七夕の夜に



「意外そうな顔してるね」

ホール入口に現れたは、妓夫太郎の顔を見るなり開口一番にそう告げた。
先ほどまでステージで着ていたドレスからは着替えているものの、髪は巻いたままであったりメイクもほとんどそのままで出て来た彼女は普段と少し違って見える。

今宵は七夕。大学内では大規模から小規模まで、あらゆるホールが貸し切られて様々な演奏会が開かれている。
ピアノ科奏者の一人として役目を終えたの選曲は、ポンセのエストリータ(小さな星)から連なるメドレーだった。

「お前はモーツァルトで来ると思ってたけどなぁ」
「あっ、それは正直迷ったよ。きらきら星も大好きだから」

知っている。何しろ何度も連弾している曲である。
しかしあまりに正直な反応を返され、妓夫太郎は内心込み上げる苦笑を堪えた。

各々が七夕に相応しい選曲を求められる今宵、やはり星をテーマに選ぶ学生が圧倒的に多い。てっきり彼女自身も好きな曲であり得意なきらきら星で来るかと思いきや、その予想は意外な路線で裏切られたのだった。

「でも、七夕の夜だし。しっとりめで行こうかなぁ、なんて」
「なるほどなぁ」
「それに、きらきら星は謝花くんとの連弾が私の中で完成形って言うのかな。ひとりはちょっと違うかな、なんて」

それはどうなのだと思いつつも、苦言は喉から先へ出て来ない。
当然の様に嬉しいことを言わないで欲しい。無論、これも決して言葉にはならないけれど。
無難な返しは一切思い付かないながらも、は妓夫太郎の返答が無いことに特別追及をしないため二人して並んでホールを出た。

「謝花くんも出れば良かったのに」
「柄じゃねぇんだよなぁ」
「そうかなぁ」

選曲は自由であっても、エントリーはソロに限られている今夜の演奏会に、妓夫太郎があえて名乗りを上げる理由は無かった。
彼女が出るならば客席で聴く。ただ、それだけだ。

「意外だったけどなぁ、悪くなかった」
「・・・ありがとう」

決して気の利いた感想では無かった。
それでも、は噛み締める様にその言葉を受け止める。

「謝花くんに褒めて貰えると、すごく嬉しい。頑張って、良かった」

嬉しい。その思いは言葉からも声からも真っ直ぐに伝わって来る。
音も声も表情も、彼女は素直だ。

横を歩くの顔は見ない。今満面の笑みと目が合ってしまえば、致命的な何かが緩んでしまいそうな気がした。

「あの、謝花くん」

遠慮がちに彼女から服の裾を掴まれ、二人の歩みが止まったのはそんな時だった。
未だ大学の敷地内、門は遠い上学生の往来も盛んだ。用心深く顔を向けた妓夫太郎は、やけに真面目な色でこちらを見上げるの瞳とぶつかった。

「今年は雨も降ってないから織姫と彦星も会えてる頃だろうし、今日はとっても良い夜だと思う」
「・・・何の話だぁ?」
「うん。だからね、良い夜の記念に・・・」

すっと彼女の手が進行方向とは別の方角を指差した。
特設の野外ホールにはピアノが一台出ており、今夜唯一予約のいらないステージでは飛び入りの学生たちが思い思いの演奏で楽しんでいる。
まさか。怪訝な表情をする妓夫太郎に対し、の眉が懇願する様にキュッと下がった。

「・・・お願いっ・・・きらきら星、一緒に、どうか・・・!」
「・・・」

今夜はしっとりめで行くのでは無かったか。冷静な切り返しは出来なくは無いだろうが、どうにもこの目を前にしてしまうと弱い。
仕方がない。突発的な披露も問題無くこなせるほどには、弾き込んだ曲だ。

「・・・しょうがねぇなぁ」

次いでパッと花開く笑顔、これには更に弱い。

「!!ありがとう謝花くん!いこ!いこ!」
「引っ張んな、おい・・・」

先行くに手を引かれ、妓夫太郎は進行方向を変えた。


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