結びの日 参






春の陽射しが降り注ぐ中、その日は訪れた。

夜間に執り行われることが多い祝言を敢えて昼日中に行うことは、介添を務める老夫婦への負担を考慮したことがきっかけであった。
陽の光が差し込む自らの住まいで、薬屋の主人に見立てて貰った紋付袴に袖を通した妓夫太郎は落ち着きなく起居を繰り返していて。貴重な光景に感心した様な声を上げた幸太郎が危うく殴られかけるという事態も勃発したが、まともに反応が出来るだけ余裕があったのだと今振り返れば理解が及ぶ。

老婦人と梅に手を引かれ現れた花嫁の姿を一目見るなり、妓夫太郎の時は完全に停止した。
夫婦の娘が使ったのだという白無垢を借りることを喜んで選んだは、彼の知る言葉では到底表現が追い付かないほどに美しい。
しきたりには囚われないと決めたことにより自由度の高い祝言の中、化粧は最低限にした方が良いと進言したのは梅だっただろうか。薄化粧に若干色付いた唇は、いつかの祭の夜を思い起こさせるには十分過ぎる材料だったが、いざこうして向き合った衝撃はあの時とは比べ物にならない。
夢か、現か。綿帽子の下から覗く黒い瞳と視線が絡み合い、柔らかく微笑まれたことで余計に妓夫太郎は言葉の発し方を忘れてしまった。
駄目ね。そうですね。梅と幸太郎がそんな会話を交わし、や老夫婦が忍び笑いに肩を揺らしている様な気もしたが、どうにならない。主役の片割れが心ここに在らずという格好のつかない事態でさえも、春の陽光は全てを丸く包み込んでしまう様な暖かさで平屋を照らしていた。

格式ばったことは最低限に削ぎ落し、固めの盃の儀で二人の縁を結ぶ。唯一にして大事の酒を注ぐ役割には、これ以上の適任者はいないだろうとが幸太郎を指名した。彼は家族を差し置いての大役に遠慮の姿勢を示したが、他ならぬ梅本人からの後押しによって使命感と喜びに打ち震え、その任を受けたのだった。

三つの盃を、二人は時間をかけて飲み交わす。
互いに決して幸福とは呼べない幼少時代に出会い、初めての友となり、濁った遊郭の闇を痛感しながら懸命に外の世界を求め、二人の夢は叶えられた。
あの夜から二人は互いと夫婦と決め、翌日には確かに世間から認められ新たな生活を始めたが、こうして小規模であろうとも改めて儀式を行うことで実感は大きく深まる。
薬屋の老夫婦と幸太郎、そして梅に見守られ、が最後の盃から顔を離した瞬間、その空間は和やかな温かさで満ちた。

「・・・お二人とも、おめでとうございます」
「本当におめでとう。こんな良い日に立ち会えるだなんて、長生きはするものねぇ・・・」

幸太郎と老婦人の目には感極まる光が宿っていた。晴れの日に涙はよせと二人を諫める薬屋の主人の声も若干頼りない。胸に迫る思いを熱く感じる二人の前に、梅が屈み込んだ。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、おめでとう」
「ありがとう梅ちゃん・・・」

梅の笑顔は晴れ晴れしくも凛としていた。この期に及んで一言も発さない兄の姿に苦笑を零しつつも、彼女は幸太郎と目を交わし、そして。

「アンタ達、もう入ってきて良いわよ!」

背後に向かって、大きな声を上げた。

何事かと目を丸くするの視界に、さっと飛び出た小さな影。それは一直線に、妓夫太郎のもとへと飛んできた。

「鬼のお兄ちゃん!」
「・・・春男?」

突然の驚きは、漸く妓夫太郎の言葉の封印を解いた様だった。
春男は憧れのひとの正装に興奮を隠すことなく目を輝かせており、今日もお気に入りの鬼の面を首から下げていた。
続く足音はどれも軽々とした子どもの物で、見知った幼い顔ぶれが男女問わずたちを取り囲む。

「キャー!さんとっても綺麗!」
「っえ・・・皆、どうして・・・」
「鬼の兄ちゃんかっけー!!やっぱすげぇなぁ!!」
「あぁ?おい、お前ら・・・」

異口同音に婚礼の装いに感激する子どもたちの空気は賑やかだった。
しかしながらこの展開に驚いているのは主役二人のみの様で、梅と幸太郎、薬屋の夫婦までもが涙を拭いてにこやかに笑っている。

「さ。それでは梅殿、ここからはよろしくお願いします」
「任せて!行くわよアンタ達!春男、手伝って」
「うんっ!!」

一体どういうことなのか。唖然とするしか無いの綿帽子を慎重に取り外し、梅が笑った。

「さぁお姉ちゃん。お兄ちゃんも、付いて来て!」

梅にしっかりと手を引かれ、は歩き出した。すぐ後ろは春男と手を繋いだ妓夫太郎がおり、他の子ども達もそこへ続く。
戸惑いと共に振り返ると、安心を約束する様な三人の笑顔と目が合った。

