二人の兄と妹について 弐
まるで大したことはしていない様な涼しい顔をして。それでいて、内心はどんな感想が出てくるか気が気ではなく。
緊張をひた隠しに足を組む梅の隣で、
の瞳が歓喜に見開かれた。
彼女の手には今、梅が今朝作ったフルーツサンドが握られている。
「梅ちゃん、これすっ・・・ごい美味しい!!」
姉と慕う彼女が、梅に対して特別甘いことは承知している。梅が作ったと差し出すものならば、例え失敗作でも
は美味しいと平らげるだろうこともわかっている。しかし、今回は疑い様もなく大成功であると
の瞳が物語っていることもわかる。
飛び上がって喜びたい程の本心を抑え、梅はサラリと美しい髪を掻き上げた。
「ふふ、そーお?」
「美味しい、見た目も綺麗なのにこんなに美味しい!お店出せるんじゃないかな!」
「ちょっと、お姉ちゃん褒め過ぎ。別にこれくらいどうってことないわ」
文字通り手放しに褒め称えてくれる
の笑顔は、温かく梅を包み込んでしまう。強がりを一枚一枚優しく剥がされていくような感覚がくすぐったい。椅子ごと
の方へと更に近付き、小さな声で梅は囁いた。
「・・・でも、ありがと」
瞬間きょとんとした末に、優しく頭を撫でてくれる
が好きだ。
昔から変わることの無い無条件の愛情に、梅は口元を緩めた。
昼時のカフェテリアは混雑しているものだが、角に位置する丸テーブルをしっかりと押さえて梅と
は隣り合って座っている。残り二人の到着が待ち遠しいと言わんばかりに、
は梅の持参したバスケットを抱え込んだ。
「んん、早く妓夫太郎くんとお兄ちゃん来ないかな。二個目食べたいんだけどな・・・」
「呼びましたか?」
聞き間違えることの無い声に、一瞬肩が揺れかけた。
が隣にいる手前それを何とか堪え、梅は心を鎮めようとひとつ小さく呼吸をする。
そっと視線を上げると、やはりこちらへ向かってくる幸太郎がおり、その数歩後ろには兄の姿もあった。来るべき時が来たと落ち着かない心地で、梅は自身にしっかりしろと渇を入れる。
「呼んだよー!早く早く!じゃないと二人の分も私食べちゃうかもしれないよ」
「
がそこまで言うのはなかなか・・・え、これはもしや梅殿が?」
心音が否応なしに高鳴る。
バスケットの中身を覗き込んだ幸太郎は、驚きと同時に嬉しそうな顔をしていた。誰のために作ったのかと言えばそれは勿論
も含まれるが、最も反応が気になる相手は別にいる。
ずいと目の前まで差し出したい本心を押し殺し、梅は冷静を装って視線を逸らした。
「そうだけど。先生も食べたいなら食べれば?」
「ありがとうございます、いただきます!」
幸太郎が声を弾ませて梅の隣の席に掛けたその時。
正面にあたる空いた席についた兄へ、余計なことを言わない様根回しを忘れていたことに、梅はようやく思い至った。
「・・・あぁ、今朝大騒ぎしてたヤツだなぁ」
「ちょっ・・・お兄ちゃん!!」
慌ててその声を遮ろうとするも、時既に遅し。
出来れば隠しておきたかった奮闘話を曝され、梅は拳を震わせて兄へと猛抗議する。
しかし、何を隠す必要があるのかといった顔の妓夫太郎は、小首を傾げるばかりである。
「良いじゃねぇか別に・・・頑張った甲斐あったんだろぉ?」
妓夫太郎は、梅が今朝四苦八苦しながらも懸命に奮闘していたことを知っている。妹が努力していたことを知っている。
そしてそれが実ったことは、既に
の様子から察することが出来る。ならばそれが一番ではないかと、妹相手に諭すような兄の表情は優しいもので。梅は小さく頬を膨らませながらも、この成果を見せたかった兄妹へと向き直った。
この様なことは簡単だったと、何の手間もかかっていないと見栄をはりたいところだったのだけれど。今となっては仕方なく、梅は気恥ずかしそうに目線を逸らして頬を染めた。
「その、最初は上手に切れなくて・・・本当は何回か、失敗したの」
上手くいかず大きな声を上げる度、様子を見に来てくれる兄をキッチンから追い返した。何とかしてと普段なら迷わず飛びつく助けを、今日は自ら頑なに断り続けた。それ故上手くいかなかったことも事実で、梅と妓夫太郎は朝食も型崩れした同じ物を食べている。
