彼女が闘う理由



桜が満開を迎えたかと思えば、花散らしの雨を経ていつの間にか新緑が目立つようになった頃。一年紅葉組の生徒達は、今日最後の授業を終えて帰路や部活へそれぞれ散っていく。

そんな中、炭治郎は自身の机から動かず、手元のスマホを凝視していた。
書道協会のサイトには、全国で開催されている大会の結果がリアルタイムに更新される。まさしく今日の今頃決勝の勝敗が明らかになるであろう天神杯のページを、授業が終わった瞬間から睨み続けているのだ。自動更新がかかることは承知の上で、わざわざ手動で更新ボタンを押し続けてしまう程に結果が気になって仕方がない。

祈るような思いで結果を待ち望んだその時、リザルト画面が明らかに更新中の動きを見せたことに、炭治郎は息を呑んで身を固くする。一瞬の空白を置いて画面に表示された『優勝:立花』の文字に、腹の底から湧き上がるような喜びを感じ思わず叫ぶ。

「・・・っ・・・!!」
「ぃやっ・・・たぁ!!!!!」

同時に、隣の席から発せられる大きな喜びの匂い、そして興奮が漏れたような声にならない叫び。
炭治郎と恋雪はお互いに目を見合わせ、そこで初めて自分が教室に一人では無かったことに気付いた。それだけお互い集中していたものだから、驚きは一段と大きい。
けれど同時に、お互いに同じ人を応援していたことにも気付く。

「もしかして、天神杯?」
「・・・うん」
「・・・さん?」
「ふふ・・・うん」

が天神杯で優勝した。
この快挙の瞬間、一人ではなく喜びを分かち合う存在がいることの驚き、そして嬉しさ。まさしく偶然としか言い様が無かったが、クラスメイトの中に同じ人を応援出来る仲間がいたとは嬉しい誤算だ。

「そうか、恋雪さんもさんのファンだったんだな。それじゃあ、天神杯制覇を祝してハイタッチ!」
「・・・うん!!」

炭治郎が両手を掲げると、恋雪が一拍遅れてから遠慮がちにその両手を合わせる。パチンと軽い音を立てて勝利を祝い、二人は緊張から解かれたかの様に自席で深い息をついた。

「はぁー。さんが優勝するって信じてはいたけど、いざリザルト画面が更新中になった途端に緊張したよ・・・」
「私も・・・。でも、本当に良かった。さん、本当におめでとうございます」
「俺からも、おめでとうございます・・・!!」

連絡先を知っていても尚、今この瞬間は会場の彼女へ届きますようにと祝福の言葉を念じずにはいられない。会場の方向はわからないが、二人して暫し目を閉じて手を合わせてしまった。

「天神杯って、中学だけじゃなく高校まで一緒になったトーナメント戦だっただろう?それを中学3年で優勝するなんて、凄いことだよな!」
「うん。準々決勝あたりから、さん以外は高校生しか残っていなかったと思う・・・」

お互いに繰り出される話の内容は、きちんと大会を調べ都度追っていなければわからないことだ。炭治郎も大会について色々と調べている自負があったが、恋雪も負けず劣らず詳しい。好きなものに関してとことん突き詰めるタイプなのだろう。これまで隣の席でも挨拶以外に話す機会の無かったクラスメイトに対し覚えるのは、心地の良い親近感だ。
そうして炭治郎が嬉しそうに微笑むと同時に、恋雪がうずうずと拳を握る。

「・・・早く、良い映像で見たい・・・あっ・・・」

それは、彼女の心からの願望だった。
天神杯はリアルタイムから数日遅れてのネット配信が予定されている。幸太郎から関係者席の映像を貰った方が間違いなく早いし、更に映像の鮮明さも配信版よりずっと良い。それゆえ待ちきれないと恋雪は思わず声に漏らしたのだ。

取り扱い注意を願う幸太郎の声が脳裏に響いたのは、それを口にしてしまった後のことだった。慌てたように口を両手で覆う恋雪と、ぽかんとした炭治郎の目が合う。
両者の間に不思議な空気が漂った末、先に柔らかく笑ったのは炭治郎の方だった。

