「ベタベタ触んなよ」
「ワガママ言うな。ほんとは身体ごとぎゅっとしなきゃおしくらまんじゅうにならねーのに、清丸が嫌だって言うから手ぇ繋ぐ形にしたんだろ」
「おい紙女。山の民が変な誤解してんのはお前のせいだろ、何とかしろよ」
五人で手と手を繋ぎ合い相生の輪を作る。私とヌルガイの間に挟まれた清丸はにぎにぎとした圧に文句を言いたかったのだろうけれど、ヌルガイの反論事体をうんざりしたような顔で斬った。
確かに、私の見た夢をそのまま話したことでヌルガイに間違った意識を植え付けてしまった自覚はある。抱き着く必要は無く、氣の意識を高めた状態で相手に触れれば効果は十分あるのだから。
しかしながら“紙女”とは。新たな呼び名は悪意を放ちながらも、若干感心してしまうような二重の意味を持つ。
「成程ねぇ。本から出て来た平らな女で紙女か・・・なかなか鋭い、七十五点」
「・・・高過ぎないか。君に対しあまりに礼節に欠ける気が・・・いや、が良いなら口を出す気は無いが・・・」
「もう口出してるじゃん。士遠センセもやっぱり変なひとだね」
「おいクソガキ今すぐ訂正しないと零点以下にするよ」
「、言葉が汚いぞ」
「大人なのに一度言ったこと覆すのー?だっさ」
「センセイとを悪く言うな!」
「あああ!皆さん団結っすよ!団結!」
まさかの典坐がまとめ役に奔走するような歪なデコボコ具合。しかし五人で息を揃えて循環を始めた途端に空気が変わった。
彼は凄まじく氣への馴染みや勘が良い。初の試みにも関わらず経験のある私たちにまるで劣らない理解度で、清丸は回復の輪を埋めてくれた。
最年少にして実力は一・二を争う才器。殊現からそう称されるだけの末恐ろしさを左手にひしひしと感じ取りつつ、典坐から右手を通し渡ってくる熱い氣を自分の中で練り、また左手で清丸へ流していく。内臓と筋組織の損傷は計り知れず、しかし氣の消耗を急速に補うことで回復にも手が届く。呼吸が整い、身体中の痛みが徐々に和らぐ―――助かった、そんな安堵の息が自然と零れる。例え一時のものであろうとも、天仙の長を相手取る以上は必要な調整だった。
そんな中、遠くから激しい音が響き始める。蓮もまた丹田の裂傷を回復させ、殊現と会敵した。遠目でもその光景を目の当たりにすることで、私たちにも緊張が走る。
「散開しつつ、戦術は前半と変わらない。極力削り、追い込み、叩く。加えて我々は今五属性を揃えた状態でもある。一撃一撃を無駄にせず、相生を活かし強化したものをぶつけよう」
先生の声が冷静かつ的確に、作戦を整理して伝えてくれる。
「蓮の属性は土、相克は木。今回の斬り手は私が務めるよ。よって・・・は前へ出過ぎない様に」
安定していた声が、最後の最後で波打った。心が折れた佐切に決定打を預けられない以上、私の攪乱に息を合わせ続けることは出来ない為だ。全員が生きるか死ぬかの局面に至っても、先生の私に対する変わらない思い遣りが嬉しいのか、苦しいのか。情が通うからこその矛盾を自嘲するように、私は微かに苦笑した。
「難しい注文ですね」
「・・・わかっているよ」
「私も先生の言いたいこと、わかってます・・・極力、頑張ってみますから」
真の姿を曝け出した蓮の脅威に対して、先生の援護を頼れなくなったとしても私の囮としての役割は変わらない。無茶をしないとは約束出来ない。でも、このひとの思いも無視したくない。勝つだけじゃなく生き残る為に、踏み込みの見極めが試される局面だろう。こればかりは私の裁量を信じて貰うしか無く、小さく頷き合ったその時だった。
「皆がどこ見てんのかは知らないけどさ。もうひとりの木属性なら、あそこにいるけど」
呆れたような清丸の声に、瞬きの刹那呼吸が止まる。帆が焼け落ちた船の骨格高くより、二人分の影が朝日を背負い私たちを見下ろしていた。
自身の足でしっかりと立つ、黒装束の小柄な忍。そして手を携え相生の構えを深める、凛と美しくも逞しい姉弟子。もう揃うことは叶わないと一度は絶望した主人公組の復活に、心臓の鼓動が新しい音を刻み始めた。
