再会の舞台裏



時は少し遡る。

走る。
彼は走る。
息が切れる程に、彼は走る。

「・・・っくそ・・・道、合ってんだろうなぁ・・・!!」

スマホの充電はとうに切れていた。
遠くの公園の時計を見上げると、針は四時半過ぎを指示している。学校を飛び出したのが二時前、既に三時間近くも無駄にしてしまった。否、無駄かどうかはまだわからないけれど。

どう考えても車両トラブルの影響で電車が中途半端な場所で止まってしまい、長時間閉じ込められたことが一番の敗因ではあるが、ようやく降ろされた駅で土地勘が無かったことも悪い方向に作用した。迂回方法を調べようにも頼りのスマホは電池が切れ、バスもタクシーも滅多に来ない上長蛇の列でどうにもならなかった。
縋るような思いで問うた駅の窓口で、一分一秒でも早くキメツ学園まで行きたいと伝えたところ、老いた駅員に道を教えられたのである。複雑な道順ではない代わりにかなり距離があると忠告されたが、最早他の手は無かった。

冷静に考えれば落ちついて電車の運行再開を待つなり、スマホの充電が出来るよう買い物をするなり、他の手段もあったかもしれず。
しかしこの瞬間、彼はとても冷静でなどいられなかった。悠長に立ち止まってなど、いられなかった。

「・・・っ・・・・・・!」

全てを思い出した今、妓夫太郎はもう足を止められない。
が自分を待っている。その事実を知った今、ただひたすら走る以外の選択肢は残されていなかった。



* * *



その日午前中の試験を早々に終わらせた上当然の様に途中退席し、予定していた配信を見始めた時から、妓夫太郎は何か奇妙な違和感を感じていた。
舞台の上では誰も寄せ付けないような気迫を纏っていた彼女が見せた、優しげな話し方。初めて聞く筈のその話し声が、まるで長年馴染んだ音の様に耳に心地良く響いた。
舞台を降りた素の彼女はいつも穏やかに笑っていて、周りの人間から実に好かれている。妓夫太郎とは縁の無い筈の彼女の笑顔が、異様な程に引っかかった。

何処かで、会ったことがあるのではないか。

配信が進む度、その疑念は確信へと姿を変えた。
双子の兄だという男と二人して、薬学研究部で専門的なことを喋り続けるその姿が。
本番用の装いだと言って頬に花のペイントを入れて現れたその姿が。
そして、髪飾りは特別な物と出逢うまでは付けないと拘りを明かすその姿が。
その全てが記憶の奥底に作用し、彼女を知っているという紛れもない事実を妓夫太郎に突き付けた。
混乱する頭の中、決定打はすぐに振り下ろされることとなる。

『さて、それじゃあちゃん。本番まで少し時間はあるけど、見ている人に今日のステージへの意気込みをお願いします!』

『はい・・・配信を見て下さってる皆さん、今日会場にお越しの皆さん、本当にありがとうございます。三年柊組の皆で、必ず良い舞台をお届けします。見ている人を、笑顔に・・・』

そこで不意に言葉を切った彼女が、カメラを真っ直ぐに見つめる。何かを堪えたような笑顔に、妓夫太郎は完全に射抜かれた。

『―――見ている貴方を、幸せにします』








《私が妓夫太郎くんを幸せにする》








血管が、どくんと大きな音を立てる。

外界から取り残されたように周りが音と色を失くし、その瞬間様々な映像が脳裏に流れ込む。
遠い遠い記憶。互いを生涯のただ一人と誓った筈が一晩で全てを奪われ、鬼と姿を変えた後も巡り会い惹かれ合い、しかし再びその命を散らした存在。眠るようにこの腕の中で力尽きた彼女に対し、必ずまた見つけると約束をした夜。鬼として首を斬られた最後の時、その約束を違えてしまうことに涙し、心の底から会いたいと願ったただ一人のひと。
永遠のようにも感じられたその体験は、ほんの数秒で妓夫太郎の中身を作り変えた。
世界が音と色彩を取り戻した、次の瞬間。

