未来への鍵



が茅川町の薬屋で用を済ませている間、妓夫太郎はいつも軒先の隅で控えることにしている。
の仕事には介入せず、不審な輩がいた場合すぐに動ける位置だ。かと言って人相の悪い男が店先で仁王立ちしていては営業妨害だ。が贔屓にしている店に対し、そのようなことは避けたい。腕を組み、店先の片隅で普段通り極力気配を消す。

・・・消した筈だったのだが。

「・・・何か用かぁ?」

足元でしきりとこちらを見上げてくる子供二人組を、妓夫太郎は顔を顰めて見下ろした。
春男ではない、どちらも知らない顔だ。妓夫太郎から話しかけられたことに肩をびくつかせ、恐る恐るといった様子で子供が口を開く。

「鬼の兄ちゃん、だよなぁ?」
「絶対本物の、鬼の兄ちゃんだよなぁ?」

鬼の兄ちゃん。最初は新手の嫌がらせの類の陰口かと思っていたが、どうやらこの街においてはそうでも無いらしい。鬼という単語の不穏さにしては、それを口にする町民の表情が皆一様に明るい。春男の感極まった表情を思い出した。

「・・・そう呼ぶ奴も、いるなぁ」
「やったあ絶対そうだと思った!」
「かっけー!怖いけどかっけー!!」
「・・・」

妓夫太郎が認めると、子供たちの瞳が一斉に輝きを増した。キラキラと眩い視線に晒され、妓夫太郎は居心地悪そうに視線を逸らす。するとそれを追尾する様に子供たちも立ち位置を変えるものだから参ってしまった。
先日からくらった爆弾発言とは音色が違うので耐えられるものの、このように明確な好意をぶつけられることには慣れていない。

「お前ら、俺なんかにそんなこと言ってんのがバレたらよぉ、親にどやされるぜ」
「え?母ちゃんも鬼の兄ちゃんは強くてかっけーって言ってたよ?」
「俺の父ちゃんもー」

何てことだ。この街は大人から子供まで頭のネジが緩いのではないかと悪態をつきたくなるが、子供の前なので懸命に堪える。しかし妓夫太郎の内なる奮闘などお構いなしに、子供たちの追撃は続く。

「強くて優しいんだよなぁー!」
「はぁ?」
「知ってるもんね!いっつも美人の姉ちゃん守ってやってるの!この前春男のことも助けてたもんな!」

強いはまだ良い、しかし優しいとは何か。妓夫太郎は確かに優しく在れる、それは相手がと梅限定の話だ。本人はそう信じ込んでいるため、頭を抱えたくなってしまう。実際のところ、立花然り春男然り、少しずつ妓夫太郎の世界は広がっているのだが、彼自身にまだその自覚は無い。

「なあなあ鬼の兄ちゃん、稽古つけてくれよー!俺たちも強くなりたいんだよー!」
「うるせぇ、俺ぁ今仕事中なんだ」
「姉ちゃん出てくるまでは暇だろー?!」
「・・・」








「ね、言った通りでしょう?人気者だって。春男が助けられる前から、結構有名でしたけど。子供たちは強くて格好いい妓夫太郎殿のことが気になってしょうがないんですよ」

立花の囁くような指摘に、は感心したようにお茶を啜った。
薬屋の奥には茶の間があり、馴染みの客はここで茶を飲みながら、店主の老夫婦に調合や都合の相談をしたりする。ここにいても尚よく響く子供たちの声が、姿は見えずともたじたじになっているであろう妓夫太郎の様子を思い起こさせた。

「本当に・・・。すごい、妓夫太郎くんが子供たちに押されてる」
「鬼のお兄さんだなんて、初めて名前を聞いた時は驚いたものだけど、ちゃんの用心棒さんだったのねぇ」

店主の婦人が穏やかに微笑みながらそう口にした。いつの頃からかが妓夫太郎を伴っていることを知ると、老夫婦は彼に外で待つより中へ入ることを勧めた。
しかし、の仕事の邪魔はしないという一貫した姿勢で固辞する妓夫太郎の姿に、なかなか骨のある若者だと更に評価を上げたのだった。

「なかなかの腕っ節だそうじゃないか、頼もしいよ。ああいう若者がもっとこの街にいてくれたら、安心して暮らせるんだけどねぇ」

店主の一言に、が思わずぼんやりと宙を見遣る。
この街に、いてくれたなら。

「・・・殿?」
「あっ・・・ごめんなさい」

立花の呼びかけにはっと我に返り、は改まったように姿勢を正した。今日は特別な要件があったため奥で話をさせて貰い、立花にも同席を依頼した。渡した資料に不足は無かった筈だ、あとは承諾さえ貰えれば。

「あの、では先程の件、お願いしても宜しいでしょうか・・・」

緊張した面持ちのに対し、老夫婦と立花の表情は明るかった。

「勿論だよ。青い彼岸花、見かけたら必ず教えるよ。山には出掛ける機会も多いし、探すなら手分けした方が良いのさ」
「私も協力させてください。殿の恩人のためであれば、是非力になりたいです。色々調べてみます」

碓氷から託された、青い彼岸花の捜索。
これはにとってここ二年挑み続けている課題であったが、未だ成果は出せずにいた。この老夫婦や立花に迷惑をかけることは避けたかったが、同分野で詳しい知り合いは少なかったため、悩んだ末に協力を依頼したのだった。暖かな返答に救われる思いがして、は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます・・・」



