春の神様





※ご注意ください


特殊なifの中でも大分特殊なことが起きます。

何が起きても深いことを気にせず許せる方はお進みください。








「近付かないで」

部屋の隅に蹲ったは、自らを抱き締める様に身体を震わせていた。
震えの理由は寒さではなく、その身に起きている特殊な不調故と妓夫太郎は見抜いている。

「お願い、今は離れていて頂戴」
「そりゃあ・・・聞けねぇ相談だなぁ」

彼女の美しい顔は苦痛に歪み、その滑らかな額から存在を主張しているのは、普段は隠している鋭利な角。
四六時中人間に擬態するが角を曝す、それほどに追い詰められている状況なのだ。
今宵は決して誰も部屋に近寄らぬようにと人払いを済ませ、溺愛する堕姫すらも遠ざける徹底ぶりはこれが理由であったかと、妓夫太郎は眉を顰める。
伸ばした手は振り払われはしなかったまでも、は身を捩ることで明確な拒絶を示した。

「っ駄目、お願いだから私に触らないで」

最早何もせずとも息が上がってしまう。
その口元から細く漏れ出す赤い瘴気を目に捉え、妓夫太郎はわざとらしく口端を上げた。

「随分と、酷ぇことを言ってくれるじゃねぇか」
「違っ・・・!貴方に、どんな影響があるかわからないから・・・!」

は体内に猛毒を秘めている。人間にのみ作用するそれを散布し、幸せな幻覚の中で毒を毒と悟らせないまま苦痛無く葬る血鬼術は酷く恐ろしい。
だが、最後に彼女が獲物を仕留めたのはいつのことだったか。体内に溜め込み続けた猛毒により、今自身が苦しめられているのが現実だ。
鬼には作用しない筈の猛毒、人間に対し命に関わる効果はあれど痛みと苦しみを与えない猛毒。しかし今、彼女は自身の猛毒により苦痛に顔を歪め擬態もままならないほどに追い詰められている。

「触るな、近付くな・・・お前に言われると、傷付くよなぁ」

彼女の全身での拒絶は、妓夫太郎を思えばこその反応だ。
鬼である限り、自身の毒で絶命することは考えられない。瘴気を発散することで、恐らくこの一時的な不調は治まる筈だ。
の意を汲むのであれば、言う通り今晩一人にすることが正解だろう。
しかし、それを頭で理解出来ていたとしても、納得出来るかは別の問題だ。
傍に屈み込み強引にの顔を上げさせた妓夫太郎は、懇願する様な瞳と向き合うこととなった。
万にひとつの可能性でも巻き込みたくない。その思いは痛い程に伝わって来る。逆の立場なら恐らく妓夫太郎も同じ手を取るだろう。

「お願いよ、もし貴方に何かあったりしたら、私は・・・」
「うるせェなぁ・・・」

しかし、放っておける筈も無い。

の赤い瘴気と言い分を飲み込む様に、その口元は塞がれた。
抵抗しようと藻掻く彼女の力は頼りなく、しかし敵わないことをわかっていながら懸命に逃れようとする様は彼女の意地なのだろう。
がそのつもりであれば、妓夫太郎とて譲りはしない。譲れない。
抵抗という抵抗を捻じ伏せるべくその細身を拘束し、喰らいついた唇に舌を捻じ込んだ。

彼は彼女の呼吸も、禍々しい瘴気も、甘やかな声に至るまで何もかもを余さず喰らう。
身体を拘束する腕の強さとは裏腹に、時に深く絡みつき時に唇を舐める様な口付けは優しい。
最後の一押しに指先同士が絡まる様な繋ぎ方で両手を壁に縫い留めると、は遂に観念した様で徐々に身体の力が抜けていく。

彼女の口だけではなく全身から薄い煙が上がり始めた頃、漸く妓夫太郎はの唇を解放した。
潤んだ瞳は未だ不安を訴えていたが、妓夫太郎の身は赤い瘴気を浴びて尚影響は無い。

「大丈夫だ。全部、出しちまえよなぁ」
「・・・でも」
「髪の一本から瘴気のひと握りまで、お前のものは何ひとつ誰にも渡さねぇからなぁ」

そもそも、鬼が死に至る道は陽光か日輪刀のふたつにひとつ。残りは始祖から存在を抹消される、それのみだ。
何が起ころうとも命は取られない。ならば、今をひとりにする理由は無い。
唇同士の繋がりが催す快楽のためか、瘴気を少しずつ発散しはじめたためか。
多少なり辛さが和らいだ様な彼女の額から汗を拭い、妓夫太郎はあくまで独占を主張する形での傍を離れないと言い張った。
の瞳が至近距離で不安と動揺に揺れ、戸惑い、そして。

