或る兄妹たちと演舞祭
解けない様にしっかりと、それでいて手早く髪を編まれていく感覚には慣れていない。
若干緊張した面持ちで楽屋の鏡を凝視する
に向かって、蜜璃が背面のハンドミラーでその成果を披露する。
「こんな感じでどうかしら?」
「・・・!!!すごい!ありがとうございます!」
「我ながら素敵な仕上がりだと思うの!気に入って貰えて良かったわ!」
感激した様に飛び上がる
の反応に、蜜璃が嬉しそうに微笑む。
三月の某休日、今年も年度末の演舞祭当日がやってきた。
これまでに演技中の髪型は一切装飾をしてこなかった
がこうしてヘアセットを依頼していることには、当然理由がある。
待ちに待った運命の人との再会、そして配信を見ていた以上は贈る義務があると差し出されたもの。ねだった訳では決して無かったけれど、とても嬉しく受け止めた大切な贈り物。
事情を知る蜜璃は後輩からの頼みを、心から喜んで受け入れたのだった。
「でも、簪じゃなく飾り紐っていうところが独特なチョイスね。私は編み込みに凝れたから楽しかったけど・・・」
「・・・そう、ですよね」
「え?何?なになに?是非聞きたいわ!!」
が言い淀む、その内容。恋人からの贈り物にまつわる話だ、蜜璃が興味を持たない筈が無い。前のめりに目を輝かせる彼女に対し照れたように笑い、
が口を開く。
「・・・その、私があんまり動き回るので、何かあった時、簪が万一刺さったりしたら、怖いって・・・」
「キャー!優しいのね!そういうエピソード大好き!!」
動き回ることは大前提なのだから、ヘアセットは誰しもそう簡単には崩れないよう工夫をするものだ。それでも尚、妓夫太郎は眉を顰めて譲らぬ姿勢を貫いた。
『どうしても簪が欲しいなら別で買ってやるからよぉ、舞台はこっちにしろよなぁ。お前尋常じゃなく動き回るから、何かあった時が怖ぇ』
そうして彼が選んだ青い飾り紐は、今
の黒髪に編み込まれていた。決して派手なものでは無いが、主張の強過ぎない光沢が照明に反射して控えめに光る。彼なりに色々考えてくれたのであろうことが窺える贈り物を身に付け、舞台に立てることは大きな喜びだ。
長い別離の期間から念願の再会を果たして早数カ月、未だ何をする瞬間も彼が隣にいてくれることに感激してしまう。幸せを噛み締めるように小さく俯き微笑む
を前に、蜜璃がその両手を握った。
「・・・
ちゃん、とっても素敵よ」
「・・・えっと」
「髪型だけじゃないわ、今の
ちゃんの笑顔はとても素敵。運命の恋人に、大切に愛されてる証拠ね」
結局のところ、蜜璃に対して
は全てを明かせていなかった。
あまりに現実離れしたことであるゆえ、話すには順を追って時間をかけねばならなかったし、何より蜜璃自身がそれを望まなかった。何も明かさなくて良い、ただ
が運命の恋人の心を取り戻せたことが嬉しいのだ、と。
何ひとつの見返りも求めずただただ背を押してくれる彼女に対し、
は堪らない気持ちでその手を握り返すことしか出来ない。
「甘露寺先輩、本当に感謝してます。先輩が協力して下さらなかったら、もしかしたら今頃は・・・」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ。二人の運命が惹かれ合った結果だもの。私はほんの少しでもお手伝い出来たことが、本当に嬉しいのよ!」
「・・・ありがとうございます」
妓夫太郎の記憶も何もかも、彼の全てを取り戻したいのだと。誰にも明かせなかった我儘な気持ちを、彼女に明かせたことには理由があったのだろう。恋をしているならば欲張って当然だと言う、そんな蜜璃の心強い温かさに惹かれたのだ。
ひとつ年上の彼女の明るい笑顔に、またひとつ力を貰えた様な気持ちで
は目を細める。人の縁に恵まれたことは間違いなく
の幸福であり、彼女もまた大切な恩人の一人となった。
「それじゃあ私は客席に戻るわね、
ちゃんといち早く会えたこと、他の人に自慢しちゃう!」
「はい、ありがとうございました」
眩しい笑顔と共に元気良く手を振り、蜜璃が楽屋から姿を消す。
