廻天鬼の初恋





※普段とは違う夢主が原作と違う方向に話を切り替えるお話です、ご注意ください。





『初めて恋をしたかもしれない』

年に何通か取り交わす近況に綴られたその一文に珠世は目を見張ったものであったが、よくよく読み進めればお気に入りの子ども達がいるとのことで安堵とも苦笑とも取れる息が美しい口許から溢れた。
幼く貧しい人間の兄妹。時に揶揄い、時に語らい、時にこっそりと食糧を与えた時の笑顔が堪らなく可愛いと繰り返し告げるの文字は生き生きとしている。
随分と長いこと共に逃れ者の業を負った仲であるが、何事にも深く踏み入ることの無いがここまで強く執心するとは珍しい。恋と呼ぶほどに焦がれる熱量を持つことは、生きる上で決して悪くは無いことの筈だ。
相手が人間であることの善し悪しは、別として。

『それは初恋ね』

珠世は手紙にそう書き記すことを決めた。




* * *




瀕死の兄妹を救い、今共に暮らしている。
数年後の便りに綴られた衝撃の一文に、珠世は遂に直接出向くことを即決した。同じ境遇でありながら別行動を取る理由は互いにそれ程馴れ合いを必要としない性分であることがひとつ。別々に潜むことで少しでも始祖の目から逃れる確率を上げることがひとつ。後者を思えば愚策であったが、とはこの状況を放っておける程浅い付き合いでは無かった。

日の沈んだ山深く、細心の注意を払い訪れた小屋はささやかな造りだったが、中からは紛れもなく人間二人分の心音と食事の香り、そしての気配がした。
何と切り出すべきかと戸惑う珠世の前で、内側から扉が開く。瞬間無言で見つめ合った末、古の女鬼たちは昔のままの微笑を交わした。

「本当に来た。何十年ぶり?」
「・・・お元気そうね」

文以外の接触は誇張抜きに久方ぶりであったが、当然のことながら互いに変わらぬ様子に空気が若干緩む。
の背後に子どもが立ったのは間も無くだった。女性と子どもの境界をとうに踏み越えた様な美しい顔立ちをしながら、幼子の様に背に飛び付く少女。少女の一歩後ろから注意深く突然の客人を観察する痩せこけた少年。これが例の兄妹だと珠世は確信した。

「おっしょー、だぁれ?」
「・・・師匠の“仲間“かぁ?」
「そうだよ、私のながーい友達」

同時に彼女が身の危険を冒してまで守り抜き、そして今険しい道を歩もうとしている理由そのものでもある。
珠世の複雑な胸中を察知したの表情が飄々とした笑みを象った。

「ようこそ我が家へ。狭いけど入ってよ」




* * *




小屋のすぐ裏からは薪割りに勤しむ兄妹の声が響いてくる。尤も実際に割っているのは兄であり、妹はじゃれついているだけの様であったが、それでも注意を促しつつ戯れる仲睦まじい兄妹の声は微笑ましいものだ。兄は妓夫太郎、妹は梅という名だとは告げた。

「妓夫太郎はあんな細いなりで背中から深くひと太刀、梅は縛られたまま焼かれてた。本当に・・・あの日に限って目を離した私を呪ってやりたいよ」

子どもふたり分だけの食事はすっかり片付き、姿形はそのままであっても『人間の装い』を気持ち解いた女鬼二人は指先ひとつ微動だにせず、山小屋は異様な雰囲気に包まれていた。
運命の一夜を悔やむ彼女の声は硬い。しかし、珠世は別の視点で焦りを滲ませた。
満身創痍、梅に至っては命を繋げたことが奇跡の様な状態だったにも関わらず、あの兄妹は今至って健康そのもの。加えて、人間のままだ。

「そんな状態から全快まで・・・」
「ついでだったから内臓も修復したよ。あんな子達に惨過ぎる環境、本当に腹が立つったら」
「ちょっと待って。それじゃあ貴女どれほど消耗して血鬼術を・・・」

