彼女は流星の様に



花火は数分で終わり、窓の外は変わらず後夜祭の賑やかな音で満たされている。
飽きることの無い口付けの応酬から、ふと我に返ったかのように先に目を開けたのは、の方だった。

「・・・あっ・・・」
「・・・どしたぁ?」

ほんの数秒前まで熱に浮かされていたようなその瞳が、途端に落ち着きを無くしたかのように妓夫太郎へ向けられている。
の手が、縋るように彼の肩を掴んだ。

「梅ちゃん・・・梅ちゃんは?」
「・・・」
「この制服うちのだけど、どうしたの?妓夫太郎くん、今日どこから来てくれたの?」
「・・・」

正直なところ、今か、とも思う。
けれど気付いてしまった以上、今更元の雰囲気に戻せる訳でもないことは、彼女の性格を熟知している手前よくわかっている。
何しろ相手は、妹のことを赤子の頃から可愛がっていたなのだから。むしろ、よくここまで持ったと言っても良いのかもしれず。それだけ彼女に一心に思って貰える現実を、有難く受け止めなければならない。
妓夫太郎は小さく頭を掻き、覚悟を決めた。
記憶が無事に戻った今、と妓夫太郎の二人の関係に問題は無い。しかしそれ以外にも、色々なことを話さなくてはならない。

「・・・順を追って話すからよぉ。その前に・・・これ、充電出来ねぇか」
「出来るよ」

不在着信の知らせは最低二桁台だろう。置いてきてしまった妓夫太郎の自業自得とはいえ、手が付けられない程に怒り狂うであろう妹のことを考えて憂鬱に眉を顰めた。
差し出されたモバイルバッテリーを借り、数時間ぶりに端末の電源を入れる。表示された画面を恐る恐る覗き込んだ、その時。

「・・・あぁ?」

思わぬ知らせに、妓夫太郎は怪訝な声を上げた。



* * *



時はほんの少し遡り、妓夫太郎を無事に妹の元へ送り出した幸太郎は、一人静かに中等部の校舎を出た。
校庭では今まさに後夜祭が始まろうとしており、盛り上がりも最高潮となっている。ただ、そこへ入って行ける様な心境ではないことも確かな様で、彼はそのまま校庭を逸れ正門へと足を向けた。

を置いて帰るつもりは無い。妓夫太郎ともまだ話すことが沢山ある。ただ、少しこの場を離れて気持ちを整理したかった。
二つの人影を前方に見つけ、幸太郎の足が止まる。

「あっ・・・立花さん」
「恋雪殿・・・狛治殿も」

二人は正門の隅に並び、幸太郎のことを待っていたかの様に顔を上げた。
後夜祭はもう始まるというのに、二人揃って何故こんな場所にいるのか。彼がその疑問を口にするより早く、恋雪が一歩前へ進み出た。

「あの、竈門君からお話聞いてます」

その気遣わしげな瞳と声が答えだった。恋雪は炭治郎から話を聞きここに来たのだろう。二人は本当に幸太郎を待ってくれていた。妓夫太郎を前にした時の明確な動揺を思い返し、幸太郎は申し訳ない気持ちに目を伏せる。優しい二人に心配をかけてしまったのだ。

大丈夫だと言わなければ。そうして一歩踏み込んだ筈が、何も無いところで足がもつれる。よろけたところを、すかさず狛治に支えられた。

「・・・大丈夫か?」
「すみません・・・何だか、ホッとしたら気が抜けて・・・」

正直なところ、大丈夫ではない。
二人の見守るような視線を受け、幸太郎は今だけは素直に甘えさせて貰うことを選ぶ。
この二人に前世の話を明かして本当に救われたと感じていたが、今この瞬間はそれを一層痛感した。