ほんの数秒後、廊下から聞こえてくる声に
は目を丸くすることになった。
「キャッ!」
「むっ!失礼、前方不注意だな!」
「キャー!ごめんなさいー!」
現場は直接見ずとも、大きな声からは十分に想像が出来る。込み上げる笑いに口元を押さえながら、
は楽屋の入口から顔を出した。
やはり想像通り、明るい髪色のその人が立っている。半歩後ろに佇んでいる同じ髪色の少年の存在にも目を向け、
は明るく笑いかけた。
「煉獄先生。千寿郎くんも、こんにちは。今年も来て下さってありがとうございます」
「ああ!お招き感謝する!」
「こんにちは
さん、本番前にすみません」
学校以外ではなかなか会う機会が少ないが、相変わらずの溌剌さが眩しい。楽屋に訪れるとは珍しいと思いつつも、師事している煉獄家の兄弟の訪問は素直に嬉しかった。
「すまないが閉会後、すぐに家族で出掛ける用が出来たのでそれを伝えようと思ってな。今日は帰りに挨拶でうちへは寄らない様に」
「父と母からも、応援の言葉を預かっています。
さん、頑張ってくださいね」
「わざわざありがとうございます、千寿郎くんもありがとう。師範と瑠火先生にもよろしくお伝えください」
「うむ!」
本番前ゆえに向かわせるのは息子二人だけというところに、煉獄家の両親らしさを感じる。
厳しくも温かい指導には感謝ばかりだ、今日も良い成果を見せられるよう精進せねばならない。
そうして背筋を伸ばした
の目を見て、不意に煉獄が一歩前へと歩み出た。
「立花少女」
「はい」
突然この呼ばれ方をされると、思わず目を瞬いてしまう。
煉獄は優しい目で
を見下ろしていた。
「日々は、楽しめているか?」
不意に、夕暮れ時の煉獄家での出来事を思い出す。
水族館のチケットを差し出し、彼は
に同じことを説いた。日々を楽しめ、周りの存在に甘えてみろ、
は書道の世界での強者であると同時に、まだ中学三年生なのだから、と。
あの日には考えもしなかった出来事が、今日までにたくさん起きた。彼の助言通り様々な人に助けられ、
は今幸せな日々を生きている。
「・・・はい!」
「それは何よりだ!良い演技を期待している!」
気持ちの良い返答を受け、煉獄の明るい声が楽屋に木霊した。
* * *
待機場所の中に見知った顔を見つけ、
は思わず駆け寄った。
「藤堂さん、個人の一位おめでとう」
トレードマークの三つ編みを揺らし、藤堂は
の笑顔を見るなり眉を顰める。
今年度の中学個人の部、一位は藤堂で、
は三位である。それは動かぬ事実であるものの、その理由たる
本人に言われると面白くない。
「嫌味な人ね。誰かさんが秋以降すっかり出てこなかったから繰り上がっただけに決まってるじゃない」
「そんなことないよ、藤堂さん、夏明けくらいからすごくレベル上がったって評判だもの!動画は見てたけど、私も本当にそう思う。心境とか環境の変化、何かあったの?」
「・・・ふん、別に」
年度末の演舞祭は、中高別で個人・団体・各部門当年度の上位三位までが出場を許される舞台だ。
年間行われる各大会の成績をもって総合評価が下されるため、出れば良いという問題ではないが、出場回数は多いに越したことはない。
これまで出られる大会のほとんどに出場し、その悉くを一位で駆け抜けていた
が、秋以降突然大会へ出なくなったのである。逆にそこから快進撃を続けた藤堂の功績により、今年度の順位がひっくり返ったということになる。それでも尚三位につけるあたりが
の凄いところであり、天神杯の優勝とこれまでの戦績が成せる結果なのだろう。
相変わらず藤堂にとっては脅威な存在である筈が、当人は本心から賞賛を送って来るのだから調子が狂う。心境や環境の変化と言われ、初めて応援をしてくれるようになった同級生の顔が浮かんだことに気付かぬふりをして、藤堂は
を見据える。
「一応聞くけど、辞めたりしないわよね?」
それは、意外な響きをもった言葉だった。まるで、
に辞められては困るような声。思いもよらなかった質問に、
が小さく目を見張る。
「・・・藤堂さん」
