祭のあとに



その男は、前世の記憶を一部持っていた。

何故自分で一部とわかるかと言うと、偽りの仮面を被っていた七、八年のことだけを継承していたからである。
男は以前の世において鬼であったが、人間に擬態していた時期がある。
鬼の首領からの指示で或る植物を探すため遊郭に拠点を構え、思いがけず出会った優秀な頭脳を持つ子供を手駒とし、人心を掌握した上で周囲に溶けこみ上手に生きていた。
結果として植物に関して確実な成果は得られず遊郭を去ることとなり、男はそれ以降の記憶が非常に曖昧だ。もう一度少女の顔を見たような気もしているし、それきりだった様な気もしている。それでも今こうして転生しているということは、鬼であった自分は何らかの理由により絶命したのだろう。

しかし神の悪戯か悪魔の仕業か、その男は鬼であった頃の自分とは別の個体として今存在している。
世間を騒がせている虹色の瞳の詐欺師が、鬼として生きていた自身の半身なのだ。血縁上他人ではあるが、彼にはそれがよくわかる。以前の自分から二つに分裂した上で生まれ変わっただなんて、なんて愉快で風変りな人生だろう。

一度接触を試み探りを入れたところ、もう一人の自分は記憶を持っていない様子で、それだけが残念な点だった。どうせなら二人で語り合い、それぞれに欠けた部分を共有し合いたかった。身体が二つある様なものなのだから、好きなことを好きな様に操り、面白可笑しく生きていけただろうに。
人生そう上手くはいかないかと考えていた最中見つけたのが、親を亡くし施設へ入れられた或る兄妹だった。以前と比べると二人の年の差は縮まっているものの、間違いなく見覚えがある。男がかつて手駒とした少女と共に生きていた二人だった。少女は近くにいない様であるし、二人して記憶は引き継いでいないものの、再度兄妹として生まれ変わるとはなかなかに強い縁だ。

懐かしさと興味深さから、男はその兄妹の引き取り手となる生き方を選んだ。相変わらず男には決して懐くことの無い兄妹に必要なものを与え、不器用な二人の成長を楽しく観察し適度に放任し、十年が過ぎようとした頃である。

『あんまり泣き言言ってたら、妓夫太郎くんに笑われちゃう』
『・・・さすが、その意気です』

男は出先で、偶然にも少女とすれ違った。
その会話の内容とほんの少しの独自調査で、男は数日後にはその凄まじい勘の良さから彼女が兄妹を探していることに呆気なく辿り着いた。

男は前の人生での楽しみのひとつが人間観察であり、遊郭の愛憎渦巻くちっぽけな人間関係を笑って見ていたものだが、中でもこの兄妹と少女を巡る人間模様は純粋に面白く、偽りの身分を利用しつつ嬉々として彼らと交流をしていたことが懐かしい。今回もほんの少し手を加えてやれば、人生がまたひとつ面白くなるかもしれない。確信めいた予感に、男はにんまりと口の端を上げたのだった。

その世界ではそこそこ有名であることが判明した彼女の動画を、わざわざ兄妹の前で初めて流した時の愉快さは格別で忘れられない。二人して興味など一切無いような顔をしていたというのに、その姿を目にした瞬間の顔と言ったら。男は笑いを堪えるのに大変苦労したものだ。それからは放っておいても暇さえあれば動画を眺め出す兄妹を可愛く思ったものだし、彼女の住まう隣県に遊びに行く様何度か嗾けたりもしたものだが、どうやらそれも今日一気に実を結んだ様だ。車両トラブルで電車が一切動いていないため、今すぐ車を出してキメツ学園まで送れと兄妹の妹の方から喚きたてられたことで、男は待ち望んだその時が来たことを察知した。

