夕焼け色の未来語り



土曜の昼前のことだった。
珍しく狛治から着信があり出てみれば、急で悪いが今から出て来れるかと問われ、はおやと目を丸くした。夕方に稽古がある以外特別な予定は無いが兄や妓夫太郎と梅と一緒にいると告げたところ、それも見越した上での連絡だった様で、それほど時間はかけさせないので出来れば全員で来てくれと近くの喫茶店を指定される。ますます不思議そうに首を傾げつつもは素直に従い、立花家にて寛いでいた三人を連れて家を出た。
と狛治はそれなりに長い付き合いがあり、驚くべきことに二人のクラスメイトとしての関係は三年に留まらず六年続いている。流石に中高全ての学年で離れなかったのはお互いだけの様で、つい先日も新年度初日にクラス分けの掲示板を前に苦笑し合ってしまった。相変わらず公欠の度にノート係を引き受けてくれる上、若干喧嘩っ早い妓夫太郎と梅とも上手に付き合いを続けてくれる狛治の存在は有り難く、校内では何かと六人で集まることが多い。
そんな狛治からの珍しい呼び出しである、なるべく足早に向かおうとするを見て梅が頬を膨らませたが、何とか宥めながら数分で指定された喫茶店へと辿り着いた。
広いテーブルに並んで座っている狛治と恋雪に手を振りながら近付き、数秒後。

「・・・うそ」
「おい、まだ何も言ってないぞ」

は目を見開き、ぽつりとそう口にした。すかさず突っ込む狛治の表情も、今日は特別柔らかい。立ち上がって小さく頭を下げた恋雪の笑顔はいつにも増して可憐に輝いている。
は堪らず、荷物も置かない内から恋雪に抱き着いた。

「きゃ・・・!」
「おめでとう、二人とも本当におめでとう・・・!!」

狛治と恋雪の左手薬指に、指輪が光っている。

「結婚、したんだねぇ・・・!」

つい先日恋雪が十六歳の誕生日を迎えたことは、ここに集う誰もが知っていることだった。祝いの席で彼女が特別嬉しそうな顔をしていた背景には、きっとこのことがあったに違いない。
昔から親公認の婚約者だった上、二人が心から思い合っていた恋人同士であることはもよく知っている。だからこそ、こうして報告して貰えたことが友人として堪らなく嬉しい。
今も変わらず憧れの存在であるに抱き寄せられ、恋雪は嬉しそうに頬を染めた。

「ありがとうございます、さん・・・」
「さっき婚姻届を出してきたところだ。お前達には学校で会うより先に話しておきたいと、恋雪さんが・・・」
「ふふ、狛治さんも同じ意見でしたよね?」
「・・・」

恋雪にそう言われてしまうと弱く、狛治が少々照れ臭そうに視線を逸らす。
感激に胸を熱くしているのは勿論だけではなく、幸太郎も一歩前へと踏み出した。荷物も上着も持ったままの妹からやんわりと物を受け取り、丁寧に頭を下げる。

「狛治殿、恋雪殿、おめでとうございます・・・当日のご報告、本当に嬉しいです」
「ああ、色々世話になっているしな。これくらいは・・・」
「お世話になってるのはこちらこそだよ・・・!ああ、どうしよう本当に嬉しい・・・」

はまだまだ興奮が冷めそうになく、これには会話を遮られた狛治と幸太郎も小さく笑ってしまったものだ。
さて、普段ならこんな状況で梅が黙っている筈はない。すかさずと恋雪の間に割って入るであろう妹の姿を横目に、妓夫太郎は静観を決め込んでいた。
梅は数秒難しい顔をして考えこんだ後、荷物を席に置いてから二人へと近寄った。

「・・・恋雪、指輪見せて」
「うん。どうぞ」

梅と恋雪は学年がひとつ違うが、生まれた日は一月も違わない。普段はを巡り梅が噛み付くことが多いものの、意外にも恋雪が応戦までは行かずとも主張を示すことで、二人の間には学年差を問わずライバルのような友情の様な不思議な関係が成り立っていた。
梅は差し出された恋雪の左手を様々な角度から眺め、僅かに口元を緩めて視線を逸らす。喜びたいけれど素直になれない時の顔だ、と幸太郎はこっそりと苦笑した。

「ふーん・・・綺麗。似合ってるんじゃないの」
「ありがとう梅ちゃん、嬉しい」
「あっ、恋雪ちゃん、私も見て良い・・・?」
「勿論です!」

そうしてが加わることで、梅も多少は正直な反応がし易くなった様だ。女子三人と近くにいた幸太郎で指輪について楽しげに語る輪から、一歩外れた場所に立つのが妓夫太郎だった。
狛治が黙って空いた席を勧めると、妓夫太郎もまた黙ったまま席につく。数秒の間を置いて先に小さく口を開いたのは狛治の方だった。

