兄妹が今日に至るまで



が過去二回の人生の記憶を取り戻したのは、幼き日の夏の夜のことだ。
家族で出かけた帰り道に偶然通りがかった祭の一角、何の意味もなく見上げた出店。
その視線の先に鬼の面を見つけた時、彼女は唐突に全てを思い出した。

狭く濁った世界から出ようともがいた、一度目の人生。
誰より長い時間を共有し、自身を認め人生に意味をくれた、愛すべき兄妹。外の世界で出来たかけがえのない友人が、道を切り開いてくれたこと。確かな愛を約束された夜、しかしその翌日すべてを奪われたこと。

生まれながら視界を封じられ、それでも懸命に生きていた二度目の人生。
ある日突然拾い上げてくれた偉大な花魁と、何時どんな時も見守ってくれる人の理を外れた存在。二人と夢で繋がり、それは一度目の人生で叶えられなかった夢の続きであることに気付いたのは、死すべき運命を悟った直後のことだった。

あれから何年が経ち、どれほどの時代が移り変わったのか。
咄嗟には理解が追い付かなかったその時、隣で足を止めていた兄が声を上げた。

『お母さん、この面を買っても良いですか』

その穏やかな声を、忘れはしない。
これまで当たり前に一番近くを生きていた双子の片割れが、かつての友人だったこと。

と二人で大切にします、お願いします』

そして、表情乏しくこちらを見下ろしてくる母もまた、最初の人生で互いへの理解を放棄した女性であること。
が戸惑っている間に購入を済ませ、優しく面を手渡してくれた兄の目を見たその時。

『・・・はい、。大事にしましょうね』

兄もまた、自身と同じく以前の記憶を有していること。
お互いに“再会”を果たしたことを、幼き日のは理解した。



* * *



それから幾度となく、二人は話を繰り返してきた。
三人と別れてしまってからの幸太郎の話、の二度目の人生の話、春男のお蔭でと幸太郎が最期に会うことが出来た話。
そして、少なくともが二度目の人生を終えた時、妓夫太郎と梅が人では無くなっていた話。

二人は鬼と呼ばれ、人間たちと対立関係にあったこと。
恐らく不死で、死の間際が何度生まれ変わっても見つけると約束をしてくれたこと。
全ての情報を開示しあった上で、兄妹は様々な仮説を話し合ってきた。

一、妓夫太郎と梅は、今も鬼という不死の者として存在している。
二度目の人生最後の約束を思えば、可能性として有り得る話だとは考えていた。
彼らは恐らく人を食う存在だ。今も尚どこかで生きているのであれば、失踪事件が多発する等、何か痕跡が残る筈だと兄は推理した。現代は昔と違い、人がいなくなることは神隠しや祟りとして無かったことにはされない。事件として取り沙汰され、どうしたって目立ってしまう。
二人で方々の情報を集め、それらしい事件の多発は認められないことを確認できた時の気持ちは、安堵だったのか落胆だったのか曖昧だった。

一、二人は鬼としての生を終え、人間として生まれ変わっている。
これが最も希望のある仮説だったが、問題があった。
と幸太郎は以前の記憶を有している。しかし、母はその記憶を持っている様子がまるで無い。前世の記憶は引き継がれる場合と、引き継がれない場合に分かれている。そしてそれは恐らく、一般的に考えて後者の割合が圧倒的に多い。人はそれぞれの一生を生きている、皆が前世の記憶を有しては理が歪んでしまう。
と幸太郎が兄妹として生まれ、二人して記憶を有していることは奇跡のようなものだ。例え妓夫太郎と梅が生まれ変わっていても、記憶を有していない可能性は十分ある。前提としてそれをまず覚悟しなければならず、加えて二人を探せるかどうかもわからない。
希望のある仮説であると同時に、厳しい条件が付きまとうことも忘れてはならないと確認しあった。

一、二人は鬼としても人間としても、今日存在していない。

『その線は、無いものと思いましょう』

人の魂が巡る速度は、定められてはいない。同じこの時代に再び四人が集える可能性が、どれほど僅かなものか。残念ながら最も有力なこの説を、賢い兄妹はそれでも真っ向から排除した。

『うん。私も、それは考えたくない』

妓夫太郎と梅はきっとどこかにいる、例え自分たちの様に記憶が無かったとしても、また巡り合うことはきっと出来る。信じなければ何も始まらない、何も出来ない。二人に会いたいという気持ちは、兄妹に共通する思いなのだから。
どんなに望みが薄くとも諦めずに前を向こう、一人なら辛いことも二人ならきっと出来る。励ましあい、支えあい、また必ず会えることを信じよう。そのために出来ることを精一杯やろう、そう誓いあった。

