酷く世話焼きで、毒を教えてくれたひと



「駄目」

そっと手首を握られ、そして同じようにそっと告げられた否の言葉に、少年は大袈裟に肩をびくつかせた。

汚い、醜い、臭い。遠巻きに嘲笑われることはあっても、殴るという手段以外で直接この身に触れてくる輩など見たことがない。うっかり身体の一部が触れ合った日には、汚いものに触ってしまったと盛大に喚かれるばかりだ。
言い方を変えるなら、誰かに優しく手首を掴まれることなど、妓夫太郎の人生で初めての出来事だった。電気が走ったように飛び上がると、相手もまた驚いたのだろう、彼より少し小さな手は、またもやそっと退いていった。
過ぎた空腹感で意識が朦朧としかけ、普段なら解けない警戒を妨げたのだろう。いつの間にか妓夫太郎の隣にいた存在は、声から察した通り女であり、同時に彼と同世代と思われる子どもだった。戸惑うように手が空を彷徨い、しかし意を決したように、彼女は下唇を一度噛み締めてから再度警告をする。

「あの・・・毒、だから」
「え?」
「今あなたが採ろうとしてた草は、毒草。最悪、息が出来なくなって命に関わる、かも」

こんな所にあるのは珍しいんだけど、などと小声で一言二言囁き、危なかったとスンと鼻息をひとつ。
妓夫太郎は突然のことに、頭が追いつかずにいる。
ひとつ、この見知らぬ子どもの目的はなにか。
ふたつ、女が自分に石を投げないわけがない。
みっつ、開けたこの場所は、逃げ場が少ない。
焦りに目を白黒させている内に、彼女は妓夫太郎の足元を指差した。

「そこに咲いてる花なら、大丈夫」

桃色の小さな花が咲いていた。指し示された足元のそれをうっかり踏んでしまいそうになるのを堪え、妓夫太郎は緊張と同時に怪訝な顔で目の前の子どもを見やる。今まさに、空腹を何とかやり過ごすために手を伸ばした草は、毒草だと言い否と言う。そして足元に咲いている桃色の花なら良しと言う。
つまり。

「その・・・もし、食べるなら、の話だけど」

誤って毒草を食らわないよう、注意してくれたのだ。
それを妓夫太郎がようやく理解した頃、相手の子どもは困ったように眉を寄せ、それじゃ、と告げ走り去った。

後姿を呆然と見送り、やはり見ず知らずの子どもだと再確認する。
ここの草木を食べようと考えたのは今日が初めてだったが、あの草が毒草だとは知る由も無かったし、逆に足元に咲いている桃色の花が食用として安全だということも、初めて知ることだった。
一体何故、そんな助言を、よりによって自分に。釈然としない思いを抱えつつ、妓夫太郎は彼女に示された花の形状をしっかり記憶するべく観察し、摘んで口に含んだ。
僅かに甘い味がした。



* * *



見知らぬ彼女の二度目の世話焼きは、数日後に再来した。
理由も無く母に殴られ赤く腫れた顔を、街の住民たちにひとしきり嘲られながら河原へ辿り着いた時のことだ。
川の水で冷やしたところでどうにもならない痛みと、いつもの事ながら惨めな思いに滅入っていたその時、彼女は再び現れた。

今度は気配を察知し、先に目が合ったため妓夫太郎も怯えはしない。咄嗟に身構えることをしなかったのは、彼女が先日助言をしてくれた子どもだと認識していたからだろうか。
妓夫太郎からは口を開かないものの、拒絶されないと判断すると彼女は小さな安堵の息をついた。懐から包みを取り出すと、中身を妓夫太郎の手に握らせる。

「良かったら使って。痛いところに当ててみて」

一瞬だが、再び躊躇なく手に触れられた。
そのことに戸惑いつつも妓夫太郎が握らされたものを確認する。清潔な薄い布、そしてそれに包まれた、草をすり潰したような物が透けて見える。
独特な匂いと、痛いところに当てろという言葉から導き出された答は、俄には信じ難いものだったけれど。

「・・・薬か?」
「うん、気になるところに布ごと当てて。もし効き目があんまりだったら、布の中身を出して直接塗り込んでも良いけど、少し沁みるかも」

用法を聞いたわけではなかった。しかしすらすらと出てくる彼女の言葉は、薬を貰ったのだという妓夫太郎の認識が間違ってはいない証明だった。
何故。
何故、こんなことを。
しかし今回も戸惑いのあまり言葉に詰まる妓夫太郎を置いて、彼女は立ち去った。去り際、早く良くなると良いね、なんて小さな言葉を添えて。

前回は困ったような表情が印象的だった彼女は、今回は小さく笑ったままだった。余裕を無くしているのは妓夫太郎の方だ。名前も素性も知らぬ彼女は、勘違いでなければ妓夫太郎に親切心から2回も世話を焼いたのだ。

こんなことは、どう思い返しても生まれてはじめての出来事だ。親切にされたら何を返すのか。どう対処するのが正解なのか、妓夫太郎は何も知らない。
恐る恐る、彼女に貰った薬草を布漉しに患部へ押し当てる。
じんわりと熱をもったような気がしたが、痛みは感じなかった。



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