こんなにもわくわくとした気持ちは、一体いつ以来だろうか。そこそこに大切だった筈の所用を躊躇無く放り投げ、男は車のアクセルを踏んだのだった。


* * *



二人を何処へやったと、妓夫太郎から物凄い剣幕で碓氷に電話がかかってきたのは数分前のことだ。
正門付近で現場を見ていた狛治と恋雪に事情を聞いたのであろう、何処へやったは人聞きが悪いなぁなどと笑いつつ碓氷は車で二人を迎えに出た。
丁度学園の方面からこちらへ向かってくる二人を見つけ、車を停める。意識せずともしっかり手が繋がっているあたり、何もかも昔の通りの様だ。

「やぁお嬢さん、また会えてとても嬉しいよ」

に対しにこやかにそう告げつつも、碓氷の意識は彼女の隣に立つ妓夫太郎へと向けられている。
数時間前、ようやく思い出したんだねぇと告げた時の、梅のあの顔。何もかも仕組まれていたと自覚した時の、あの顔。妹と同じ色の目で同じ顔をする兄を運転席から窓越しに確認し、碓氷は堪えきれぬ笑みを漏らした。

これだから癖になるのだ、人生は面白い。

「・・・碓氷、さん・・・」
「そう、俺。忘れてしまった?」
「っそんな・・・!!とんでもないです!あんなに沢山、お世話になった方なのに・・・!!」
「良かった、お嬢さんは変わってないねぇ。嬉しいなぁ」

は呆然とその名を呟き、次の瞬間には慌てたように目を丸くする。彼女の遠い昔と変わらない丁寧な姿勢に碓氷は微笑み、一度車を降りて後部座席のドアを恭しく開けた。

「近くに俺の持ってる物件のひとつがあってね。お兄さんとお嬢ちゃんはそこにいるから、お嬢さんも今から案内するよ。さ、後ろに乗って」
「・・・は、はい」

当然の様に記憶を持っている上、物件のひとつとは何のことだろうか。頭の上に無数の疑問符を飛ばしながらも、向かう先に兄や梅もいると言われてしまえば、は大人しく従う以外に選択肢が無い。妓夫太郎も一緒にいるのだからきっと安心だ。そうして素直に頷くの顔を見つめ、碓氷は満足気に微笑んだ。

「ふふ、そのペイント可愛いね」

文化祭の名残を指摘し、その頬に悪戯に触れようとした細く美しい指。
それは、横から出された腕によって容赦無く払われた。

「―――に、触るんじゃねぇ」

彼は、明確な敵意を持って碓氷を睨み上げていた。
歯を食いしばった隙間から咆哮が漏れてきそうな表情は、中学生ながら本気で怯える大人も多いであろう迫力を持っていたが、生憎碓氷にはまるで効果が無い。思わずがそっとその腕に触れることで辛うじて怒気は抑えられたが、苛立たしい表情は一切変わることがなかった。

この男が記憶を持ちながら今日まで素知らぬ振りをしていた狸であることは、梅が記憶を取り戻したことと共にメッセージで事前に知っていた。道すがらとも共有はしていたことだが、実際に飄々とした様子で笑う男を見上げて妓夫太郎が覚えるのは、やはり怒りだ。何もかも知りながら、この男は黙って状況を楽しんでいたとしか思えない。

「言っとくが、全部わかってて黙ってたことは許してねぇからなぁ」
「心外だなぁ。ちゃんとヒントはあげただろう?」

直接は言わずとも、それは妓夫太郎の怒りを強引に押さえつけるに値する言葉だった。
の動画を最初に見せたのは碓氷だ。妓夫太郎より先にを見つけたのは、碓氷なのだ、と。

「最初は助けてあげたけど、最後は自分で気付かなきゃ意味無いじゃないか。全部君たちのためだよ」
「・・・」

確かにその通りだ。
その通りだ、けれど。
まるで遠い昔、が雪の日に男達に襲われそうになった際、碓氷たちがいたのだから妓夫太郎の助けなど必要無かったと言われた様な気がした時。あの時の様な悔しさ、惨めさに妓夫太郎が唇を噛み締めた、その時。