「画眉丸!良かった生きてた・・・」
「佐切さんも・・・!無事で何よりっす・・・!」
喜び一色のヌルガイと典坐の声が響く。何故、どうやって完全な花化から復活を果たせたのか。湧いた疑問は端から些末なこととして消えていった。
蓮へと果敢に飛び掛かっていくふたりの連携、時には滑稽な戦法で言い争う姿すら頼もしくて仕方が無い。佐切の相生が効いているのだろう、消耗を感じさせない画眉丸の冴えた挙動ひとつひとつが、私の胸を熱くした。
「・・・やっぱり、君も生きなきゃだよね」
無意識の内に本心が声に出る。結さんともう一度逢う。はじめからそれだけを絶対の目標と掲げた画眉丸の再起が眩しいと同時に、心の底から嬉しくて堪らない。
理由は無かった。それでも私が視線を送れば、同じタイミングで先生もこちらを見返して穏やかな笑顔をくれる。
「負けてはいられないな」
「・・・はい、先生」
画眉丸と佐切は明確に蓮を倒す為の攻撃を仕掛け続けている。私たちの為すべきは、佐切が斬り手として蓮の丹田を破壊できるよう戦況を整えることだ。
「紙女!僕を掴んで飛べ!」
「了解」
不遜な態度も今なら一切不問だ。一撃でも多く見舞おうという闘志を買い、その手を握った直後。私たちは二人して、背後からの熱さに強く抱き支えられることとなる。
「それならこっちの方が速くお届けっすよ!二人ともちゃんと掴まってください、ねっ・・・!」
心の準備をする暇は無かった。私と清丸の背をしっかり引き寄せた典坐が加速をかければ、私たちはすぐさま蓮の眼前まで距離を詰めることが叶い。今回は最後まで面倒を見てくれた典坐によって、最高に良い空中の間合いの中へ躍り出た。
「清丸しっかり!」
「っ・・・わーってる!」
初めて体感する超加速に目を丸くするのは一瞬のこと。眼光鋭く狙いを定めた清丸を、私は宙に浮く最中全力でぶん投げた。独楽の様な回転剣舞が相生の勢いを後押しに蓮の全身を細かく切り刻む。速度・威力共に見事としか言いようの無い軌道だった。
斬られた勢いで反転した蓮の背後、私は着地と同時に床を蹴り飛ばし半身を斬り上げながらその身を大きく抜き去った。同じく離れた着地点でしゅるしゅると回り続ける少年の動きを止めようと手を伸ばしたが、私の助けなど不要と言わんばかりに清丸は自力で止まる。目と目が合い生じた空白に、もう不快な気まずさは感じなかった。
「流石、やるね」
「褒めなくて良い。こんなの出来て当然だし」
きっと桐馬と同じ。友達にはなれないけれど、一時共闘くらいならきっと出来る。そうして小さく肩を竦めた直後のことだ。
「見事だ清丸!」
熱く真剣そのものな声に、私は背から震え上がりそうになるのを堪える。
「殊現・・・さん・・・」
私たちを追ってきた兄弟子の変わり果てた姿に、清丸は愕然としていた。無理も無いことだ。私も恐る恐る顔を上げて向かい合う。やはりそこにいたのは半身を炎で焼かれた珠現に他ならず、彼の氣は歪に擦り減りながらも気力ひとつで持ち堪えている状態だった。私ですら怯んでしまう惨状に、珠現を盲信するこの少年へ適応しろという方が無理な相談の筈だった。
「・・・遅くなって、ごめん」
しかし清丸は口を一文字に引き結んだ後、そう口にした。震えそうになる己を叱咤するように、固く拳を握り締めている。
侍の誇り。私が珠現相手にどうだって良いと断じた矜持。目の前の少年の強さがこそがその原石であると、突き付けられたような思いがした。
珠現は屈んで彼と視線の高さを合わせようとはしなかった。しかし真っ直ぐに清丸を見下ろし、力強くその肩を掴む。
「この大舞台にして、これまでで一番の技前を花開かせるとは・・・己を誇れ清丸、侍として君は大きく成長した。そしてこの先も一層強くなる。それだけの力が、まだ君の中に眠っている」
清丸の前進を讃える声は熱さに満ちて力強く、耳だけ傾けるならまるで普段通りの珠現がそこにいる様で。しかし焼け焦げた半身が、動揺から抜け出せない私へと向き直った。
