終の箱庭 下





襖を前に立った女の目に、迷いは無かった。
一筋の赤い吐息が、美しい唇から零れ落ちる。

「鬼血術―――芥子の箱庭」

一瞬にも満たない歪が、何もかもを作り替える。掻き消えた襖の向こう側は、花々の咲き乱れる穏やかな空間と化した。暖かな光が差し込み、鳥たちが優しく囀り、そして肺まで満たす様な甘い花の香り。当然のことながら突然の転移に慌てふためく少年と、目が合った。

「・・・姐、さん」

動揺。困惑。そして、全てを悟った絶望。
善逸の瞳の正直さに、は穏やかな苦笑で応えた。

「また、頬が腫れてしまったわね」

人間は治癒に時間がかかる為、連日に渡り手当をした。この少年が京極屋に来て以降、毎日沢山の話をした。正直な愛らしさに、幾度となく笑顔を貰った。それも今日で終わる。

「こっちへいらっしゃい、善子ちゃん。約束していたお話をしましょう。私と善子ちゃんのふたりだけ、誰も邪魔は入らないわ」

が柔らかな笑みを携え、一歩を踏み出す。
善逸を取り巻く空気が変貌を見せたのは、同時のことだった。

「随分、雰囲気が変わるのね」

瞳を閉じたその佇まいは重厚な圧力に満ち、の知る善逸とは明確に異なる。

「考えたくは、なかった」

あんなにも明るく溌剌としていた声が、今はこんなにも低く響く。

「どんなに奇妙な心音が混ざり込んだとしても・・・貴女が鬼だなんて、考えたくはなかった」
「そうね、私もよ」

これが鬼狩りとしての善逸の姿だと云うならば、別人の如き様相の変化は好都合だ。心は決めてきたが、一層、後ろ髪を引かれずに済む。の目が僅かに細められた。

「善子ちゃんが鬼狩りだなんて、考えたくなかったわ」

敵対心も、警戒も、この箱庭の中では全て無駄なことだ。一秒毎に肌や呼吸から染み入る毒は、人間の身では防ぎ様が無い。刀すら持たない今の善逸では、尚のこと。
が口元だけの微笑みを取り戻すと共に、善逸もまた圧倒的不利な状況を察知した様だった。

「神経毒の、血鬼術か」
「大丈夫よ。苦しませたりしないわ。何の憂いも無く、逝かせてあげる」

善逸は冷静に鼻と口を手で覆う。しかし、数秒後には己の手を見下ろし呆然とした声を漏らした。

「身体が、引き寄せられる・・・意識が、溶かされていくみたいだ」
「その思いに正直になって良いのよ。私も早く貴方に触れて欲しいわ」

の毒は苦痛と無縁だが、引き換えに心身の自由を奪う。性別や年齢を問わず、捕えられた獲物はの虜と成り果て、最後には穏やかな顔をして旅立つのだ。例外は無い。不安も焦燥も、いずれ消えて無くなる。
迎え入れる様に両手を広げ、更に一歩が善逸に近付く。その時だった。

「こういう、血鬼術なんだね」
「・・・善子ちゃん?」

空気の揺らぎに、が目を見張る。目の前に立つ鬼狩りが、日々を共に過ごした少年へと半歩立ち戻った様な気配がした。
刀も持たない無防備な身を晒し、四方八方から毒に見舞われて尚、善逸は両の手を握り奥歯を噛み締める。

「大切なひとがいるって、言ってたのに。なんで、こんなことするんだよ・・・!」

強い憤りと、滲み出る優しさが複雑に交じり合った声だった。

の中で、説明のつかない何かが凪いだ。

「・・・私には、これしか無いからよ」

一度として、この遣り方を誇らしく思ったことなど無い。この身に触れて欲しいと願う相手は決まっている。好き好んで他の者に許せる筈が無い。
しかし、これ以外にどんな手があると云うのだ。が己の価値を証明するには、これしか方法が残されていなかった。