「・・・あのっ!!」

が声を上げ、妓夫太郎と碓氷の間に入り込んだ。

「碓氷さん・・・本当に、ありがとうございます」
・・・」

妓夫太郎が戸惑う声を上げるほどに、彼女は深く碓氷へと頭を下げる。
は碓氷について今も昔も多くは理解出来ていない。しかし今の話を聞く限り、彼もまた妓夫太郎の記憶を呼び戻すことに助力してくれた一人なのだろうことは明らかだった。

「私、本当に色んな人に助けていただいて、周りの方に恵まれて、妓夫太郎くんともう一度会うことが出来ました・・・碓氷さんもその中のお一人だっただなんて、本当に嬉しいですし、感謝してます・・・。前の時はお役に立てませんでしたけど、今回はきっとご恩返しが出来るように頑張ります・・・!」

は今日という日に心底感謝をしていた。自分ひとりでは決して成し得なかったことを痛いほどに理解しているためだった。
碓氷も助力してくれたひとりならば迷わず頭を下げる。そうすることで、何処か妓夫太郎に不利な空気を少しでも掻き消せるならば、余計に必要なことだ。
そうして真っ直ぐに頭を下げるを見下ろし、数秒後。碓氷の目が、柔らかく細められた。先ほど一瞬漂った不穏な空気は、もう無い。

「ふふ、相変わらずお嬢さんは素敵だなぁ。坊やが羨ましいよ」
「その呼び方は止せって言ってんだろうが、クソが・・・」
「さぁ、早く乗って。お嬢ちゃんが待ってるよ」
「は、はいっ・・・!!」

少々、意地悪が過ぎたかもしれない。
の真っ直ぐな思いは、碓氷の気持ちにすら作用した様だった。


* * *



学園から徒歩20分圏内の場所に、その大きなマンションはあった。
はまさに今、妓夫太郎に手を引かれそのエントランスに足を踏み入れた。どう見てもかなり良いマンションに、広いながら一軒家住まいのは落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回してしまう。
そんな彼女の挙動すら妙に可愛らしく見えてしまうのは、惚れた弱みだろうか。とにかくこんなを碓氷に見せる訳にはいかない。エントランス前で別れて本当に正解だったと妓夫太郎はこっそりと息をつく。

碓氷はと妓夫太郎を車から降ろすと、自身はそのまま車内に残った。梅からどうしてもと頼まれてここまで来たが、実のところ所用が残っているので戻らなければならないと告げた碓氷に対し、は申し訳無さそうな顔をした。
そんな彼女を見て、碓氷は去る間際何てことは無いかのようにこう言ったのだ。

『ふふ。また今度、ゆっくり話そうじゃないか。時間はいくらでもあるんだからね』

時間は、いくらでもある。
それは今の達にとって、とても意味の深い言葉だった。
もう引き離される心配は無いと実感してから未だ一時間といったところだ。第三者からの言葉がことさら深く染み入る様で、お互いの安堵感を強めていく。

そうして大人しく頷いてしまい、妓夫太郎はうっかりと“お前とにゆっくり話す隙は与えない”という牽制をし損ねてしまった。小さな後悔は残るが、鍵は渡されているので問題は無いだろう。
エレベーターに乗り目的のフロアのボタンを押し、暫し静寂が二人を包む。は言おうか言うまいか悩んだような素振りの後、妓夫太郎の手を握る力を少し強めた。

「・・・あの、碓氷さんは二人のご家族だったり・・・?」
「冗談だろ・・・」

心境としては舌打ちをしたいくらいだったが、相手がなのでそこは堪える。目的の階に到着し、その手を引いてエレベーターを降りながら妓夫太郎は眉間に皺を寄せた。
碓氷と妓夫太郎たちに、血縁関係は無い。しかし厳密に家族かどうかと問われると、それは一概に否とも言い切れない。気分ひとつで、に対して誤魔化しはしたくなかった。