「ふふ。宴の準備を整えてお待ちしていますね」
「行ってらっしゃいな」
「転ばない様に気を付けるんだぞ」

外へ連れ出され、眩しい陽光に瞬間目を細めた先。
待ち構えていたかのような大喝采にと妓夫太郎は言葉を無くした。

「ようやく主役の登場だな!おめでとう!!」
「鬼の兄ちゃん、良かったねぇ!!」
ちゃん、おめでとう!!」

明るい祝いの言葉を口にするのは、当然この町の住民達だった。
の顧客であったり、妓夫太郎を頼りにする者であったり、日々の他愛ない世間話や挨拶を交わす間柄まで色々であったが、皆二人を温かく迎え入れてくれた住民達だ。
盛大な拍手の波に包まれ、梅を先頭に一行は前へと進む。町中の人間が集っているのではないかと思う程に、沢山の祝いの言葉が降り注ぐ。

「・・・凄い」
「な、んだこりゃあ・・・」

完全に気圧される二人を取り巻きながら、子ども達が得意げに笑った。

「へへっ!みーんな鬼の兄ちゃんたちを待ってたんだ!」
「子どもも大人も皆でお祝いできるように、昼間にして貰ったんだー!」

老体に夜の宴は堪える為、祝言は昼間だと有難い。
そう緩く笑っていた薬屋夫婦の裏側で、まさかこんなことが計画されていようとは。
まるで想定外の驚きに目を見開くばかりの二人を連れて、梅達は開けた空き地へ辿り着く。
ここでも何かを準備しているらしい梅の目は使命感に輝いており、行列を成してついて来た住民達も二人を取り囲む形に落ち着いた。

「さぁアンタ達、準備は良いわね?」
「はーい!」

待ちきれないと言わんばかりに、うずうずとした元気の良い子ども達の声。
一体何が始まるのかと目を交わしたと妓夫太郎の前に、春男が飛び出した。
手には籠を持っており、その中に敷き詰められているのは―――。

「鬼のお兄ちゃん、さん、おめでとう!!」

―――色とりどりの何かが、春男の手を通して風に舞う。
その鮮やかさに二人が目を奪われる内、次々に籠を手にした子ども達が集い春男に続いた。

さん、おめでとう!!」
「鬼の兄ちゃん、おめでとう!!」

子ども達の明るい声、周りを取り囲む大人たちの拍手。
そして小さな手から放たれ風に舞うのは、花びらと紙吹雪の様だった。
色鮮やかな祝福の雨が円を描く様に舞い上がり、二人の頭上に降り注ぐ。

「綺麗・・・」

の言葉は心からのものだった。暖かな春の青空に、この彩は美しく映える。
まるで夢を見ている様な心地に呆然とするの反応が嬉しいのか、近くにいた子ども達が明るい声を上げた。

「梅の姉ちゃんが考えたんだよ!」
「紙もお花も、皆で一生懸命集めたのー!」
「ちょっと・・・!そこは黙ってなさい!」

これに慌てたのは梅だったが、子ども達はまるで動じない。
勢いの衰えない優しい吹雪の中、二人からの視線を受けて梅は少々気恥ずかしそうに両足を揃え背筋を伸ばした。

「梅、お前・・・」
「・・・お兄ちゃんとお姉ちゃんの縁を、この町の皆でしっかり結ぶ大事な日よ」

いつかの祭の夜、が名実ともに梅の姉となる策を授けられた。
あの時は困った様に話を逸らしていた二人が、こうして婚礼の衣装を纏い目の前にいるのだ。
祝言の存在を知らされて以降、梅がどれほどこの日を待ち望んでいたことか。

「ちょっとやそっとじゃ忘れられない日にしなきゃ。そうでしょ?」
「梅ちゃん・・・」

どれほど、心待ちにしていたことか。
その思いが直接流れ込んで来る様な感覚に、の胸が熱く込み上げた。
不意に潤む黒い瞳を見上げ、梅は同調しそうになる自身を叱咤し気丈な声を張り上げる。

「さあ、泣いてる暇無いわよ!次々来るんだから!」
「え?・・・わぁっ!」
さん、おめでとー!!」
「鬼の兄ちゃんがんばれよーっ!!」

次から次へ。一体どれ程の量を準備したのか、振り撒かれる吹雪は止む気配が無かった。
元気の良い子ども達にが気を取られている隙を見逃さず、梅が妓夫太郎に駆け寄り耳打ちをする。

「お兄ちゃん、手を繋いであげて」

妹は揶揄う訳ではなく、心底真剣な顔をしていた。
大事なことだと、今すべきことだと青い瞳同士が見つめ合う。

「綺麗とか幸せにするとか口で言えないなら、一番傍にいるって態度で示さなきゃ」
「・・・お前」

身請けが決まった夜、妹がいつまでも小さく幼いままではないことを悟った。
何が正しいことか、何をすべきか、梅は自身で考え模索し、学ぶ術を身に着けた。
しかし今日この時ほど、可愛い妹の成長を肌で感じたことは無かっただろう。
妓夫太郎の目が細められ、その手が引き寄せられる様に白い髪を撫でた。

