心身共に最良の状態で、氣を練る。力強く丁寧に研ぎ澄ましたそれを集め、繋いだ手を通して付知へと渡せる様整えていく。
これは私ひとりで爆発させるものじゃない。相手の氣をより良い形で巡らせる為の助けになるものだ。より強く、よりしなやかに。頭での理解は実践不足をカバーし切れるものでは無かったけれど、やるしか無い。循環と増幅のイメージを膨らませながら、私は息を吐き切った。細く、深く、鋭く。

思い返せば上陸以降、私が相生で貢献出来たのはこの兄弟子ただ一人だった。しかし今は生きるか死ぬか紙一重の窮地と違い、回復一本ではなく強化にも意識を割ける。失敗出来ないからこその冷静さと、必ず皆を生かすのだという激情。その両方を均等に詰め込み、掌を通して放つ。脈打つ氣の大波を勢いよく、それでいて静かに流し込んだ次の瞬間。

ふつ、と小さな音を立てて血液が高温に揺らぐような錯覚を覚えた。それと同時に付知の振るった刃が斬撃となり二体の竈神を切り刻むというまさかの光景に、私たちは唖然と足を止める。背後からは典坐とヌルガイが度肝を抜かれたような叫びが聞こえて来た。

「・・・マジか」
「これは・・・想定以上かも」

消耗を補い、更に強化する為の相生。私が今ほぼ万全で漲った状態だったとはいえ、一発目からなかなかの破壊力が証明されてしまい呆然としてしまう。
確かに凄い。これを繰り返し皆の消耗を平に均すことが出来れば、更に色々と底上げ出来そうな予感が迫り来る。どくんどくんと、米神の近くで血流が脈打つ音が響いた。
繋がれた手に、兄弟子の方からぐっと力が込められる。おやと感じた次の瞬間には、キラキラと光る二対の黒曜石が私をがっつりと捉えていて。

「・・・良い。良いね!今すぐ僕との全身開いて中の状態を確認したい!」
「めっちゃハイなスイッチ入ったじゃん!けど身内の解剖はやめよ、ね」

小柄な兄弟子は滅多に無いほど燃えていた。相生を直に受け取り氣が勢いを増したことによる、未知の領域への興味関心。そして医学への大き過ぎる愛。周りが見えなくなる程の情熱で、普段は凪いでいる瞳を輝かせるさまを眺めていると、私の方もつい嬉しくなってしまう。

、もっと体温上げられる?走るよ!」
「それは良いけどこっちの方が効率良くない?」

恐らく、普段であれば冷静さが勝って拒否されるだろう提案。一種の好奇心であることは否定しないけれど、効率という建前を全面に出して、私はひょいと兄弟子の身体を背負い込んだ。
流石にメイやヌルガイのように軽々と小脇に抱えられる訳ではないけれど、身長差十二センチと順当に鍛えた筋力が味方をしてくれる。本人曰く足の構造を最大限活かしたぴょこぴょこ走りは和むのだけれど、速度を合わせることに難儀するよりこうした方が断然早い。

私が体温を上げた分だけ氣も漲って、今なら付知にありったけの熱さを届けることが出来る。逸る高揚感と共に力の限り足に氣を溜めて、そのまま全力で駆け出す。心拍は物凄い勢いで暴れるのに、苦痛を感じない。両手に二本の刀を構えた兄弟子は、踏ん張りが効かない状況に於いても器用な斬撃を次々に披露してくれた。

「おおお!良いかも!」
「そりゃあ良かった・・・よっと!ヌルガイ!行ける?」
「おう!」

初手にして付知の消耗は大幅に解消することが出来たように思う。この要領でヌルガイ、先生、典坐の順に強い波を流していくことが叶えば、二巡目からは純粋な強化に振ることも可能だろう。そうしてお互いを回復し高め合いながら、目の前の巨大な丹田を落とす機会を待つ。首尾は上々だ。
まだ半周にも満たない円環を継ぎ足すべく、私と入れ違いにヌルガイが付知のもとへ駆けていった。