「さん。俺は貴女に、大きな可能性を見ていた」
「・・・え?」
「型破りな貴女のようなひとこそ、道場間に聳える不要な壁に風穴を空けてくれるのではないかと」
威鈴の言う、珠現が私に抱く大きな期待。どこか腑に落ちず戸惑うばかりだったその評価が、突如として紐解けたような気さえする。
「清丸の素晴らしい剣技は発展途上だ。分道場の頂で孤高に磨かれるより、貴女の様に隔てなく叩き叩かれ吸収することで一層光るのではないかと・・・こんな光景を、ずっと夢に見ていた」
『威鈴は高潔な士道と優秀さを兼ね備えている。が、精神的に少し弱い。驚異的な速度で成長するさんの全力と、正面からぶつかることで得られるものがあるだろうと・・・妹弟子の成長の為、貴女を利用した。誠心誠意、謝罪申し上げる』
遡るあの日、威鈴の為に頭を下げた珠現の姿が、今清丸の変化を心から喜ぶ姿と重なる。
『私と清ちゃんは、さんに同じ嫉妬心を抱いているんです』
―――嫉妬なんて最初から必要無かった。
珠現が私に期待したのは、あくまで変化のきっかけに過ぎない。この兄弟子が願っていたのは、努力し続ける可愛い妹弟子と弟弟子のより良い成長だったのだから。言葉を無くす清丸に向けて、珠現が見せる微笑みは優しい。
「垣根を飛び越えた先の切磋琢磨こそ、君に最も必要なことだった。よく気付いたな、清丸。そしてこの光景を見せてくれたのは・・・貴女だ。感謝するよ、さん」
例え半分を黒く焦がそうとも、私にまで開かれる笑みは頼もしい兄弟子の愛情深い表情に他ならず、漸くこの時になって心が痛みを伴いながらもほどけていく。
こっちの言うことなんて聞いてくれない。でも、これが珠現だ。乾いた笑みが込み上げた。
「・・・大袈裟だよ、ほんと」
「そんなことは無いさ」
ずっと確執を抱えてきた珠現との穏やかな会話が、ほろ苦くて、淋しい。どんなに惜しんでも時は巻き戻らない。終わりが見えていようとも、このまま進むしか無い。
「・・・殊現さん、僕戦うよ」
「ああ。頼もしいよ、清丸」
たったの十二歳にして、避けられない別れを悟りながらも涙を堪えて前を向く。清丸の震える拳が目に入り、更に胸が痛んだ。
* * *
数は一対八、それでも戦況は押されてしまうような窮地が続いた。五つの属性を揃え、回復と強化を使い分け、互いを庇い合う連携を取りながらも決定打には届かない。切断と再生の果てしない繰り返しに、それでも心折れずにいられているのは一重に誰も倒れずにいる為だと―――そこで私は画眉丸が姿を消したことに気付いた。
姿だけではなく氣も極限まで薄め、隠密に徹底する狙いが何なのか。ほんの一瞬注意が逸れた私の隙を、蓮は逃さなかった。腕の一本を植物の様にうねらせた一撃が眼前まで迫り、間一髪のところで頼れる刀を盾に大きく後退した、その時。
蓮の間合いから外れた私の視界に、柱の裏側を影の様に這い進む画眉丸の姿が映り込む。彼が忍び寄る先にあるもの、どうやってこの戦いをひっくり返そうとしているのか。その答えが徐福の遺体に繋がっていると理解が及ぶ。
同時に私を襲ったのは、自分の意思とは関係なく身体の自由を奪われるような。この船を追う最中に先の光景を垣間見た時と同じ感覚。そして、金木犀の香りだった。
あの時の様に苦痛や致命的な危機感は無い。ただ、くっきりと鮮明な世界が構築され、私は透明人間のような立ち位置でそこに佇んでいる。
低い音が響き渡る巨大な船の中。きっとこの船が、まだ火の手を上げるより前の出来事。金で固められた老人。恐らくはこれが徐福の遺体なのだろう。そこに一歩ずつ近寄る蓮の雰囲気が、緊張感や威圧を一枚ずつ脱ぎ捨てるかの様に明確に和らぐ。指先でそっと触れ、辛抱が効かない様子でその胸元に縋り付く涙から伝わるのは途方も無い情愛で、私は瞠目した。
大陸の言葉が蓮の口から溢れ出る。聞き取れる筈もないその内容が、頭の中に直接流れ込んでくる。
『早く帰ってきて あなた』
