盤古を破壊する策に輪郭が見えてきた。属性五種に聳え立つ丹田の同時破壊、そしてその位置と人選。詰めるべきことは未だ残っている中、私は少し離れた一角にて目の前の光景を祈るような思いで見つめることしか出来ずにいた。
半壊した建物の中から発掘した、木の氣を封じた瓶。その中身を用いて仙汰が描き実体化した雲に、画眉丸が触れる。私の時と同じく一瞬で消失したそれを受け、しかし彼の花化の深刻具合に変化は現れなかった。

「・・・微弱な回復は確かに感じる。だが、恐らく焼け石に水だな」

駄目か、と項垂れたくなるような思いに胸が痛んだ。

「そっか・・・私は仙汰の雲にかなり助けられたから、二人にも効果があるかもって思ったんだけど」
「力及ばず心苦しいのですが・・・さんと画眉丸さん達は体内の氣の起源が異なります。花化の負荷や速度含め、まったく別種の側面から対策を考えた方が良いのかもしれません」

ここから先の展開を私は知らない。それでも、蓬莱に突入した時以上の試練になるだろうことは誰に目にも明らかで。だからこそ今最も深刻な状態にあるふたりの消耗をどうにかしたかったのだけれど、仙汰の分析通り私と彼らは根っこからして違う。ひとつ躓き、そして私は次に切り替えるべく小柄な兄弟子に助言を求めた。

「付知の薬はどうかな・・・」
「正直勧められないね。花化が重複する訳だから、危険性の方がかなり高い。仙ちゃんの言う通り、別の角度から新薬を編み出す時間があれば・・・」
「いらねぇよ」

強い拒絶だった。画眉丸と同等かそれ以上の消耗具合で、兄弟の片割れは苛立ちを隠すことなく首を鳴らす。この場に連れてくるだけでもひと苦労だったのだ。他者との協力関係はまず撥ね退けるだろうことくらいは、私にだってわかっていた。それでも退けない理由が、彼の半歩後ろにある。

「けど、弔兵衛」
「余計な世話を焼くんじゃねぇ。てめぇのことはてめぇが一番良くわかってる」
「そりゃそうだろうけど・・・」

今、弟がどんな不安そうな顔をしているのかをわかって欲しい。嫌いな筈の私の案にすら乗ってきた、藁にも縋る思いで兄の回復を願うその切実さを、どうか汲んで欲しい。そんな私の内心を知ってか、知らずか。弔兵衛の片腕が突然上がったかと思えば、振り返ることもなく斜め後ろの弟の頭を探り当て、かなり強引な力で短くなった髪を撫で回した。面食らったのか、ぐわんぐわんと頭ごと揺らされながらも桐馬は不安な表情を兄に曝け出す。

「・・・兄さん」
「勝手に悲観してんじゃねぇよ」

瞬きにも満たないほんの一瞬、絶対的な信頼関係の片鱗が薫る。弟を振り返った兄の表情は私の角度からではわからない。それでも下唇を噛んだ桐馬の頷きが、それ以上の介入の無意味さを物語った。

「こんな島でそう簡単に花に屈してたまるか。そうだろ、クソチビ」
「おヌシに同意などしたくはないが・・・今回ばかりはその通りだな」

死闘を経て今は共闘関係にあったとしても、互いに此処が限界と言わんばかりに顔を顰めながら視線を交わす。

「この程度の消耗などワシらには問題無い。生きて島を出ることだけを考えろ」

画眉丸の言葉は明確に私へ向けられたものだった。心配は無用。今尚深く侵食されながらもその意志は固く、他者の憂いや足掻きは無駄だと私に悟らせた。
彼らの強さを信じている。ただ、花化という負荷の苛烈さは私も身に覚えがあるからこそ、何も出来ないことがもどかしく。胃が縮こまるような思いに眉を顰めると同時のこと、私の肩にそっと乗せられた手の感触。気遣わし気な表情が私を見下ろしていた。

「島攻略の核は氣の脈動、即ち心の在り様だ」
「・・・先生」
「彼らの生きようとする意志は強固なものだ。消耗を案じるよりも、今は前へ進む力を信じることが肝要に思うよ」