「よろしくお願いします。手荒だけど確かな方法で叩き込むから、何とか覚えて」
「が、頑張るよ・・・うわぁ何だこれ熱ッ!」

手を繋いで即その熱量に狼狽えるヌルガイが可愛らしいやら、応援したくなるやら。励ましの声を上げようとしたその刹那、ぐらりと視界が揺らぐ。

・・・!」

先生の支えは素早かった。私が二歩もよろけない内に、肩をしっかりと抱いてくれる。

「平気です、足が縺れただけ・・・」
「ちょっと座りましょう。先生、さんのことお願いします。ここは自分が守るっすよ」

典坐に促され、私は先生に抱え込まれたままその場で腰を下ろす。数歩距離を取り広く辺りを見渡す典坐の構えは隙が無く、相生のバトン練習に励むヌルガイと付知も徐々に息を合わせようと懸命になっていた。
皆の頼もしさに安堵する最中、頭を丁寧に撫でられる感覚に目が丸くなる。感心半分、安堵半分な表情の先生がそこにいた。

「見ていたよ。よく頑張ったね」
「っあはは!“見”・・・!って先生、褒めるのが早過ぎですよ。強火オタクに過剰なファンサはご遠慮くださいってやつです」

ノリツッコミのように笑いながら、惜しむ気持ちを堪えそっと手を押し退ける。先生が頭を撫でる手は優し過ぎた。まだスタート地点に立っただけの私には、甘過ぎる。

「まだまだです。ここから精度を高めていかないと・・・」
「それはそうだが・・・褒め称え、労うことくらいはさせて欲しい。他でも無い君のことなのだから」

その言い方はずるい。絶妙な熱量と、疑いようの無い真心が混ざり合った声でそんなことを言われたら、弱くなるに決まっている。
反論の言葉を見失って気まずく頭を掻くのはほんの数秒。先生の表情が真剣な憂いに切り替わるのをきっかけに、私は強がりの衣をそっと奪われることとなった。

がよくやったことは本当だよ。だが、今どんな具合か、正直に説明して欲しい」
「・・・先生には敵いませんね」

軽口を叩いて誤魔化してはいたけれど、足が縺れたのも、視界がぶれたのも、途轍もない消耗が原因だった。
ただの消耗じゃない。強い循環で氣自体は巡り続けているのに、そのまま垂れ流しになっているような複雑な感覚だった。

「ゆっくりで良い、の言葉で聞かせてくれ。どうすれば良いのか共に考えよう」

堪らなく優しい気遣いの言葉と共に、先生の大きな手が花を覆い隠すように私の頬へそっと触れるから。その思いが嬉しいやら、くすぐったいやら、私の方からも感謝の気持ちと共にその手へ触れ返した。
先生の手はいつも通り温かくて、優しい匂いがするのに。今は私の方が圧倒的に熱いせいでその恩恵を感じ辛くて、何だか勿体なく感じてしまう。

「血が至るところで煮立ってるって感じです。多分、ですけど・・・身体の中の花の氣が呼応して、必要以上に漲り過ぎてるんだと思います」

先生の手が瞬間強張るのを感じたけれど、事実だった。漠然とした感覚でも、自分のことだからこそ理屈抜きにわかる。内在する桂花由来の花の氣が、目紛しく私の中を駆け巡っているのだ。

「・・・自我や身体の自由度に、違和感はあるかい」
「それは大丈夫。外から埋め込まれたものじゃないから、私は私のままでいられてるんだと思います。花の面積も変わり無いですし、本格的な花化の心配も薄そうです」

これは鍛錬で会得したものではないけれど、画眉丸や弔兵衛のように後から混じり込んだ異物でもない。これまで意識出来なかっただけで、私が創られた時からずっと共生してきた氣だ。永続的ではないにしろ付知と仙汰に飲ませて貰った抑制剤の効果も相まって、そう簡単には花化や自我の喪失には至らない確信があった。

「かなりの好機だと思います。天仙の域は無理でも、花の氣と人間の氣のバランスが取れれば格段に強くなるのは間違い無いですし。実際、付知に送った相生が凄い威力だったのも、私の中で今二つの氣が循環し続けてる証拠だと思います」

画眉丸が蘭と戦う前に願った最高の条件が、今私の中に揃っている。持って生まれた花の氣なら、侵食されるリスクも圧倒的に少ない。朱槿の暴走というイレギュラーの煽りを受けて目覚めた力ではあるけれど、戦力拡充という面なら千載一遇のチャンスに違いない。