「・・・意外そうな顔だな」
「まぁなぁ・・・。そこまで急いでるとは、思ってなかったからなぁ」

狛治は高校三年、恋雪は高校一年に上がったばかりである。妓夫太郎は一切どうこう言う気は無いが、世間一般的に結婚するにはかなり早い年齢だ。決して否定的な意見では無いものの、流石に驚いたというのが正直な感想だった。
そんな妓夫太郎の言葉に狛治は気を悪くするでもなく、手元のメニューを見ながらこう呟く。

「急いでいたわけではないが・・・約束を果たせる時が来たからな。あくまで俺たちの基準だが、もうお互いに待つ必要も無いかと思った。それだけだ」

相変わらず四人は指輪について盛り上がっている。妓夫太郎は自分だけが聞いた狛治の本音に、そうかと小さく答えを返した。


* * *



「それにしても今日はびっくりしたけど、嬉しかったなぁ・・・」

夕方に煉獄家での稽古を終えたを迎えに出るのは、高校に入学して以来妓夫太郎の役目のようなものだった。お互いに一緒に暮らしているわけではないが、妓夫太郎と梅は碓氷のマンションでほぼ二人暮らしの様なものであるし、と幸太郎の家も母は不在がちであったので、どちらかの家で四人が集まることが必然的に多くなる。今日はこのまま夕飯の買い物をしてからの家へと向かう予定だった。
昼間の出来事を思い返しているのだろう、しみじみと喜びを口にするを見て妓夫太郎が苦笑した。

「お前が喜んでどうすんだよ」
「そりゃあ喜ぶよ、付き合いも結構長いし、二人とも良い人だし、本当に嬉しい・・・!」

と恋雪の出会いは三年と少し前に遡るが、何しろこの二人は妓夫太郎と梅を探していた頃から秘密を共有し励ましてくれた友人カップルである。にしても幸太郎にしても感謝の気持ちを忘れたことは無いし、今後もずっと仲良くしていきたい二人に違いない。
そんな二人の結婚報告を、入籍当日に受けたのだ。は嬉しくない筈がなかった。

「今は学生だからとりあえず入籍だけで挙式の予定はまだ無いみたいだけど、いつかその時が来たら招待してくれるって。はぁー、恋雪ちゃんの花嫁姿なら何年でも楽しみに待てるよねぇ」

は心底幸せそうにそう呟いた。目を細めて温かな気持ちを噛み締めるように笑う、妓夫太郎も勿論特別好きな表情だ。夕焼けに染まる大切な人のそんな横顔を見て、不意に昼間の狛治の言葉を思い出す。
約束を果たせる時が来て、お互い待つ必要も無いかと思った、と。

「・・・お前は、他人事で良いのかぁ?」

細やかな音量の呟きが妙にはっきりと響き、繋いだ手にお互い若干力が入ってしまった。は目を丸くして何度か瞬いた後、そっと妓夫太郎の方を見上げる。

「他人事、ってわけじゃ・・・ない、けど」

妓夫太郎は具体的に何がとは言わなかったが、勿論通じ合っていることだった。
結婚は、妓夫太郎とにとって決して他人事の話題ではない。しかし正直なところ、今かと問われると少し考えてしまう自分もいて、は妓夫太郎の顔を見上げて慎重に言葉を選ぶ。

「その、こんな事考えてるのは私だけかもしれないけど・・・妓夫太郎くんとは、なんかもう、とっくに結婚してるつもりになってる、というか・・・」

これには妓夫太郎も目を丸くしたため、は余計に誤解の無いよう気持ちを伝えなければと歩みを止めて彼を見上げる。
決してマイナスな意味は無い。ただ、その証が今すぐには必要無いほどに既に満たされていることを、知っておいて欲しかった。

「一緒には住んでないけどほとんど一緒にいてくれるし、沢山甘えさせてくれるし、その・・・日々、すごく愛されてるなっていうのも、実感してるし・・・私も勿論、何年経っても妓夫太郎くんのこと大好きだし、こんなに一緒にいるのに未だに新しく発見する良いところとか、あるくらいだし・・・」

こちらを真っ直ぐ見下ろす青い瞳がやけに静かに凪いでいるものだから、は気が気ではない。思いもよらぬタイミングで踏み込んだ話をすることになってしまったが、何か嫌な誤解を与えてしまうことは避けたかった。
ただ、何しろ最初の人生で夫婦の約束を取り交わしていることもある。既にそのつもりでいる今、狛治と恋雪の様に今すぐその形を取る必要も無いのではないかと、はそう感じていた。

