上半身を無くした蓮の身体は丹田から見事に切り裂かれ、再生する気配が無い。
―――終わった。
達成感なのか疲労感なのか判別のつかない思いに足元がふらつきそうになるその時、決着をつけた姉弟子の身がぐらりと大きく揺れ、高い足場を完全に踏み外す。
「佐切!」
集中力を切らし誰もが間に合わない中、一が八か典坐が飛び降りようと構えを深めた直後。小柄な忍が落下する佐切の下へ影の如く滑り込み、その身を容易く抱き留めた。
佐切も意識はある様だ。顔を見合わせ、そのままの体勢で固い握手を交わす。画眉丸の表情はこちらからは見え辛いものの、互いの健闘を讃えるふたりの氣は穏やかなもので。私たちは頼りない足場の上で、それぞれが安堵のもと脱力した。
「・・・か、勝てたんだよな?」
「そうっすよ、自分たちの勝利っす!」
「そっか・・・そうだよな・・・!やったんだな・・・!」
懐疑的だったヌルガイが、典坐の言葉を得て勝利の実感を深めていく。二人の言う通り、私たちは勝った。漸く、命懸けの御役目は終わりを告げたのだ。
「!センセイも!良かったなぁ・・・!」
本当なら力いっぱいに抱き締めて、生き残れた喜びを全身で分かち合いたいのに。今の私はヌルガイの眩しい笑顔を前にして尚、気持ちを明るく持っていくことさえ難しい。
「・・・うん」
「?」
千年をかけて最愛を取り戻そうとしたひとりの女性の想いを、私たちは粉々に打ち砕いてしまった。その途方もない罪悪感が胸を締め付け、一筋の涙が零れ落ちる。
何も知らない典坐やヌルガイには伝わる筈も無い。敢えて苦しめる必要も無い。恐らくは桂花から真相を聞いていた杠と仙汰も、私たちを思うからこそ師弟関係以上のことを伏せたのだろう。
「あ・・・ごめん、ホッとしたのかなぁ」
オロオロと惑うヌルガイに心配をかけたくない。なのに何度拭っても涙は止まらず、上手く笑って見せることすら出来ない。己の非力さを悔やんだその時、背後から腕を引かれ私の身は反転する。
先生は私の涙を隠してくれた。ヌルガイと典坐に背をむける形で先生の腕に抱かれてしまえば、誰にもこの情けない顔を見られずに済む。
「・・・よく頑張ったね」
温かな抱擁。私の頭を撫でる手の優しさ。讃える声の柔らかさ。先生が与えてくれるひとつひとつが、私の心を守ってくれる。
「忘れずにいよう。君も、私も」
私と先生にしかわからないだろう、その言葉が最大限の寄り添いを約束してくれる。蓮の想いと願いを知りながら道を貫いたことへの重荷を、共に背負うと。誰かの愛を砕いた痛みは薄まらない。それでも、ひとりじゃないと思えるだけで心持ちは遥かに違う。
「・・・はい」
ごめんなさい。蓮に対する罪の意識を唯一許される腕の中で、私は深く呼吸を繰り返した。
そこから数分だったのか、数秒だったのか、時間感覚は曖昧だ。ただ、背後から典坐とヌルガイが息を飲む音を耳が拾うと同時に。私の氣もまた、この船へ新たに乗り込んできたひとつの気配を感じ取る。
「・・・先生、さん」
「えっ・・・何であいつこっちにいるんだ・・・!」
船の後方。もう半分ほど沈む甲板の縁を越えて、浮遊する雲に倒れ込むような形でやってきたひと。
「衛善さん・・・!」
整理のつかない心の惑いを一時棚上げ出来る程に、予期せぬ出来事だった。強引に涙を拭い、四人で甲板へと降り立つ。時に浸水した箇所へ踏み込み飛沫を散らしながら、私たちは急ぎそのひとの元へ駆けつけた。
迎えを得て役目を終えたのか半透明の雲がゆっくりと消失し、衛善さんをそっと降ろす。正面からは変わりなく見えようともその背からは夥しい量の枝葉が伸び、極彩色の花を咲かせていた。思わずこちらの息が詰まる壮絶さをその身に纏いながらも、私たちを見渡す隻眼は落ち着いている。
「・・・仙汰を責めてくれるな。単身運ぶよう命じたのは私だ」
「何故・・・」
花化に臆すること無く肩を支える先生の問いに対し、衛善さんが浮かべた笑みは優しくて。
「私の時間は、残り僅かだ」
その言葉は、声色に反し鋭く私たちの心に突き刺さるものだった。
残りの時間を悟ったからこその穏やかさ。未だ自我を保っていることが奇跡のような花化の進行度合い。すべてがパズルのピースのように噛み合って尚、心がその受け入れを拒否する。そんな私の葛藤を見通したように、衛善さんの視線が私たちから逸れた。