「調子が良いか悪いかの話なら、今かなり良い筈なんです。ただ・・・調子良過ぎて私の身体が追い付いてないっていうか・・・」

全開にした蛇口から、とんでもない勢いで氣という名の水が噴き出し続けている感覚。使命感に燃えて活性化した氣が花の氣と鳴動して、許容量を超えた勢いで体内を巡り続けているせいだ。
全身の穴という穴から、氣が立ち昇っているのを感じる。氣は生命のエネルギーと同義。出し過ぎず纏うことは基礎中の基礎の筈が、正直今はその基本さえ追いついていないのが現状で。

「っはは。すみません、単純に私の適応力不足です。けど、二巡目が回ってくるまでに何とかしますから」

「先生に教わった基礎は忘れてません。大丈夫。慣れてないだけです。この機は無駄にしません。絶対、うまくやりますから・・・」

こればかりは自力で抑え込むしか解決法が無い。私がもっと慣れさえすれば。私がもっと上手な扱い方を会得さえすれば。私がもっと努力すれば。私が、もっと。

その時だった。高揚感と疲労感が綯交ぜになった怠さで俯いていた顔を、元より触れていた手によってそっと上向かされる。逆側の頬も同じように優しい手に包み込まれ、呆然と目が丸くなった。
互いに座り込んだまま、先生の両手で正面から顔を包み込まれている。常であれば赤面必至の場面は、しかし、私の中で荒波を立てる氣を急速に鎮める力を持っていた。爆発的に増えた氣の昂ぶりが穏やかに抑え込まれる。途端に呼吸がし易くなり、体感温度も落ち着いていく。

「・・・何で」
「私とは相克関係にあるだろう。勢いを増し過ぎたなら、抑えることも戦略のひとつだよ」

先生の柔らかい微笑みが、指導と甘やかしの中間を取ったような声色で現状を説明してくれる。
先生は私の相克。相生とは逆に氣の流れを阻み、戦闘に於いては決定打を与えられる程の力を持つ天敵。でもそんな相性の悪さも、今この状況なら私の増えすぎた氣を宥めることに最も有効なのだと、そう教えてくれる。

「出力が制御出来ない時は私がいる。焦りも不安も、私に預けてくれ。大丈夫だ、必ず君の力になるよ」

凄いことだと思う。五属性が揃うことで生まれる、増進も抑制も可能となる多様な活用法も。私ひとりで何かを負おうとすれば必ず救いの手を差し伸べてくれる、先生の底無しの優しさも。どちらも規格外で、どちらも無駄にはしたくなくて。私は懸命に呼吸と心を整える。今、先生に抑え込んで貰っている氣の量。熱さ、流れの速さ、練った時の感覚。すべてを正確に記憶し、必ず次に活かせるように。このひとの思いに、応えられるように。

「・・・私、頑張りますから」
「ああ、わかっているよ。だが気負い過ぎず行こう、その為に私がいる」

行き先が不透明になる度、支えになってくれるひとがいる。大好きなひと。誰より幸せになって欲しいひと。たったひとりの、私の先生。このひとと心が通じたことこそが、私の数奇な人生で最大の奇跡だ。優しい声が全身に沁み入るようで、途方も無い有り難さに私は思わず目を伏せた。



* * *




可能な限り氣を熱く練り、出過ぎた分は抑える。先生の力を借りながら安定していく私を軸に、五属性の円環は順調な軌道で機能し続けていた。
二巡目以降も付知を強化し、ヌルガイと先生と典坐を通してまた私へ戻ってくる氣を循環させ、出力を調整し、纏う。先生達の体力消耗もほぼ万全まで補うことが叶い、あとは大目標である丹田の同時撃破を為すだけとなった。

杠からの合図は、思いのほか間隔の長いものだった。これだけ広い蓬莱に等しく合図を届けなければならない上、扱い慣れない法螺貝は吹き続けることも苦行な筈だ。
がんばれ、杠。祈るような思いで三度目の重低音を聞き届け、先生の放った一撃で沈黙していた花がゆっくりと動き出す様を、私たちは悔しさと共に受け入れることとなった。