心臓がドクンと音を立てると共に、蓮から氣が逆流した時の不鮮明だった映像が再生された。
あの時は全てが曖昧で、ただひたすら悲壮な思いしか読み取れはしなかった。でも今は、美しい夕日に照らされながら丘で泣き崩れる女性の姿がはっきりと確認出来る。
『う、あ、あああっ・・・行かないで・・・!』
樹化した徐福に覆い被さり、大粒の涙を流し泣き叫ぶ悲痛さが胸の奥深くへと突き刺さる。
『私を置いて行かないで・・・!ひとりにしないで・・・!』
もう動かない身体を必死に繋ぎ止めようと縋る声は、こちらまで胸に穴が空いてしまいそうな程の虚しさと哀しみをかき集めたもので。
『あっ・・・あなた・・・!嫌あああ!! 』
嗚咽混じりの絶叫は、愛以外の何物でも無かった。
びくりと肩が震えると同時に、身体の感覚が戻って来る。
「・・・戻って来るんだ・・・!」
「さん・・・!」
先生の腕に抱かれ辛うじて崩れ落ちずにいたところを、珠現まで駆けつけてくれたらしい。今この瞬間も遠くに皆が戦う音を拾い、意識が遠去かった時間は長くは及ばなかったことを確かめながらも、安堵には至らない。
心臓が痛い程早鐘を打ち、頭の中が白くなる。今知ってしまった事実を自分ひとりで抱え込むことなんて到底出来なかった。
「蓮と徐福は・・・夫婦、です」
「何・・・?」
「蓮が世界中を生贄に捧げてでも叶えたかったことは、師匠の復活だけじゃない・・・一番の願いは、愛するひとを取り戻すこと」
桂花が何故私にこの情報を与えたのかはわからない。でも、もう知らなかった時には戻れない。杠から蓮の目的は師の復活と聞かされた時、私は共通する師弟関係を自分に置き換えたもしもの思考を途中で切り捨てた。しかし、あんなにも悲しみに満ちた別れの情景を焼きつけられた今となっては、考えずにはいられない。
「幸せだった日々を、もう一度夢見て・・・蓮は・・・」
私の声が震えていることを察し、肩を一層強く抱き支えようとしてくれるひと。もし私が、このひとの温もりを亡くしたら。世界中を死で埋め尽くすことと引き換えに、幸福を取り戻せる可能性を一欠片でも望めるとしたら。どんなに勝算が低くとも、何を犠牲にしても、たったひとりの最愛の為ならと道を踏み外すのではないか。私は寄り添えない筈の蓮の背景を知ることで、致命的な欠陥を負ってしまった。
「・・・委細、承知した」
珠現の声は固い。私と先生を見据えるその表情は、厳しい決意に満ちた色をしていた。
「俺が請け負おう」
その瞳がまたひとつ暗く澱む光景に、私は息を飲む。自分が楽になりたい一心で、私はなんてことを、なんて相手に共有してしまったのか。珠現がどれ程情深い男で、これまで何度己の心を殺して業を負ってきたか。私は漸く気付けた筈だったのに。こんなにも消耗し切った兄弟子に、更に重い枷を私の手で重ねてしまったようなものではないか。
「・・・殊現、待って!」
「、駄目だ」
去り行く背中に追い縋ろうとした私を、先生が強く引き止めた。
「威鈴の準備が整った」
* * *
『出来るとすれば、私だけです。速度も冴えも無いですが、欠点は全て力で補えるだけの剛剣を極めてきたつもりです』
あの時提案があると手を挙げた威鈴は緊張に声を震わせながらも、途方も無い秘策を告げた。
『これが私の・・・私だけの剣だと、証明したいです。珠現様のお役に立てるなら、この身がどうなろうと必ず成し遂げます。どうか、私に託してはいただけませんでしょうか』
決死の覚悟と珠現への思いは、疑う余地も無く。威鈴の身を案じることはあっても、その策を否定する者は誰もいなかった。
氣を極限まで薄めていたのは画眉丸だけじゃない。人一倍大柄なその身で、見事なまでに存在そのものを薄めて。威鈴はこの瞬間まで、密かに、そして丁寧に氣を練り高め、準備を整えていた。
構える場所は後方―――厳鉄斎が船へ一撃を見舞った位置と、寸分違わず。
万事整ったことで、忍んでいた彼女の氣がその存在感を解き放つ。空気が熱を帯びて揺らぎ、目を見張る程の圧が迸る。