『だから、会いに来て下さい・・・待ってます』

その声が、届いた。
この呼びかけは、間違いなく自分に向けられている。

が自分を呼んでいる。

それを頭で理解した時、気付けば妓夫太郎は学校を飛び出し走り出していた。
梅に何も言わず学校へ置いて来てしまったことを、申し訳なく思う気持ちはあれど今だけは全て後回しだ。
どんなに責められようと詰られようとも受け入れる。今だけは許してくれと妓夫太郎は心の中で妹へ詫び、最寄り駅の電車へ飛び乗ったのだった。



* * *



「来てくれてありがとう母さん、文化祭大成功だったよ」

学園からの最寄り駅近くの駐車場に、一台の車が停めてあった。
後部座席に寝転がる小さな弟や妹たちはすっかり夢の中であるし、助手席の妹もまた舟を漕いでいる。よほどはしゃぎ回ったのだろう。炭治郎は優しくその様子を見守り、運転席の母へと笑いかけた。
今日は一日忙しかったが、家族が応援に来てくれたことはとても嬉しかったし励みになった。

「後夜祭、あるんでしょう?楽しんでいらっしゃい」
「ありがとう。明日の仕込みには間に合うように帰るから」
「気にしなくて大丈夫よ。気を付けて帰って来なさいね」
「うん、母さんも帰りの運転気を付けて」

優しく微笑む母に手を振り、炭治郎は車が遠ざかって行くのを最後まで見送った。今日は一日中良い天気であったし、妹や弟たちも存分に楽しんでくれた様だったので本当に良かった。更には模擬店ブロックの特別表彰も受け、一年紅葉組は今もきっと大盛り上がりの筈だ。後夜祭を楽しむべく学園へ戻ろうとした炭治郎の足が、止まった。

通りの向こう側、案内板に手をつき、肩で大きく息をする男性を見かけたためだった。信号が丁度青になったので駆け足に渡り、思わず声をかけてしまう。

「・・・大丈夫ですか?」

年の頃は炭治郎より上だろう、見知らぬ学生服を纏うその相手が顔を上げる。
その瞬間、二人は信じ難い既視感に目を見開いた。

「・・・っ・・・!!」
「え・・・っ君は・・・!!!」

鬼と人間でその命を獲り合い、死闘を繰り広げた相手。更にはお互いの反応から、記憶を有した者同士であることを知る。
動揺なんて一言で片づけられる邂逅では無かった。しかし、額から汗を流し息を乱す相手の様子に、心配せずにいられる炭治郎ではない。一度その首を刎ねた相手であっても、それは変わりなかった。

「大丈夫か?ふらふらじゃないか」
「触んな・・・相変わらずお節介なガキだなぁ・・・」
「そんな様子で放っておけないよ・・・どうしたんだ?何がしたいんだ?」
「うるせぇなぁ・・・とっとと失せろよなぁ・・・」

妓夫太郎は頑なに拒絶の姿勢を貫こうとするが、それでも炭治郎は追い縋る。
前の世で勝敗が決したあの夜と同じ、鬼であった頃の彼が最後に発した、強く焦がれる様な匂いがする。今も誰かを探しているのだ、間違いない。再度巡り会えた奇跡の様な可能性に眉を寄せ、炭治郎は妓夫太郎の肩を掴む。

「ずっと気になっていたんだ、頼む。何とか力になるから」
「俺に構うんじゃねぇ、お前と話してる時間は無ぇからなぁ・・・」

妓夫太郎としても、首を獲られた相手から最後にかけられた言葉を忘れた訳ではない。生きるか死ぬかのやり取りをしていたというのに、この少年は生まれ変わっても尚その性分が変わっていないらしい。その助力は心の底から有難い筈なのに、素直に乗ることが出来ない。
妓夫太郎は込み上げる疲労感と焦燥に、側についていた拳を握り締める。