「うう、また復活しそう・・・」
「焦るな、ヌルガイ。まだ勝機はある」

全ての丹田を同時に完全沈黙させる。これは合図があろうともかなりの難題だった。何回か挑戦してるうちにいずれ揃うでしょ、と欠伸混じりに告げた十禾さんに苦い思いはあれど、私たちは切り替えて前を向くしかない。
供物として高価値の人間が五人も集まっているせいか、寄ってくる竈神の数も時間を追う毎に多くなる。二人ずつの相生を落ち着いて見守れていたのは最初だけで、今となっては最低限の陣形を崩さないことと円の循環だけを念頭に置き、各々散らばり刀を振り続けていた。

そんな中、突如として全身が総毛立つような戦慄に目を見開く。不気味な音を立てて頭をもたげる巨大な花から、得体の知れない氣が増幅する気配を肌で感じる。花弁のすぐ傍、建物の屋根の上へ乗り上げて飛来する虫を斬っていた典坐の姿に、脳が強烈な危険信号を発した。

「っ・・・典坐下がって!」

私の悲鳴のような警告を受け、典坐が素早く後方へ飛び退く。その直後、目を疑うような光景が私たちを待ち構えていた。巨大な花弁、その表面が歪に歪んだかと思えば、中からひとの形をしたものが多数這い出て来たのだ。

「・・・牡丹」

信じ難い思いと共にその名を呟く。あの時確かに決着をつけた筈の天仙が、複数の分身達とともにむくりと起き上がった。

「っぶね・・・!助かったっすさん!」
「アイツは倒した筈なのに・・・!なんでこんな沢山いるんだ?!」

ヌルガイの言う通り、謎が多過ぎる状況だった。確かに絶命した筈の敵。突如巨大な花弁から産み落とされたような奇怪な姿。
でも、惑っている暇は無い。最も近くに這い出た一体の丹田目掛けて、私は切っ先を振るった。奇妙な軌道でうねり翻り、ぐちゃりと倒れ込む。それきり、牡丹の一体は沈黙し起き上がっては来なかった。

、問題無いか!」
「大丈夫です」

先生の緊迫した問いかけに、極力冷静に応える。仙汰を花化させない為に挑んだ決死の作戦で、相克ではない私の刃は牡丹に通らなかった。今こうして私の一刀で斬れるということは、彼らは牡丹であって牡丹ではない。

「相克じゃなくても斬れますし、再生しません」
「雑兵を捻り出さなきゃいけないくらい、敵も追い詰められてるってことじゃないの」
「だと嬉しいけどね・・・」

付知の分析が正しいことを祈りたいけれど、果たしてそう都合良くことが運ぶだろうか。嫌な予感は一筋の汗と消えた。
更に一体を斬りつけたところで飛び掛かってきた別個体を、駆け付けてくれた典坐と二人がかりの刀で受け止める。その重さは竈神とは比にならない。焦燥で思わず頬が引き攣った。

「防御力は並だけど攻撃力は本家とほぼ同等・・・まぁ、そう楽はさせて貰えないよね」
「なかなかきつい展開っすね・・・けど、今の自分たちならやれる、でしょう?」

溌剌とした前向きな声が背中を押してくれる。相手が天仙のコピーだろうと何だろうと、今の私たちなら出来る。為すべきことはひとつも変わらない。

「これまで通り相生の輪で全体の氣を高めながら、先生とヌルガイには合図で丹田を落として貰う。牡丹は私たちが抑え込む」
「了解っす!」

牡丹、竈神、そして細かい虫一匹に至るまでひたすらに切り捨てることは困難ではあったものの、決して無謀では無かった。消耗を補い合い氣を高め、慣れないながらも皆最善を尽くしている。
そして数を重ねて切り伏せただけ、牡丹を模した彼らの劣化具合も正しく見極められるようになっていく。攻撃力は同等だろうと、技や氣に一切の冴えが無い。あの時対峙した理知的な天仙とは、比べ物にならない。
研ぎ澄まされた感覚で薙ぎ払い、躱し、刻む。そうして私たちが確実な勢いで制圧を進める、その最中。ぴくりと瞬間動きを止めた牡丹たちが、一斉に姿を変容させた。丸裸だったところから部分的な装備を纏い、更には雌雄同体とも呼べる異様な身体へと姿を変える。

