縁を繋いでくれたひと 壱






新たな年が明けた。
始業式後は授業も無い為生徒たちは皆早々に帰宅するものだが、今日に限っては多数が校内に残っている。体育館には学校関係者と報道陣がひしめき合い、その時を今か今かと待ちわびていた。
ステージ中央には一人分の小さな畳、そして半紙と筆の用意が整っている。壇下には来校者カードを首から下げた報道陣がカメラを構えている状態だ。普段とは大きく異なるその様子をスタンドの観覧席から見下ろし、明るい髪色の同級生が興奮しきった声を上げた。

「すっげーテレビだよ謝花!マジもんのテレビのカメラ!」
「・・・」
「なぁなぁ!俺たちも全国映っちゃうかなぁ!」

佐伯の通る声も今日ばかりは目立たぬ喧騒の中、妓夫太郎が深い溜息と共に眉間の皺を寄せる。
定刻までは残り三分を切った。この鬱陶しい絡みも、焦らしに焦らされた会見の全容も、間も無くなのだ。

「そんなに映りこみてぇなら喜んで下までぶん投げてやるけどなぁ」
「またまたぁ、大事な彼女の会見を謝花が台無しにする訳ないじゃんか」
「成程なぁ、試してみるかぁ・・・?」
「大丈夫だよ俺謝花のこと信じてっからさぁ!・・・痛い痛い痛いです本当に絞まってる痛い」
「・・・二人ともそのへんでやめておけ」

狛治の仲裁によって例の如く佐伯は救われた。

昨春に天神杯三冠を成し遂げたにはあらゆる注目が集まり、学内では書道パフォーマンスと彼女の名を知らぬ者はいなくなった。
そんなが学園内で書道協会との連名で行う新春会見なのだ。学外からは取材陣以外入れない特別感も手伝い、生徒も教員も皆時を置く毎に期待を高めてその時を待つ。
アリーナは中継の妨げにならない様、外部の報道カメラのみの占有スペースとなっていた。スタンドはひとつ上の階層含めすし詰め状態であったが、比較的ステージに近い良い位置取りにと親しい彼らは固まっていた。
前列に恋雪、梅、妓夫太郎、佐伯。その後列に炭治郎、狛治、しのぶが並ぶ。

さん振袖かな、それともやっぱり競技用の袴・・・?三冠が決まった表彰台の衣装、また見れるかな・・・。んんん、どれも素敵だから一番なんて決められない・・・」
「新春の会見だから、今日は振袖じゃないかな。確かに、あの時の特別な誂えも本当に凄かったから是非また見たいけど・・・」
「竈門くんもやっぱりそう思う?ああ、色々考えるだけでドキドキしちゃう」
「楽しみだなぁ。さん、一体どんな名前を付けるんだろう」

座席の前後などまるで物ともせず恋雪と炭治郎は熱い談義を交わすが、今日の会見の本題はそこにあった。
中高生が一堂に会する天神杯を三度制することにより、そのトーナメント戦に新たな名を付けることが出来る。三か月後に迫る新たな戦に向け、命名者自らこの場で発表が行われるのだ。

「天神杯が始まって今年で十二年目だそうですが、名前を変えられる三冠達成者はさんが初めての様ですよ。過去二冠の王手までは漕ぎ着けた方もいらしたとのことですが、やはり高校生までいる状態で中学から首位を三年キープすることは並大抵なことでは無いんですね」

その変遷を、しのぶがすらすらと口にした。十二年の歴史において、初の快挙。それは紛れも無くの努力の証だったが、友人達にとっても大きな興奮を齎した。

「えっマジで?じゃあ今日はすげぇ歴史的瞬間じゃん。どうすんだろ立花妹・・・。俺なら記念に自分の名前付けるかも」
「てめぇならそう言うと思ったんだよなぁ」
「えっ何そんなしみじみと・・・照れちゃうんだけど」
「一切褒めてねぇしそろそろ黙ってろよなぁ」

どうどう。そう言わんばかりに背後から伸びて来た逞しい腕が、苛立つ妓夫太郎とふざける佐伯の間を割った。懲りない同級生に溜息を吐きながら改めて腕組み、狛治は付き合いの長い友人のことを思い返す。記憶違いで無ければ、彼女の中で目標は最初から定まっていた様な、そんな気がしたのだ。

「確か、一冠目を取った時から名前は決めてあるようなことを言っていたと思うが」
「ふふふ。流石さん、高い志を成し遂げたんですね。お見事です」

三冠は前代未聞のところ、一冠取った時点で改名を決意し残り二年を制するとは只事では無い。規格外な友人の穏やかな笑みを一様に思い浮かべ、彼らは一斉に感嘆と苦笑を織り交ぜた。
が一体どんな名を刻もうと心に決めて王座を守り切ったのか。予想など出来る筈も無かったが、そんな中佐伯が妓夫太郎を挟んで向こう側へと意識を向けた。そもそも会見など開くよりも先に、彼女と距離の近い兄妹であれば既に告知内容を知っているのではないかと。

「謝花妹なんか今日大人しくない?名前、もう聞いてたりすんの?」
「はぁぁ?どう見たらアタシが知ってるように見えんのよ目ぇ腐ってるんじゃないの?聞いてたってアンタには絶対教えないわよ雑魚佐伯黙ってて」
「ひぃー軽いジャブが五万倍パンチで返ってきたァー!」
「はいはい。佐伯くんはそろそろお口を閉じましょうね」