蓮が気付いた時には既に遅く。威鈴は渾身以上の一刀を振り下ろすことで、遂にその竜骨を叩き割るに至ったのだった。
大きく突き上げるような揺れが甲板中を襲い、咄嗟に縁を掴み損なった私の手を先生が繋ぎ止めた。そのまま強く引き寄せられ身を固くした数秒の間に、辺りの様子は一変する。甲板は傾き、大きくひび割れ、沈没へ向けての浸水が始まった。如何に蓮の潤沢な氣で航行を制御していたとはいえ、脊柱とも呼べる強固な支えが崩壊してしまっては船体の形を保つことも儘ならない。
―――本当に、成し遂げたのだと。威鈴の有言実行の底力に感嘆の息が零れ落ちる。
巌鉄斎の一撃で脆くなった箇所を氣を使い正確に探し当て、更なる追撃で完全破壊まで押し上げる。ひとりでは厳しくとも、力を重ねれば出来る筈だと。死罪人と処刑人の括りを取り払った柔軟な考えと兄譲りの剛剣で、彼女は若き日の剣龍と同じ偉業を成した。
しかし、人間技からかけ離れた分だけ代償は避けられない。傾き始めた中心で膝をつく威鈴の全身から血が噴き出し、浸かった分だけ海水へ赤が混じっていく。もう自力では立ち上がる余力も無いだろう、全身全霊の氣を使い果たした彼女へ、背筋が凍る程の憎悪が向けられるのを肌で感じる。
「っ・・・駄目!威鈴!」
私が叫ぶと同時に蓮の掌からは硬質化した氣の弾丸が無数に解き放たれていた。しかし、それより早く威鈴の前に飛来した影がふたつ。凄まじい勢いで回転する清丸は小さな身を血に染めながらも威鈴への直撃を全弾防ぎ切り。そして射線上に立ちはだかった殊現が広範囲の集中砲火を雨の様な斬撃で相殺する。
最後の最後で、重い一閃が殊現の脇腹を浅く抉った。誰もが目を見開き息を呑む中、欠損を負った張本人が背後へと全力疾走したかと思えば、有無を言わせぬ勢いで二人の教え子を掴み上げ、人間離れした力技で船の外へと強引に放り投げた。
「殊現さんっ!!」
「問題無い!威鈴を頼んだぞ、清丸!」
宙を舞う二人の影が、海面へと飲まれる前に半透明な雲によってそっと受け止められる。仙汰の咄嗟の判断に助けられる形で、威鈴と清丸が緩やかに船から遠ざかっていく。
一連の流れを唖然と見守るしかない私の目に、船の端へ駆け寄る殊現の背中が酷く印象的に映った。
「威鈴、よくやった・・・!」
死力を尽くした妹弟子を称える殊現の声が、熱く揺れているのがわかる。
「君だけの素晴らしい剣に、辿り着いたな・・・!」
血を流す威鈴の表情が、殊現からの誉を受け水位の限界を超えたように決壊する。泣き崩れる彼女を支える清丸もまた、ぼろぼろと涙を零しながら殊現だけを目に焼き付けているようだった。
二人の姿が徐々に小さくなっていく。誰より期待と愛情をかけた存在を逃がせたことで、殊現の背中は誇らしげだ。
そして三人の別れが、私にひとつの決意を促した。
「・・・先生」
殊現だけに背負わせちゃいけない。もう、誰の思いも無駄に出来ない。
私を支え守ろうとしてくれるひとに、今一度問う。
「一緒に、来てくれますか」
「勿論だ。どこまでも共に行くよ」
手を握り即答をくれる、私の大切な先生。失えない。蓮が最愛のひとを諦めきれないように、私もこのひととの未来を諦めることなんて出来ない。
佐切と典坐、そしてヌルガイが食い止めてくれている蓮との激闘の間合いへと、私たちは再び飛び込んだ。
花の氣を捻り出す。距離を詰め蓮の腕を一本切り落とし、即座に再生するそれをまた切り伏せていく。私の剣は明らかに精彩を欠いていた。最愛の夫を取り戻す為に全てを滅ぼそうとしていると知った今、蓮に対する見方はどうしたって変わってしまう。
誰かにとっての正義は別の誰かにとっての悪となり得る。蓮にしてみれば、私たちは大切なひととの再会を阻む悪でしかない。蓮の憤怒の表情から幸福を守ろうという思いが伝わってくるようで、視界が歪に滲んだ。
「―――貴様」
「ごめん・・・!」
迷い、ぶれて、正しい中道とは程遠い。しかし不思議と氣だけは上がっていく感覚に身を委ねながら、私は刀を振り続ける。