「殊現も、もうじき力尽きるだろう・・・奇妙なことだが、この身に巣食う花がそう告げている」
「っ・・・!」
極限を越えて残り火も同然だった氣を燃やし尽くし、殊現は徐福の遺体を斬った。私が共有した蓮の背景を飲み込んだ上で、その役割を引き受けてくれた。手遅れであることは痛い程理解出来ていた。そして今この時になり、私はこのひとが一人で此処へ渡った本当の意味へ辿り着く。
「共に役目を終える為、此処へ来た」
殊現にとって衛善さんは、敬愛する特別な兄弟子で。衛善さんにとっても、殊現はずっと気に掛けて来た特別な弟弟子で。ふたりの関係性を頭では理解しながらも、殊現の死期を悟り寄り添おうとする衛善さんの決断を、私はどうしても受け入れられない。
「嫌です・・・」
「」
「折角、生き残ったのに・・・本土も守れたのに・・・」
わかってる。花化は一目瞭然に深刻化して、衛善さんは自我を保つ裏側で想像を絶する苦痛と戦っている。それでもここまで積み上げた時間や絆が、この兄弟子を終わりへと後押しする勇気を阻む。
「どうにか、他の道を探せませんか」
先生の声は苦しく掠れたものだった。
「はずっと、貴方を救えなかったことを悔いていました。今になって再び取り上げることは・・・とても・・・」
そうだ。私は、二度目の喪失を恐れているんだと。喉元が締め付けられるような思いに俯くと同時に、堰を切ったようにヌルガイが前のめりに声を上げた。
「そ・・・そうだよっ・・・!もう誰も死んでほしくないって、も、センセイも、皆頑張ってきたんだよ・・・!」
「少しでも花化を遅らせることが出来れば、まだ何か良い方法見つかるかもしれないっすよ・・・!」
蓮という最大の障壁を乗り越えた今だからこそ、どんなことをしてでも仲間の命を繋ぎたい。その思いで熱くなる私たちを見据え、衛善さんがそっと微笑んだ。
「お前たちは思い違いをしている」
静かな声だった。それでも直接心に語りかけるように、その言葉が染みていく。
「確かに命に勝るものは無いだろう。だが・・・納得のいく散り様を選ぶこともまた、時には救いになり得る」
必ずしも延命だけが救いではない、と。全員生存の意義を覆され愕然とする私に向けて、衛善さんが言葉を続ける。
「・・・教えてくれ、。私は本来、どういった死を遂げる筈だった」
全身に緊張が走る。正史での死様。それを今、本人から直接問われることの重さは言葉にし難いものだった。眉を寄せ身を硬くする私が助けを求め視線を送る先、先生が戸惑いながらもひとつの頷きを返してくれる。吐く息が震えた。
「・・・上陸して、すぐ・・・空腹の陸郎太が、暴れて・・・木に、叩きつけられ・・・て」
「浜でお前が駆け付けた時だな・・・撲殺か、圧殺か。死体は皆の眼前に晒されたか」
上陸間もないまさかの悲劇。私がまず回避させたかった別れ。脳裏に浮かぶのはこの上無く残虐な遺体だった。だというのに衛善さんは冷静に元の運命を聞き入れ、私に続きを促す。
死体は先発組の誰の目にも入らなかった。但し、その死地は追加上陸の面々が降り立った浜と同じ。敬愛するひとの死に打ちのめされた殊現の慟哭が頭を掠め、私は唇を噛み締めた。
「先発組は誰も・・・でも、後から上陸した殊現が見つけて・・・酷く、動揺して・・・」
殊現がこの島の生物を悉く死滅させると誓ったきっかけ。それはこのひとの尊厳を蹂躙した遺体に他ならなかった。
そこまで思い至ったところで、私は顔を上げる。衛善さんの隻眼は殆どの視力を手放しながらも、穏やかなまま私を見つめていた。
「・・・もうわかるだろう、。お前が変えた事象により、私も殊現も既に救済を得ている」
「・・・衛善、さん」
「上陸早々の死では、皆の顔をもう一度見ることも叶わなかった。不名誉な散り様を残すだけでなく、殊現の心に傷を負わせることもまた、私の望むところではない」
その言葉が、ここまでに生じた変化のすべてを讃えてくれる。五体満足で私が守り切れたなら違っただろう不手際じゃなく。腕を一本失おうとも、花に侵されようとも、生きてもう一度皆と再会できたことを喜び。そして殊現の目に無惨な亡骸を晒さずに済んだことを安堵してくれる。言葉を無くす私の腰元へ、その視線が落ちた。