ほんの戯れで投げた問いかけにより被弾し、震え上がる佐伯を後方からしのぶが宥めた。
梅の機嫌の悪さは瞬間的なものだった様で、烈火の如き炎はすぐさま鎮火し、しかしぶつぶつと燻っている様にも見える。

「先生に聞いても本当に知らないみたいだし。お姉ちゃんも何で教えてくれないのよ、もう」
「・・・」

妓夫太郎は黙って妹の頭を撫でた。
ここ数日、幾度も幸太郎や本人に今回の改名について尋ねる姿を見て来た。その度妹が願った回答を得られず頬を膨らませていたことを知っている。しかしながら、誰にも教えられない決まり事だからと困った様に眉を下げて微笑むが、決して嘘を吐いていないこともまた妓夫太郎は知っていた。

「・・・その様子では、お前も聞いていないんだな」
「まぁなぁ・・・。あいつのことだからなぁ、妙な名前にはしねぇと思うが・・・」

狛治からの問いに、振り返ることもなく妓夫太郎が返答を返した、その時だった。

「あっ・・・!」

誰より早く恋雪が細く声を上げる。
次いで波及する様に騒めきの色が変わり、幕が小さく揺れ、そして。

「っ・・・!!さん、素敵・・・!!」
「うわぁ・・・!すごい、華やかだな・・・!」

恋雪と炭治郎の感嘆に満ちた声は、一瞬で拍手と歓声に飲み込まれる。

美しい萌黄色の着物に深紫の袴を合わせ、彼女は壇上に現れた。白い蝶の舞う着物は大変華やかだったが、黒い襷がアクセントになり全体の雰囲気を引き締める。髪に編みこんだ飾り紐が、が一歩進む度角度によって控えめにきらりと光った。

主役が登場しただけで拍手喝采の場だ。当然熱心なファンである恋雪と炭治郎はテンションも最高潮となり、二人して無意識に随分と前のめりになってしまう。
身を乗り出さない様心配する狛治とは対照的に、梅の目がキッと吊り上がった。

「ちょっと邪魔よ!アンタたちアタシの視界に入ってこないで!お兄ちゃん何とかしてよぉ!」

きつく放たれた怒りは、兄を振り返ると共に甘える様な、泣きつく様な色へと変わった。

「・・・」

しかし、返答は返って来ない。
目を丸くする梅の反応に小首を傾げ、佐伯としのぶが妓夫太郎の顔を覗き込む。

ひらり、ひらり。
眼前で手を振られて尚硬直している。実に正直過ぎると共に色褪せない反応に、クラスメイトの二人は同時に緩く破顔した。
競技用の和装姿など数多く見ているだろうに、普段険しい顔ばかりしていながらこうしたタイミングで魂が抜けるのはある意味反則だ。

「駄目だこりゃあ。可愛い彼女が眩し過ぎて頭パンクしてんねーこれは」
「ふふ。好き過ぎて何度見ても慣れないといったところですかね。相変わらずさんは愛されてますねぇ」

彼らは二ヶ月後には、最上級学年となる。高校生活も三年目に入ろうという年月が経過して尚、互いにふとした瞬間の好意が新鮮さを損なわないのだから、眺めていて飽きないのだ。
そうして肩を揺らす佐伯としのぶを見遣り、最後に未だぼんやりとした衝撃の抜けない兄を見上げ、梅が少々得意げに口の端を上げた。例えようもなく大好きな二人の在り方をプラスに受け止められているのだから、悪い気はしない。

「・・・ふんっ、当然でしょ。アタシのお兄ちゃんとお姉ちゃんの仲は誰にも邪魔できないんだから。・・・で、ちょっとアンタ達!頭引っ込めなさいよ!アタシのお姉ちゃんよ!」
「あっ、梅ちゃん重いよ!」
「何ですって?!恋雪の癖に生意気よ!」
「あっ、乱暴は良くないぞ梅!」
「・・・おい。恋雪さんから手を放せ」

頼れないならば自ら乗り込むまで。半ば凭れ掛かる様に恋雪の肩を押し込んだ梅が、狛治や炭治郎から諌められたその頃合いで、がマイクを手渡された。

背筋を伸ばした彼女が一礼すると共に、拍手が鳴り止んだ。今日の彼女は鬼の面こそ被っていないが、やはりステージ上では雰囲気が違う。

「立花です。本日はお集りいただきまして、ありがとうございます。私の通う学園でこのご挨拶をさせていただけることを、心から感謝申し上げます。大変名誉なことに、天神杯三冠の特恵としまして、新たな名前をこのトーナメントに刻むお許しをいただきました。書道協会には先日内々に届け出たばかりですが、この場をお借りして皆さんにもご報告させていただきます」

準備された半紙と筆の前で、彼女はゆっくりと正座をした。




* * *




家族として、マネージャーの様な存在として。生徒の中で唯一舞台袖からの観覧を許された幸太郎は、どこか呆然とした面持ちでステージ上の妹を見守った。

明るい照明に照らされ、しっかりとした装いで全国と中継が繋がる中、堂々と書き記した新たな大会名。がこれまで、双子の己にすら明かすことなく夢見てきた名前。



―――有墨杯。



その文字を目にした瞬間、感じた心の震えを何と例えれば良いか。幸太郎には正解が導き出せない。


「・・・


囁きにも満たないその声に、ステージ上の妹と瞬間目が合ったように思えてならない。幸太郎は瞬きも忘れ、新たな冠を掲げるを眺め続けた。


鬼の面を首から下げた幼い少年が、不意に足元を駆け抜けた様な気がした。



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