爆ぜる凄まじい轟音、呼吸ひとつで肺が焼けそうな程に熱された空気。至る所を火炎に巻かれて尚、この船がまだ航行可能なことが不思議でならない。理屈や物理法則など度外視出来る程に、蓮の氣が膨大ということか。戦慄で背に走る汗の感覚すら曖昧な中、私たちは遂に燃え盛る船上へと降り立った。
船の速度が大幅に落ちたのは厳鉄斎の多大な功績だ。元より満身創痍の状態から更に血を噴き出しながらも、本当に竜骨への一撃を繰り出した。付知の推測通り破壊には届かずとも、私たちが追い付き移乗出来るまで船を傷付け遅らせてくれた。流石に膝をつき疲労感を滲ませながらも血を拳で拭う大剣豪の姿が眩しくて、私はそっとその背に触れる。
「・・・言ったろ、特大の花火見せてやるってよ」
「うん・・・格好良いね、ほんと」
「っは、漸く気付きやがったか」
死を運ぶ船はここで食い止めなければならない。ここまで孤軍奮闘してくれた厳鉄斎の為にも、それぞれが役割を果たす必要がある。
為すべきを為せ。衛善さんの言葉を今一度胸に刻み直し、私は中央に立つ蓮へと一歩足を踏み込んだ。上半身は羽衣と首飾り以外何も纏わない、神秘的でありながら恐ろしい程威圧を放つ女性の姿。腕はまだ二本。しかし足元は微かに宙へ浮き、人間の装いは手放しつつあった。その瞳が私を捉え、探るように細まり、そして鋭さを増す。
「“山田浅ェ門、土の陰。生存―――但し肉体は此処に在らず”霊札には確かにそう記されていた」
桂花たちと同じ声帯を介しながら、最も侮蔑を含んだ声色だった。辟餌服生の斎で“視た”私の姿は、そのように伝わっていたのかという驚き。同時に、絶妙な頃合いで私を“隠した”神様の手腕に苦笑が込み上げる。
「生成された紛い物。下等な命。その氣の源泉は・・・桂花か」
「そう、私は半端者だよ。自分の本当の姿すら、つい最近まで知らずにいた未熟者でもあるかな」
私は半端な混じり物。特別秀でる点の無い下等な被造物。だからこそ、これまで明確には勘付かれることなく潜んでいられた。目立たなかったからこそ、今が活きるのだ。
身体の内側に意識を向け、花の氣の出力を上げていく。蓮の目が厳しさを増した。狙い通りだ。
「けどあんたは、そんな紛い物の私を意識から締め出せない」
あくまで主導権は手放さず、自ら開放した花の氣はドクドクと脈打ちながらも私の身体全体をゆっくり巡っている。苦痛と消耗は無いとは言えないものの、自制出来ない訳じゃない。使い過ぎれば命を縮める諸刃の剣。その扱いの難しさを痛感しながらも、今使わずにいつ使うのだと自分を奮い立たせる。
何より、最も信頼を置けるひとが私の傍に控えてくれている。その安心感で、私は竦むことなくこの仙道に立ち向かえているのだから。
「自分たちと同じようで違う、所詮は合成人間だけど・・・花の氣が混じってる異分子を手元に置けないのは、落ち着かないよね。千年かけて準備してきた計画だもん。危険分子は徹底管理するのがあんたの遣り方だよね」
弔兵衛を連れ去った後、研究材料ではなく仲間として迎え入れる道を示したことも同じ。花の氣を使える者は同族でなくとも手駒にしなければ安心出来ない。それだけ蓮はこの計画にすべてを賭けている。これまで歯牙にもかけなかった私から自分たちと似た匂いが強烈に漂い始めたことを、無視出来る筈が無い。
「天仙達は家族であり私自身、だっけ。だからこそ反旗を翻したことを認められなくて、メイの胚珠を壊したんでしょ。心が宿ってる以上、全部を支配し尽くすことなんて出来る筈無いのに」
メイ。抱き締めた時の温かさも、心の芯からほどけていくような笑顔も、今この瞬間だって色褪せず私の中に残っている。私たちとの間で板挟みになりながらも、最後まで彼ら“家族”のことも愛し続けた優しい子。
同じ家族でも、木人さんのように無償の愛で守る遣り方ではなく、蓮は徹底支配で縛り付けることを選んだ。昔は優しかったというメイの言葉を忘れた訳じゃない。それでも私は今、攻撃的な言葉を選ばずにはいられなかった。
意思のある命を支配なんて出来る筈も無い。桂花の未来予知や私という創造物に気付けなかったことが何よりの証だ。蓮の氣が苛立ちで歪に膨らんでいくのを感じながら、私は焦りを殺し懸命に口端を上げる。
「船を守る為に集中したい、そんな中鼻先を同族と近い匂いの虫が飛んでたらさぞかし気が散るよね」
「然り。ならば叩き潰すまでのこと」