「勘違いしないで。貴女なんか顔も見たくないって思ってたけど、いなきゃいないで張り合いが無いってことに気付いたの。それだけ」
これまで悉く交流を避けられていた存在から、初めて認められた思いがする。
がいなければ張り合いがない。それは、これからも闘っていきたいということだ。
としても、映像の中で見た彼女の快進撃を見て、競ってみたいとうずうずした気持ちを覚えたことは記憶に新しい。確かな嬉しさを胸に、
は藤堂へと穏やかに笑いかけた。
「・・・辞めないよ。ちょっと秋から最近まで、とても大事なことがあったから。一度全部キャンセルしてただけ」
は秋の文化祭以降、ほとんどの時間を梅のために費やした。正確には、梅に勉強を教える為、であるけれど。
どうしても次の春から同じ学校へ編入したいという梅の願いに対し、学力対策は避けられぬ壁だった。驚くべき妓夫太郎の頭の良さをもってしても、人に教えるということは難しい。
これまで進級ギリギリのラインを潜ってきた梅にとって、そこそこに学力が必要なキメツ学園への三年時編入は厳しい目標の様に思えたが、幸太郎は前向きだった。順序を立てて一からしっかり学べば間に合う筈だと笑った兄の声に、頑張ると即答した梅を見て、
も覚悟を決めた。
それからは休みの度に碓氷の所有するマンションに集まったり、時には
たちが隣県へ行きつつ、四人は梅の合格だけを目標に団結した。良さそうな参考書を買っては梅にも分かり易く落し込める様にノートに纏めることが平日の幸太郎の日課となり、
もそれに倣った。
受験シーズンまで一度休みたいと煉獄家へ挨拶へ行った際、快くその選択を受け入れられると同時に、週に一度の剣道だけは助言通りに継続して今に至る。
クリスマスも正月も返上したが、それでも四人集り梅のために奔走することは誰にとっても苦では無かった。
懸命な努力は見事報われ、先月梅は編入試験に合格。当然妓夫太郎も高校入試に合格したので、四月からはめでたく四人一緒にキメツ学園の生徒となれる。
実のところ、ここに来て
はふと考えたことがある。これまでこの道で知名度を上げて来た理由は、妓夫太郎に見つけて貰うためだ。それが叶った今、果たしてこのまま続けることに意味はあるだろうか、と。
けれどそれは、他でもない妓夫太郎と梅によって答えを用意されることとなった。
『勿体ねぇだろ。お前が嫌じゃねぇなら、続けた方が良くねぇか』
『アタシお姉ちゃんの活躍もっと見たいわ、格好良くて大好き!』
自身この道を歩むことを人生の一部としつつあった中、この後押しは大変に良く効いた。心を決めて各方面に挨拶をして、
は今日この会場に立っている。
煉獄家の両親をはじめ、学外活動を理解してくれていた教師陣や、これまで活躍を一心に応援してくれていた狛治や恋雪、炭治郎もとても喜んでくれた。一切口出しをしなかった母ですら、
の口から競技再開を告げた時は小さく反応を見せていた様にも思う。
目的は果たされ、この道はこれまでの様に全てを懸けて挑むものではなくなった。けれど、既に
とは切り離せない道となったことも確かなのだ。
「大会に出る頻度は落とすかもしれないけど、しっかり続けるよ。次の天神杯も、タイトル防衛するつもり」
「ふん。呑気に休んでた人が二冠なんて出来るかしらね」
「えっと・・・狙ってるのは、三冠」
「はぁ?三冠って・・・まさか」
天神杯は良くも悪くも、中高生であれば誰もが参加資格を持つトーナメントだ。一時期休んでいた
も問題なく出場出来る。しかし
の口から出た大き過ぎる目標に、藤堂がまさかと目を見開いた。
このトーナメントは、王座の三冠達成者にのみ与えられる特典が公表されている。過去誰も成し遂げたことの無い偉業ではあるが、三冠の暁には、トーナメント自体に新たな名を付ける権利が与えられるのだ。
確かに中学三年で優勝した
にはその可能性があるが、今から口にするにはあまりに大き過ぎる目標だ。
「呆れた。トーナメントに自分の名前でも刻むつもり?」
「ふふ、まさか。でも、是非付けたい名前があるの。だから藤堂さんにも負けないように、あと二冠は頑張るつもり」
