そして二人は続きを紡ぐ



校庭から、後夜祭開幕のアナウンスと生徒たちの歓声が響いた。
宵闇に包まれた教室の中、背後から回された腕に、はそっと触れる。
この感覚を、知っている。
間違いない。間違いなく、彼だ。
身を捩ると若干緩められた腕の中、ゆっくりとその身が反転し、二人は至近距離で向かい合った。

青い瞳は遠い昔のまま、黒い瞳もまた何も変わっていない。お互いに信じられないことの様に見つめ合い、その喜びを噛み締めた。
恐る恐るが伸ばした手が、妓夫太郎の頬に触れる。触れられた手の温かさに目を見張った妓夫太郎が、自身の手で更にその手を包み込んだ。
懐かしい手、そして懐かしいぬくもり。探し求めてきたそのひとが、遂に目の前に現れた奇跡。
の黒い瞳が感情の波によって潤み細められる光景を、妓夫太郎はもう一秒も逃すまいと見つめ続けた。

「・・・っ・・・会い、たかった・・・」
・・・」

会いたかった。
それがの気持ちの全てだった。
本当に本人かと、記憶はあるのかと、確認する言葉すら出てこない。間違いなくのよく知る妓夫太郎だと、目を見た瞬間に全てを理解したからだ。
堪らずその首元に強く抱き着いてきたを受け止め、妓夫太郎は暫し硬く目を瞑る。

「・・・あんな約束しておいて、今日まで待たせて・・・悪かったなぁ」
「ううん、良いの・・・もう良いの・・・。不安になったこと、何度もあったけど・・・それでも、きっと見つけてくれるって、信じてた・・・」

何度でも見つけて見せると、約束をした。
不死の鬼であった頃、妓夫太郎が人間のと共に在るためにはそれが唯一の方法だった。彼女が生まれ変わる度、必ず見つけてみせる。その決意は決して偽りではなかったが、結果として人間に生まれ変わった妓夫太郎は一度その記憶を手放してしまった。

今日までどれほど長い時間、を待たせてしまったのだろう。縋り付くようなの細い腕から、彼女のこれまでの思いが伝わってくるような気さえして胸が苦しくなる。
知り尽くした様な彼女の感覚、の匂い。全てを大切に強く抱きしめてから、妓夫太郎はそっとその身を離す。
ずっと抱き締めていたい気持ちもあるけれど、今はその顔を見て話がしたい。今度は妓夫太郎の方からの頬に触れた。滑らかな柔らかさが心地良い。潤んだ瞳に苦笑を漏らしながらも、手のひらに伝わる温かさにはどうしたって喜びを覚えてしまう。

「お前・・・生きてるんだなぁ」

その言葉に、が何かを察したように目を見張る。
二度に渡り妓夫太郎を置いて命を散らしたことは、彼女にとっても苦しい真実だ。どちらの死もどうにもならないことだったが、それでも彼に辛い思いをさせたことは間違いない。こうして生きて向き合えたことは奇跡だ。

「うん。生きてる・・・今度は、目も見えてるよ」
「俺も・・・今度は、人間だ」

もう鬼と人間という隔たりは無く、の目にも光が戻っている。同じ人間同士で、再び会えた。今後こそ平和な時代に、揃って生まれ変わることが出来た。
花が綻ぶようなの笑顔は、やはり変わることなく妓夫太郎にとって一番大切なものだ。この笑顔のためなら何でも出来ると、何度思ったことだろう。今再び叶ったその笑顔を前にして、彼もまた多幸感に表情を緩める。

「・・・本番前の配信、見たぞ」

その言葉に、がはっとした様に目を丸くする。
彼女の頬を彩る赤い花を、妓夫太郎の指先がそっとなぞった。
全てが呼びかけだったとすれば、なりに色々考えた末での筋書きだったのだろう。
存分に記憶を揺さぶられた、見事だったと、妓夫太郎の目が細められる。

「この赤い花も、薬学の話も、髪飾りの下りも・・・全部効いたけどなぁ。幸せにするって言われた瞬間、ようやく全部思い出してなぁ・・・気付いたら、こっちの方まで来てたんだよなぁ」
「・・・そっ・・・か・・・ちゃんと、届いたんだね・・・」
「ああ・・・お前の必死な声で、目が覚めた」

文化祭の配信には、自身特別な思いをかけていた。兄や友が支えてくれた、この機を逃すなと背を押してくれた。素の自分としてカメラの向こうに語りかけられる貴重な機会だ、本当に色々な人に支えられながら何が出来るかを模索し、特別な思いで挑んだ一日だった。それが見事実を結んだと妓夫太郎自身によって認められ、嬉しくない筈が無い。

大きな安堵に息をつくその姿に、妓夫太郎は思わず空いた方の手も伸ばし彼女の頭を撫でてしまう。されるがまま心地よさそうに目を伏せる表情が、愛おしくて堪らない。
不意に、舞台上の彼女の姿が妓夫太郎の頭を過る。

「・・・記憶が無い内から、の出てる大会の動画、見てたけどなぁ」

これには、お互いに瞬間無言になり見つめ合ってしまった。

「お前が誰かもわからねぇ内から、飽きもせず毎日毎日なぁ。舞台に上がってるお前が色々強烈過ぎて、目が離せねぇよ」

妓夫太郎が、これまでの活躍を見てくれていた。思いがけず齎されたその言葉に、が目を見開く。
記憶が戻ったのは今の話を聞く限り今日が初めての筈だ。それでも、彼はの姿を見ていてくれたと言う。
小さな苦笑を浮かべた妓夫太郎に優しく頭を撫でられ、その指先に甘やかされるような感覚には目を閉じる。
記憶の無い内から姿を見ていて貰えた嬉しさと、舞台上での姿とのギャップを指摘されたことの気恥ずかしさ。どちらも本物の気持ちだけれど、今彼に全てを伝えたくなってしまう。

