どうか届いて



挿絵版
お世話になっております鳩ぽっぽさんより素敵な挿絵をいただきました!
上記リンククリックで挿絵あり版に飛べます。
※夢主顔ありです



「あのっ・・・ファンです!!応援してます!!!握手して貰っても良いですか?」
「ありがとうございます、嬉しいです」

握手を求めるファンの声に、がにこやかに応える。
賑わう空気の中でその様子がしっかりとカメラに映された。撮影中のプラカードが掲げられている通り、今まさにの周囲は報道同好会によりカメラや照明等で固められている。

晴天に恵まれ、文化祭当日がやってきた。

「ふふふ、外部からもファンの人が来てるみたいだけど、今の気持ちは?」
「えっと・・・とても嬉しいです。有難いことですね・・・ちょっと照れちゃいますけど」
「キャッ!照れてる顔も可愛い!!キュンキュンしちゃう!!」

握手が出来たことで興奮した様子で去っていくファンを見送り、リポーターの蜜璃がにマイクを向ける。照れたように笑うに蜜璃がハートマークを飛ばす画に、カメラ担当の生徒も頬が緩んでしまう。

朝から始まった密着配信は、非常に和やかな雰囲気で進行していた。
蜜璃のリポーターとしての腕は確かな上、もやや緊張しながらも上手に掛け合いを続けている。開会式から始まりと蜜璃は様々な展示エリアに顔を出し、行く先々で撮影班は温かく迎えられた。単にカメラに映り込みたい者、自身のクラスの宣伝をしたい者、純粋にの応援をする者、実に色々な生徒たちと触れ合い、現時点でも大変充実した配信が出来ている。

「三年柊組のステージは午後三時、芸能ブロックのトリでーす!!」
「体育館の大ステージでお待ちしてまーす!!是非来てくださーい!!」
「今配信中だよー!!目立ちたい奴集まれー!」

そして今、は柊組の一部のメンバーと一緒になり校庭の模擬店ブロックを歩き回っている。裏方部隊が看板とチラシを作ってくれたため、本番に向けて更なる呼び込み活動中なのだ。配信中ということも手伝い注目度も高く、チラシの捌け具合も悪くない。わいわいと声を上げる柊組の生徒達の姿に、蜜璃がはしゃぐ様に笑った。

「クラスの皆もとっても元気ね!」
「そうなんです、皆今日のためにとても頑張ってきたので・・・団結力は私も自信があります、良いクラスです」
「良いぞ立花妹ー!もっと言ってー!」
「もう。褒めてる時にそういうこと言う?」
「うふふ!皆仲良しさんね!素敵だわ!」

柊組のクラスメイト達は時に陽気に、時に真剣にに合わせ場を盛り上げてくれる。軽口が混ざりながらも良き仲間に恵まれたことに笑う彼女の表情は、まさに今回の企画には最高の画だ。舞台上では強く凛々しい彼女の素の部分を伝える、それが目的なのだから。眩しい程に仲の良い後輩達の姿にときめきが止まらないながらも、蜜璃は務めを果たすべくに笑顔を向けた。

ちゃんはこの呼び込みが終わった後は、もうリハに入って本番待機かしら?」
「そうですね、もう一か所だけ行きたいところがあるんですけど、基本的にはそのつもりです」
「今日は密着だからリハも勿論だけど、行きたいところにも付いて行って良いかしら?」
「勿論です、よろしくお願いします」

打ち合わせ通りのやり取りを無難に交わし、蜜璃はカメラの方へ向き直る。今回の配信は台本とアドリブのバランスが非常に重要だ。ここまでは問題なく順調な筈なので、残りもしっかりこなしてみせる。
とびきりの笑顔がカメラの向こうの視聴者へと向けられた。

「というわけで皆さーん!一旦ここで休憩です。再開後は、ちゃんの気になる場所をチェックしちゃうわ!今日と明日限定で今の映像もアーカイブ配信してるから、途中から見てくれた人も安心してね!それではまた後ほど、お会いしましょうねー!」
「・・・カット。お疲れ様でーす」