「・・・大きくなったんだなぁ」
「もうっ!アタシのことはどうでも良いの!はやく!」

どちらが年上かわからない様な口調で追い立てられ、妓夫太郎が一歩二歩ととの距離を詰めた。
変わらず降り注ぐ色鮮やかな祝福を受け、彼女は感激の真っただ中だ。
妓夫太郎がほんの間近まで寄ると、その手はどちらともなく自然と結ばれた。

「ふふっ、綺麗だねぇ」
「・・・おぉ」

気恥ずかしい感覚はこの際忘れる。それ程に、の喜ぶ表情が眩しかった。
屋内では被っていた綿帽子が外れた為か、その笑顔を遮るものは無い。
結い上げた黒髪にひっそりと差し込まれた、青い簪。
婚礼の華やかな装いには見合わないであろうそれが目に入った途端、胸の最奥が穏やかに熱くなった。

「こんなに素敵な景色、一生忘れられないね」

喜びと感激に輝く黒い瞳、惜しみなく広がる笑み。
妓夫太郎が最も大切に思う笑顔が、今日この時の為の婚礼衣装を身に纏いすぐ隣にいる。

が優れていればいるほど、何度も不安に陥り打ちのめされた。
が好意を示してくれる度、何度も自信の無さから頭を悩ませた。
しかしその度、何度でも藻掻いて足掻いて、諦めきれないと願った存在。
自分の命より尊い相手との未来を、こうして周りから祝福される日が来るだなんて、考えもしなかった。

「・・・
「なぁに?」

こんなにも美しく愛おしい花嫁が、優しく微笑んで隣にいてくれるだなんて。
人生がただの暗闇だった頃を思えば、奇跡としか呼べない。
夢の様に眩しすぎて―――言葉に、ならない。

「・・・いや、良い」

何を言ってもとても表現できたものでは無い。
どんな言葉をかき集めても、足りない。
そうした理由をつけて言葉を切った妓夫太郎だったが、すぐ傍で聞き耳を立てていた子どもは違った。

「もー!鬼の兄ちゃんそこはかっこよく決めろよー!」
「・・・」

もどかしさに地団太を踏む一声は、同じく様子を伺っていた子ども達にも一斉に波及した。

「あっ!ちょっと、余計なこと言っちゃだめでしょ!良いところだったかもしれないのに!」
「そうだぞ!鬼の兄ちゃんはかっけーぞ!」
「そういうことじゃねぇんだよー!」

素直な子ども、ませた子ども、主張を曲げない子どもに、言い返す子ども。
これは、収集がつかないのではないか。
思わぬ事態に妓夫太郎と梅が頬を引き攣らせたその時だった。

「ふふ。皆ありがとう、大丈夫」

夫と繋がれた手をそっと離し、言い争う子ども達の前に進み出たのは美しい花嫁だ。
中腰に屈み優しく微笑むその表情は、子どもの目から見てもわかる程に幸福で満たされて。
思わずはっとする幼い双眸から、それぞれに争いの色が消え失せた。

「これからずっと一緒だから、話せる時間はたくさんあるの」

これから先、ずっと共に。語らう時間はいくらでもあると告げるの声は、収めるべき子どもの争いを飛び越えて周りを取り囲む大人達まで届いてしまう。

「くぅー!羨ましいなぁおい!」
「鬼の兄ちゃん、幸せになんなよー!」
「若いって良いねぇ・・・!」

これまでとは別の喝采が沸き、思わず妓夫太郎が半歩下がりそうになった次の瞬間。
春男が再び二人の前へと進み出て、精一杯の大きな声と共に新たな祝福をばら撒いた。

「鬼のお兄ちゃんとさんが、ずっとずっと結ばれますように!」

今日は二人の縁を、しっかりと結ぶ日であると。
兄からの教えを守ろうと懸命になる春男の姿に、誰もが心を動かされる。
それは気恥ずかしさから顔を背けかけた妓夫太郎も例外ではなく、憧れのひとの視線を受けた小さな少年は嬉しそうに笑顔の花を咲かせた。

「あっ・・・やるわね春男!アタシも負けないわ!お兄ちゃんとお姉ちゃんが、何回生まれ変わっても幸せで結ばれますように!」

梅が駆け付け、春男の籠から一握りの雨を振り撒く。
これに続けと子ども達も集い、口々に二人が末永く結ばれる様にと祈りの言葉と共に彩を空へ放った。
春の青空は高く澄み渡り、風に乗る色とりどりの花や紙吹雪が祝福の雨となって二人に降り注ぐ。

「すごいね、こんなにしっかり結んで貰ったらきっと解けないよ」
「・・・そうだなぁ」

再度横に並んだ妓夫太郎の指先が、の手に触れる。
先程よりもしっかりと、二人の手は結ばれた。

「・・・離さねぇからなぁ」

拍手と祝福の歓声に紛れた、囁く様な声だった。
それでもの耳は、しっかりとその言葉を拾う。

「・・・うん、私も」



幾重にも結ばれたこの縁は、決して解けはしないだろう。

何度でも、きっとこの結び目がお互いを繋いでくれる。

二人は顔を見合わせ、優しく笑い合った。






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