「長年苦楽を共にしたその刀も、お前に引き継ぐことが出来た。無念の死へ向かう筈だった私にしてみれば、充分過ぎる程の救いだ」
思わず指先で触れずにはいられない、大切な刀。本来の世界戦では、陸郎太の怪力を前に粉々に砕け散った名刀。小竜景光、写し。衛善さんにとって紛れも無い愛刀だ。
満足のいく救出劇には程遠い。それでも兄弟子の言葉が、私の軌跡に新しい意味をくれる。そして同時に、私から最後の足掻きをそっと奪っていく。
「・・・殊現の傍まで運んで貰えるか」
蓮との決戦を前に、衛善さんの名を聞いて尚移乗を拒否した殊現と同じ。このひともまた、己の信念を譲らない厳格なひとであると。私は、わかっていた筈の現実を思い知らされる。
「あいつは私が連れて行く。これが私の為すべきことだ」
「・・・衛善さん」
残された片手を上げる、それだけのことも酷く苦しそうな様子に思わず身を乗り出してしまう、情けない顔をした私に。衛善さんは、そっと頭を撫でるという優しさを届けてくれた。
「許せ。私の選んだ終焉の形だ」
厳しい現実と固い決意を告げる声は、こんなにも柔らかく情に溢れている。
山田家の先頭に立つひと。誰もが認める序列首位。そのひとが選んだ決断を、私はとうとう受け入れてしまった。
痛みを伴う苦しさが胸から込み上げ、瞬く間に涙となって溢れ出す。強引に何度も拭う私に、衛善さんは穏やかな苦笑を浮かべてくれて。不意に思い至ったように、左手を私の頭から己の腰元へと移す。
彼が今何をしようとしているのかがわかる。だからこそ私は、涙と鼻水で酷い顔のままそれを止めた。名も無き刀はもう私の元へ帰ることは望まない筈だ。
「最後、まで・・・お供させてください。きっと、この刀も・・・衛善さんのお傍を望んでいます」
「・・・お前も変わらんな」
衛善さんがそう言って笑ってくれる。穏やかに耳へ染み入るその声を、きっとこの刀達も今聞いている筈だと。辛い決断を、彼の尊厳のもと受け入れている筈だと。私は涙を拭いながら必死に自分へとそう言い聞かせた。
船がぐらりと揺れた。水没が深まり、いよいよその時が近いことを告げている。
「・・・急ごう。船がもう持たない」
「先生と典坐で、衛善さんをお願いします。ヌルガイも、後ろから背中押してあげて・・・私、先に行きます」
ぐらつく足場を懸命に駆ける。巌鉄斎と威鈴によって割られた竜骨の、谷のような深まりを抜けて。そして辿り着く、徐福の遺体が守られていただろう跡地。
「珠現・・・」
そこで大の字に仰向けになる兄弟子の瞳は、虚ろに濁ったものだった。すぐ傍に膝をつきそっと揺らすことすら躊躇ってしまう程、脆く崩れてしまいそうな惨状だ。
臆するな。唯一の償いとして、二人を再会させるのではなかったのか。私は必死に自分自身の勇気を引きずり出す。
「珠現、起きて」
氣はほんの微弱ながら、感じられる。まだ、生きている。生きている筈だ。一向に反応を示さない虚ろな眼差しを見ているだけで、再び強く視界が滲む。
負けるな。怯むな。自分を叱咤しながら、更にその身を揺り起こす。
「衛善さんが来てくれたよ。ねえ、珠現」
その時だった。頭上の足場がメキメキと崩れ落ちる音に、私は身を硬くした。あの時とは違う。燃え盛る柱でも、命を脅かす決定的な重量でも無い。ただ、今にも崩れそうな殊現に受け止め切れるとは到底思えない。私は咄嗟に兄弟子の身を庇うように覆い被さった―――次の瞬間守ろうとした張本人から、とんでもない腕力で押し退けられるとも知らずに。
何が起きたのか理解まで数秒を要した。覆い被さった私を腕一本で跳ね除け、自分は仰向けのまま木屑と端材だらけの有様で。もう口もまともに利けないのに、それでもまだ本能的に私という妹弟子を守ろうとする。
どうして。珠現という奴は、どうして。
「どうしてこんな時までっ・・・!」
這い戻り込み上げる激情をぶつけるところを、寸前で飲み込む。駄目だ。こんな時だからこそ、伝えるべきことは他にある筈なのだ。