「これって鬼尸解・・・?部分的だけど」
「そうっす!別の天仙が同じことしてるのを見たっすよ!」

恐らく朱槿のことだろう。鬼尸解は追い詰められた天仙の奥義のようなもの。ゆえに力は増す代わりにそう長くは維持出来ない最終形態。それはきっと、言い換えればこの局面が厳しくとも私たちの優勢に傾きつつある証。その筈だと自分に言い聞かせ、私は横を抜けようとした一体を強く切り払った。標的は私じゃなく奥に控える先生とヌルガイなのだろうけれど、獲らせる訳が無い。

「・・・通さないっつーの」

先生とヌルガイが丹田を落とす、その邪魔をするものは何であれ許さない。鬼尸解で苛烈さを増した牡丹たちの勢いは、同時に私たちの意識の高まりにも比例していた。ここまで皆で耐えて来た。これ以上は誰も奪わせない、誰も脅かされない。私も典坐も付知も遅れを取ることなく、鬼尸解の牡丹を確実に刈り取っていった。

新たな法螺貝の音が響き渡る。ヌルガイと先生の一刀が、飛び道具と共に花弁の胚珠を抉り取った。しかし、それも数秒後にゆっくりと再生を始めてしまう。

「ああ!もうちょっとだったのに!」
「惜しかったっすね・・・!」
「次だ。我々はこれまで通り、万全の状態で機を待てば良い」

先生の冷静さが核としてある限り、私たちは大丈夫。合図を待ち、何度だって挑戦出来る。そうしてまた一人の牡丹を斬り上げた私の視界に、ふと小さな違和感が映り込んだ。

蓬莱の建造物、その屋根を伝い一直線に駆ける影。黒い髪を振り乱し空を切って走る、その異様な姿に見覚えがあると気付いた瞬間、私の心臓は凍り付いた。

―――シジャ。石隠れの精鋭、愛と妄執を糧に画眉丸を執拗に追う者。その強さは一時蓮の足止めすら成し得た逸材であること、敵に回せば殊現と同等に厄介な存在であること。そして、私は一度顔を知られながら運良く逃れた身であることを思い起こす。
シジャは明らかに此処ではない何処かを目指し疾走していた。どうか何事も無く、このまま通り過ぎて欲しい。しかしその願いは虚しく、暗い瞳が私とかち合った。

ニタリとシジャが嗤う、その瞬間から私の世界はスローモーションになっていく。
彼は戦いの極意を知っている。強さではなく悪さが戦局を乱すことを心得ている。凶悪な忍術は素直に私を狙うことはしなかった。この中で最も幼く、害されれば全員が心を揺さぶられる者は誰なのかということを、シジャは瞬く間に見抜いたのだ。

「っ・・・!ヌルガイ!」

上空から噴き付けられる炎は細く鋭いライフルの如く、私たちの大事な少女に向けられている。迷っている暇は無かった。渾身の速度で駆け付け、その華奢な身を突き飛ばす。

身を翻し防御の姿勢を取った際、私の視界に映ったもの。去り際に愉快そうにこちらを見下ろすシジャの顔。まさにすぐそこまで迫る火柱。

!」

先生の声。

ここでは死ねない。しかし、回避も間に合わない。どこまで被害を最小限に抑え込めるものか、自分と花の氣に賭けるしか無い。そうして強く目を瞑り、迫りくる炎の衝撃に限界まで身を硬くした、その刹那。

私が感じたのは、間違いなく熱さだった。でも、炎に炙られ皮膚が焼け爛れる様なそれじゃない。
次いで感じたのは、凄まじい風圧。それも、噴き付けられた火柱とはまるで別種なもので。

恐る恐る目を開ける。辺りの景色が変わっていることで、事態への理解が遅れた。
身体のどこにも火傷を負っていない―――間近まで迫ったシジャの罠から、奇跡的に逃れたということ。
牡丹の花が随分と遠い―――かなりの距離を、一瞬で移動したということ。

そして先ほどまで戦っていた位置から此処までを結ぶ、二本の轍が燃えている。
摩擦の衝撃で火が出る程、説明のつかない速度と人智を超えた威力を携え、私を抱えたこの兄弟子が窮地から救ってくれた証。
金の髪が揺れ、その口元から鋭い息が零れ落ちる。

「・・・てん、ざ?」

目と目が合い、闇夜の中で明るい笑顔が眩しく咲き誇った。

「・・・間に合ったっすね」