* * *




遊郭へと帰る道すがら、たちは茶屋へと立ち寄っていた。

と立花が内側から薬屋の暖簾を潜り目にしたのは、子供総勢十名近くに囲まれ頭を抱える妓夫太郎の姿だった。
あまりの人気ぶりに大人たちも遠巻きに微笑ましい視線を送ってくる始末で、妓夫太郎は更に追い詰められていた様だった。の姿を確認するなり、すごい勢いで彼女の手を引き現場から撤退する妓夫太郎を、立花は笑いながら追いかけたものだ。

疲労感の計り知れぬ妓夫太郎を気遣い、お団子でも食べて帰ろうかとが呟くと、立花は美味しい店を知っているのだとこちらの店へ案内したのだった。

「妓夫太郎くん、大人気だったね」
「知ってたんならよぉ、助けろよなぁ」
「ふふ、ごめん」
「ったく・・・」

と妓夫太郎が横に並び、立花は妓夫太郎の正面に座る。立花からすると、目の前の二人はどう見ても特別な間柄の男女だ。二人で会話している時の空気感がまるで違う。
しかし先日妓夫太郎から強引に色々聞いたところの情報をまとめる限り、二人はその思いを告げあった恋人同士では無いのだと言う。年齢を考えれば、夫婦と名乗っても何ら不自然ではないというのに。どう見ても将来を誓いあった者同士の赤い糸が見えるというのに。

当人同士の問題に他人が踏み込むべきではないという理性と、根掘り葉掘り聞いて解析したいという研究魂が立花の中で雄叫びを上げながらぶつかりあい、そして。

「うちの門下生たちの中にも、妓夫太郎殿に憧れている子供が沢山いますよ。春男はその筆頭と言えるでしょうけど」

理性が勝利したようだった。当たり障りの無い話題で、立花は団子をまったりと食す。色々聞きたい、聞きたいけれど、先日妓夫太郎を困らせた手前、今日は大人しくしようと平和主義に徹した。しかし、思わぬ単語にが小首を傾げた。

「門下生・・・?」
「あ。ご説明してませんでしたね!うちは先代から寺子屋を営んでおりまして、今は父が二代目です。半人前ながら、私も講師の一人を勤めております」

立花の思わぬ背景に、と妓夫太郎は暫し唖然としてしまう。確かに先日訪問した彼の研究部屋には、子供用と思われる読み書きの書が見受けられた。まさか寺子屋を営む一家とは思いもしなかったけれど。
成程、立花の優しげな雰囲気は子供たちにも親しみ易そうだ。教える側には適任なのだろう、が納得したように微笑んだ。しかし妓夫太郎は渋い顔をして正面の立花を見遣る。

「お前跡取り息子じゃねぇかよ。二日も徹夜で本読んでる場合なのかぁ?」
「いやぁ父からも似たようなことは言われているのですが、どうしても学ぶことは辞められず・・・」

お恥ずかしいと、立花は苦笑する。いい加減に嫁を貰い世帯を築き、本格的に三代目として励んで貰いたいものだと父からは小言を受ける日々なのは事実だ。
しかし、立花には立花なりに譲れぬ志がある。

「勿論子供たちの学びを手伝うことも好きですよ。ただ、その傍ら自分も学び続けて、そうして年を取っていくのが私の夢ですね」

研究は立花の人生そのものだ。成すべき事がありそれを疎かにはしないが、学ぶことへの欲求を絶やすことなく生きて行きたい。穏やかに笑いつつも、立花ははっきりとした意志をもって夢と表現した。
夢という言葉に反応を示したのは、だけでは無い。妓夫太郎もまた不意に核心を揺さぶられたような気になり、静かに瞬く。

「お二人の夢は?」
「え・・・?」
「差し支えなければ、聞いてみたいのですが」

立花は自然な流れでそう口にした。

「やはり殿はその道を極められますか?妓夫太郎殿が用心棒なら、安心して全国どこへでも研究の旅に行けそうな気がしますね。殿のためなら、研究資金の出費に賛同する団体も出てきそうですし。色々な明るい可能性がありますよねぇ・・・」

今思い付いたとはとても信じられないほど具体的で、充実した未来を立花は口にした。本人ですら、そこまでは思い描いたことも無いような内容だった。しかし立花は、十分にあり得る未来だと考えているのだろう。わくわくしますね、と小さく笑っている、その言葉に嘘の気配は無かった。彼の提示した可能性に、と妓夫太郎は暫し押し黙ってしまう。

と妓夫太郎の描く夢は同じだ。あの祭の夜にが提示し、妓夫太郎が簪を贈った夜に改めて実現を願った夢。梅を連れて二人で遊郭を出て、外の世界で暮らす。立花の言うようなその先のことは考えてはいなかった、考える余裕すら無かった。外の世界で暮らす、その時点で手一杯であり、金をひたすら稼ぐ以外には未だ糸口を見つけられずにいたからだ。
今目の前にいる男は、新たな可能性を導く鍵になり得る存在かもしれない。

「・・・

二人の視線が交差する。
不思議と、お互いに同じことを考えているような、そんな気がした。

「話しても、良いか?」
「・・・うん」

の脳裏に、先程の薬屋での一幕が蘇る。この街にいてくれたら。あの一言を耳にした時と同じ胸の高鳴りを感じる。

「立花」
「はい?」
「この際だからなぁ、恥は捨てる」
「・・・えぇ?」

二人の夢は何かと軽い気持ちで聞いたつもりの質問が、思いの外核心的な話に繋がってしまった様だ。しかし立花は二人の雰囲気を察し、話を聞くべく姿勢を改める。

「お前に、相談してぇことがある」

妓夫太郎の真剣な言葉に、どうぞと立花は続きを促した。



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