梅は気まずそうに眼を泳がせているが、彼女の頑張りを明かされて
と幸太郎が喜ばない筈もない。
「・・・ありがとうね、梅ちゃん」
「頑張って下さったんですね、有難くいただきます」
失敗を無かったことにしようとする強がりも含めて、彼女のことが愛おしい。
の慈しむような優しい抱擁を横から受け、梅は堪えきれず緩やかに口端を上げた。
そんな二人を見遣り、幸太郎は綺麗な色合いのフルーツサンドに手を伸ばす。梅が朝から一生懸命に準備してくれたものだ、喜んでいただきたい。
「・・・美味しい」
一口齧ったその直後、零れ出た声色は驚きと感心に満ちていた。
はっとした様な梅の瞳と真っ直ぐに目が合い、幸太郎は思わず笑顔で何度も頷いて見せる。それを受け、
が梅を横抱きにしたまま嬉しそうに同意を重ねた。
「だよね?すごく美味しいよね?」
「本当にとても美味しいです、梅殿はお店が開けるのでは・・・」
だけではなく、一番反応が気になった人からもここまで褒められて嬉しくない筈が無い。梅は若干落ち着かない様子で足を組み替えながら、指先で自身の髪を絡めるように遊ぶ。
その表情は隠し切れない喜びに満ち溢れていた。
「もう、兄妹で同じこと言ってる・・・二人とも褒め過ぎ」
些細なことではあるが、褒めて貰えたことが嬉しくて堪らない。何しろこの反応を期待して、朝からひとりきりで奮闘したのだから。
そうして頬を緩める妹の頭の上へと、小さなテーブルを乗り出すようにして妓夫太郎の大きな手が乗せられる。数秒で離れたものの、兄の手は梅の頑張りを優しく讃えてくれた。
「良かったなぁ」
「・・・うん」
ほんの先ほどまで頬を膨らませていたことも忘れ、梅は兄へと笑いかけた。
そんな時のことである。
ここからは若干距離のあるカフェテリアの入口付近にいた女生徒が、幸太郎の姿を見つけて手を振る瞬間を、梅の瞳は捉えてしまった。
制服は高等部のものだ、幸太郎と同学年か先輩か。梅にその判別は出来なかったが、親しげな笑みが酷く癇に障る。
同時に、例え様も無い恐怖に見舞われた。
否応なしに思い出してしまう、つい先日の出来事。
出来ることなら居合わせたくはなかった、昼休みの中庭。
幸太郎が自分の傍にいてくれるのはいつまでなのか、考えたくもなかった恐怖。
「立花くーん、ちょっといいかな」
「はい?」
行かせたくない。
行っては駄目だ。
―――駄目だ。
「・・・梅殿?」
幸太郎の声に、はっとする。
無意識に彼の腕を掴んでいた自身の手を目にし、梅は驚きに目を見開いた。
呼びかけに対し立ち上がりかけていた彼の手を掴み、これではまるで引き留めているかの様ではないか。脳裏に様々な負の感情が入り乱れ、梅は勢いよくその手を離した。
「・・・っ・・・何でもない」
幸太郎の顔が見られない。
にも、兄にも、今の顔を見せられない。
心臓の鼓動が耳に直接響くような動揺に、俯いて唇を噛んだ、その時。
「すみません、緊急でなければ後でお聞きしても良いですか?」
穏やかな声が、相手を後回しにしようとしている。
その現実に、梅は息を呑んだ。
「おっけー、日直当番の相談なんだ。都合良い時声かけてー」
「わかりました、また後程」
今の話を聞く限り、恐らく相手はクラスメイトなのだろう。結果として、梅が恐れていた呼び出しではなかった。
しかし彼は今何の問答も無しに、彼女よりも梅を優先したのだ。
何事も無かったかのように再度椅子へと掛けた幸太郎の様子を、恐る恐る覗き見る。
「・・・先生」
「急ぐ話ではない様なので」
彼は普段通り、穏やかに微笑んでいる。
梅が腕を掴んだことに触れるでもなく、ただその場に残ってくれた。
理由も聞かず、真意を確かめることも必要としない。
ただ、にこやかな笑みを浮かべたまま梅の隣にいてくれる。
「梅殿、もうひとついただいても良いですか?」
美味しいと笑って次を望んでくれる、その優しげな笑顔が。
「・・・す、好きにすれば」
堪らなく、好きなのだ。
彼の一番で在りたい、誰にも渡したくない。
動揺と安堵の狭間で、梅は幸太郎から目を逸らす。
と妓夫太郎が、そんな二人を見遣り静かに目を交わし合った。