或る雪の日のあとに



大人の手の平程の大きさの雪玉が、上下に二つ。柊の実が二つ目になり、大きな葉が口になり、細い木の棒が二本で腕になり、仕上げに桃色の花をちょこんと簪代わりに飾り付ければ、梅の力作雪だるまの完成だ。先日の大雪の日を境に降雪量に差はあれど何日か雪の日が続いたため、こうした雪遊びも捗るといったもので。

「梅ちゃん上手ー!すごいねぇ!」

出来栄えも素晴らしければ、作っている最中の梅の可愛さも素晴らしかった。そんな愛ある意味もこめてが盛大な拍手を送った。近くで見守る妓夫太郎もそこに続き、ほど強くはなくとも妹に拍手を送る。

「・・・梅ちゃん?」

しかし、こんな時は決まってふふんと胸を張る筈の梅が今日はやけに静かだ。これは一体どうしたことか。は梅の正面に屈み込み、愛らしい顔にそっと手を添えた。熱は無い、具合が悪い訳では無さそうだが、明らかに元気が無い。心配そうに顔を寄せるの目を見て、梅は眉を下げた。

「おねえちゃん」
「ん?なあに?」
「・・・うめとおにいちゃんのこと、すき?」

いかにも深刻な悩みのように、言い辛そうに言い淀むものだから。は呆気に取られたように一時固まってしまう。静まり返る雪原に、妓夫太郎が溜息を吐く音がやけにはっきりと響いた。

「・・・おい、梅ぇ」
「勿論だよ!梅ちゃんも妓夫太郎くんも大好きよ?」
「・・・」

妓夫太郎としてはを困らせるなと助け舟を出すつもりでいたが、当の本人からはまるで心配はいらないと言わんばかりに力強い返答が飛び出した。そうやって、自然な流れで妓夫太郎の名前も組み込むのは如何なものか。妓夫太郎は何とも言えぬ表情で頭を掻く。しかし梅からの質問が二人分だったのだから仕方が無い。

「ほんとに?」
「本当だよ、本っ当に大好き。二人がいてくれるから、私は今日も元気なんだよ」

一瞬返答が遅れたのは、あまりに当然過ぎることを改めて聞かれたからだ。はいつも通りにこやかにそう答えた後、少し身を乗り出して梅の額に優しく口付ける。ここまですれば梅の気も晴れるというもの、ぱあっと瞳を輝かせ、に抱き着いた。

「ん!うめもおねえちゃんがだいすき!」




* * *



そんなやり取りがあったのは、昼前のこと。午後の昼寝で無防備な寝顔を晒す梅に、柔らかな頬をつんと人差し指で触りが和む。当たり前の質問を当たり前に答えたつもりだったけれど、一体何がこの小さな天使を悩ませていたのかは甚だ疑問だ。

「どうしたんだろうねぇ。勿論何回聞かれても大好きって答えるけど、何かあったのかな」

不思議そうに梅の髪を柔らかく触るの姿は、疑いようも無く慈しみに溢れている。梅は彼女に大層愛されている、それは間違いない話だが、妓夫太郎は梅がここのところ不安そうにしている理由も知っている。言うべきか言うまいか、少し考えた末に腹を括った。

「・・・碓氷のこと、気にしてんだよ」
「碓氷さん?あぁ、確かにこの前はずっとそっぽ向いてたね、知らない人だし怖かったのかな」

碓氷。先日知り合った奉行所雇われの一団の長である青年は、そう名乗った。妓夫太郎の必死の拒否抵抗も空しく、子供は大人しく送られなさいとあの夜碓氷はこの家に来たのだ。梅は約束通り戸を閉ざし長い留守を一人で守り切ったが、怪我を負って帰ってきた兄にまずショックを受け、更に碓氷という大人の存在にもショックを受けた様だった。何故ショックかと言うと、梅にとってと碓氷が大変似合いに見えたから、とのことだった。

『うめのかみはどうしてしろなの?どうしておめめがあおいの?どうしてくろじゃないの?』

これはあの夜眠りにつく際、妓夫太郎に縋り付いた梅が悔しそうに呟いた台詞だ。黒髪に黒い瞳は、確かにと碓氷に共通する外見の特徴だった。確かに同系統の髪色と瞳が並べば、年の差は置いておくとして二人が並ぶさまは絵になる様だ。

「うまくは言えねぇんだが、お前のことを・・・あー、取られるってよぉ、焦ったんだろうなぁ」
「え?」

妓夫太郎はなるべく言葉を選んだつもりだったが、最終的に出てきた言葉は思いの外直接的な表現になってしまった。まずかったかと若干焦るものの、恐らく梅が感じた気持ちとそう違いはあるまいと自身を納得させることにした。碓氷にを取られる。いざ口に出してみると、妙に心が騒ついた。

「取られる、うーん・・・そっか。碓氷さんは確かに凄い人だし、大人だし、別世界の人って感じではあるけど・・・」
「・・・」

が褒めるのも無理は無い。
あの男はまず顔が美しく、物腰が柔らかく、地位も高い上に対応力が大変柔軟だ。碓氷はあの夜結局妓夫太郎に押し勝ちを自宅へ送り届けたが、娘がまた厄介ごとを持ち込んだのではと顔色を変えた女将に対して、怪我に苦しむ部下を通りすがりに救ってくれたのだと事実を捏造した。
の年齢でここまで優れた学習能力を持つ子供は見た事が無くそれは女将の教育の賜物だと熱弁し、奉行所雇われの長である身分も明かした上で、大変感銘を受けたことへの返礼として今後は不審者を取り締まるための夜間見回りもさせて欲しいと切り出したそうだ。無論、碓氷の一存なので無償の働きだ。女将は自身の区画の治安が良くなることに加え、碓氷のような立場ある人物から娘の優秀さを自身の功績と讃えられたことですっかり気を良くしたし、今回の様な悍ましい連中がいることを考えると夜間見回りがあった方がも安心だ。事前に打ち合わせをすることも無く、碓氷は全てを綺麗に丸く治めてしまった。賢く有能な男としか言い様が無い。