「・・・早く、会いに行かねぇと・・・」

それは、ほとんど無意識に零れ出た台詞だった。
しかしその言葉を耳にした炭治郎は、思わずその目を見開いてしまう。
確証は無い。
ただ、その声が、ひたすら誰かを求めるその匂いが。
二つ年上の彼女と、重なる。

「・・・、さん?」

炭治郎の口から出たその名前に、妓夫太郎が身を固くする。
ゆっくりと合わさったその視線が、答えだった。
俄かには信じ難い可能性の糸が繋がり、炭治郎は感嘆の息をつく。

「―――君だったのか」



* * *



探していた相手の兄を、中等部の校舎入口付近で見つけた。恋雪の婚約者と横に並び、二人して何やら話をしている。炭治郎は駆ける勢いを落とすことなくその名を呼んだ。

「っ幸太郎さん・・・!!!」
「炭治郎殿。今日はありがとうございました、お疲れ様でした」

普段と変わらない穏やかな笑みで、幸太郎は炭治郎を迎えた。心臓の音が煩いのを懸命に堪えながら狛治にも会釈をして、炭治郎は辺りを見回す。
近くに彼女の姿は無い様だ。

「あのっ・・・さんは・・・」
でしたら、今は自分の教室に・・・ただ、恒例の一人反省会中でして。緊急なら多分会えると思いますが、どうかされましたか?」

三年柊組の教室に、はいる。恐らく急ぎの用だと言えば、話も通じるだろう。一刻も早くに話すべきだということは、炭治郎にも理解出来ていた。
けれど、幸太郎に話を通さないことは何か違う様な、そんな気がして。

「あの、幸太郎さん・・・今すぐ俺と一緒に、来て貰いたいところが・・・」
「今すぐ、ですか」
「お願いします、大事なことなんです・・・」

炭治郎は懸命に頭を下げた。突然のことではあったが、幸太郎としてもこの様な真剣な頼みを断るつもりも無い。
狛治と顔を見合わせつつも、付いて行くから大丈夫だと炭治郎の顔を上げさせようとした、その時。

「・・・っ・・・さんの、会いたい人のことで・・・」

後輩の口から出た思いもよらない言葉に、息を呑む。

「・・・どういう、ことですか?」

場の空気が変わった。
幸太郎の表情から普段の穏やかな笑みが消え、彼の隣に立つ狛治も突然のことに戸惑いを隠せずにいる。
炭治郎は思わず唇を噛んだ。一体何をどう話せば伝わるだろうか。前世の記憶の話をするべきか、突然そのようなことを言って果たして理解して貰えるのか。何故炭治郎が妓夫太郎のことを知っているのか、二人の関係性も何もかも、素直に話せば通じるものだろうか。
お互いに情報が共有されていない故のすれ違いに険しい顔をして、炭治郎が覚悟を決めたように顔を上げる。

「あの、変に思われるかもしれませんが・・・」
「何処に行けば会えますか?」
「・・・幸太郎さん」

しかし、幸太郎はその説明を求めなかった。理由も説明も不要として、ただ何処へ行けば良いのかと問う。
普段穏やかな彼の真剣な眼差しに貫かれ、炭治郎は目を瞬いた。

「今すぐ、案内してください」

両肩を掴まれ、慌てたように首を縦に振る。
彼を待たせている校務員室へと、急いだ。



* * *



学園の外、正門のすぐ側にその校務員室はあった。
鱗滝は職員室の中にもその席を持っていたが、外仕事の多い彼は専らこの小さな部屋で身支度を整えることが多かった。

文化祭も終わり後夜祭が迫る今、祈るような思いで炭治郎がその戸を叩き、連れて来た客人を一時預かって貰える様鱗滝に願い入れて数分後。
再度扉が開かれた向こう側に現れた存在に、妓夫太郎が目を見開く。

「・・・立花、か?」

お互いに、記憶の中で共にいた頃の姿より若干幼い容姿だ。それでも疑い様も無くわかってしまう、間違いなくかつての友だと。それも、記憶がある状態で目の前に存在している。
幸太郎は一歩二歩と妓夫太郎に歩み寄り、長らくぶりに呼吸を思い出したかの様に声を震わせた。

