あたたかな夜






火が優しく爆ぜる音がした。
奥深く木々に囲まれた質素な山小屋は、極寒の夜すら温かく三人を包んでくれる。今宵もまた眠る必要の無いに火鉢の番を任せ、更にはその腕を我が物顔で枕にぬくぬくと眠る梅の顔は幸せそうに蕩けたものだった。若干ずり落ちた掛け布団を引き上げてやる彼女の表情は穏やかで、妓夫太郎は目の前の光景を日常としつつある今に暫し目を見張る。

寒さと飢えに苦しんでいた頃からは考えられない程、衣食住に恵まれた温かな暮らし。一度兄妹二人して生死の狭間を彷徨ったとは誰も信じないであろう、健康そのものな身体。何もかも、命の恩人たるが惜しみなく整えてくれたことだ。

「・・・師匠は、俺達といて辛く無ぇのかぁ?」

左腕を梅の枕に差し出す彼女は、自らを鬼だと名乗った。一見して普通の人間と変わりない様に思えるが、陽の光に当たれず老いもしない異形の者だと言う。
しかし、あの晩が激しく消耗しながらも懸命に自分たち兄妹を救ってくれたことを妓夫太郎は忘れない。例え、彼女の主食が本来人間だとしても。本来、というのは、が実際には輸血用と称して買った血以外を口にしないことを知っている為だ。二人に気を遣ってのことだろうが、食糧である筈の人間が傍にいることで苦痛を与えることは無いのだろうか、と。あまりに途方も無い話を妓夫太郎なりに整理した問いかけだったが、それを受けたは梅を起こさぬ様声を顰めながらも器用に片眉を上げて見せたのだった。

「子どもが余計な心配してんじゃない・・・って言いたいところだけど。可愛い妹の傍に鬼がいたんじゃ、実際不安もあるだろうね」
「・・・別に、師匠を信用してねぇ訳じゃ、」
「嬉しいこと言ってくれるね。まぁ聞きなよ」

は日頃から迷いなく二人を子どもと表現した。
梅はともかくとして一般的には既に大人扱いされる年齢の妓夫太郎であったが、何しろ数百年単位で年上だと豪語する彼女を相手にすれば何も言い返せる筈は無い。
大人しく押し黙る妓夫太郎に向けて女鬼は緩やかに口端を上げた。

「私と珠世は身体を調整してるから。生きていくには、街で買わせて貰ってる血で十分足りてる。アンタ達の血肉に飢えて陰で涎を垂らしたりはしてないよ」

一度この山小屋を訪れた鬼の女を思い浮かべ、妓夫太郎はひとつ頷いて見せた。鬼は夜に出没し人間を喰らう。基本的に群れる習性を持たずの意識が張っている限り侵入者はすぐわかると言うが、珠世だけは警戒する必要の無い“友達”だと称した。確かに、も珠世も兄妹を前に平静を乱したり衝動を耐えていた様子は無い。調整という言葉の真意は読み取れなかったが、三人暮らしが彼女に無理を強いていた訳ではないことが明確になり妓夫太郎は人知れず安堵の息を吐く。

寝息といびきの中間の様な声が響いたのはそんな時のことだった。安心しきった寝顔に二人の視線が集まること数秒、はくつくつと肩を揺らしながら細い指で梅の頬をそっと突く。慈愛以外の何物でもない優しさが、そこにあった。

「ま、妓夫太郎も梅も堪らなく良い匂いがするのは事実だけどね。二人とも、前より健康的にふっくらして食べちゃいたいくらい可愛いのも否定しない」
「・・・反応に困ること言うなよなぁ」
「そりゃあ悪かったね。でも私はあんた達を食べたりしないよ。おいで」

右側の腕を開いたが穏やかに微笑む。子ども扱いをするなと突っ撥ねることの出来ない何かが、実年齢以外の理由として横たわっていた。照れ臭さ故に空けた些細な隙間は、彼女の右腕に抱かれることで呆気なく無となってしまう。人間二人で鬼を挟んで眠ることは、どんなに異様な光景であっても彼らにとっては優しい日常に他ならない。

「人間独特の良い匂いも、この肌の下に流れる温かな血潮も。全部、私が大切に守るってあの夜決めたから。ふたりの幸せは、もう誰にも邪魔させたりしないよ」

柔らかく清潔な布団、兄妹を平等に抱き寄せてくれる腕、誰に邪魔されることも無い平和な夜。は鬼でありながら人間の兄妹を守るのだと決意を語り、常々ふたりへの愛情を隠さない。

「安心してお休み、妓夫太郎」

何て、温かいのだろう。布団とも火鉢とも違う心地良い温度に身を委ね、少しずつ妓夫太郎の身体から力が抜けていった。




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