「えっと・・・だから、その・・・」
「・・・わかった」

言い淀むを前に、妓夫太郎が先に目を逸らした。先を促す様にその手を引いて、再び歩き出す。

「お前が焦ったり、羨んでたりしてねぇなら・・・良い」
「待って」

が繋いだままの手を引くことで、妓夫太郎をそっと引き留めた。
若干彼がぎくりと肩を揺らしたことすら見逃さず、は真剣な顔で妓夫太郎を見上げる。

「・・・妓夫太郎くんは?」
「・・・俺かぁ?」
「だって、二人のことだから・・・私だけの希望で・・・決めることじゃない、よね?」

その証を今すぐに欲してはいないほどに満たされ、幸せを感じていることに嘘は無い。けれどそれはの考えであって、妓夫太郎も同じとは限らない。優しい彼に対し、何かひとつでも無理を強いたくはない。二人で歩むと決めているのに、妓夫太郎の本心を置き去りにするのは間違っている。特に、話題が大事なことなら尚更だ。妓夫太郎に無理をして欲しくない、何か思うところがあるのなら言って欲しい。
そんな思いで思わず切ない顔をすると数秒無言で見つめ合った末、妓夫太郎は根負けしたかのように緩く溜息を吐いた。
限界だ。これ以上は何もなかったような顔を保っていられない。多少の照れ隠しで、彼女の頭を乱暴にならない程度の力で撫で回した。

「・・・何つー顔してんだ、ばぁか」
「う、わっ」
「大体俺もお前と同じ考えだからよぉ、そんな心配そうな顔するんじゃねぇ」

何も現状に不満など無かった。ただ、はどう思っているのかと、ほんの少し気になったため確認した話が、まさかここまで特大の直球で返って来るとは思いもよらなかったのだ。人は構えていなかった時の衝撃が大き過ぎると、動揺を通り越して時が止まるなど、身をもって知る羽目になった。相変わらずは妓夫太郎に対して真っ直ぐな愛情表現をやめないし、何年経っても衰えが無いどころか、徐々にパワーアップしている様な気さえする。
妓夫太郎の方は流石に、とっくに結婚した気にはなっていなかったものの、それでもからこんなにも幸せであることを告げられて嬉しくない筈が無い。毎日ほぼ一緒に過ごす中で、空白の期間を取り戻すかのように満たされることの尊さを感じているのは、妓夫太郎も同じなのだから。
もし主張することがあるとすれば、それはひとつだけだ。

「・・・まぁ、時期が来りゃあそう出来たらとは思うが・・・」

消え入りそうな声だった。
けれどは、どんなに些細な音でも妓夫太郎の言葉を取り零さずに拾ってくれる。
夕焼け色に染まる彼女の瞳が丸くなるのを、妓夫太郎は眩しい思いで見つめた。何年経っても色褪せない、は妓夫太郎にとって幸福そのものであり、温かな光だ。その瞳が期待と喜びに輝き、笑顔が咲き誇る瞬間が、堪らなく愛おしい。

「っ私も・・・!いつかはきっと、私もそうしたい・・・!」

思わずといった様子で飛びついて来たを反射的に抱き止め、妓夫太郎は参った様に目を瞑る。
いつかはきっとそうしたい。
具体的な言葉は使っていないものの、これは将来結婚することへの希望だ。今は必要無くとも、然るべき時が来た暁にはそうするべきだし、そうしたいとも思っている。二人の間で結婚はそれこそ前世からの約束であるし、もうこの先ずっと共にあることを誓った間柄なのだから、確かにそれほど強烈な驚きはない。
ない、けれど。

「・・・
「ん?」

ここは住宅街の一角である。
確かにそれほど騒がしくはない住宅地だが、人の目が完全に無いとは言えず、妓夫太郎は何とも言えない顔でを見下ろした。
誰に見られて困る間柄ではないが、このように可愛い顔をところ構わず惜し気もなく晒すのは考えものだ。念のため辺りを見回し、今のところ人気が無いことを確認し、そして。
彼は素早く身を屈め、彼女の頬へと唇を寄せる。柔らかな頬が若干熱いのは、恐らく気のせいではないだろう。

「・・・そういう顔は、確実に二人だけの時にしろよなぁ」

そうして耳元に囁きかけると、喜び一色だった彼女の表情が、驚きと小さな熱の色に染まる。
頬で済ませたのは、これ以上は我慢が効かなくなる恐れがあったためだ。まったく、こちらの気も知らずに勘弁してほしい。内心ではそう強がりながらも、の前では困り顔で口元を緩めてしまう妓夫太郎がいる。
大好きなひとにそんな顔をされて優しく髪を撫でられたなら、幸せを感じない筈が無い。はにかむ様な笑みを浮かべ、は目を細めた。
愛されている。
大好きで堪らないひとに、これ以上無いほどに愛されている。

「ふふ・・・ごめん」
「ほら、行くぞ。スーパー寄るんだろ?」
「うん。あ、まだ6時前だよね。出来れば先に竈門くんのお店にも・・・」
「・・・しょうがねぇなぁ」

優しく手を絡め合い、歩き出す。
夕焼けの景色の中に伸びた二人の影は寄り添ったまま、離れることはなかった。



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