「・・・本当に、妓夫太郎殿なんですね・・・」

かつて一年という短い時間の中で、幸太郎の人生を豊かに変えてくれた友のひとり。
今回妹として生まれたが、気が遠くなるような長い間会いたいと願い続けた存在。がどれほど不安に駆られ、どれほどの回数心が折れそうになったのか、幸太郎は知っている。

「お願いです、に会ってください」
「おい・・・」
「お願いです・・・!!会ってあげて下さい・・・!!」

気付けばその両肩を掴み、懇願する様に俯き目を固く瞑っていた。
幸太郎は今明らかに冷静さを欠いている。
そんな彼の肩へ、事情を知る友が後ろから手をかけた。

「落ち着け、幸太郎。今の時間じゃ外部の人間は校内を歩けない。だからここで待たせていたんだろう」

狛治の言う通りだった。
文化祭は終了し、一般客を受け入れる時間はとうに過ぎている。後夜祭は学内の人間のみのイベントだ、他校の制服を着た妓夫太郎が歩き回ればすぐに問題になってしまう。炭治郎がここで彼を待たせ、単身幸太郎を呼びにきたのもそれが理由だ。
普段ならばすぐに考え付くであろうことまで頭が回らず、幸太郎は動揺に息をつく。
らしくない友の姿は、それだけ目の前の男が大きな存在である何よりの証だ。狛治は黙って上着を脱ぎ、その詰襟を妓夫太郎へと差し出した。

「使ってくれ、下はそう色味も変わらないだろう。少しの間であれば、怪しまれずに済むかもしれない」

妓夫太郎は思いもよらぬ借り物に怪訝な顔をした。
狛治の姿が記憶の何かと引っかかる。しかし妓夫太郎の頭の中で、上弦の参である猗窩座と狛治の姿は、ひとつには結びつかなかった。
ともあれ狛治は自身の上着を貸し与えることで、妓夫太郎を構内のに会わせることを計画した。
尤もそれにあたり、まずは承諾を得なければならない存在のことも忘れてはいない。

「・・・鱗滝さんが見逃してくれるなら、の話ですが」

今回の文化祭を通して大変世話になった天狗の面の老人に、狛治は向き合った。彼に対し不義理を働きたい訳では決してないが、今この状況は鱗滝の判断にかかっていると言っても良い。

現実味の欠けた話ではあるが、この妓夫太郎という男は何しろが前世から約束されていたという相手なのだ。狛治は兄妹の友として、是が非でもこの機会に二人で会わせてやりたいと思っている。
校務員の老人は室内に集った少年たちの顔を順に見遣った。戸口で不安そうに佇む炭治郎も、妓夫太郎の正面で俯く幸太郎も、狛治と同じことを考え、彼を送り出しと会わせることを願っている。

「あの娘の探し人で、間違い無いんだな」
「・・・っそうです、彼です、間違いありません」

幸太郎が上擦った声で肯定するのを聞き、暫し老人は考える。
どんなことをしてでも、会いたい人がいる。何処にいるかも知れないその相手に見つけて貰える様、その為に頑張っているのだと。先日その話を聞かせてくれたの表情を思い起こし、鱗滝は腕を組んだ。

「何かあった時は、儂の名を出せ」
「・・・良い、のか」
「今はそれが最善だろう・・・天狗の面の誼みだ」

思わず声を上げる妓夫太郎に対し、鱗滝はそう応える。それは一部にしか通じない話ではあったが、が鱗滝に祭の思い出話をし、かつ彼が妓夫太郎を信用したことへの証だった。
光明が見えてきた安堵に誰もが沈黙し、一番にそれを破ったのは彼女の兄だ。

「っありがとうございます・・・!!妓夫太郎殿行きましょう、案内します」

未だ手に握られたままの狛治の上着を羽織るよう促し、幸太郎は妓夫太郎の腕を引く。
ここまで勢いで来てしまったが、今急激に色々なことが重なり彼女への道が開けようとしている。