は、昔から本当に妓夫太郎殿のことを大切に思っていて・・・妓夫太郎殿も、それは同じで・・・今日、無事に二人を会わせることが出来て、本当に良かったです」

昔を懐かしむように幸太郎はそう告げる。
心からの気持ちだった。友として生きていた頃から、妓夫太郎との関係を知っている。お互いにお互いしか有り得ない様な、二人が寄り添う時の優しい雰囲気がとても好きだったのだ。生まれ変わっての兄となってからも、妹がどれほど彼に逢いたがっていたか、幸太郎は痛いほどに理解している。
早く会わせてあげたい。出来ることならば記憶を持った状態の妓夫太郎と再会させてあげられたなら、どんなに良いだろう。そう願ってやまなかった。

その時だった。花火の音に、三人は校庭を振り返る。暗くなったばかりの空を彩る美しい光の花を見上げ、幸太郎は淋しげな笑みを浮かべた。

「花火は・・・二人にとって思い出が深い様で。今までのは、色々なことを思い出して泣いてしまいそうだからと、頑なに見たがらなかったんです」

どうしても辛くなるのだと、妹がそれを拒絶すると知って以降、花火大会は立花家にとって縁遠いイベントとなった。恐らくが後夜祭に出るつもりは無かったのであろう背景には、元々予定されていた花火も一因としてあったに違いない。にとって花火は妓夫太郎との思い出が深過ぎる故に、辛い夏の風物詩だったのだ。

今日、この日までは。

「きっと今頃は、お二人で見上げてますね」
「はい・・・本当に、良かったです」

恋雪の言葉に、幸太郎が同意する。
妹は無事に記憶を有した彼と再会を果たし、花火を再び幸せな思い出で塗り替えた。
兄としてこんなに嬉しい夜は無い。

無い、筈だった。

「その割に、浮かない顔に見えるが」
「・・・狛治殿には、敵いませんね」

困ったように眉を下げて微笑む幸太郎を見つめ、狛治と恋雪が先を促す。
嬉しい筈の夜に、一滴の染みが消えてくれない。

「・・・梅殿は、今も変わらず妓夫太郎殿の妹なのだそうです。それは本当に奇跡のような出来事で、私も嬉しくて・・・」

笑顔でそう告げるその言葉に嘘は無かった。
梅が今この時を生きている。しかも、妓夫太郎の妹として。兄を慕う彼女にとって、これほどの幸せはきっと無いだろう。幸太郎もとても嬉しい。

そこで一度、言葉が途切れた。

「ただ・・・記憶は、やはり無い様で」

今自分がどんな顔をしているか。
幸太郎はそれを知らない。

「最初からわかってはいたんです。同じ時代に揃って生まれ変われる可能性は低く、記憶を引き継いでいる確率は更に低いということくらいは。私たち兄妹や、妓夫太郎殿が奇跡的な一例なんです。それは、よく理解出来ている筈なのに・・・」
「・・・淋しいんですね」

恋雪の言葉に含まれた優しさが、沁みる。
淋しい。
指摘されたその表現が果たして合っているのかどうか、それすらわからない。
妓夫太郎は言った。梅もまた、記憶が無いにも関わらずの活躍を飽きる事なく見ているのだと。
それを聞いた瞬間、幸太郎は確かに期待をした。彼女も兄と同様に記憶を取り戻してくれるのではないか、と。
過ぎた期待をする自分に、気付いてしまった。

「・・・贅沢な望みです。梅殿が生まれ変われていて、更には再び妓夫太郎殿の妹として生きておられる。それだけで、十分な筈なんです」
「だが、お前の望みは違うんだろう」
「・・・」

狛治へ返す答えが、咄嗟に見つからない。
小さく口の開閉を繰り返し、結局相応しい言葉を探せずに幸太郎は俯いた。
梅が妓夫太郎の妹として生きている、それだけで充分な筈では無いのか。大切な友人の妹は今きっと幸せな人生を生きているのだから、それを素直に祝福出来ずにどうすると言うのか。

