を緩めた。

猫のぬいぐるみが欲しいと告げた時の、の真剣な様子。そして彼女の横に並び、取り方について一緒に考える兄の姿。後ろ姿だけでも二人が並ぶ姿を好きだと思うのは昔から変わらないが、最近は特に強くそう感じる。
記憶も何もかもを取り戻し、ようやく先の不安の無い幸せを手にしたためだろうか。以前にも増して優しい雰囲気になった兄のことも、そんな兄の傍で微笑むのことも、梅は堪らなく好きなのだ。いつまでも見つめていたいような気持ちを押し込め、こっそりとその場を後にする計画を、幸太郎は躊躇う事なく承諾してくれた。

今夜四人で訪れたのは大きな複合型のレジャー施設だ。広い敷地内にはゲームセンターもあれば遊園地もショッピングモールも一通り揃っている。気を付けていれば恐らく鉢合わせることは無く、兄とはきっと二人きりの時間を楽しんでくれる筈だ。イルミネーションに彩られた風景を見渡したところで、隣を歩いていた幸太郎がしみじみと呟いた。

「何だか懐かしいですね」
「え?」
「梅殿は以前もこうして、と妓夫太郎殿のことを気遣って二人の時間を作ろうとしておられました」

思い返すのは当然、遊郭で唯一参加したおもて祭の一夜である。あの夜もと妓夫太郎を二人にしようと言い出したのは梅で、幸太郎は当時戸惑いながらも彼女の優しさに応えた。
兄の傍にいたい気持ちと二人の幸せを願う気持ちに揺れる健気な姿、そして幼い彼女が何故遊女見習いに名乗りを上げたのか。二人で話すことで改めて梅に対する理解を深められた、幸太郎にとっても思い出深い夜の出来事だ。似た様な状況を懐かしむようにその瞳が細められ、穏やかな笑顔が梅に向けられる。

の兄として、今回は私からもお礼を言わせて下さい。梅殿の優しさに、きっとも感謝していると思います」
「・・・べ、別に。これくらい当然よ」

強がることには当然理由がある。
と妓夫太郎を二人にしてあげたかった、その気持ちに嘘は無いけれど。果たしてその裏にあった下心がどの程度強かったかまでは、梅自身も把握しきれていないのだから。狙い通りに付いて来させた相手から真っ直ぐに感謝されてしまっては、何も言えなくなってしまう。多少の気まずさと嬉しさの間で白い息を吐く梅に向けられるのは、やはり優しい笑顔だった。

「さて。では梅殿、どこへ行きたいですか?」
「・・・付き合ってくれるの?」
「勿論です」

正直、ほんの少し期待はしていた。けれど改めて幸太郎を独占出来るという権利をクリスマスの今夜明示され、梅は鼓動の高鳴りを感じずにはいられない。

誰にも渡したくない。その気持ちが日毎に強まる中で、特別な夜に隣にいられることはどう考えても大きなチャンスだ。
そんな梅の内心とは裏腹に、幸太郎の表情が眉を下げた苦笑に変わる。昨年末はすべてを勉強に捧げた彼らにとって、今年のクリスマスはある意味特別なのだ。

「二年分のクリスマスを楽しむ相方としては、私では力不足かもしれませんが・・・」
「そんなことないっ!!!」

思いの外大きな声が出てしまい、梅は一瞬の間をおいてはっと息を呑んだ。傍にいられることを、独占出来ることを嬉しく思っていた矢先、本人から力不足だなんて言われてしまって動揺したのだ。何が不足なものか、幸太郎は二年分のクリスマスを楽しむにあたり梅にとっては唯一最高のパートナーなのだから。それにしても力の限りの否定をしてしまったことが気恥ずかしく、思わず梅は俯いてしまう。

「あっ、その・・・」
「ありがとうございます、梅殿。精一杯、お供します」

幸太郎の存在はまるで魔法だ。
優しく温かな声でそう言われれば、自然と顔が上がる。
穏やかな笑顔と目が合えば、心が落ち着く。
梅はひとつ息を吸い、思い切って一歩前へと踏み込んだ。

「・・・逸れない様に、手、繋いで」
「喜んで」

躊躇うことなく差し出される手の温かさに、怯んでばかりではいられない。
決して譲れぬ存在を知ってしまった今、後戻りは出来ない。
少女は今宵、ひとつの決意を強く固めた。


 Top