「・・・もしかして、恋雪さんも、関係者席の特別枠?」
「えっ・・・あ、なんだ竈門君も?良かった、私大事なことを口滑らせちゃったかと思った・・・」
「はは。特別な人だけって幸太郎さんも言ってたから、俺たちは数少ない仲間なんだな」
「そうみたい・・・」

お互いに知らなかった者同士、どうやら特別枠の秘密を共有し合う仲間らしい。その事実に恋雪は安堵した様に胸を撫で下ろし、そんな彼女を見遣り炭治郎は小さく笑った。

炭治郎が幸太郎から関係者席のアングル動画を紹介されたのは、先日の出来事だ。営業時間外に受け入れて貰った礼にという話だったが、むしろ炭治郎の方が礼をしたくなるほど嬉しい申し出だった。
早速準々決勝、準決勝の動画を見せて貰っているが、ネットで見られる一般公開版とは精度も内容も雲泥の差がある。これをもっと早く見たかったと熱い感想をぶつけたところ、バックナンバーまで数本貸し出して貰えたのはたちの優しさ故と炭治郎は感じ、ますます応援の熱を上げていた。
今日の決勝戦の様子も、恋雪と同様に炭治郎も早く見たくて仕方が無い。

さんの演技って、何かこう、見ていると凄く勇気を貰えるんだよなぁ」
「うん、気持ちわかる・・・全然大柄じゃない筈なのに、舞台上だととても大きく見えるの」
「存在感ってやつかなぁ、それとも気迫?普段のさんからは想像出来ないくらい凄い圧を感じるんだよなぁ。一体何がさんを、そこまで駆り立てるんだろう・・・」

普段のと、演技中の
どちらも彼女には違いないのに、点と点がなかなか線で繋がらない程に二人の彼女は違った表情を見せる。優しく穏やかなからは闘争の意思など微塵も感じられず、しかし舞台上のからは何事も決して譲らぬ気迫を感じてしまう。
身体の大きさに見合わない巨大な筆を抱えて舞台上を駆け巡り、気付けば広い紙の上に美しい文字を並べている彼女は、何度見ても武闘家の様であり芸術家の様だ。芸術家はともかく、普段のからは武闘家だなんて言葉は縁遠い。にも関わらず、びりびりと緊張感の伝わってくる気迫は間違いなくから発されているのだ。

「・・・さんは、何と闘っているのかな」
「え・・・?」
「あ。ごめんなさい、大したことじゃないの・・・」

恋雪がぽつりと零した言葉に、炭治郎は食いついてしまう。
遠慮がちに両手を振る恋雪だったが、炭治郎の真剣な目に続きを促されるような気持ちを覚え、小さく口を開いた。

「私、前からさんのファンで・・・知り合う前は、普段からああいう人なのかなと思ってた。でも、舞台を降りたさんは優しくて穏やかな人だってわかって・・・お話すればするほど、舞台の上のさんの迫力が不思議に思えて・・・あんな風に強く凛々しく舞台に立っているのには何か理由があって、大事なことのために闘っているような・・・そんな気が、したの」

点と点が繋がらない理由を、恋雪は何かと闘う理由があるからではないかと言う。
普段穏やかなが、ああまで強く結果を追い求める理由。
が何かと闘っているのではないかと聞いた途端、炭治郎は成程と大きく頷いてしまった。そんな反応を受け、恋雪ははっとした様に顔を赤らめ下を向く。

「・・・あっ、ごめんなさい。ただの勘、だけど。勝手に語ったりして、恥ずかしい・・・」
「そんなこと無いよ。恋雪さん、本当にさんのことが好きで、よく見てるんだなぁって」
「そ、そうかな・・・」
「・・・何かと、闘う、か」

大事なことのために闘う理由。
炭治郎はつい先日、閉店後の店内で見たの涙を思い出す。涙はまるで長引かず、すぐに普段通りの彼女が戻ってきたけれど。それでもあの一瞬のの表情を、途方もない淋しさに染まるあの声を、炭治郎は忘れられない。