「まるで戦えない、出来損ないの鬼なの。選ばれなかった私には、こんな卑しい方法しか無いの。この毒が無ければ、誰の心も繋ぎ止められないのよ」

零れ落ちた刺々しい言葉の数々に、は暫し唖然とした様に目を瞬いた。
この局面で、何を真摯に言い返しているのか。恥じ入る様な苦笑は、瞬く間に美しい造形を取り戻す。

「さあ、喧嘩はおしまい。眠くなるまで、二人だけでお喋りをしましょう」

心に波紋が広がったところで、この少年が迎える結末は変わらない。入れ込んでしまった分、が責任を持って幕を引く。それだけの、筈だった。

の目の前で、花が咲き誇る情景が歪んだ。

想像もしなかった異変に目を見開いた瞬間、飛び込んできたのは小さな獣だった。

「・・・どうして」

善逸は刀を持っていた。忍装束の鼠達の侵入を許し、今この箱庭には武器が持ち込まれている。あり得ないことだ。

「どうして、鼠を呼び寄せられたの。どうして、毒が効かないの」

形勢、逆転だ。

「そんな・・・私、貴方の心を縛らなきゃ・・・だめ、私、私の役割を果たさないと・・・価値があるって、示し続けないと・・・」

声が、震える。
視界が、揺れる。
息が、苦しい。

「・・・ずっとそうやって、苦しんでたんだね」

それは、もう随分と親しんだ善逸の声だった。本来誰より笑顔が似合う筈の少年の、押し殺した様な苦悶の声。
追い詰められた絶体絶命の状況下、は不意に目を見張る。

善逸の瞳から、一筋の涙が零れていた。

「姐さんは、出来損ないなんかじゃない。誰の心も繋ぎ止められないなんて、絶対にそんなこと無い・・・!」

涙に震えながら力強くそのものを肯定する声が、一直線に胸の内側へ届く。
ふらついた足で刀を構える姿は紛れも無く毒に侵された証だったが、それでも尚この少年が屈さない理由を、は唐突に理解した。

ああ、そうか。
最初から、敵う筈が無かったのだ。
太陽の様に温かく眩しいこの少年に、鬼の身で近付けばどうなるか。
こんなにも真っ直ぐな心を縛りつけることなど、きっと誰にも出来はしない。
まして、卑しい手だと自覚していた毒などでは、勝てる筈も無い。

「だって・・・っこんなことしなくたって!!俺っ・・・姐さんのこと好きだよ・・・!!」



落雷の音が鳴り響く。

の目に映ったのは、泣き崩れたまま帯に飲まれていく善逸の姿。

そして、首と切り離されたであろう己の胴体だった。




* * *




意識が暗転し、瞼を上げた先は別室だった。
に割り当てられた部屋。そこに首と胴が別たれた状態で打ち捨てられ、そして。

「・・・どういう、ことだぁ?」

こちらを見下ろす、最愛の姿を見た。
突然のことに狼狽える妓夫太郎の瞳は、明確に揺れている。心から愛した相手の絶望の表情が、これ以上無いほどの胸中を抉る。己の命が尽きようとしていること以上に、見上げるしかない光景が辛かった。

「おい・・・何の冗談だぁ・・・お前、」
《取り込め》

それは、脳内に直接刻まれた声だった。
本能が畏怖を謳う―――鬼の始祖、そのひとの声がした。

《今なら間に合う。取り込め》

当然妓夫太郎の耳にも届いているであろう、こちらを見下ろす彼の表情は苦悶のまま硬く凍り付いていた。
始祖本人はこの場にいない。しかしこれは、決して抗うことの許されぬ決定事項だった。

《本来であれば激しい苦痛を伴う猛毒だ。妓夫太郎、これよりはお前の武器としろ。残虐性に秀でたお前の様な鬼にこそ、備わるべき能力だった》

淡々と告げられる命を受け止めながら、はすぐ傍に転がった己の胴体を見遣る。塵と化し崩れ始めた我が身は、猶予がそう長くは続かないことを示していた。

《命令だ。塵となる前に取り込め》

その言葉を最後に、耳鳴りが遠ざかるかの様に圧が引いた。
ふたり取り残されたこと、そして今しがた下された命令。不自然なほど落ち着いた胸中で、は思い至る。
最後に話せる時間を残して貰えたことに、心から感謝しようと。

