心を整え、深呼吸。頭のてっぺんから爪先まで、氣が滞りなく行き渡っているのを感じる。

「行けるかい」
「はい、先生」

優しく微笑んでくれるこのひとから、とても意味のある誓いを貰い受けた。今よりひとつ、思い切った先の約束だ。典坐ともヌルガイとも袂を別たずに前へ進める、自由な未来。何もかも捨てて身軽になることでの不安定さよりも、一緒に迷う喜びを先生も受け入れてくれた証。私はここから先、一層強く戦うことが出来る。

「涙は引いたようだね」
「へへ。そうみたいです」

驚きと戸惑いと、そして幸福。怒涛の波に揺られて決壊した私の涙腺は、比較的速やかに、そして穏やかに鎮めることが出来た。

「瞼も腫れてないし鼻も痛くないんで、大丈夫。いつもと同じ、ただちょっと頬に花が咲いてるだけの、平凡でオタクな私です。いつでも行けます」

普段通り先生と典坐と、島に来てからはヌルガイも加えて推しと呼ぶ変わり者の私。これまで通り斬るべきを斬り、守るべきを守る。たとえ生まれた起源が皆とは異なっていようとも、そこだけは変わらない。依然として頬から零れ出る花以外は何ら変わりなく、私のままだ。皆の元へ戻って、私の為すべきを為す。そんな折、不意に考え込むような先生の表情が気にかかった。

「先生?」
「君は平凡と呼ぶが・・・は可愛いよ」

きゅぽん、と間の抜けた音が脳内に鳴り響く。酷く真面目な顔で何を言い出すかと思えば。羞恥心が急速沸騰し、私の短い髪が逆立った。

「いっ・・・今そういうこと言うのやめてください・・・!」
「はは。そうだな、すまない。今は止めておくよ」
「・・・」

今はって言ったな、このひと。これまでも素の殺し文句にあたふたした経験はあれど、事情が変わった今、それは単純な口説き文言な訳で。そして先生の性格上、恐れ多くも私ひとりに向けられるもので。早くも生還後の未来における私の心臓を案じて熱を出しそうになる自分自身を、私は強く両頬を叩くことで引き止めた。しっかりしろ。

「切り替えます!盤古の丹田は五つ。五行属性に則って相克を斬り手に、更にその相生で斬り手の氣を強める、でしたよね」
「ああ。メイがおおよその場所を特定し、幻視で目的地を伝えると聞いている」

先生はすんなりと私の意思を汲んでくれた。朱槿の暴走を止め、外へ繋がる唯一の水門へ向かう。メイの話では夜間のみ花は萎んでいるが、朝の光を浴びれば一層活動的に侵食範囲を広げるだろうということだった。夜はまだ明ける気配は無いけれど、各々の目的地が確定次第発つのが正解だ。

「問題は同時破壊ですね。二つ、三つでもなかなか厳しいところ、五つですし。頃合いを合わせようにも敵も棒立ちじゃないでしょうし・・・」
「いずれにせよ至難の業だな。しかし、何としても成し遂げなくては」

現状の厳しさを認めながらも、先生の声には陰りが無くて。

「我々の目標は、島からの生還の更に先へと更新された。こんな所で躓く訳にはいかないさ」

生き残ることは最低条件に過ぎず、更にその先の未来へ。希望に満ちた結末を信じていると、その笑顔が、その声が告げている。私も負けてはいられない。込み上げる熱い思いをそのままに、明るく笑い返した。

「任せてください。その未来の為なら私は無敵です」
「同じ言葉を、私から君にも贈るよ」

私たちは、きっと何が起きても大丈夫。和やかに笑い合った末に、足並みを揃えて皆の元へと歩き出した。



* * *




比較的損壊の少ない建物の中で私たちを待っていたのは、典坐とヌルガイ、付知と仙汰、その後ろには腕の調整に勤しむ巌鉄斎の姿もあった。

「花化を・・・抑え込む薬?」

付知から私と先生へ一粒ずつ差し出された丸薬。小さく黒い球体は兄弟子の探求心の結晶であることを、私はよく知っている。

「そう。これ飲んだら仙ちゃんの描いた雲に触って。原理は・・・」
「わかった」

私は一も二も無くそれを口の中へと投げ込んだ。殆どそのまま飲み込んだ後押しに、持ち歩いていた筒から水を一口分流し込む。先生もほぼ同じタイミングで薬を飲み込んだように思う。付知は若干の戸惑いを浮かべつつも、小さな咳払いをして私たちを見据えた。