蓮の選択は、立場が同じなら私だって選び得たものだ。彼女の原点を知った以上、否定なんてもう出来ない。
でも。それでも、私は。
「ごめん、でも・・・!どうしても譲れない・・・!」
「人間擬きに・・・私の何がわかる・・・!」
蓮の手が典坐の刀を弾き、刃先の軌道を避ける私の着地点を読んだ一手が迫る。二本の腕が絡み連なった蔦の如き薙ぎ払い。鋭利な先端は確実に私の急所を捉えようとしていた。
ほんの刹那、何もかもがスローモーションに感じる世界を経て。私は、自分の意志とは関係無く身体が動く感覚に目を見開いた。
上半身を捻った跳躍。勢い良く貫こうとした蓮の触手をぎりぎりまで引き付けた上で躱し、宙から細かい突きの連打で雨の様な反撃を見舞う。私の握る刀は鋭く鮮やかな傷を数多く刻んだ。蓮が怯み一歩後退したその時になり、私ははっと我に返る。
「わっ・・・すげー!何だ今の!」
ヌルガイの興奮した声がどこか遠い。今自分に何が起きたのか、私自身が最も理解から遠い場所に取り残されたような心地がする。
「・・・身体が勝手に」
ぽつりと真実が零れる。完璧なカウンター技だったけれど、見たことも無ければ当然教わったことも無い型を繰り出せる筈が無いのに。戸惑いと動揺の極致の中、懸命に切り替えようと呼吸を整える私を庇い、真っ直ぐに刀を構える先生が間に入った。
「試一刀流・白雨」
「え?」
「その技の名前だ。今の山田家に使う者はいないよ」
皆の戦闘音に紛れ、その声は静かで目立つことのないものだったけれど。
「―――鉄心が得意としていた型だ」
一秒にも満たない静寂の中、別れ際の花吹雪に覆われた微かな笑みを思い起こす。
口も悪いしすぐに手も出る。それでも出発前に祈った通りに私を導き、こちら側へ引き戻してくれたひと。普通に考えれば有り得ない現象。それでも“彼”の存在が私と先生の再会に密接に関わっていることを、今の私たちは知っている。
今の緊迫感に不釣り合いな笑みが口元に宿った。この局面で境界を越えてまで、力を貸してくれるだなんて。
「・・・どこまで面倒見の良いひとなんですか」
「そういう奴だよ。本人は決して認めないだろうが」
密かに交わす会話がもう一押しの力をくれる。先生の氣もまた、鉄心さんの名前を通して高まっていくのを感じる。目の前では典坐とヌルガイが連携技を駆使して蓮を一歩でも後退させるべく全力を尽くしている。
同じく誰かを愛する身として、蓮の願いを断つことに迷いはある。でも、今ここで立ち止まる訳にはいかない理由が、こんなにも揃っている。私と先生は同時に地を蹴った。
「ヌルガイさん!」
「おう!」
示し合わせた訳では無かった。しかし典坐とヌルガイのぴったりと合った呼吸で蓮の六本の腕が跳ね上げられ、彼女の胴体ががら空きになる。当然即座に硬質化するそこへ、私と先生の刀が深く突き刺さる。二人とも必要以上の氣を凝縮させた決死の一撃だ。例え長くは持たなくとも、蓮の丹田周囲が緩む隙を生んだ。
船の一角で一瞬激しい火の手が上がりかけたところ、ほんの数秒で萎む。画眉丸の火法師。それを彼が、彼の意思のもと引っ込めた証。
花の氣を開き過ぎた余波なのか、確かなところはわからない。ただ、徐福の遺体を前に画眉丸が破壊を躊躇ったことは、この目で確認せずともはっきりと感じ取れた―――直後に、背後から現れた殊現がその役目を受け継いだことも。
衛善さんの姿が被る様な身事な一刀が、金で固められた遺体を遂に両断した。
響き渡る轟音。元より沈みかけていた船が、更なる揺れで割れる衝撃。決定的な光景を目にすることで、蓮が絶望と痛みに戦慄く。
誰かが愛するひとを喪う瞬間は、敵味方の隔てなくこの胸を抉った。
「・・・っ佐切!」
「はい!」
中道からかけ離れた蓮の丹田は、私たちの総力によって曝け出されていた。佐切の放った相克の一閃が、それを中心から断つ。真っ二つに割れた蓮の上半身が海へと落下していく。
逆さまになった頬に光る涙が、勝利を手放しには喜べない痛みを生んだ。