「驚かせてしまって、ごめんなさい」

はっとした妓夫太郎の瞳が、再度こちらへ向けられる。出来る限り穏やかな笑顔でいようと心掛けただったが、意思とは関係なく眉が下がり辛うじての苦笑にしかならない。こちらを見下ろす妓夫太郎の表情は、あまりに悲痛なそれだった。

「でも、貴方とひとつになれるなら・・・良い幕引きだと思うのよ」

命令は、妓夫太郎がを取り込むことでの毒の能力継承だ。戦闘能力も殺意も薄いより、よほど妓夫太郎に備わるべき力。始祖の言うことは正しいと、素直に感じた。
愛する相手に取り込まれるなら、鬼として実に恵まれた最期ではないだろうか。は目を伏せ、そっと囁く。視界の端で、妓夫太郎の拳が震えた。

「ずっと、あの子が羨ましかった。これからは、貴方の一部としてずっと一緒にいられる。願いが叶って幸せだわ」
「っふざけんなよなぁ・・・!黙って聞いてりゃあ勝手ばかり並べやがって・・・!」

畳を削ぐ勢いで妓夫太郎の指が食い込む。数字を刻まれた瞳は、怒りに戦慄いていた。

「お前っ・・・お前はいつだってそうだよなぁ!こっちの気も知らねぇで、悟り切った顔して勝手に決めやがって・・・!」

憤りが勢いをつけ、首だけになったを妓夫太郎の両手が掴み上げる。どんなに乱暴に投げつけられたとて、この怒りは受け止める以外に成す術が無い。そうして固く目を瞑ったであったが、衝撃はいつまで経っても訪れることは無く。数拍の間を置いて、その首は彼の両腕に掻き抱かれた。

「っ・・・勝手に、置いていくなよなぁ・・・!」

妓夫太郎の声が、震えている。憤る言葉とは裏腹に、心から大切に胸元へ抱かれている。の目の奥に、熱いものが込み上げた。

「っ置いて、なんか、」

置いてなど、行く筈が無い。取り込まれるならば、これからはずっと共に在れる。しかしそれは、文字通り去り行く側の独り善がりであるとわからぬではない。あまりの切なさに言葉が詰まった。
妓夫太郎と身も心もひとつになる度、永遠を願っていた。その身を共同に出来る彼の妹を、羨んでいたことも嘘ではない。しかしそれは、この様な形の別れとはほど遠い。何より、こんなにも妓夫太郎を悲しませることなど望んではいなかった。
遂に滴り落ちて来た熱い涙が、自分のものとは別であると気付いた刹那。様々な感情が濁流の様に込み上げ、は強く目を閉じた。

泣かせたくなかった。悲しませたくなど、なかった。

「・・・ごめん、なさい。最後にもうひとつ・・・お願いを聞いて」

腕の拘束が緩む。涙で滲んだ視界の向こうに、同じく目元を濡らした最愛を見つけ、罪悪感は更に加速した。
同時に、しみじみと思う。何て美しい涙だろうか、と。

「貴方を、この目に焼き付けておきたいの」

囁く様な懇願を受け、妓夫太郎の眉が顰められたが、それもじきに力無い苦笑へと姿を変えた。

「・・・本当に、勝手な奴だなぁ」

互いに涙に濡れたままではあったが、永久の別れを前に小さく笑い合えたことには感謝する。
素っ気ない言葉の裏側にある優しさを、何度愛おしく感じたことだろう。本当の意味での自由は無くとも、閉ざされた世界の中で幸福を感じられた。欲を金で売買するこの濁った町で、誰より愛に恵まれた自信がにはあった。

この瞬間不意に思い起こすのは、この首を斬った少年からの言葉だ。
毒が無ければ無価値だと、何ひとつ繋ぎ止められないと。鬱々とした自己否定を、あの少年は更なる否定で返してくれた。