誰しも現実的ではないと目指すことのない高い壁を、目の前の彼女は具体的に目指すという。呆れたように溜息をつきながらも、藤堂は
のことを馬鹿馬鹿しいと切り捨てられない。
それは、彼女の強さを身をもって知っている為か。それとも、
が辞めないということに、小さく安堵している為か。
秋以降、
のいない大会で勢いをつける中で藤堂の意識は少し変わった。あんなにも妬み羨んでいた存在と、まだ競っていたいだなんて、自分でも若干戸惑うような気持ちではあったが、藤堂の本心だった。孤独ではなくなったことが要因のひとつだったが、彼女自身それに気付くには至っていない。
藤堂の前に手が差し出されたのは、丁度そんな時だった。
「ずっと同学年で競えてる人がいて、嬉しいの。高校に上がっても、お互い頑張ろうね」
これまで幾度となく、振り払ってきた手。その度幾度となく、自己嫌悪に陥ってきた。
藤堂は瞬間考えるような素振りをした末、素っ気なく視線を逸らしながらその手を握った。
「ふん、いつか絶対引き摺り下ろしてやるんだから」
「・・・うん!」
温かいその手から、
が喜んでいることが伝わってくる様で、調子が狂う。引き摺り下ろすと言っているのに、喜んでどうするのだ。
そうして手を離したタイミングで待機場所の幕を潜り、幸太郎が姿を見せた。
「
、出番近くなりましたよ」
「ありがとうお兄ちゃん。それじゃ藤堂さん、お先に」
藤堂は返事をしなかったが、それでも
は笑顔で手を振ってその場を後にした。出入口に向けて専用通路を兄と並んで歩く、その道中も楽しげだ。
三つ編みの彼女は長年
と競い合う相手であったが、それ故徹底して交流を避けられ続けて来た。妹がそれを小さく残念がっていたことを知っていた手前、今見た光景は幸太郎にとっても嬉しいものだ。
「良かったですね、ずっと彼女と話したかったんでしょう?」
「うん。こんなに話してくれたの初めてだから、ドキドキしちゃった。嬉しい」
は意識していない様であるが、藤堂は妓夫太郎と同じM中学の生徒だ。お互いにこの繋がりを知ったら驚くだろうか、幸太郎がそんなことを考えたタイミングで目的の場所へと辿り着いた。
この幕を潜ればもう会場内のため、幸太郎が傍にいられるのはここまでだ。
前の演技者の曲と会場の熱気を感じ、
が兄を見上げる。
「・・・皆、来てる?」
「ええ、勿論。
の出番を楽しみに待ってます」
「そっか・・・有難いなぁ」
昨年は煉獄一家と狛治・恋雪の二人だけを招待したが、今年は炭治郎や蜜璃、鱗滝も来てくれたと言う。
勿論、妓夫太郎と梅も一番に招待している。二人にとっては、正真正銘初めての現地だ。
一年前は考えもしなかった程に、色々なことが起きた。まさかこの演舞祭に二人を招待できる日が来ただなんて、未だに信じられない。
「本来の目標は達成しましたが、またここから頑張りましょう」
幸太郎は、普段と同じ様に穏やかに笑っていた。
この道を続けるかいっそ辞めてしまうのかと悩んだ時、兄は何も言わずに見守ってくれた。これまでの努力も苦難も、二人との再会がどれほどの念願だったかも、全てを知った上で
の決断を尊重してくれた。
「
が決めた道なら、私はずっと応援し続けます」
「・・・ありがとう、お兄ちゃん」
この笑顔に、これまでどれだけ支えられただろう。
は目を細めて兄を見上げ、そっとその手を握った。握り返される手は優しく、いつも
の背を押してくれる。
恵まれた。本当に、周りの人に恵まれた。
は語り尽くせない程の感謝を胸に、優しい兄へと笑いかけた。
場内アナウンスが響き、前の演技者とすれ違ったことで、いよいよその時が来たことを知る。
「行ってらっしゃい、楽しんで来て下さい」
「うん・・・行ってきます」
手にした鬼の面を見つめ、
はひとつ深呼吸をした。
大旦那様、勇気をください。
いつの頃からかお決まりになった言葉を心の中で唱え、その面を装着して顔を上げる。
背筋を伸ばした彼女は、大きな拍手に包まれながら堂々と会場内へと足を踏み入れた。