「・・・私、は」

淋しい、だなんて。
考えてしまうこと自体が間違いなのだ。
自嘲の笑みを浮かべ、幸太郎は小さく拳を握り締める。
彼女の幸せは皆の幸せだ、例え忘れ去られていようとも幸太郎も例外では無い。

なのに。
どうしても、梅の声を思い出してしまう。
時に素直ではない一面もあるけれど、それもまた彼女の良さのひとつで。大好きな兄との傍にいるために、懸命に自分を変えようと努力していたその姿を思い出す。忙しい生活の中、一冊の練習帳のやり取りで名前の添削を繰り返した日々を思い出す。
幸太郎を特別な名前で呼ぶ、その声が脳裏に響く。








「―――先生っ!!!!」








幻聴かと、錯覚した。
頭の回転が異様に遅い。
息を呑んで顔を上げたその向こう、道路のずっと先に。

「・・・そん、な」

記憶の中のままの、美しい少女がいた。

遠目にもわかる。目を見開き肩で息をして、こちらへ向けて全力で駆けてくる。
何故。
どうして。
信じられない様な思いで、しかし幸太郎は彼女を迎える様に走り出す。

「梅殿・・・っ梅、殿」

元々疲労と混乱で、頼りない足取りではあった。幸太郎は、ほんの数メートル先の何も無い箇所で転倒してしまう。

「あっ・・・立花さん・・・!」

後方から思わず駆け寄ろうとした恋雪の肩を、狛治がそっと掴んで引き留めた。婚約者から見守る様に無言で促され、恋雪は心配そうな顔で彼らを見遣る。
派手な転倒で恐らく制服の下の膝や手のひらを擦り剥いた幸太郎は、それでも痛みを忘れて呆然としてしまう。梅がその場に勢いよく走り込んで来るまでに、そう時間はかからなかった。

「先生・・・!っ何してんのよぉっ!!」

未だ手を地に付いたままの幸太郎に対し駆け付けた梅は、すぐ目の前に屈み込みその肩を掴んだ。
口調は強くとも、兄と同じ青い瞳は心配一色で幸太郎を見つめている。
梅がいる。
突如として目の前に現れた彼女は今、幸太郎が呆気なく転倒したことを叱っている。
その話し方は、間違いなく記憶を有したそれだ。
現実とは思えない感覚に瞬きをひとつした瞬間、彼の視界は急激に潤んで歪む。

「・・・梅、殿」
「やだ、先生泣いてるの?そんなに痛かったの?」

慌てた様に眉を下げてこちらを見る梅は、幸太郎の知る彼女に違いない。主張が強く、時折素直ではなく、しかし大切に愛情深く育てられた故の優しさを持っている。
梅にもう一度先生と呼ばれることが、幸太郎の胸を締め付けた

彼女に、そう呼ばれたかったのだ。
この少女に、会いたかった。

「す、みませ・・・梅殿にお会いできて、嬉しくて、つい」

自然と零れ落ちる涙を払い、幸太郎は目の前の梅へと笑いかける。
その、あまりに彼らしい笑顔を前に、梅は目を見開いた。

「梅殿・・・お元気、でしたか?」
「・・・もうっ・・・先生の、ばかぁ!!!」

梅は力の限り大きな声で叫び、地面に座り込んだままの体勢で幸太郎へと勢いよく抱き着いた。
これには幸太郎も唖然と目を丸くした様だったが、梅は構わずその胴体に頭を擦り付けるようにぴったりと張り付き離れない。
お元気でしたか、ではない。
こんなにも突然色々なことが起きて急ぎ駆け付けたというのに、感動の再会の筈が幸太郎は見事に転んだ上、まるで変わらぬ穏やかな台詞を口にする。

信じられない。
信じられないほどに、梅の知る幸太郎そのものだ。

「・・・梅殿」
「何勢いよく転んでるのよっ・・・びっくりするじゃない・・・!」
「め、面目ない・・・」

おろおろと彷徨った彼の手が、遠慮がちに梅の肩へと添えられる。派手に転んだのだからあちこち痛いだろうに、そんなことは忘れているかの様に動揺し、こちらの様子を伺う幸太郎の優しさが懐かしくて涙が出そうになる。
梅は険しい顔のまま幸太郎を見据え、はっきりと言い放った。