会えない人がいる、と言っていた。美味しいものを食べさせて、笑顔にしてあげたいのだと、彼女は言った。
それがの闘う理由に繋がっているのかまでは、わからない。それでも。

「もしそうなら、打ち勝って欲しい。さんは良い人だから、頑張っていることは報われて欲しいよ」
「・・・うん、本当にそう思う」

の願い、そしての努力は、報われて欲しい。恋雪と炭治郎はそうして共通の思いを胸に小さく頷き合う。
そこで、教室の後ろのドアが軽い音を立てて開いた。こちらを覗き込んでいるのは、構内でも有名な恋雪の婚約者だ。
思い人の登場に恋雪は目を輝かせて喜び、帰りの支度を整え席を立つ。

「あっ・・・それじゃあ竈門君、また明日ね」
「うん、また明日」

炭治郎の方から狛治に会釈をすると、あちらも同じ様に返してくれる。

彼が以前、猗窩座という名の修羅の如き鬼だったことを、炭治郎は知っていた。あまりに雰囲気が違うため最初は見間違いかと思った程だったが、誠実な狛治の姿は最期に感謝の匂いを漂わせた猗窩座とぴったり重なった。

「狛治さん、天神杯の結果は・・・」
「さっき見ましたよ。その様子だと、恋雪さんも確認済ですね」
「はいっ!今夜はお祝いですね・・・!」

炭治郎は猗窩座の過去を知らない。けれど今こうして婚約者と幸せそうに並ぶ姿を見ていると、良かったと素直に思ってしまう。
どんな人間でも、どんな鬼でも、どんな過去があろうとも。死した後罪を償い再び生まれたからには、幸せになる権利が必ずある筈だ。
恋雪と並び教室を後にする狛治の後ろ姿からは、紛れもない幸せに満たされた匂いがする。祝福の気持ちを胸に、炭治郎はのことを考えた。

「・・・今は遠くにいて、会えない、か」

美味しいものを食べさせて、笑顔にしてあげたい人たちがいる、と。
会いたいという心の底からの願いが、聞こえたような気がした。

「頑張れ、さん。頑張れ・・・」




* * *



「失礼しました」

天神杯の決勝から二日後の朝。
校長室を出て、その重厚な扉が完全に閉まったのを確認し、はふうと大きな息をつく。隣で一部始終を見守っていた担任の美術教師が、その大きな肩を揺らして軽く笑った。

「はは、お疲れさん」
「はぁー・・・緊張しました」
「おいおい、何度大舞台に出てんだ。校長室くらいでびびってんじゃねぇよ」
「いや、それとこれとは別ですね・・・」

校長直々に呼び出しと労いの言葉をかけられたとあれば、何度大舞台を経験したといえ緊張くらいはしてしまう。相変わらず舞台を降りると途端に年相応に小さく見える教え子を見下ろし、宇髄は興味深そうに腕を組んだ。

中学生から高校生までの六学年がひとつとなり競われる天神杯において、中学三年のが王座を手にした。キャリアと中学高校の区分に関わらず誰もが参加資格を持つこのトーナメントは、こうしてより若い人材にチャンスを与えるためのものでもある。
しかし、歴代の優勝者はやはり高校二、三年が目立つというのが実情という現実の中、今回が優勝を掴み取った。これは書道界においては近年稀に見る功績であり、彼女が在籍する学園側としても大変栄誉なことだった。一年時はベスト8、二年時はベスト4、着々と順位を上げて今の彼女がある。明日には校舎の大きな壁一面に渡り、の偉業を知らしめる大々的な垂れ幕がかかることになるだろう。

これでまたひとつ、彼女の名は有名になる。

「で、どうなんだ。首尾は上々か?」

担任が浮かべる小さな笑みを受け、は一瞬言葉に詰まった。








『名前を広めたい、ねぇ』

部活動に入らないこと、平日の大会に積極的に出たいこと。
この二点を入学早々相談に来たを前に、宇髄は暫し腕を組んで小柄な生徒を見下ろした。

立花の書道界における噂は聞き及んでいるし、彼女の母親がかつてその道の先駆者であったことも宇髄は知っている。
しかし、見るからにガツガツと名声を取りに行くようなタイプではない彼女が、中学の内からここまで学外活動にのめり込む理由は何だろうか。純粋な興味が宇髄に告げさせたのだ、何のために?と。
すると返って来た答えは、名前を少しでも広めたい、という妙に引っかかるもので。答えになっていないとは言わないが明らかに不足だと、宇髄は眉を顰めてに詰め寄った。