「・・・典くん達もそうだったけど。飲み込むのは説明聞いてからでも良かったのに」
「付知の薬なら疑ったり断ったりする理由無いでしょ。仙汰、雲お願い出来るかな」
「はい。さんの相生は火、士遠さんは水、ですね」

仙汰はこれまでの時間を使い、蓬莱の中から五属性全ての瓶を収集したようだった。私と先生にそれぞれ相生の相性を持つ中身を墨代わりに、氣の乗った絵筆で雲を描き具現化する。
紙の絵がすうっと浮き上がる瞬間は魔法のようで、事細かに観察したいのも本音だけれど。好奇心を何とか堪え切り、半透明の雲にそっと両手で触れる。眩い光を放って消えゆくそのさまもどこか幻想的で、思わず口がポカンと開いてしまう私の心を代弁するかのように、典坐とヌルガイがすげぇと感嘆のハモリを披露してくれた。
奇跡のような仙汰の雲に触れるのは二回目だ。ただ、限界まで消耗しきっていた前回と違い、今は劇的な変化を感じない。

、嫌な感じの異変は?怠さとか、痛みは?」
「無い。というか変化無し。これって正常な反応・・・?」
「そうだね。とりあえず頬の花の面積は小さくならないみたいだけど、体内の花の氣が悪さしてないならそれが優先かな。シオさんも平気?」
「ああ、問題無い。私もと同じく、変化無しというのが正直な感想だが・・・」
「変わり無しで良いんだよ。画眉丸と弔兵衛の域になると厳しいけど、これは今の僕たちに有効な“予防策”だから」

予防策。その言葉に目を瞬くと同時に私は飲んだ薬の意味を理解した。朱槿の暴走から空気中に漂った花の氣は呼吸を通して身体の中に少しずつ溜まり、今は何ら変わりなくとも時間が経てばいずれ私たちも花化させる。
付知が即席で作ったのはそのワクチンとも呼ぶべき薬。そして仙汰の絵が相生の後押しと共に薬の威力を強め、私たちの身体を守ってくれるという訳だ。いざ危なくなってきた時には極力吸わない、という手も考えてはいたのだけれど、長期的には使えず現実的な策とも呼べなかった。でもこれで、侵食への憂いをぐんと減らして戦闘に専念することが出来る。

「花の氣の蓄積値を、薬と相生の合わせ技で下げられるだけ下げる。理論上は、これでこの先多少の余力が生まれる筈なんです。出来れば画眉丸さん達にも有効であって欲しかったのですが・・・」
「仕方ないよ仙ちゃん、無理なことは悔やんでも仕方ない。けど出来ることを少しでも探るのは無駄じゃない」



『別の角度から新薬を編み出す時間があれば・・・』



仙汰の雲をもってしても、画眉丸には私と同様の回復を齎せない。それがわかった段階では、確かにそう口にしていた筈なのに。ほんの短時間で状況を好転させ、優れた知識量と理解力を重ね合わせ、少しでも生存率を上げる為に二人の兄弟子が編み出した秘策。それが今皆と同じく私の体内にも宿ったのだと思うと、頼もしさのあまり鼓動の音がひとつ重くなったような気さえする。

「・・・付知も仙汰も、凄いね」
「別に。僕の場合は花化を進める薬も作れたんだから、そのまま逆のことを試しただけだよ」
「それが途轍もない偉業だとは言ったんだよ。無論、私も同じように思っている。二人ともありがとう」
「お役に立てたなら何よりです。さんと士遠さんで最後でしたから、これで無事全員に行き渡りました」

皆それぞれ力を尽くしてる。頭脳派の兄弟子達にここまでお膳立てして貰ったのだから、私は歩兵の役割を全うするまでだ。

「二人に助けて貰った分、精一杯攻めの姿勢で貢献するよ。ね、典坐、ヌルガイも」
「おう!」
「勿論っす!」
「じゃ、宣言通り頑張って貰おうかな。これが編成の一覧。シオさんと以外はもう皆確認済だから」