先生の落ち着いた声がひとつひとつ染み込んで、私の焦燥を宥めてくれる。どれ程分が悪かろうとも、この島だからこそ氣の強さが最も重要であることは間違いない。先生の言う通りだ。今は信じることしか出来ない。なのにこのひとは、私の心の隅に溜まった暗い澱みすら見過ごしはしなくて。

「・・・君の不安を取り払う答えではないな。すまない」
「いいえ。先生のおかげで少し落ち着きました。ありがとうございます」

固い表情からも、憂いを帯びた声からも、私への細やかな気遣いを感じる。今この局面に於いても、仕方の無いことで立ち止まってしまう私に寄り添ってくれる。お礼は最早ひとことじゃ足りないことは承知の上で、それでも穏やかに微笑み返してくれる先生に胸の閊えが解けていくような気がした。

「さっきの雲酒臭かったぞ」
「臭いというか、酒そのものですからね。僕もてっきり水だと思い込んでいたので驚きましたが」
「へえ。瓶の中身は水だったり酒だったりするんだ。何か用途に違いとかあるのかな。案外他にも色々種類があったりして。仙ちゃんもっと色々探してみない?」
「・・・目的が治療より研究寄りになってる気が」
「構わんだろ。おヌシら知識班はそれで良い」

皆、それぞれ自分が極めたことで強く自分を保ち、脱出への糸口を掴もうとする中。

「おい。ツラかせ伊達女」

兄弟の片割れからの呼びかけは唐突で。驚きに目を見開く最中思うのは、私?であったり、君もその呼び方するんだ?であったり。戸惑いながらも断る理由は無く、黙って付いて行こうとしたその時。弔兵衛の足が止まった。

「・・・当然の様に付いて来ようとするんじゃねぇ」

私に向けられた言葉では無い。私の後ろに立つ、先生に対する呆れた声だった。

「すまない。だが・・・」

先生の警戒は無理も無い。何しろ直近の記憶として、弔兵衛は斧を振りかざし私たちに襲い掛かってきた刺客なのだから。
でも、私はただの読者であった頃から彼の壮絶な人生を知っている。加えて今、こうして向き合った弔兵衛からは、私を弟生存の為の贄にしようという悪意や殺気を感じられない。

「先生。今の彼なら大丈夫です」
「・・・わかった」

敢えて“今の”という言葉を選ぶと、先生は逡巡の末に理解を示してくれた。大丈夫。きっと、今の弔兵衛なら。そうして立ち止まった先生を置いて進み始めた私たちの足が、再び止まる。

「桐馬、お前もだ」
「えぇ?!兄さん、そんな・・・!」
「うるせぇ。良いからお前はそこで待ってろ」
「・・・はい」

桐馬の落胆具合は凄まじかった。私としては兄弟揃っていても問題無い心づもりでいたのだけれど、どうやら弔兵衛に譲る気は無い様で。一頻り嘆き、大きく肩を落とし。そして私を睨んだ桐馬の視線は射殺さんばかりに鋭過ぎるものだった。

「兄さんに何かあれば容赦しないぞ」
「・・・この土壇場でそこまで命知らずじゃないかなぁ」



* * *




少しの間蓬莱にいた為か、弔兵衛は此処の地理に詳しかった。裏道の様な暗闇から、迷路の如く入り組んだ細い路地を抜け、この周辺で一番高さがあるだろう建物の螺旋階段まであっという間に辿り着いた。お互い無駄口も利かず無言で円を描く階段を登り、ほどなくして着いた頂上の窓からは皆の姿が確認出来る。先ほど同じ場所に居た面々は動いていない様で、画眉丸と仙汰と付知が円になり座っており、何やら話し込む様子を先生と桐馬が覗き込む様な構図が窺えた。
古典的な台詞で連れ出したにしては、弔兵衛から話し出す気配が無い。同じ窓から同じ光景を―――注視する対象は私と違うのだろうけれど―――見下ろす面差しは心なしか穏やかに思えて、思わず心の奥が少し緩む。
しかし次の瞬間、森でぶつかり合ったことを思い出すなり苦い気持ちが顔を出した。一時的にでも兄弟をバラバラにした私の謝罪を、あの洞窟で桐馬は自己満足だと断じたけれど。