『下手な隠し事は、通用しねぇと思った方が良いぞ』
『え・・・』
『お前みてぇな闘争本能の薄そうな奴が、何の理由も無しにガツガツ知名度上げてぇって?金のためか?名声のためか?』
『・・・いえ、私は・・・』

教師として深く追求することでは無かったかもしれない。これは宇髄の個人的な興味だった。
部活の勧誘は後を絶たないが、放課後の時間は出来れば稽古に当てたい。本当に申し訳無く思うが、授業を休んででも平日の大会で場数を踏みたい。
そう告げた小柄な生徒の顔が、どうにも思い詰めたような色に見えて仕方が無かった。名前を広めたい、というより、名前を広めなければならない、という義務感にすら思える。
とはいえ、個人的な事情は強引に聞き出せるものでもない。宇髄が何と言おうが、はそれを黙秘することも出来た。

『・・・会いたい人が、います』

しかしは、少し迷った末にそう口にした。

『本当は私の方から探しに行きたいですけど、学生のうちは難しいので・・・少しでも有名になって、向こうから見つけて貰える機会が、増えれば・・・と』

小さく掠れた声、しかし本心であることは疑い様の無い熱意を感じた。宇髄の中で何かが腑に落ちたかの様に、のイメージが変わる。

『何だ、言えるじゃねぇか』

大きな手を頭に突然乗せられ、は驚きに目を丸くして宇髄を見上げる。
担任の男は口の端を上げ、満足気に笑っていた。

『会いてぇ奴がいる、そのために気合を入れて知名度を上げる。大層な野望じゃねぇか、気に入った』

何かの義務感で懸命に難しい顔をしている生徒の目的が、探し人だということを知った。本心を明かすことは勇気のいることだっただろうに、の声は熱意を失わなかった。

会いたい人がいる。探しに行くことが出来るようになるまでは、見つけて貰える様少しでも知名度を上げたい。
そうして静かに闘志を燃やす教え子の背を、押してやらない様では教師失格だ。

『部活動の勧誘なんざ全部無視しろ、俺が許す。とにかくお前は、ガンガン稽古して実績を積め。学外活動を山のようにこなして、派手に暴れまくれ。才能なんてもんはなぁ、磨いてやらねぇならただの石ころだ。活かすも殺すもお前次第、願いを叶えてぇなら死ぬ気で頑張りな』

見るからに大人しそうな雰囲気の中に、願いを叶える為ならば決して道を譲らない熱さを見た。それが会いたい誰かを見つける為だなんて、実に人間らしい。宇髄は言葉の通り、のことを気に入った。

『誰かに見つけて欲しけりゃあ、とにかく派手に目立つことだ。わかったな』
『・・・はい』

この小さな少女は自身の闘志を武器に、願いを叶えるために闘うのだ。
平和な今の時代、闘いとはこうあるべきだ。
刃を手に命を懸けて鬼と闘っていた頃を思い返し、宇髄は密かに目を細めたのだった。








首尾は上々か、という問いに応えるのは難しい。

未だ妓夫太郎と梅の手がかりひとつ掴めてはいないし、年月が経過すると共に日々ふとした瞬間に気が緩んでしまうことも増えた。
けれど確実に前進はしているし、天神杯を制したことでひとつ大きなタイトルも取れた。
順調とは、まだ言えない。けれど、王座の冠と共に自信がひとつ増えたことはの力となってくれる筈だ。

「・・・まだまだ、頑張ります」
「っし、良く言った。まだまだ派手にぶちかませ!」

遠慮無しに腕を叩かれ、はよろけもせずに苦笑した。
有難い。応援して貰えること、理解を得られる今は、とても有難い。




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