付知が書き付けたのだろう作戦要綱を受け取り、先生と一緒に覗き込む。そこには盤古破壊に至る丹田の同時破壊、その為の組分けが明示されていた。
司令塔にはメイと杠と仙汰。火には威鈴と清丸、木には弔兵衛と桐馬、金には画眉丸と佐切、水には十禾さんと厳鉄斎。そして土に、先生・典坐・ヌルガイ・付知・私。明らかに土の項目だけギチギチに詰め込まれたせいで、皆の名前がそれぞれ若干潰れていた。

「あの、個人的にはすごく心強いんだけど・・・人数、偏り過ぎてない?」
「言うと思った。けど、もう話は纏まってるしこれが最適解だから」

付知は淡々とそう言い切った。土の丹田の斬手は相克の先生、相生強化の為にヌルガイ、ここまでは良い。ただ私と典坐まで組み込まれることは誰からも異議は上がらなかったのだろうか。同じ縁繋がりでも、仙汰は絵の具現化で要のメイと護衛の杠を守ることが出来る筈だ。氣の相性はさておき、私と典坐、そして付知は補充戦力として残りの組にバラける選択肢もあった筈なのに。

「皆さん、自分たちは一緒の方が調子出るだろうって。実際、その通りだと思うっす」
「オレもそう思う。呼吸も合わせ易いしな!」

典坐とヌルガイの明るい同調に、思わず頬が緩む。一緒にいた方が調子が出る、その通り。息を合わせやすい、それもその通り。心強いことは間違いなかった。
ただ皆が苦しい局面において、ここまで自分たちだけに都合の良い布陣が許されるものだろうかと、淡い罪悪感も顔を出す。私の複雑な胸中を見透かした様に、ほんの一瞬先生の手が私の頭に触れて。すぐ引いていく温もりを追うように見上げた先で、穏やかな笑顔が私を待っていた。

「私も同意見だ。確かに偏りは際立つが・・・我々の場合、傍にいた方が不安も圧倒的に少なくて済む」

傍にいないことで生まれる不安。それは他の誰にとって取るに足らないことであっても、私たちにとっては決定的な足枷になるだろうと、先生の言葉を介して強く納得出来た。一度離れてしまったことによる心の欠損にも似た恐怖は拭えない。別れてしまえば案じた分だけ氣は衰えていくだろう。ただ、逆に傍にいさえすれば互いをより高められる自信もあるのだ。私たちは人数の多さに関わらず、離れるべきじゃない。皆が理解を示してくれているのなら、尚のこと。最適解という付知の表現が、後から効いて確証を強めていった。

「無論、これは皆の気遣いあっての采配だ。必ず良い結果を出すことで応えよう」
「はい、先生!」
「はーい、センセイ!」
「っす!」

先生の声掛けに三人でそれぞれの敬礼を返し、明るい笑みを交わし合う。大一番へ四人揃って挑めることの安心感は格別で、氣は漲るのに心は軽い。

さんのその笑顔が答えですよ」

仙汰は穏やかに笑っていた。

「心の動きは氣の巡りに直結する―――この編成はきっと最良の結果を齎す筈です。僕も万全を尽くしますので、さん達もご武運を」
「・・・うん、仙汰も。杠とメイのこと、守ってね」
「はい、必ず」

己に正直な杠を憧れのひとと定め、守ることを憚らず約束した仙汰の表情は晴れやかなものだった。仙薬奪取班への志願を経て新たな力を使い熟す頼もしさは、上陸時とはまるで別人のようで。それでいて、刀ではなく絵筆を通した活躍に生き生きとする姿は実に仙汰らしい。兄弟子の心が嘘偽りから解き放たれたことの証明に、私は喜びを噛み締めずにはいられなかった。仙汰はもう臆病な処刑人じゃない。必ずその賢さと熱意で二人を守り切ることだろう。
こちらも遅れを取る訳にはいかないと細く息を吐き出すも、不安には足を取られず真っ直ぐに背を伸ばせる私がいる。絶対的な安心感をくれる先生と典坐、ヌルガイ。更に今回は心強い要員として理知的な兄弟子もいてくれるのだから。