廻天の加護。
の血鬼術は細胞の活性化であり、対象の回復度合いは術者の体力消耗と比例する。

鬼の回復力は人間とは比べ物になりはしないが、万能では無い。例え気を失うまで繰り返し使い込んでも死ぬことの無い貴重な回復の手駒。故にかつて鬼殺の剣士に敗走した鬼の始祖は逃れたに執着するのだ。
過度な消耗は格好の的にも成り得る上、その様な危機的状況の子どもを二人も鬼に変えること無く人間のまま全快にしたならばどれ程の負荷がかかったことか。

「あの子達が遭わされた目に比べたら、全然大したことじゃない」

はっきりと言い切るの瞳が告げる。後悔は兄妹から目を離したことであり、自らの消耗など瑣末なことだと。しかし長年の付き合いからか、彼女なりの補足を付け足すことも忘れない。

「あの男には見つからなかったんだから、それで良いじゃない。私もすっかり回復したし、あれから今この瞬間もずっと広く意識張ってるけど、あんた以外は誰ひとり近付いてすら来ないよ」

警戒は勿論している。そう言って外に意識を向けるは優しい横顔をしていた。
命を救った人間の兄妹に懐かれ、共に密かに暮らすこの山小屋は確かに彼女にとって楽園だろう。しかし、珠世はを思うからこそ先を案じてしまう。

「一緒に暮らすって、いつまで?」
「あの子達が巣立つまで。具体的には、それぞれが所帯を持つまでかな」
「人間をふたり連れて暮らすことが、どういうことかは・・・」
「危険なことは重々承知してる」

覚悟はとうに決めている。の頑なさがそれを強く物語った。

「でももう決めたことだから。一緒に暮らす内は何者にも指一本触れさせない。それぞれ巣立った後も、私が一生鬼は近付けさせない。あの子達の幸せは相手が誰であっても絶対に邪魔させない」

誰であっても。その中には例外無く自らも含まれることを察し珠世は押し黙った。
鬼と人間は違う生き物だ。珠世と同じく調整を施した身体は少量の血で生きていけるが、人間と寿命を共にすることは出来ない。鬼から永劫守ることは出来ても、彼らが短い一生を終える人間である以上はどんなに慈しんでも必ず見送る時が来る、避けられぬ離別はそう遠くない未来に迫っている。かつて家族を望まぬ形で喪った珠世にとって友の選択は手放しに賛同出来るものでは無かったが、それでもの心が揺らがないことは痛い程に伝わって来た。

「・・・本気なのね」
「心配かけて悪いね」

口の端をほんの少し上げては笑った。
珠世の憂いも危惧された未来も、全てを理解した上で彼女は譲れぬ決意を表明したのだ。この心は誰であっても動かせる筈が無い。
外から朗らかな笑い声が響き、珠世は表情を和らげた。

「二人共、貴女のことをわかってるのかしら」
「ざっくり説明はしてあるよ。回復させたことも、外見が変わらないことも、食事事情も、危険なことも、一緒にいる以上は必要なことだから。梅はどこまでわかってるか微妙だけど、妓夫太郎は全部わかってるよ。珠世のことも、気配で私と同じって見抜いたでしょ。あの子地頭は相当に良いよ。本当に賢い子だから」
「そう。師匠、というのは?」
「言っとくけど私が呼ばせたんじゃないよ。どこで仕入れてきたんだか、妓夫太郎が呼び始めて梅も真似しだしてそれっきり。でも、ちょっと可愛いからそのままにさせてる」

兄妹のことを語る彼女は実に多弁だ。これまでも文で度々ふたりに関する記述の多さを目にしてはいたが、実際に目にするの満たされた様子は想像を遥かに超えた。
かつて共に鬼の始祖に付き従い虚しい目をしていた彼女は何処にもいない。珠世の頬が優しく緩んだ。

「なに、にっこりしちゃって」
「貴女がとても、幸せそうだから」

穏やかに珠世はそう告げる。それを受けたはと言えば、一拍の間を置いて破顔した。

「そりゃあそうだよ。なんたってあの子達は、私の初恋だから」




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