「・・・全部、妓夫太郎くんに、見つけて貰う為だよ」

まるで別人の様だと、普段のを知る人は言ってくれる。その気迫は武闘家の様だとか、凛とした姿が恰好良いと褒めてくれる人もいる。その誉め言葉は勿論、自身もとても嬉しく受け止めている。
けれど、本当のは違う。強くも無ければ凛々しくも無い。

「何とかして目に止まりたくて・・・全部、取り戻したくて・・・」

ただ、妓夫太郎にもう一度逢いたい。大好きな人の気持ちを取り戻したい、その一心でここまで来た。
そのためなら何だって出来た、母の名と比べられる悔しさも鍛錬の辛さも、全て受け入れてここまで進めたのは、ただひたすらに彼のためだ。
強く見せていただけなのだ、鎧を脱ぎ去れば何てことはないただの学生でしかない。ただ、大好きな人に見つけて貰いたい気持ちは誰にも負けなかった、それだけの話だ。
そうして気持ちを吐露したことに、が小さく恥ずかしそうな笑みを浮かべた次の瞬間。
再度正面から、優しく抱き寄せられる。

「・・・ありがとうなぁ」

耳元に囁かれたその言葉が、じんわりと身体全体に馴染んでいく。
これまでの全てが報われていくような感覚に、の眦から遂に一粒の涙が零れ落ちた。

辛く苦しいことも、無駄ではなかった。妓夫太郎から告げられた礼の言葉が、今日に至るまでのの全てを肯定してくれる。
そっとの方からも彼の背中に手を回し、その温かさに身を委ねる。抱き締められる優しい感覚は昔から変わらず、安心と気持ちの昂ぶりの両方を齎してくれる。
ずっとこうしていたい。それはもう、叶わない願いでは無くなった。

「今度こそ、ずっと俺の傍にいてくれ」
「うん・・・ずっと、離さないで」

もう離れない。
この手を離さない。
決して、引き離されたりはしない。
どちらともなく腕の力が緩んだ隙に、が背伸びをして顔を近付けようとしたその刹那。妓夫太郎にそっとその肩を掴まれ、押し戻される。咄嗟に見上げた先にあったのは優しい視線で、拒絶ではないことに安堵した。

「・・・たまには譲れよなぁ」

含みのある言い方を受けて、は小さく笑って頷いた。
大事な話があると切り出した彼に対し、全て先回りをして思いをぶつけたことは遠い昔の筈なのに、つい先日の出来事の様に思い出せる。
期待に高鳴る鼓動をそのままに、は大人しく瞳を閉じその時を待った。

どうして彼女はこうも可愛いのだろう。そんな思いに目を細め、妓夫太郎が屈むようにその顔を近付ける。
唇同士が触れ合おうとした、その時。

ドン、と低く響く音に、妓夫太郎の動きが止まった。

思わず顔を向けた窓の外に、見事な光の輪が花開く。
数多い記憶の中でも特に鮮明な思い出として残る光景が突如として再現され、瞬間思考が停止する。そうして唖然とする彼の意表を突くかの様に、が妓夫太郎の方へと顔を寄せた。
頬に押し当てられる、柔らかく温かな感触。
慌てたように視線を戻す妓夫太郎を見上げ、は悪戯に頬を染めて笑って見せた。

「やりやがったな・・・」
「・・・ふふ、ごめん」

照れたように笑いながらも、その黒い瞳は期待にキラキラと輝いている。
ああ、駄目だ。
やはりどうしたって、彼女には敵わない。

「・・・もう、待ちきれないよ」

が背伸びをするのを迎え入れる様に、妓夫太郎の腕が彼女の背中に回る。後夜祭の花火の音を間近に感じながら、二人の影がひとつに重なった。
過去二回の人生でそれぞれ交わした口付けと、何ひとつ変わらない。ひたすらに待ち焦がれた幸福が、そこにあった。
何に遮られることも、隔たりも無い。眠った後の夢や白昼夢でもない、現実に二人は繋がっている。二度失った何より大切なものを取り戻す、その実感が少しずつ確実に二人の中へと溶けていく。
何度も角度を変えて優しく繰り返される甘やかな触れあいの、その合間。

「嬉しい」

ぽつりと呟かれたの言葉に、妓夫太郎が目を開ける。

「嬉しい、よ・・・また、一緒に花火・・・見れたね」

の潤んだ瞳は、花火の光に照らされてとても綺麗だった。
最初に江戸の町で見上げた花火。
そして時を経て、盲目の彼女と遊郭で音を聞いた花火。
もう一度こうして、二人一緒に体感出来たことは喜び以外の何物でもない。

「ありがとう、妓夫太郎くん。今、本当に・・・心の底から、幸せ」

の優しげな黒い瞳は、他の誰でもない妓夫太郎だけをまっすぐに見つめている。
もう何の心配もいらない。これからはずっと一緒にいられるという安心感が、妓夫太郎の心を温かく包む。

「・・・こっちの台詞だ、ばぁか」

ありがとうも、幸せも。同じ気持ちでいると伝えようと、妓夫太郎は再度その唇を優しく塞いだ。
満たされる。何もかもが満たされ、ひとつになる。何者にも脅かされることのない幸せをようやく手に入れ、二人はお互いを強く抱き締め合った。
ひと際大きな花火が、空に美しく咲いた。





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