カメラ担当のカットの声に、はほっと息をついた。
蜜璃が上手に進行してくれているとはいえ、やはり緊張する。試合の度にカメラは回るのだから慣れている筈が、舞台から降りるとこうも違うものだろうか。素の自分を晒しているせいか、それともこの配信に特別な願いを託しているためか。

ちゃんお疲れ様、大丈夫?本番前なのにくたくたじゃない?」
「全然大丈夫です!甘露寺先輩も報道同好会の皆さんも、本当にありがとうございます」
「良いのよ!私たちは今日この役目にとても燃えてるんだから!ご一緒できてとても楽しいわ!」

蜜璃はこんな時でも底抜けに明るい。色々な方面に気を遣い一番働いているのは恐らく彼女であるのに、その疲れを一切感じさせない。流石だと感心してばかりはいられない、カメラは止まっても学園祭は続くし、外部の来場者も大変に多いのだ。興味深そうに向けられる視線の前で情けない姿は見せられない。そうして気合いを入れ直したに、横から声がかかった。

、甘露寺先輩、お疲れ様です」
「お兄ちゃん」
「まあ幸太郎君!こんにちは!」

今日は朝から別行動をしている兄だった。や他のクラスメイト達と同じく、彼もまた今日はクラスTシャツを着ている。裏方部隊を取り仕切る幸太郎は当日の今日も何かと忙しい。申し訳なさそうにの眉が下がった。

「お兄ちゃんごめんね、会場準備も全然手伝えなくて・・・」
「何言ってるんですか、の今日の役目は断然こっちです。お客さんの反応も良さそうだし、本番の集客も楽しみですね」

の名を出したプログラムを組んだ時点で、彼女が広報の要になることは誰もが理解していたことだった。密着配信と聞いた瞬間は驚いたものだが、の願いを熟知している幸太郎がこの機会を喜ばない筈も無い。準備は一切気にせず、本番までは配信に全力を注ぐようにと何度も伝えていた。そうは言っても性格的に気にせずにいられない妹には、安心させる様何度でも頭を撫でるくらいしか出来ないのだけれど。

「こちらの準備も一区切りついたので、ちょっとだけの撮影の様子を見に来たんですけど・・・タイミング合いませんでしたね」
「そんなことないわ幸太郎君!呼び込み編は終わったけど、次はちゃんの行きたいところへお供する予定よ!えっと、行先は・・・薬学研究部で良かったのよね?」
「・・・はい、よろしくお願いします」

薬学研究部。
高等部にしか無いその名前に幸太郎が反応するまで、一瞬の間が空いた。妹と目が合い、その視線から彼女の考えが伝わってくるような感覚に彼は小さく微笑む。成程、アピールの方法としては非常に真っ直ぐで分かり易い。

「あの・・・私も行きたかったところなので、ご一緒して良いですか?」
「勿論!是非兄妹の映像も欲しいわ!」
「・・・えと、妹の様にカメラ映えはしないので、お手柔らかに・・・」
「そんなことないわ!仲良しの双子の兄妹で素敵よ!」

蜜璃の熱弁に苦笑する幸太郎を加え、呼び込みの一行は校庭を進む。
青空の下で大変な盛り上がりを見せる模擬店ブロックの中、ひときわ目立つ行列に目を奪われるまでにそう時間はかからなかった。近隣の模擬店に迷惑がかからぬ様列は整備されているが、どう見ても蛇行するこの行列は普通の並びではない。

「・・・すごい長蛇の列・・・」
「もしや、これは・・・」

と幸太郎だけでなく、柊組の生徒たちが次々と顔を見合わせあったその時。

「一年紅葉組、パンの販売はこちらですー!」

響いてきた声に、やはりと誰もが頷いてしまう。
三年柊組は一年紅葉組の売れ行きを予め知っていたとも言えた。試食で食べたパンが、どれも甲乙つけがたく美味しかったためだ。実演部隊のあまりの高評価に、裏方部隊までもそれぞれが財布を持ちパン屋へ押しかけた程である。
炭治郎の焼いた特別美味しいパンで焼きそばやソーセージを挟むなど、どう考えても売れない筈が無い。思い出すだけで空腹を覚えそうな感覚に全員が遠い目をしたその時、噂の人物が顔を出す。