扇の軽い一振り、それだけのことが凄まじい斬撃を生んだ。防御を固め刃のような閃光を躱しながらも、突風に流され大きく後ろへ退く。自力でも着地は出来た。しかし、衝撃をより抑えるかの様に私を支えてくれる腕がある。
「・・・些か、煽り過ぎじゃないか」
「すみません。これくらいは必要かなって」
「まったく・・・」
先生の苦言は尤もなものだけれど、今はこれしか方法が無い。私の役割は蓮を引き付けること。その為なら必要以上の煽り文句も、花の氣の負荷上昇も、喜んで貰い受ける。
先生は肩を抱くことで相克の氣を使い私の出力を抑えようとしてくれたところ、緩く首を振って断った。
まだ、大丈夫。今はこの、花の氣が上回っている状況こそ必要だ。
何も言葉にはせずとも、先生は理解してくれた。険しい顔で眉を顰め、私の主張を飲み下し、そして―――次の瞬間追撃を押し込んできた蓮の腕を、鋭い一刀で受け止めた。
即座に再生することは見越した上で肘から下を切り落とし、次の瞬間には臍へ刃先を突き付け私との間へ入り込む。
「・・・山田浅ェ門士遠、木の陽。成程、相克の男が護り手か」
「如何にも」
メキメキと音を立て全てを焼き尽くしていく、この世のものとは思えない苛烈な炎が、私を庇い敵を睨みつける厳しい横顔を照らす。
「仙道だろうと神だろうと、を害すことは私が許さない」
瞬きにも満たないほんの一瞬、蓮の口元が歪んだ―――が、真意を確かめる間も無く温度を無くす。
「・・・ああ、癇に障る」
次の瞬間、宙を何かが舞い私たちの頭上に影が差す。突如として現れたのは巨大な虎だった。あまりの衝撃に目を剥く私たちの前でそれは蓮に襲い掛かり、翳した手の一撃で霧のように離散する。
仙汰の一手は蓮にダメージは与えられずとも、明確な隙を生んだ。すかさず責め手を畳み込んだのは杠で、粘糸で編んだ甲冑侍が見る見るうちに何体も顕現する。鎧武者の捨て身の特攻、その先には鋭い槍を手にした美しいくのいちが待ち構えている。
「皆ぼーっとし過ぎ!絵心に感心してる暇なんて無いわよ!」
それは私たちへの檄と見せかけた誘導だ。声を上げた杠へ蓮の注意が向く刹那、私と先生は飛び退き間合いを整える余裕を得た。ごめん、ありがとう。声には出せない叫びに杠が黙って片手を上げる様を見届け、私は深く息を吐き居合いの構えを深める。
示し合わせることさえ必要とせず、先生は誤差の無い挙動で私と同時の抜刀を叶えてくれた。私の花の氣に気を取られつつも、先生の相克を警戒し蓮の構えが一歩後退する。次の瞬間、杠の槍が正確にその頭部を貫き目玉がひっくり返った。常人なら即死。しかし蓮には効かないことは承知の上で私たちは再び距離を取る。
私が花の氣を多めに出力し蓮の意識を引き付けながら、先生の相克で何度も刻み付けていく。その間に生じる些細な揺らぎに、皆で攻撃を叩きこんで貰う。損傷と再生の隙間を縫って間合いを取り、同じことを繰り返していく。蓮の膨大な氣を如何に消耗させ続けられるか。これが私と先生の役割だ。
蓮の手が植物の様にうねりしなったと感じた次の瞬間、杠の細身が容易く船の端まで弾き飛ばされた。喉元まで出かけた悲鳴を飲み込み、心を懸命へ中道へと引き戻す。
皆、粘液から絵筆によって具現化された透明な鎧を身に纏っている。今はそれが命を守ってくれると信じるほか無い。誰が倒れようとも、駆け寄る時間も無い。まだ蓮の仙人としての姿すら引き出せていないのだ。一人でも多く救いたければ、一手でも戦いを前へ進め、一刻も早く決着を着けるしかない。
杠を退けゆっくりと私を振り返る蓮を見据え、丁寧に呼吸を整えた、その時。
「・・・っ」
私と先生は目を見張った。
大きな氣の塊がふたつ、蓮を対角線上に挟み研ぎ澄まされていく。典坐とヌルガイが同時に駆け出し、足並みを揃え標的への距離を等しく詰め、まったく同じ軌道で刀を振り抜いた。
―――試一刀流奥義・篠突く雨
一糸乱れぬ連携と冴えた剣技が、両側から蓮に降り注ぐ。この島で初めて剣筋を矯正されたヌルガイの急成長は勿論のこと、典坐も本土にいた頃より更に磨きのかかった激しさを以って蓮の余裕を潰していく。一対一でも制圧技として成立する力強い奥義は、連携の挟み技という側面を付与したことで見たことの無い景色を生み出した。