「アタシ、全部思い出したから。もう全部、わかってるから」

どこかに雰囲気の似たその顔が驚きに目を見開く光景を、梅はじっと見つめる。

きっかけはやはり、今日のの密着配信だった。午後いっぱいかかった試験後、初めて兄から連絡も無しに置いて帰られたことに気付き、何度かけても繋がらない電話に憤り家でふて寝をしていた時のことだ。
不意に今日が例の彼女の通う学校の文化祭であることを思い出し、アーカイブ配信を頭からぼんやりと流し始めた。大抵は兄と二人で見ている動画を一人で見ている違和感と、置いて行かれた悔しさで涙腺が緩んだその時。
梅は、画面の向こうで仲睦まじく横並びに映る双子の兄妹の姿に、目を見開いた。

異様な既視感、理由も無い懐かしさ。
兄が同じ感想を抱いていたことなど露知らず、食い入るようにその配信に見入り、そしての頬の赤い花を見た瞬間に梅の感情は決壊した。それは妓夫太郎と違い、瞬時に頭を埋め尽くすものではなかったが、ぼろぼろと溢れる涙によって余計なものが洗い流されていくような不思議な感覚だった。
靄が晴れていく思いに、梅は唇を噛み締める。電話の繋がらない兄はここにいるに違いない。確信を持ち追う様に家を飛び出した梅は、考えられる限りの手を尽くしてここまでやって来たのだ。

何もかも思い出した。
鬼でいた頃に再会を約束し、それを叶えることが出来なかった姉の様な存在を。
人間であった頃淡い思いを抱き、裏切ることは許さないという言葉を鵜呑みにした優しい存在を。
大切な二人が今生きていることをその魂がようやく理解し、梅はここまで駆け付けたのだ。
掴まえたらもう離さない、離れたくない。

「今度こそ、アタシの先生になって。色んなこと、ちゃんと教えて」
「・・・」
「今更嫌だなんて言わせないから!先生はアタシだけの先生なんだから!アタシ頑張るから!絶対頑張ってみせるから!!」

最後はほとんど懇願の様な言葉を叫び、梅は再度幸太郎の身体に頭を押し付けた。
奇跡のような確率で、ようやくまた巡り会えたのだ。どうか拒絶をしないで欲しい。そんな思いできつく目を瞑った梅の頭へ、幸太郎の手がそっと触れる。
ぽん、ぽん、と優しく動くその手は、彼女の不安と緊張を柔らかく解きほぐした。

「・・・勿論です・・・喜んで」

顔を上げた先にあったのは、昔と何ら変わりない穏やかな笑みだ。
梅を手放しに甘やかしはしない、けれど優しく寄り添ってくれる温かな瞳。
遠い昔、いつも癒される思いがしていた幸太郎の笑顔が、そこにある。

「頑張る梅殿は・・・素敵です」

胸の内から湧き上がる熱い喜びに、彼女の青い瞳が美しく輝いた。



* * *



一台の車が最小限の音で静かに滑り込み、梅と幸太郎のすぐ横に止まる。
運転席の窓から、黒髪の若い男が顔を出した。

「お嬢ちゃん、盛り上がってるところ悪いんだけど」
「何よっ!アンタはあっち行って!」
「ふふ。折角車出してあげたのに辛辣だなぁ」

梅のことを辛辣だと言いながら、その漆黒の瞳はまるでダメージを受けることなく楽しげに細められている。
突然のことに状況が読めていない幸太郎を見下ろし、男は優しく微笑んだ。

「ここは往来で危ないから、良ければ場所を変えないかい?そちらのお兄さんも、お嬢ちゃんと一緒に後ろに乗っておくれ。お嬢さんとうちの困った坊やは、ちゃんと後で回収してあげるから」




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