「あっ・・・さん!幸太郎さん!皆さんお揃いですね、呼び込みですか?」
「竈門くん、こんにちは。大盛況だね・・・!」
「お蔭様で・・・」

炭治郎本人は恐縮するように苦笑を浮かべているが、これは模擬店としては間違いなく大成功だ。恋雪は今当番では無い様で姿が見えないので、後でまた時間があれば是非声をかけに来たい。素直に賞賛の拍手を送る兄妹を前に、炭治郎がやや声を潜めて二人へ顔を近付けた。

「柊組の皆さんには、後でこっそりに差し入れに行きますので」
「えっ?いやいや申し訳ないよそんなの・・・!」
「いいえ!試食調査にもご協力いただきましたし、芸能ブロック優勝に向けて必勝祈願ということで!」

遠慮の反応を見せたも、炭治郎の曇りなき眼光の前には押し切られてしまう。
そうして満足気に笑う彼の視線が、の横に佇む蜜璃の方へと向けられた。かつての彼女が大変に気持ち良く沢山食べる女性だったことも、彼は良く知っている。

「・・・報道同好会の皆さんの分も、一緒にお持ちしますね。配信、頑張ってください!」
「キャッ・・・嬉しい!ありがとう!」


* * *



宇髄の整った顔が真面目な色を浮かべ、の顔を凝視している。
その顎に指を掛け軽く持ち上げ、右から左からと眺め、そのバランスを最終確認した。
宇髄が手掛けるからには無論問題などある筈も無いが、彼個人としては若干不満の残る仕上がりだ。

「お前よぉ、ど真ん中に立つ奴が本当にこんなんで良いのか?他の奴らはもっと派手だぜ?」
「ふふ、私はこれが良いんです。先生、ありがとうございます」
「ま、良いけどよ。次の奴入れー」

そうして激励のように肩を叩かれ、は席を立った。カーテンを引き、入れ替わりにブースに入ったクラスメイトと軽く挨拶を交わし外へ出る。

普段慣れ親しんだこの教室は、今日に限り楽屋と化していた。男女別の更衣スペースとは別に、細かくカーテンで仕切られた個別の簡易ブースが三つ並んでおり、その一つから顔を出したの気配を察し、教室の外から蜜璃が声を上げる。

ちゃん、カメラもう回ってるわ。開けても大丈夫かしら?」
「はい、今そちらに行きます」

教室のドアを開けて現れたの姿を、カメラが捉える。
そのアングルは足元から始まり、ゆっくりと上昇していく。
山吹色の袴、黒いクラスTシャツ、そして。

「まあ!可愛い!とっても素敵よちゃん!!」
「・・・ありがとうございます」

はにかんだ様に笑うの顔。
正確にはその片側の頬に、赤い花のアートが描かれていた。
それはあまりにシンプルなの希望に対し、宇髄がつまらないという理由から妙に凝った結果、細かい光沢や小さな花の繋がりが全体として大きな花を表現するという手の込んだ作品だった。
おまけ程度に彩られた唇は薄いピンク色で、この色がまた花のアートの赤と相性が良い。
並ぶブースはランダムの筈だが、間違いなく美術部顧問の手による仕上がりだと蜜璃は確信した。

「美術部の皆さんにお願いして、今クラス全員でフェイスペイントを入れて貰っています。甘露寺先輩にも何人かお世話になりました、ありがとうございます」
「ううん全然!描かせて貰えて楽しかったわ!文化祭って感じよね!」

今日の蜜璃はリポーターの仕事を第一としているためずっとはいられなかったが、美術部からの選抜メンバーでステージに立つ後輩の顔に筆を入れられる機会はそう無いことだ。ほんの何人かだけではあったが、是非手伝わせて欲しいと蜜璃の方から宇髄に頼み込んだ程のことだった。
教室の中からはお互いの顔の仕上がりに歓声を上げる声や、差し入れのパンに歓喜する声が楽しく響き渡り、これぞ文化祭といった雰囲気に蜜璃が微笑む。