「・・・まぁ、かなり不本意な話・・・似たようなもんかもしれねぇが・・・」

二人は確かにお互いを知り尽くした仲ではあるが、それは前世までの話に限られる。今現在のことに絞れば、お互いの家族構成も何もかも、二人は知らないことが多すぎる。
これまでのこと、これからのこと、色々なことを話す必要がある。認めるのは癪だが、碓氷の言う様に時間はいくらでもあるのだから。

「色々あるからなぁ、順番に話す。俺も、聞きてぇことが山ほどある」
「うん・・・」
「まぁ・・・その前に、とりあえず会ってやってくれねぇか」

いつの間にか目的の部屋の前に立っていたことに気付き、が身体を固くする。
妓夫太郎はを勇気付ける様に、その肩を抱き寄せた。緊張に目を見張りながらも彼女が小さく頷いたのを確認し、彼は部屋の鍵を開ける。

小さな音を立てて開いたドアの向こう側、真っ直ぐ伸びた明るい廊下。その音を聞きつけ、勢いよく飛び出て来た影があった。
暫し、両者は声も出せず見つめ合ってしまう。梅の大きな青い瞳が涙に震え始めるのを認め、が細く息を吸う音が僅か響いた。

「・・・っ・・・梅、ちゃ、」
「お姉ちゃあああん!!!!!」

梅は大粒の涙を流しながら、弾丸の様に駆込んで来た。迷わず両手を広げたがそれを抱き留めるその大切な瞬間を、妓夫太郎は目を細めて見守った。
梅の記憶に関しては事前に知っていたとはいえ、それでも現実を目の当たりにした衝撃は大きかったのだろう。の瞳からも涙が溢れ、梅を抱き寄せる腕が震えていた。彼女の涙は変わらず綺麗だった。

「ごめんなさいっ・・・思い出すの、遅くなってごめんなさい!!!」
「ううん・・・いいのっ、謝らないで梅ちゃん・・・」
「うあああ!!会いたかったああ!!」
「っ・・・うん・・・私も、会いたかった・・・!」

玄関で靴も脱がないままと梅が抱き合い、涙を零しながら再会の喜びを噛み締めている。ほんの半日前までは考えもしなかった光景は、妓夫太郎にとっても温かいものに他ならない。
思わず両腕を差し出し、涙に暮れる二人を外から包み込んだ。

バラバラになっていたものが、急激にひとつへと戻っていく。何故こんなにも大切なことを今日まで思い出せなかったのか、悔やんでしまうほどに。けれど、これから先一緒にいられることもまた、確かな事実なのだ。二人の泣き顔は苦手だけれど、今日の涙は特別だ。
妓夫太郎は込み上げるものを堪えるように目を瞑った後、近付いてくる気配に顔を上げた。

「おい・・・何でてめぇは怪我してんだ」
「ぐすっ・・・面目ない」

制服の膝を捲られ、手当てを受けていた跡を晒しながら佇む幸太郎は、貰い泣きに目を擦っている。
変わらぬ友人の姿に、妓夫太郎は思わず小さな苦笑を零した。


* * *



その夜、四人はたくさんの話をした。
前世でのあれからの話、今世のこれまでの話。そして、四人で集ったこれからの話。
時に驚き、時に笑い、時に切なさに涙ぐみながらも寄り添って、お互いの話を大切に交わした。

二組の兄妹関係は前とは確かに違ったが、記憶を取り戻せたことで四人は昔に戻った様に楽しげな時間を過ごした。
と幸太郎が家に帰らねばならない時間はあっという間に訪れたが、翌日は日曜日だ。明日また会えることは誰にとっても嬉しいことだった。連絡先を交換できたことにすら温かな気持ちを噛み締め、おやすみと挨拶をした。

夢の様に幸せな文化祭の一日が終わる。明日からもまた、会いたい人にいつでも会える日々が始まる。たくさんの人への感謝を胸に、と幸太郎は帰路についたのだった。


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