おまけに強いしな、と口に出しかけて妓夫太郎は思い留まった。
あの夜感じた圧倒的な自信と威圧感は忘れようもない。大人と少年という差がたとえ無かったとしても、今のままでは一切手も足も出ないことを妓夫太郎は痛感していた。が碓氷を別世界の人間と言うならば、妓夫太郎にとってはもはや次元の違う男とも言えるだろう。そう、悔しいけれど同じ土俵にも上がれはしない存在だ。

「でも、二人とは勝負にならないのになぁ」
「・・・あぁ?」

心の内が漏れていたのかと、妓夫太郎が目を見張る。しかしはと言うと変わらず梅の髪を優しく梳くばかりで、妓夫太郎の驚きには気付きもしない。
は微笑んでいた。当たり前のように、優しく微笑んでいた。

「どんなすごい人でも関係無いってこと。私にとってはね、梅ちゃんと妓夫太郎くんより大事な人なんていないの」

妓夫太郎は考える。どうして。どうしては、こうなのだろう。今に始まった話ではないが、こうして当然のように好意を口にする。
幸せだと、大切だと、大好きなのだと。幼い梅だけが相手なら自然であろう表現を、当たり前のことのように妓夫太郎にも当て嵌める。

「今度また梅ちゃんが同じことを聞いてくれたら、世界で一番大好きよって伝えなくちゃね」
「・・・」
「あ。もしかしたら、そっくりそのまま返してくれたりして。ふふ、そしたら最高に嬉しいなぁ、流石に照れちゃうかもしれないけど」

世界で一番大好きだと。更には、そう返されたら最高に嬉しいだなんて。妓夫太郎はにはなれない、そう素直に好意的な感情を口には出せない。何故こんなにももどかしいのか、何故胸が苦しいのか、妓夫太郎にはわからない。

ただ、ひとつはっきりと言えることがある。

「・・・そう思うならよぉ、もうあんな無茶すんな」

少なくとも、妓夫太郎から口にはせずとも、兄妹からの好意を感じていると言うならば。その好意を嬉しいと受け止められるならば。大切な存在を失うかもしれないという恐怖を、味合わせないで欲しい。

「え?」
「俺を梅に返す、だったか?」

あの日、完全に油断して身体の自由が利かなくなったあの時。今まさに襲いかからんとする男に立ちはだかる華奢な背中を見て、血の気が引くのをはっきりと感じた。あんな酷い目に遭ってなお、妓夫太郎を庇い立ち向かう彼女の勇気に、眩暈を感じた。絶対に梅のもとに帰すという言葉に嘘は無かった、強い意志を感じた。だからこそ、怖かった。

「正直なぁ、碓氷達が間に合わなかったらって思うと・・・もし、お前に何かあったらって、そう思うとよぉ・・・」

を失うかと思うと、心底怖かった。全ては妓夫太郎がもっと強ければ解決していたことだ。しかし現実は未だ未熟な自分しかいない。危険な橋を渡って欲しくないならば、渡らせないだけの強さがあれば済むこと、今はそれが叶わない。
情けない弱気な本音に思わず俯く妓夫太郎の手に、の手が重なった。顔を上げる、視線が交わる。

「ありがとう、妓夫太郎くん」

が笑ってくれる、それだけで陽の光が差し込んだような眩しさを覚えた。

「嬉しい」

心配をしてくれて嬉しい。無茶を叱ってくれて嬉しい。の瞳がそう語る。こんなにも真っ直ぐ自分を見てくれるのは、梅以外に彼女しかいない。柔らかな笑みと暖かな手のひらが、妓夫太郎を包み込む。

「あの時もすごく怖かったけど、咄嗟に考えたのは妓夫太郎くんのことだったから」

あの日、突然あんな目に遭ってどんなに恐ろしかったことか。どんなに辛かったことか。そんな中妓夫太郎のことを考えたとは言う。恐らくは咄嗟に助けを願った先が、自分であったのだと。ともすれば妓夫太郎の助けは必要無かったとも取れることを碓氷は言った。しかしは他の誰でも無い妓夫太郎に助けを願った。

「来てくれて本当に嬉しかった、ありがとう」

それは、甘やかな喜び。渇き切った心に水が浸透していくような、体中が息を吹き返すような、そんな感覚。敵わないなと、妓夫太郎は心の底から思う。が笑って自分を肯定してくれれば、こんな自分でも何でも出来るような気さえしてくる。気を抜けば涙腺が緩みそうな感覚に、妓夫太郎は強がって視線を逸らし鼻を乱暴に擦った。

「・・・つまり、反省してねぇな?」
「んっ?」
「もう無茶すんなって話、はぐらかしやがったなぁ?」
「・・・んー、身体がつい勝手に、ね」
「ったく・・・」

は正直だ、恐らく彼女の方針は今後も変わらない。大事な者のために生きる、それは妓夫太郎も同じこと。

「・・・
「ん?」

小首を傾げて優しげな笑みを返してくる、かけがえの無い存在。地獄のようだった妓夫太郎の人生にもたらされた、奇跡のような光明。

『大事な子を守るにはまだまだ力も経験も足りない』

今に見ていろ。
必ず守れるようになってみせる。

「・・・何でもねぇ」
「えー?何それ、気になるなぁ」
「何でもねぇんだよ、ばぁか」

妓夫太郎の方からほんの少し、の手を握り返した。




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