「さっきもありがとう!兄妹の頭の良さ、視聴者の皆さんに伝わったと思うわ!」
「二人とも好きな分野なので・・・文化祭の時は、是非行きたいねって前から楽しみにしてたんです」

現在の時刻は午後一時半を回り、本番までは残り一時間と少し。話題は昼前に配信した、薬学研究部でのひとときのこととなった。

立花兄妹と言えば、書道の活躍が例え無かったとしても、学年順位一位と二位で他学年にも知られる非常に頭の良い双子だ。二人の登場に研究発表の展示をしていた薬学研究部は大変に盛り上がり、大歓迎をもってカメラと双子を受け入れた。
何しろ二人して以前の人生よりそうした分野が好きなのだ、とはとても言えないけれど。広く知られる植物から、かなりマニアックな図鑑でないとお目にかかれないマイナーな植物まで、幅広い知識力でスラスラと会話を交わす兄妹を前に、素人の蜜璃は勿論のこと部員までが遅れを取っていたことはある意味伝説である。
何にしても二人の頭の良さは間違いなく発信された上、薬学研究部の部室も大いに盛り上がったことは間違いない。

「すみません、結局自分たちだけで盛り上がっちゃった様な気もしてて・・・大丈夫でしたか?」
「全然大丈夫よ!注目が集まれば来年以降の増員も見込めるって、薬学研究部も喜んでたじゃない!」
「だったら嬉しいんですけど・・・」

本心から困ったように苦笑するに対し、蜜璃が前向きなフォローでその場を切り替える。
本番までの時間は、まだ余裕があるとはいえ限られたものだ。

「さて、これが本番の装いね!皆の準備が出来次第、最終確認かしら」
「そうですね、いよいよって気がしてきました・・・」
「大会の時は袴の上に着物と襷姿で恰好良いけど、クラスTシャツに袴も最高に似合ってるわ!皆お揃いで一致団結ね!」
「ありがとうございます、嬉しいです」

フェイスペイントは個人の希望を優先してデザインに決まりは無いものの、衣装は今回統一をした。次々に仕上がっていくクラスメイトの姿を見る度、彼女の言う様に一致団結の空気を感じる。
蜜璃の目とぱちりと視線が合い、はその質問が飛んでくるタイミングを察した。

「えっと、いつも気になってたんだけど、ちゃん髪飾りは付けないのね?」

来た。
これは、事前に作った台本通りの質問だ。
緊張しそうになる己を制し、は自然に小首を傾げて見せた。

「大会では結構皆、豪華な髪飾り付けてる人多いじゃない?」
「そうですね。着飾ることも、魅せることの手段のひとつで大事なことなので・・・」

は大抵、髪をポニーテールに纏めて演技に臨む。それは大会の時も今日も変わらず、至ってシンプルな黒い髪ゴムで縛るのみだ。他の大会参加者はそれぞれに派手な簪や髪紐を使い自身を飾り立てる中、確かに髪型においてはは非常に地味だった。
けれど、そうしていることにも意味はある。

「・・・でも、私は・・・ここは、大事な時まで空けておきたくて」

正確には、大事な人からの大事な贈り物だ。
特別な贈り物を大切に挿す喜びを、は知っている。
直接そうとは言えないのが苦しいところだけれど、今日はそれを可能な限り伝えると決めていた。

「今は・・・そうですね。特別な飾りに出会えるのを、待っているところです」
「えっ・・・なんか今、とってもキュンとしたわ」
「ふふ。運命だなって思えるものと出会えたその時は、私も髪型から凝ってみることにします」
「その時が楽しみね・・・!!」

限られた情報しか開示していないにも関わらず、蜜璃の返しはとても心地良い。は心からの感謝を込めて彼女に笑いかけた。

「さて、それじゃあちゃん。本番まで少し時間はあるけど、見ている人に今日のステージへの意気込みをお願いします!」
「はい・・・配信を見て下さってる皆さん、今日会場にお越しの皆さん、本当にありがとうございます。三年柊組の皆で、必ず良い舞台をお届けします。見ている人を、笑顔に・・・」