「・・・に、会えるのか」
「そうです・・・貴方以上に、が待ち望んでいる人はいません・・・」

呆然と呟く声に、幸太郎が力強く応える。
幸太郎の友だという狛治も、校務員の天狗の面の老人も、妓夫太郎のことを良く知らないにも関わらず手を貸してくれようとしている。それは未だ戸口でこちらを見守る、かつての敵だった少年にも同じことが言えた。
妓夫太郎は浅い息を吐き出し、拳を握り締めて声を絞り出す。

「・・・恩に着る」

視界の端で、炭治郎が安堵した様に微笑んだ。


* * *



後夜祭のため生徒の多くは校庭へと集まっているらしく、校舎内を歩く人影は疎らだった。
しかしどこから教員が出てくるかはわからず、自然を装える様歩いてついて来る様にと幸太郎は指示した。疲労感など忘れて階段を駆け上がりたい欲を堪え、大人しく幸太郎の後をついて歩く。中学三年の教室は最上階らしく、妓夫太郎は一歩一歩を踏みしめるように段差を上がった。

「・・・お前と、は・・・」
「そうですね、説明しなくてはいけないことが、山の様に・・・時間が無いので簡潔に言うと、今は双子の兄妹です。二人とも、以前の記憶があります」

幸太郎とが、双子の兄妹。
配信で一度見てはいたものの、改めて本人の口から聞くことで妓夫太郎は小さく目を見開く。
薬学研究部とやらで部員以上の饒舌ぶりで楽し気に会話していた様は、まるで昔の二人の様ではないか。
思えばと幸太郎はどこか雰囲気が似ていて、それ故に幸太郎とは出会った当初から何かと口が緩んで喋り過ぎてしまったことを、妓夫太郎は昨日のことの様に思い出す。

双子の兄妹として生まれ変わるとは、何とも出来過ぎた展開だ。そうして僅かに口元を緩めた妓夫太郎を振り返り、幸太郎が恐る恐るといった様子で口を開いた。

「その、妓夫太郎殿。梅殿は・・・」
「・・・今も俺の妹だ・・・記憶は、無ぇが」

上の段を行く幸太郎の瞳が見開かれ、揺れる。
それは、梅が今も妓夫太郎の妹として存在している現実への安堵。同時に、そう簡単に記憶を持った者同士の奇跡は起きないことへの小さな落胆。
二つの感情が混ざり合った曖昧な笑顔を見上げ、妓夫太郎は目を逸らす。

「・・・そう、ですか」
「ただ、俺も正直今日までは・・・何ひとつ、思い出してなかったけどなぁ」

階段を登り切り、一方向へ伸びる廊下を前に二人で並ぶ。もうじき日が暮れる中、灯りの漏れている教室は無い。どこの教室にがいるのかは、まだわからなかった。

の配信を、見たんですね?」
「まぁなぁ・・・今回だけじゃねぇよ。あいつの大会の動画、俺も梅も何度も見てる。知り合いでも何でも無ぇのに、毎日毎日」

記憶が戻る前からも、二人して繰り返しの活躍を見ていた。告げられた事実に、僅かに先を歩く幸太郎の肩が若干揺れた。
こちらを振り返る視線には、大き過ぎる喜びと堪え切れない期待が滲み出ている。相変わらず正直な奴だと、妓夫太郎は苦笑を零してしまう。

「普通じゃねぇとは思ってたが・・・思い出した途端に、全部腑に落ちたんだよなぁ」

知らない筈のを、何度も繰り返し画面越しに追ってしまったことも。その姿を見る度に覚えていた胸の騒めきも。何もかもこの記憶を引き出すためだったのだと、今ならはっきりと理解出来る。
きっと、梅も似たような状況だろう。何かきっかけさえあれば。それこそ、今日の配信を見ていたとすれば或いは。妓夫太郎がそう口にしようとしたその時、幸太郎の足が止まった。