「・・・やっぱり、怖い」
「塞いで欲しくて言ってんのかぁ?」

再度二人は、深く繋がり合った。



* * *




翌日の彼女は、すっかり普段通りのに戻っていた。
美しい人間の姿をして、穏やかな表情で店中の人間に昨晩の非礼を詫び、少し具合が悪かったのだと告げる彼女の言葉を誰もが鵜呑みにする。
日頃の信頼関係が成した結果として、今日は一日無理をせず休めと自室に戻されただったが、扉を閉ざした途端に憂いの表情を浮かべた。

「本当に、ごめんなさい」
「お前もしつけぇなぁ」
「だって、全部私の責任だもの」

日光の当たらない奥まったの部屋に、妓夫太郎が座り込んでいる。
妹と身体を共有するでもなく彼がひとりここにいることには、当然理由があった。

「本当に、痛いところは無い?苦しくない?」
「大丈夫だっつってんだろうが・・・見た目だけだ」

心配一色な目をしてがそっと触れた彼の髪色は、今桜色に染まっている。
髪だけでなく全体的に赤みがかった変色をしている様であったが、特に髪色と瞳が見事に変わってしまった。
桜色と赤が交じり合った色の瞳、髪は天辺の桜色から毛先の白まで流れる様なグラデーションだ。

これを見た堕姫の興奮具合は凄まじく、あまりに可愛い可愛いと喚きたてるもので、耐え兼ねた彼はこうして身体を分離せざるを得ないのである。

「あの御方も言ってただろ、ほんの数日で元に戻る」

責任を感じて小さくなるを横目に、妓夫太郎はそう告げた。
身体の調子にはまるで異常は無いものの、念のためにと目通りを願った鬼の始祖は、ほんの数秒その姿を眺めた末に一言、一時的な酸化の様なものだと興味薄そうに告げた。
その意味は妓夫太郎には理解が及ばなかったが、数日で戻ると言われ強制的に転移で遊郭に戻されてしまえばそれに従う他無い。

「悪いと思うなら、次からは溜めずに適度に人間を喰えよなぁ」
「・・・反省してるわ」

この期に及んで彼女は反省しているとは言うが、約束するとは口にしない。
強情な奴だと眉間の皺を深めた妓夫太郎の髪をの手が再び撫でたのは、丁度そんな時のことだった。

細く美しい指先は、見事に変色した髪を労わる様に梳いている。
時折顔に触れる指先の感触に心地よさを感じながらも、妓夫太郎は気怠い表情を装った。

「触ったって早く戻る訳じゃねぇからなぁ」
「ええ、わかってる」

の目に浮かぶのは責任の痛感、そして。

「ごめんなさい、私のせいでこうなったのに・・・少し、素敵だなと思って」
「あぁ?」

思わぬ発見への、慈しむ様な笑顔が向けられる。

「春の神様がいるなら、きっとこんな姿ではないかしら」

鬼である彼らにとって神はひとりだ。
それは当然承知の上でも口にしているのであろう、それでも彼女の瞳は穏やかだった。
突然何を言い出すかと思えば、呆れると妓夫太郎は顔を背けてしまう。

「こんな醜い神がいる訳ねぇよなぁ」
「そうかしら。とても素敵だと思うけど・・・」

頭の先から毛先まで、桜色から流れる白は確かに春を思わせる。
しかし瞳を含め全体的に赤みがかった容姿は、どう考えても春の神とやらからは程遠いだろうに。
そうして顔を背けた妓夫太郎の背に、は寄り添う様に座った。

「言い方が悪かったなら、謝るわ」

そっと囁く彼女の声は優しい。
背後から肩に触れる手も、優しい。

「貴方はいつだって素敵」
「おい」
「私にとっては、桜色の貴方もいつもの貴方も、堪らなく素敵」

馬鹿馬鹿しいと突き放せないのは、の声色に嘘偽りの響きが一切無い為だ。
妓夫太郎が自身をどう思おうと、彼女は心の底からの好意を真っ直ぐに告げる。

「こうして傍にいられて、私の心はいつだって春の陽気なのよ」

背に張り付くの表情は見えない。
けれど、彼女が今満ち足りた様な笑みを浮かべていることが、わかってしまう。

「全部貴方のお蔭。ありがとう」
「・・・」
「今回のように迷惑をかけてしまうこともあるけど、もっと役立てる様に頑張るわ。これからも貴方達の傍にいるためなら、何だって出来るもの」

細い手は再度慈しむ様に変色した髪を撫で、そのまま背後から妓夫太郎の肩を包み込んでしまう。

の温かさ、匂い、そして鼓動。
白い腕に触れて思うことは、やはり何物にも代え難い尊さだ。

「・・・お前って奴は」

春の神は果たしてどちらか。

温かなぬくもりを背に感じ、妓夫太郎は苦笑を漏らした。