見ている人を、笑顔に出来るように。
そう言いかけた口を、噤んでしまった。
瞬間蜜璃が心配そうな顔をしたため、大丈夫だとすぐに首を振る。

これくらいならば、上手に伝えることも許されるだろうか。

「―――見ている貴方を、幸せにします」

きっと、伝わる筈だ。
どうか彼に届いて欲しい。

カメラを真っ直ぐ見つめ、は切ない気持ちを堪えて微笑んだ。

「だから、会いに来て下さい・・・待ってます」




* * *



三年柊組のステージ本番は、押し寄せた客の数に対し体育館の座席数が足りないというハプニングに見舞われながらも、大歓声に包まれ成功を収めた。変わらずの気迫を放ちつつも、クラスメイトの奏でる和太鼓の音に乗るはどこか楽し気な表情も時折浮かべ、見事に三つの作品を仕上げた。
“団結”“友情”そして、“柊”。

拍手喝采の中、実演部隊を率いた狛治とがステージ上で握手を交わし、最前列にいた恋雪が感動のあまり泣くという一幕もあったものの、最後は裏方部隊を含めた全員で手を繋ぎ深く一礼をして幕を下ろした。
結果は彼らが目指していた通りの芸能ブロック一位で、表彰式では宇髄が喜びのあまり、トロフィーを掲げながら壇上へ呼び寄せたを片手で米俵の様に担ぎ上げてしまった。驚きに目を丸くする彼女であったが、喜びに熱狂するクラスメイトの様子や、他の参加者たちからの温かい声援を受け、最後には良い笑顔を見せた。

そうして表彰式までをしっかりと中継し、の密着配信も無事終了の時を迎えたのだった。色々との意を汲み協力してくれた蜜璃には、感謝の言葉しかない。
打ち合わせをしたあの日、ひとりの判断では、狛治と恋雪の様に前世からのすべてを話すことが出来なかった。けれど限られた情報の中からでも、蜜璃は出来る限りの協力を約束してくれたし、が願う未来を祈ってくれた。








『記憶が、無いかもしれない・・・?』
『・・・そう、なんです。運良く会えても、私のこと、覚えてくれてるかどうか、わからなくて・・・』

会いたい人がいる。今は遠く、何処にいるかもわからない人だけれど、どうしても会いたい。はその日、もう一歩踏み込んだ気持ちを蜜璃に明かした。

それは、正直なところ誰にもはっきりと打ち明けたことのない本心だった。二人が記憶を有していない可能性の話は、兄と幼い頃にしたことがある。それに対して覚悟を決めなければいけないと、お互いに誓ったことも嘘ではない。嘘ではない、けれど。

『・・・どこかにいてくれるだけで良いなんて、会えるだけでも良いなんて、嘘です。私、欲張りだから・・・そんな良い子じゃないから・・・どうしても、彼の気持ちも何もかも、取り戻したくて・・・』

記憶が無いのならば、もう一度絆を作るまでの話だ。その心積もりとは別の、身勝手な気持ちが顔を出した。

二度まで手にした幸福の記憶では、確かに二人の気持ちが通じ合っていたのだ。
出来るなら、全てを取り戻したい。新たな再構築よりも、失ったあの日の続きをもう一度彼と一緒に歩みたい。
けれどそれは、懸命に自身を支えてくれる兄や友人たちには明かせないような自分勝手な思いだ。会えるだけでも、彼らが生きていることだけでも確認出来れば、それだけで十分に幸せな筈なのに、それ以上を望むことは贅沢が過ぎる。

ちゃん。恋って、そういうものじゃないかしら』

自嘲の笑みを浮かべるに対して、蜜璃は当たり前のことのようにそう告げた。

『大好きな人がいるなら、女の子はいくらでも欲張っちゃうわ、それが恋だもの。当日は私も全力で協力するから、言える範囲でヒントを頂戴。彼の記憶を揺さぶるような配信をしましょう!』

その明るい笑顔に、は救われるような思いを感じた。



* * *



教室は今日の内に大体片付き、月曜の午前中に割り当てられたホームルームで無理なく普段通りに戻るだろう。の恰好は未だクラスTシャツにフェイスペイントはそのまま、下だけスカートに履き替えた。校内に残っている生徒は多く、恐らく殆どがその様に文化祭の装いのままで、後夜祭のために校庭へ集まっている筈だ。