「ねぇ。もしも私が、毒すら持たない弱い鬼だったなら・・・こんな風に、貴方の傍にいられたかしら」

答えを聞くのは、少々怖い。
しかし、瞬間呆気に取られた末の妓夫太郎の表情は、堪らなく優しい。

「・・・肝心な所で、馬鹿な奴だなぁ」

未だ目元を濡らしたまま、妓夫太郎が眉を下げて苦笑する。この尊い光景を、いつまでも心に焼き付けようとは誓った。

「決まってんだろうが・・・この、ばぁか」

何故、その瞬間だったのかは自身にもわからない。
しかし愛に満ちたその声と共に、確かにの頭の中で変化が起きた。

流れ込んでくるのは、鮮明な記憶の数々だ。
美しい青い瞳を持つ兄妹と、外の世界へ出ようと夢を抱いた日々。誰からも理解されることの無かった淀んだ世界で、初めて自分を認めてくれた幼馴染。血縁は無くとも姉と慕ってくれる愛らしい少女。そうなることが必然の様に惹かれ、心から愛し、愛し返してくれた。世界でただひとり、特別なひと。

「お前がいなけりゃなぁ、俺はとっくの昔に毒で・・・」

妓夫太郎の言葉が、不自然に途切れた。
記憶とは違った色に禍々しい数字を刻まれた瞳が、困惑と動揺に揺れる。

「・・・?」

ああ、こんな時に。は新たな涙を一筋流して微笑んだ。
妓夫太郎は恐らく記憶の扉に手をかけた、それだけだ。去り逝く今、これ以上彼を苦しめたくはない。

「・・・時間が、無いわ」

見つめ合うその表情が硬くなる。事実、身体は半分以上が崩れかけていた。命令には背けない。十分に、最後の時間を与えて貰った。

「大丈夫。ずっと、一緒だから」

これより先は、毒として妓夫太郎の一部となる。言葉は交わせなくとも、彼を守る力になれるなら本望だ。
妓夫太郎の瞳から再度涙が溢れ出すのを目の当たりにし、は震える己を叱咤し懸命に微笑んだ。

「・・・お願い。私を、食べて」

最後の最後で、一方的にでも記憶の全てを取り戻せたことは奇跡だ。無念の内に踏み躙られた人間の生を捨て、鬼となり長く共にいられたことも幸福でしかない。

ただ、もしも、願うことを許されるなら。
誰に縛られることもなく、もう一度陽の光の元で、笑い合いたかった。
目前で取り立てられた希望に満ちた世界へ、手を取り合い一緒に踏み出したかった。

噛み付く様な口付けの直前、妓夫太郎が浮かべた悲しみの表情を痛みと共に受け止め、はそっと瞼を下ろす。

―――だいすき、妓夫太郎くん。

遂に言葉にはならなかった思いを最後に、彼女は毒の花として最愛に喰らい尽くされた。




* * *




一帯が更地になる程の激闘の末、燃え盛る炎の唸りが聞こえなくなったことに善逸は僅か安堵した―――終わった。
瓦礫の山に埋もれながら薄れゆく意識の中回想するのは、まだこの町が形を成していた頃の友の声だった。

『一見して、鬼とは思えなかったけど・・・確かに、変わった匂いがした。伊之助は俺たちより気配に敏感だから・・・警戒するのも、当然かもしれないな』

京極屋を後にした炭治郎は複雑そうな表情でそう告げたが、緋色の瞳はその後切なく和らいだ。

『でも・・・善逸があのひとを信じたいって気持ちも、わかる気がした』





折り重なった瓦礫が崩れかかる音に、善逸の意識は引き戻される。

「っ・・・!!」

まずい。しかし限界などとうに越え、指先一本動かすことも叶わない。最悪を覚悟し身を固くすると同時に、頭上で決定的な音がした。
しかし、恐れていた致命的な衝撃は一向に訪れない。

「・・・え?」

見知らぬ少女が、善逸の上に覆い被さっていた。
軽傷では済まない量の瓦礫だった。善逸より体格も劣る身で盾となればどうなるか。しかし、突如護り手となった彼女の身には傷一つ見当たらない。