「付知と厳鉄斎は別々で良かったの?」
「別に。達と違って物理的に離れるとまずい仲じゃないし」
「う・・・」

相変わらず遠慮の無い一撃に苦笑するしかない、その時だった。すぐ後ろで背を向けて胡坐を組み鉤爪の付いた方の肩を回していた大男を、付知が振り返る。

「まぁ首切り役としては、担当の死罪人をある意味野放しにする訳だから。褒められた行為じゃないだろうけど」

首斬り役。すっかり意識から遠くなりかけていた殺伐とした単語に目を丸くする私の前で、厳鉄斎もまた剣呑に付知を振り返る。小柄な兄弟子の黒い瞳が愉快そうに細められた。

「そこは信頼してますよ。僕がいない間に首落とされないで下さいね」
「あぁ?舐めんなよ。そっちこそ俺に黙って腕の本数減らしたら承知しねぇからな」
「当たり前でしょ。隻腕仲間は御免です・・・って。、何その顔」

ポーカーフェイスで心の綻びを堪え切ることは出来なかった。本当に仲良くなったね。二人に言ったら絶対否定するだろうから言わないけれど。軽口の程度も、距離感も、上陸した頃とは全然違う。考え方が根本から異なる分反発を隠さないながらも、同じだけお互いへの興味感心を積み上げながら死線を潜ってきた結果なのだろう。
勿論典坐も仙汰も同じだけれど、付知があのまま死んでいたらと思うと今でもゾッとする。だからこうして生きて、花化の薬を編み出すという偉業を成し、相棒との息の合った掛け合いを見せてくれることに感謝しか無い。怪訝な顔で小首を傾げる兄弟子に向かって、私はだらしなく頬を緩めたまま首を横に振る。

「ふふふー、なんでもない」
「絶対何でもなくないよねその顔・・・まぁ良いや。あと、僕が達のところに組み込まれてるのも意図があってのことだから」

おや、と目を瞬かせる。付知が巌鉄斎と離れることで実害は無いという話の筈が、更に私たちのチームに入ることで得る利があるとは何のことだろうか。
およそ三秒、先生が閃くまでの時間だった。

「・・・“円環”か。興味深いな」
「流石士遠さん、僕は気付くまで結構かかったんです」
「仙ちゃんもシオさんも話が早くて助かるよ」

仙汰と付知と先生で通じ合う何かと、私たちの間に大きな壁がある。ヌルガイの手が遠慮がちに私の裾を掴んだ。

「・・・、わかるか?」
「ごめん、わからない」
「自分も同じくっす・・・厳鉄斎さんはどうっすか」
「俺に聞くこと自体が間違ってんな。興味が無ぇ」

典坐とヌルガイはこういう推理が苦手だろうし、巌鉄斎の興味が無いという言葉も性格的にごもっとも。しかしながら少しでもこの世界に対し貢献しなくてはならない私がこの体たらくでどうするのだ、と。焦りの感情をそのままに先生へ向ける。すぐに顔を見合わせてくれるこのひとは、私を隔てる溝を正確に読み取ってくれたのだろう。何から説明すべきかと思案する先生と私の間に、付知の腕が入り込みひらひらと揺れた。

「今はわからなくて良いよ。まだ仮説だし、上手くいけば島から出る為にも有益かもねって段階。ただ、僕とメイさんで詰めた感じ結構勝算のある試みだから」

先行きが不明瞭なことは焦りであり不安でもあった。しかしながら、この兄弟子がそうまで言い切るのなら事情が変わってくる。騒ついた胸中が不思議なほど静かに落ち着いていく。すると典坐とヌルガイが揃ってぴしりと挙手の姿勢を取った。

「自分、馬鹿なんでさっぱり見当つかないっすけど・・・付知さんとメイさんがそう導き出した答えなら、信じるっす」
「オレも!頼れる仲間が沢山いて、すげー心強いよ」

二人して述べる真っ直ぐな主張は眩しくて、それでいて少し和む。ああ、この二人が並んでる光景が好きだなぁと、何度だって実感出来る。そうして私ひとりがだらしなく口端を緩める中、付知の黒い瞳がヌルガイをじっと見据えていることに気付いた。

「・・・典くんと君ってすこし似てる」

ぽつりと呟かれた本音は、恐らく彼なりの観察に基づいた結果で。私は思わずささっと隣へ移動し、その肩を叩く。

「付知、よくぞ気付いてくれました。ふたりとも圧倒的に光属性なのよ」
「え?光?オレは水で典坐は火じゃなかったのか?」
「ヌルガイさん、これは多分違いますね。自分もあんま詳しい訳じゃないっすけど、さん曰く一部のひとは光属性って呼ばれてて、それは氣とは別の何からしいっす」
「へええ、そうなのか!知らなかった・・・」