が有名になる、というのはどうでしょう』

その話は、兄の一言から始まった。
兄妹はまだ子供であり、今の家族もいる。に至っては縁あって二度目の母娘の関係でもあるのだ。例え思うところがあったとしても、そう容易く振り払うものでもない。ともかく一定の年齢までは、家族のためにも自分達のためにも、学生であるべきだ。子供がたった二人で何もかも放り出して当ても無い捜索の旅には出られない。

『学生でいる間に、何かの分野でが少し有名になったなら。妓夫太郎殿と梅殿の目にも、止まることがあるかもしれません。もし記憶が無くとも、魂が何かを覚えていれば或いは・・・』

兄の言葉を頭の中で噛み砕きながらも、の頭の中には、二度目の人生最後に妓夫太郎と交わした約束が強く残っている。





《何度でも生まれて来い、何度でもお前を見つける》





二人が今鬼ではないならば。不死の時を生きていないならば、それは無効の約束かもしれず。
それでもあの時の優しく穏やかな声が、忘れられない。確かな愛を感じた最後の約束を、信じたい。

『・・・見つけて、くれるかな』
『それは私たちの頑張り次第ですね、ですが・・・』

不安げなの顔を見て、幸太郎が困ったように眉を下げながらも笑って見せた。

『相手は、のこととなると規格外の妓夫太郎殿ですからね。私もつい、期待してしまいます』



* * *



どんな些細な可能性に縋ってでも、妓夫太郎と梅の目に触れるべく今から活動しなければならない。
なるべく早く、人より少し有名になっておく必要がある。

その決意を固めた時、何故真っ先にこの道を選んだのか。
それは単純に、母がかつてこの世界で活躍していた書道家であったため、学ぶ環境が整っていると感じたこと。そして二度目の人生で春男の傍にいた時期、彼の仕事道具であった墨の香りが、とても好きだったこと。その二つを理由に掲げただったが、実際のところはそれだけではない。

『・・・お母さん』

表情の乏しいこの母と向かい合う時の緊張感には理由があったのだと、記憶を取り戻した今ならばわかる。最初の人生では、決して健全ではない環境が母娘の絆を絶ち、お互いへの理解を放棄させた。
けれど、今ならば違う道もあるということもわかる。この母は分かりやすい愛情表現こそ示しはしないが、決して我が子に無関心ではない。の側から意識を変えさえすれば、以前とは違った歩み寄りが出来るかもしれない。

『私、お母さんと同じ道を目指したいです』

幼い娘の決意表明に対し、母は相変わらず感情の薄い声で、そうですかと告げたきり特別なことは言わなかったが、それはにとって信じがたい程の大きな一歩だった。稽古場から出て緊張から解放された途端、兄は自分のことの様に涙ぐみの頑張りを褒め称えてくれた。

かくして母と同じ書によるパフォーマンスの世界に飛び込んだは、母が指導者にとことん向かない我が道を征く天才気質であることに気付き、同じ経歴を持つ瑠火に師事する運びとなったが、母との関わりは確実に前回とは違うものであると言えた。
お互いに積極的な愛情表現は無い。けれど、お互いに無関心でもない。煉獄家での指導の話や大会の話、今晩の献立の話まで、言葉少なにも会話は交わすし、週に一度は稽古場にて二人並んで書道に向き合っている。所謂普通の母娘の関係にしては少し硬い距離感が、と母には無理なくしっくりと来ていた。やはり、思い切って一歩踏み出したことは正解だったと思える。





殿と殿のお母上が、次なる地で巡り合う時は、より良き関係性となれますよう、お祈り申し上げます。》





遠い昔、友人であった頃の兄が祈ってくれたことが、現実になりつつある。今回は血縁の家族に恵まれたと、は心からそう感じた。

家族。妓夫太郎と梅は今も、家族だろうか。
今も兄妹として、どこかで支え合いながら生きているだろうか。漠然とした不安に暮れる度、きっとそうに違いないと信じ、は日々の稽古に明け暮れた。

二人して学問好きは以前から変わっておらず、学校側から非常に優秀な兄妹と認められてからは更に学外活動もし易くなった。学生の本分を忘れず、それでいて学生でいる内からの名を出来る限り広めていく。この目的に関して二人して一切妥協なく突き詰めた結果、は当初こそ母の名が先行したものの、今やその実力をもって書道パフォーマンスの世界で最も有名な中学生のひとりにまで昇り詰めることに成功したのだった。

新たな環境に足を踏み入れる度二人の姿を探し、またその度に肩を落としては兄に励まされ前を向く。そんなことを繰り返しながら、大切なひとを探す旅路は続いていく。
普段は稽古場に飾ってある鬼の面を見上げる度、気持ちを引き締め、必ずまた二人と会うのだと誓いを強める。
もう一度妓夫太郎と梅に会えるならば、何だってする。二人と再会するために必要なことならば、何だって出来る。





そして四月、兄妹は中学三年生となった。


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