典坐の生きた先で開いた可能性。それは氣の凝縮からの超加速だけではなく、ヌルガイを引き上げ奥義の新しい形を完成させるに至る熱さだったのだと。込み上げる熱さで胸がいっぱいになったのは、隣で構えを解かない先生も当然同じだった。
私よりずっと長く彼の成長を見守ってきた先生にとって、確かな形で新たな一歩を踏み出す典坐の姿はどれだけ心に迫るものだろう。どれ程尊く沁み入るものだろう。こんな窮地であっても、私は先生の感嘆を隣で共有できることが嬉しくて堪らない。だって、先生の喜びは私の幸せだから。先生を悲しませない為に、私がいるのだから。
顔を見合わせた僅かな一瞬、交わした視線に互いの万感を込めて。私と先生は同時に地を蹴った。
二人の作ってくれた隙は無駄にしない。私の振り抜いた刀は蓮の肩を鋭く裂き、仰け反り曝け出された丹田を先生が斬り付ける。蓮が防御に振り切るまで一秒も時間はかからなかった。硬質化され人間の領域を遥かに超えた筋肉量は、しかし足元を疎かにした。すかさず低い重心から襲い来る厳鉄斎の切り上げが蓮の膝から下を分離させ、崩れ落ちた身体を画眉丸の火法師が包み込む。
下賤と侮っていた私達から、多対一とはいえ膝をつかされた屈辱か。燃え盛りながら憤りを露わにした蓮の背後に、音も無く現れた影があった。
静かで鮮やかな佐切の一刀が、蓮の丹田を抉るべく一閃を放つ。完璧だと感じた。これ以上無く、連携で畳みかけた結果だった。
しかし、私の中で膨れ上がる花の氣が本能に働きかけ警鐘を鳴らす。
「っ・・・浅い・・・!」
爆発的な氣で炎を消し飛ばし、佐切達を押し返し、ひとつの瞬きの間に蓮は私の両肩へ掴みかかってきた。
抜いていた刀を逆手に持ち替え迎え撃てたのは、反射としか言えない。衛善さんから譲り受けた太刀は蓮相手にも絶好の切れ味を発揮していた。しかし肩から胸へ鋭い刃を押し込み迎撃して尚、蓮からは私を始末しようという殺気が薄れない。苛烈な憤りが私の肩へ食い込み、射殺さんばかりの目玉が不気味な脈動と共に白黒反転しかけた、その刹那。
横から割り込んだ先生の一刀が蓮の両腕を切り落とすのと、足に氣を溜めた典坐が私と先生の二人を体当たりで強引に逃がそうとする挙動が重なった。
追い縋る蓮に画眉丸が再度火を放つ様子を視界の隅に捉えながら、私と先生は典坐の加速によって殆ど吹き飛ばされる形で船の端へと流されていく。相手が蓮なだけに蹴散らされたヌルガイの安否が気掛かりなのだろう、典坐自身は途中で踏み止まり踵を返そうとしていたが、加速を受けた反動で簡単には止まれない私たちとの間で僅かな逡巡が生じる。
私は迷わず押し返そうとした。でも、それより早く先生の手が典坐の身を強く押し戻す。
「行け!」
「っ・・・すんません!」
急速に方向変換した跡が床にくっきりと刻まれる。それだけの威力と加速度が今私たちにも乗っているということだ。この勢いを他方向へ逃がし、衝突以外の方法で踏み止まることを最優先に先生と私は互いの身体を掴み合った。
氣を意識し、辛うじて掠る足裏に集める。典坐ではないけれど、摩擦で更なる火が上がるのではないかという窮地は、二人して縺れ転がる形で間一髪壁に激突することなく動きを止めた。
滝の様な汗が噴き出るのは熱された床に倒れ込んだせいか、花の氣の出力調整が行き過ぎたせいか。それとも、先生の助けと典坐の介入が無ければあのまま蓮に殺されていたという恐怖が遅れてやってきた為か。
いずれにしても先生は無事かと無理に顔を上げたその時、私の頭上で決定的な何かが軋む音が鳴り響く。
業火に焼かれ限界を迎えた柱が倒壊する。私に向かって、ゆっくりと振り下ろされる。
先読みで知った清丸の最期が脳裏に過ぎった。駄目だ、ここで死ねない。絶対に死ねない。渾身の力で消耗し切った身を捩る、その時。
「伏せろ!!」
「っ・・・!」
先生の声でこんなにも不安を掻き立てられるのは初めてのことだ。拒絶する私の意思とは関係なく、先生が私に覆い被さった。
やめて。お願い、逃げて―――
頭の中が白くなるような絶望が私の中を埋め尽くした。しかしいつまで経っても、それを決定付ける衝撃は訪れない。恐る恐る顔を上げたその先に、私は先生と同じ光景を見た。
それは今ここにいる筈の無い男だった。生身では到底受け止められる筈の無い燃える柱を腕一本で防ぎ切り、私たちを見下ろしている。
「・・・二人とも、無事だな」
白黒反転した瞳を宿す殊現が、燃え盛る炎を背景に佇んでいた。