「・・・私も、妓夫太郎殿とお話したいことが沢山あります。ただ、今は先に、と・・・」

その声が潜められていることで、彼女が近くにいることを察する。否応無しに高まる緊張感に息を呑み、幸太郎に続き足音すら潜めて進んだその先に。

「貴女が好きです。俺と一緒に、後夜祭の花火、見てくれませんか・・・?」
「・・・ありがとう。気持ちはとても嬉しい・・・でも、ごめんなさい」

まさか他の男からの告白を断るの声を聴くことになるだなんて、思いもしなかった。
間の悪さに眉を顰める幸太郎が、何とも言えない表情でこちらを窺っている。それはわかっていたけれど、妓夫太郎は何の反応も返せずにいた。

「好きな人が、いるの。今は近くにいないから、会えないけど・・・他の誰かじゃ・・・意味が無いの。君の何かが駄目とかじゃなくて、私には・・・その人以外、どうしても有り得ないの」

ああ、の声だ。
間違いなく、彼女の声がする。
その声が、画面越しではなく直接耳に届いたというだけで、堪らなくなってしまう。

が語る唯一とは自分のことだと、妓夫太郎は理解していた。彼女が生まれ変わる度に必ず見つけてみせる、と。あんな約束をしたにも関わらず、これまで何の音沙汰も無かった自分を、それでもは信じて待ち続けてくれていた。
が向けてくれる思いは変わらない。あれからどれだけ時間が経とうと、何も変わっていない。思いもよらない事態から示された彼女の気持ちに、妓夫太郎は俯くことしか出来ない。

「・・・正直に話して下さって、ありがとうございました。早く、会えると・・・良いですね」
「・・・ありがとう。本当に、気持ちは嬉しかったよ。後夜祭、楽しんできてね」
「はい・・・失礼します」

潔く教室に後にしようとした男と、鉢合わせてしまう。
妓夫太郎は顔を上げなかった。

「・・・あっ・・・立花先輩・・・すみません、失礼します・・・!」

に思いを寄せるくらいなのだから、当然幸太郎のことも知っていたのだろう。ショックと共にその名を呟いた男は、隣に佇む妓夫太郎には特別反応を示さずその場を去った。
幸太郎に優しく背を押され、妓夫太郎は暗くなりかけた教室へと足を踏み入れる。咄嗟に振り返ると気遣わし気な瞳と目が合い、言葉は無く一度頷かれた。

外から扉を閉められ、幸太郎の背中が遠ざかる。
今度こそ、彼女と二人になったことを実感した。

「気まずいところ、見られちゃったね」

は、こちらを振り返らない。
幸太郎と勘違いしていることは間違いない様だった。
無理に明るい声を出そうと懸命になる背中が、痛ましい。

同時に、愛おしくて堪らない。

「お兄ちゃんは気にしないで皆と後夜祭行って良いよ。私はもうちょっとここで反省会するから」

お兄ちゃん。
梅が自身をそう呼ぶのと同じ様に、は幸太郎をそう呼んでいる。同じ学年なのだから生まれてから十五年、長い年月が経過している。変わったことも勿論山の様にあるだろう。

けれど、こうして生まれ変わった彼女の背中を目の前にして思う。変わっていない。間違いなく、彼女はだ。妓夫太郎が誰より傍にいたいと願った、たった一人のひと。

「・・・おにいちゃ、」

思わず駆け寄り、彼女が振り返るより先にその細い背中を抱き寄せる。
は瞬間身を固くして、しかし悲鳴や拒絶の声は上げなかった。
勝手な解釈だったが、こんな突然のことにすら、は相手が自分だとわかってくれていると感じる。華奢な身に触れて、彼女を抱き締める感覚。その途方も無い懐かしさに震えが走る。

「・・・っ・・・

生きている。
かつてその死を見届けた筈のは、今この腕の中で生きている。
二度に渡り失われた命、優しい温かさ。
全てが今、この腕の中にある。

「―――妓夫太郎、くん?」

懐かしい声にその名を呼ばれ、遂に妓夫太郎は幸福を取り戻した。



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