ほんの僅か、崩れ落ちた瓦礫が透けて見える。“此方側”の人間では、ない。

それを理解しながらも、善逸は彼女から目が離せずにいた。足の動かせない善逸を、上半身から引き摺る様に瓦礫の残骸から救出してくれる。遊女ではなく、平凡な町娘。これまで会ったことなど、無い筈だった。しかし、善逸はこの音を知っている。

無事を確認し、彼女は言葉も無く立ち上がった。踵を返す直前に見た優し気な微笑が、善逸を確信へと導く。

「っ・・・まって」

彼女を知っている。善逸は震える声を捻り出した。

「待って・・・おねがい待って、姐さん!」

彼女の歩みが止まる。それが答えだった。

信頼していたひと。心から、信じたかったひと。
結果として、善逸がその首を落とすことになってしまった―――美しい女鬼。
姿形は異なれど、目の前に立つ少女がそのひとであると。善逸が慕った本人であると、はっきりとわかる。

「俺・・・俺、あのっ・・・!」

この状況で何を言おうというのか。首を斬った張本人が、何を。
しかし善逸は振り返らないの背に向かい、声を上げずにはいられない。

鬼と人間として、最後は対峙することになってしまったけれど。
ここでの日々を温かく支えてくれたのは、間違いなくこのひとだ。

「・・・っありがとう・・・!!」

鬼殺の隊士として、首を落としたことは詫びられない。しかし、心からの礼はどうしても届けたい。
握った拳を震わせたまま這い蹲る善逸の前で、その華奢な身がゆっくりとこちらを振り返る。
一歩二歩、丁寧な足取りで戻った彼女がすぐ傍に屈み込み、包む込むような笑顔をくれる。
彼女だ。善逸の胸に、じわりと熱さが迸った。

《私の方こそ。ありがとう、善子ちゃん》

の声がする。耳に馴染んだ上品で甘やかなそれよりも素朴で幼い喋り方ではあったが、間違いなくの声だった。
礼の言葉を返されるとは思っても見ず、戸惑う善逸に対し彼女は柔らかく笑う。

《私たち、やっと自由になれたから》
「・・・自由?」
《償いが終わるまで、どれくらいかかるかわからないけど。いつか・・・もし、また生まれることを許されたら。もう一度、逢いたいひとを探しに行くの。何回だって、同じひとの傍で生きていきたいから。そういう、自由》

命と引き換えに、自由を得た。その礼だと、は微笑む。
鬼が自由を得ることの重大さも、彼女の言う償いの途方も無さも、善逸には理解が及ばない。
しかし、逢いたいひとを探しに行きたいと。思いは変わらないと告げるの目が、穏やかな幸福で満ちていることはわかる。

何と返せば良いのか。と話したいことも山ほど残っていた筈が、途端に言葉が出てこない。
もどかしく拳を握ることしか出来ない善逸を見下ろし、不意にの眉が下がった。

《騙したりして、ごめんね》

白く透き通った手が、そっと善逸の頭を撫でる。

《出来損ないじゃないって、私を認めてくれて・・・ありがとう》

柔らかな声。優しい笑顔。善逸にとって大切な何もかもが、今度こそ遠く離れていく気配がする。狂おしく胸が詰まった。

《たくさん、幸せになってね》

まるで幻の様に、の笑顔が小さな光の粒となって消失した。
静けさを取り戻した闇夜にひとり、伏したままの善逸の身が徐々に震え、小さく縮こまる。

大好き、だった。
恋情か親愛かを計り兼ねるほどに、夢中だった。

大粒の涙が込み上げる。鼻の奥がツンとして、息苦しい。

「っ・・・た、たんっ・・・うぅっ!」

涙の理由は痛みに書き換える。
大き過ぎる想いを、胸に閉じ込める。
最後に向けて貰えた微笑みを、決して忘れぬよう刻み付ける。

「うっ・・・たぁ、炭治郎ーっ!!」

善逸は力の限り泣き叫ぶ。
一際美しい星空が、いつまでも頭上に輝いていた。