わからないなりに私のオタク持論を噛み砕き伝えてくれる典坐に、それをそのまま信じ感心するヌルガイ。嘘はひとつも言っていないし二人ともどう見たって光属性だと胸を張れるけれど、こうして無条件に全部を受け止めて貰えることで覚える気持ちは、温かいと同時に少しくすぐったい。

「確かに。素直なところがよく似てますね」
「でしょ」

横から仙汰にも新たな同意を貰い受け、私はにこにこと上機嫌に口角を上げたまま付知の両肩を掴んだ。

「とにかくふたりの言った通り、付知とメイの策なら絶対大丈夫。説明も今は良いや。私は手足になっていくらでも働くから、頭脳の役割は全部任せた。何でも言って。絶対成果上げて見せるからね」

メイの知識を付知が読み解き、そして練った策なら何の不安も無い。私は躊躇わずそこに全力を注げる。一切ぶれること無く一定の温度で凪いだ黒い瞳が私を見ていた。

「・・・何か良いことあったでしょ」
「え」

作戦遂行にひたすら燃える私の横腹を、鋭い槍で一突き。良いことがあったと見透かされるのはヌルガイに続いて二度目だ。デジャブと二重の意味でぎくりと肩を強張らせる私の目を見据えたまま、付知は平坦な声で告げる。

はわかり易い。良いことも悪いことも全部顔に出るし、今は氣も大きくなってるのがわかる」
「・・・氣の知覚は苦手じゃなかったっけ」
「それは否定しない。でも、天仙との一戦で僕も厳鉄斎も得るものが大きかったから」
「おお。極上の良い女だったなぁ。ま、こいつの言うことは正しいぜ。今なら俺にもわかる。お前さんの氣が猛々しく燃えてやがるのがな。だはは、隠し事には向かねぇなぁ伊達女」

不敵な笑みを携え鉤爪で指され、思わず頬が引き攣る。



『隠してもわかるよ。から何か、こっちも元気を貰える感じのあったかいやつが湯気みたいに・・・』



脳裏にヌルガイの純真な指摘が響く。私は、そんなに色々と氣に駄々洩れなのだろうか。
良いこと、それは勿論あった。先生が未来の道行きの良し悪しに関わらず隣にいることを誓ってくれた、最上級に良いことに違いない。違いない、のだけれど。

「良かったな、。オレも嬉しいよ」
「・・・ありがと、ヌルガイ」

話の流れで私と先生の出した答えに辿り着いたのだろう。結論が出る直前までを知るヌルガイがぴったりと抱き着いてくるのを受け止め、親指を上げて溌剌とした笑顔を見せる典坐に苦笑を返し、そして私は仙汰や付知に対し曖昧な表情で誤魔化した。
この島から出た後、山田家から去る身であること。いっそこのタイミングで打ち明けるべきなのか。先生や典坐も関わることだし、事前の打ち合わせ無しに私の一存では決められない。かと言って、今先生を振り返ったら、余計なことまで思い起こして墓穴を掘ってしまいそうな私がいることも事実で。

「別に何があったとかはどうでも良いんだけど。は調子の振り幅が激しいから、今良い感じならそのまま島を出る局面まで保って欲しいってだけ」
「旦那が傍にいるんだから心配いらねぇだろ。なぁ、先生よ」

さらりと旦那とか言わないで欲しい本当に・・・!度重なる葛藤と迷走で目を回しそうになる、その時だった。

に限らず、全員大丈夫さ」

いつも通りの穏やかな声が、私の荒ぶった内側をそっと鎮めてくれる。目指す方角を見失った肩を後ろから掴んで、優しく軌道修正するように。大丈夫だと、私の心に直接言い聞かせてくれる。

「皆、死闘を経験し大きく成長した。各々の氣を磨き、確実に強くなった」

情に寄り過ぎず、理にも徹し過ぎない、先生らしい声色。頼りになって、公平で、優しい。全体を見渡すような笑みを浮かべているだろう、先生の安定した氣に助けられて私は落ち着きを取り戻す。
大丈夫。わかり易く滾ったこの好調を私は維持出来るし、皆だってこれまでの積み重ねがあるのだから心配いらない。先生らしい言葉が、私の混乱もこの場の雰囲気も何もかも、上手に均し整えてくれる。このひとが先生と皆から慕われる理由そのもの。心地の良い穏やかさに自然と目が細まった。