そんな中、夕日が沈もうとする暗くなりかけた教室で、は電気も付けずに一人の男子生徒と向かい合っていた。

「あの、先輩。一人で今日の反省会中って聞いてたのに、邪魔してすみません」
「ううん、大丈夫」

時折応援の声をくれる、一学年下の後輩だった。
一人で反省会をしていたのも嘘ではなく、普段の稽古後の様に教室で自身の振り返りをしていた。
兄や他の級友も席を外してくれて暫く経った頃、彼が遠慮がちにドアを叩く音に応じたのは自身だ。

「今日のステージも最高に素敵でした。俺、先輩のこと、ずっと気になってて・・・」

恐らくこうした話をされることも、承知の上で彼の話を聞くことを決めたのだ。

「貴女が好きです。俺と一緒に、後夜祭の花火、見てくれませんか・・・?」

緊張に震える彼を、傷つけてしまうだろう。

「・・・ありがとう。気持ちはとても嬉しい・・・でも、ごめんなさい」

けれどは、とうに心を決めていた。

「好きな人が、いるの。今は近くにいないから、会えないけど・・・他の誰かじゃ・・・意味が無いの。君の何かが駄目とかじゃなくて、私には・・・その人以外、どうしても有り得ないの」

どうしたって、考えられない。
にとってのたった一人は、彼以外に有り得ない。自分が彼以外の誰かの隣に立つ未来など、想像も出来ない。
彼でなければ、意味が無いのだ。例えどんなに優れた人でも意味が無い。彼以上の人など、にとっては存在しないのだから。
改めて本心を口にすることにより彼のいない切なさに俯くを前に、後輩の男子生徒は潔く頭を下げた。

「・・・正直に話して下さって、ありがとうございました。早く、会えると・・・良いですね」
「・・・ありがとう。本当に、気持ちは嬉しかったよ。後夜祭、楽しんできてね」
「はい・・・失礼します」

楽しんでくれだなんて、失恋したばかりの相手に対し配慮が足りない発言だった。やはり答えは決まっていても、誰かの心を傷つけたことに動揺しているのだろうか。
そうして自己嫌悪に溜息をつくの耳に、後方のドアから退出しようとした後輩の声が飛び込んできた。

「・・・あっ・・・立花先輩・・・すみません、失礼します・・・!」

扉を出たところで、兄とぶつかったのだろう。
気まずい現場をそっと見守られてしまったことには、苦笑してしまう。正直なところこんな酷い顔は、兄にもあまり見られたくないものだけれど。
小さな扉の開閉音で幸太郎が入室してきたことを察し、は背を向けたまま目を伏せる。

「気まずいところ、見られちゃったね」

極力、明るい声を心掛けた。
優しい兄は、きっとを気遣ってくれるだろうから。
折角のこの日に、大好きな兄を仄暗い気持ちに巻き込みたくはない。

「お兄ちゃんは気にしないで皆と後夜祭行って良いよ。私はもうちょっとここで反省会するから」

今は少し動揺しているだけだ。落ち着けば、きっと大丈夫。
今日は成すべきことをしたし、カメラに向かって言いたいことは全部言った。
思いを告げてくれた後輩に対しても、正直な気持ちを告げたのだ。
きっと、少し時間を置けば大丈夫。
きっとまた、前向きに頑張れる。

「・・・おにいちゃ、」

なかなか返答をくれない兄を不思議に思い、半歩振り返ろうとした、その刹那。


突如として、は背後からの抱擁に目を見開いた。


兄では、ない。
けれどこの感覚を、この不思議なまでの安心感を、は知っている。
吸い込んだ息が細い音を立てた。
首回りに囲われた腕を、彼の息遣いを知っている。

「・・・っ・・・

震えるその声を、知っている。
その声に名前を呼ばれることの幸せも、何もかもを知っている。

「―――妓夫太郎、くん?」

信じられないような思いで、はそう呟いた。


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