その身に被った木屑を払う。良かった、この衝撃で受けた損傷は少ない。拳を固く握りしめ、短く息を吐き出して。私は、兄弟子との最後の時間を笑顔で締め括ろうと努めた。
「・・・ありがとう。珠現のお陰で、威鈴も清丸も生き残ったよ。あの二人はこれからも・・・殊現の志を継いで、きっと強くなるよ」
死の運命が見えた二人は、それぞれに傷を負いながらも無事に隣の船へと移った。今頃はきっと付知と仙汰の治療を受けているだろう。自らの手で可愛い弟子達を逃した誇らしげな背中が、忘れられない。
「・・・私にとっても、殊現は大切な兄弟子だったよ」
この島での衝突が避けられないと構えるあまり、ずっと壁を用意していたのは私の方なのに。当の本人はよりによって私に、本道場と分道場の壁をぶち破る期待を寄せていただなんて。
お互いに言わなければ決してわからない思いを抱えていたという事実が、何だか可笑しくて。でもそのすれ違い方も、私たちらしいと思えてしまう。
「ありがとね・・・本当にありがとう、殊現」
謝罪は受け入れて貰えなかったけれど、せめて感謝の気持ちは伝えたい。
勝手な思い込みの可能性は十分にあった。それでもその瞬間、珠現の口元が僅かに緩んだように見えた。
三人に抱えられた衛善さんが到着する。今にも崩壊しそうな舞台の上、私たちは精一杯に二人を傍へと近付けた。変わらず仰向けに横たわったまま、人間らしさをすっかり手放した殊現を前にしても、衛善さんはまるで怯む様子を見せなかった。
「よくぞここまで、大役を成し遂げた」
虚ろに反応を示さない弟弟子へ向けた、その言葉は労いであると同時に慈しみに満ち溢れ。
「私はお前を誇りに思うよ、珠現」
私たちは確かに見た。暗く淀んでいた珠現の瞳に光が戻り、半分焼け落ちたその表情が深い喜びで綻ぶ瞬間を。
「ああ・・・衛善殿」
吐息の様な声は眩い幸福に溶けて。敬愛するひとからの誉という特別な勲章に、侍としてもひとりの人間としても、心の底から満ち足りたような表情を浮かべ―――そして殊現は、純粋な喜びをその顔に写し取ったまま、最後の息を吐き切った。
時をまったく同じくして、衛善さんもまた眠るように動かなくなる。お互いにお互いの優しい表情を認め合いながら、衛善さんと殊現は同時に旅立った。衛善さんの背から伸びる花々が彼の終わりと共に深く生い茂り、ゆっくりと二人の姿を覆い隠していく。
私たちはただ、崩れ落ちそうな嘆きを支え合いながら二人の終焉を見届けるしかなくて。涙で目の前の景色がぶれる。うまく息を吸えないほどに胸が苦しい。
でも、念願の再会に殊現が幸せそうに笑ってくれたことも、衛善さんが最後まで頼もしい優しさを手放さなかったことも、しっかりと瞼の裏に焼き付いている。
命は助けられなかったけれど。心は、救えただろうか。延命だけが救済の道ではないという衛善さんの言葉に縋ることは、許されるだろうか。
―――その刹那。
私は大きな船の揺れと共に、爆発的に膨れ上がろうとする氣の余波を感じ取り瞠目する。
ずくりと重く脈動する氣の圧、その桁が違う。これまで感じたことの無い規模の脅威がすぐそこまで迫る。咄嗟に先生を仰ぎ見ると、顔色を無くし私を見下ろす表情と同時に交差して。
瞬きひとつにも満たない時間で、私たちは互いに何をすべきかを悟った。
迷う暇も示し合わせる時間も無い。でも、相手の思いがわかる。私がヌルガイを渾身の力で突き飛ばし、その軌道上へと先生が典坐を押し込む。
「典坐、飛べ!!」
典坐は疑問を覚えるよりも早く先生の指示に従い、足に溜めた加速でヌルガイを抱き船の外へと飛び出した。戸惑いながら空中でこちらを振り返る二人を見て思う―――良かった。
次いで、素早く抜いた刀の違和感に私は目を見開いた。
圧倒的に短い。否、半分砕かれたのだと。ここまで私を率いてくれた鋭い刀が眩い光を放ち破壊されていく光景に息を呑むと同時に、腰から下に奇妙な熱さを感じた―――次の瞬間には、私は両足を消し飛ばされ地に伏すことになる。
しかし自分の下半身が無くなったことも、衛善さんから託された太刀が折れたことすら、今目の前に突き付けられた絶望とは比べものにならない。
先生の胸に、大きな穴が空いている。
最愛の復活を阻まれた蓮の恨みが、今地獄の底から花開いた。