「全員生還の願いはきっと成就するよ。私は皆の努力を・・・」
「あっ!“見て来た”か?センセイ!」
「・・・」

だから、伏兵の参戦は予想もしていなかったことで。私の腕の中から目をキラキラと輝かせて先生を仰ぐヌルガイ以外、誰もが豆鉄砲を食らったような顔で時が止まること、およそ数秒。堪え切れなくなったように仰け反った厳鉄斎の大笑いが、豪快に木霊した。

「ガハハハッ!やるじゃねぇか坊や!電光石火の掻っ攫いだったぜ!」
「坊やじゃないよ!掻っ攫いって何?オレ、センセイの言いたいことが“見”えた気がしただけで・・・」
「・・・」
「ダハハハハ!!腹いってぇ・・・!!」
「あー、ヌルガイさん。先生が悔しがってるんでそのへんにしましょう」

笑い転げる厳鉄斎に向かって飛び出して抗議するヌルガイを、典坐が精一杯に宥める。離れた体温を惜しむように腕を擦って、そっと先生を振り返った。同時に顔を見合わせることとなったのは、してやられたという苦い表情で。私は思わず、込み上げた笑みを堪えることなく肩を揺らす。

「っふふ、取られちゃいましたね」
「・・・不覚だったよ」

変わらずお腹を抱えて笑う厳鉄斎、ムスっと不満気に口を尖らせるヌルガイに、仲裁に勤しむ典坐。そして冗談を先取られて大真面目に悔しがる先生と、向かい合い笑っている私。状況は依然として緊迫している筈なのに。佐切に見つかったら緊張感!と叱られてしまうだろうこの団欒が、愛おしくて堪らない。

「でも私、こういう時間が大好きだから。守りたいです」
「・・・そうだね。私もだ」

先の未来は既に約束されたことだけれど。皆がどうでも良いことで笑いあったり喧嘩したりする、この時間も同じくらい守りたいと思う。だから、まずは勝ちに行くんだと。先生と穏やかに言葉を交わすことで、またひとつ根っこの部分が研ぎ澄まされていくのを感じる。
不意に、付知と目が合った。この決意もそのまま氣に乗っているのだろう、やっぱり私は何事も隠せない性分みたい。軽く肩を竦めて苦笑すると、珍しく微かな笑みが返ってきて。驚きと共に嬉しさが込み上げる、そんな時。

「笑い過ぎだよ!それにオレは坊やじゃないって言ってるだろ!」
「坊やは坊やだろ」
「っううう!違うってばこいつー!」
「おおっ?!やるか坊や、肩慣らしで相手になるぜ」
「ヌルガイさん落ち着いて!先生、さんも助けて欲しいっす!」

遂に沸点に到達したようだ。体格差などお構いなしに巨体へ飛び掛かるヌルガイを引き止めようにも、厳鉄斎もこの調子なので典坐が助けを求めてくる。私は清々しい心持ちで肩を回した。

「ふふ。乱闘の中から推しの回収とか、決戦前になかなか試練ですけど。今なら負ける気がしないです」
「ほう、お手並み拝見だな」
「ぶっ、拝“見”・・・!で、でも少しだけ助力して貰えると助かります」
「冗談だよ、勿論手伝うさ」

先生の氣を瞬間温かく感じる。眦を下げた特別柔らかな笑みに、鼓動がトンと一段階早くなる。

「苦労は共に、だろう」
「・・・先生ってば」

その笑顔と少しだけ甘い声色はずるい。ずる過ぎる。私は熱を持ちそうになる頬を誤魔化すようにして、厳鉄斎によじ登るヌルガイを救出すべく大股の一歩を踏み出した。




「・・・こんな感じで今のふたりの挿絵だけ残したら、佐切さん上手く文字に起こしてくれるかな」
「流石仙ちゃん、筆が早い。でもどうだろう。サギ、これだけ見たら興奮し過ぎてまともな文章練れない気がする」

ひっそりと仙汰の下書きに写された、私と先生の距離感の近いやり取り。それが採用されたのかどうかは、また別のおはなし。