「・・・弔兵衛」
「あん時のことならどうでも良い」

私の葛藤の全てを見透かした様な即答だった。思わずぎくりと肩に力が入った私を瞬間見据え、そして弔兵衛の視線は再び弟の元へと戻っていく。

「食うか食われるか、互いにそういう状況だった。俺もお前を殺す気で振り下ろした斧に、後悔なんざ欠片もねぇ」


『あの時の謝罪もいらない。生きる為にどうしようも無かった。それは、お互い同じだろ』


桐馬の言葉が脳裏に蘇った。兄弟揃って考え方が似ている。罪の意識を無造作に剥ぎ取られた様な思いを、私は有難く受け止めることにした。

「・・・そっか」

仙薬を奪い合う為に集い敵対するところから始まり、当初は各々隠し持っていた思惑も今となっては丸裸で、私たちは違いはあれど折り合いを付けながら同じ方向を向いている。立場も状況も大きく変わった。まさか自分自身が創作を起源とする人間だっただなんて、上陸するまでは考えもしなかった驚きもあったけれど。それでも、今はこうして一度命を獲り合った相手と並んで、大事なひと達を穏やかに見下ろしている。本当に、何がどうなるかなんてわからないことだらけだ。弔兵衛が漸く私に向き直ったのは、丁度そんなことを考え始めた頃のことだった。

「それより、だ。あの狸と猫の覚醒はお前が噛んでやがるな」
「タヌキ・・・ネコ・・・?」
「鈍い絵描きと解剖狂いだ」
「あぁ、仙汰と付知・・・いや、私の兄弟子に酷いこと言わないでよ」
「っは。通じてる時点でてめぇも同罪だろうが」

妹弟子として正当な抗議も、悪いしたり顔でにやりとされてしまえばぐぬぬと黙ることしか出来なくなる。基本、この男は頭が良いのだ。言葉選びも誘導もずば抜けて上手い。ただ、不意に真剣な表情が顔を出したことで、本題はそこではないことを肌で感じ取った。

「絵筆からの具現化。花化を抑制した上での製薬術。どっちも並の境地じゃねぇ」
「・・・それは、確かに」

仙汰と付知の能力開花は目覚ましく、弔兵衛の言う通り“覚醒”とも呼べる躍進だった。正史では命潰えた筈のふたりが今は生きて規格外の力を発揮している。それは戦力としても、大事な仲間の生存という意味でも、言葉以上に尊いものだと感じていたものだけれど。

「本来なら詰んでた命が、お前の介入で生死が反転した。覚醒の引き金はどう考えてもひとつだろ」

“引き金”という言葉が引っ掛かった。思いを巡らせること数秒、片目の潰れた鋭さと向かい合うことさらに数秒。花化という侵略を受けて尚、弟の生存の為なら何でもするという熱源が氣にそのまま滲み出る。ひとつ腑に落ちたような思いで、私は肩を竦めて見せた。

「・・・成程ね。そこを読み解いて、あわよくば自分ももう一段階強くなろうと」
「察しが良いな。欲しい物は根こそぎ奪うのが信条だ」
「その理屈で言うと、死の運命に一度片足を突っ込むことが前提にならない?今だって相当ギリギリまで疲弊してるのに」
「構うかよ。この島で何度死にかけたと思ってやがる。あと何回瀕死になろうがより強ぇ力を手に出来んなら安い。俺も覚醒させろ、伊達女」

ふたりと同じく、私の介入によって死の運命から外れることでの能力開花を、弔兵衛は信じ望んでいる様だった。その為ならこれ以上死に近づくことすら厭わない、と。
まったく。愛の為ならどこまでも貪欲になれるあたり、弔兵衛と画眉丸は似た者同士だと半目で苦笑したくなるが、それはひとまず置いておくとして。

「残念だけど、その読みは外れだよ」

答えは否だ。望みに応えないのではなく、私では応えられない。

「私が引き金って訳じゃない。ただ、ふたりとも心の枷を外した状態でこの島に“適応”しただけ」

彼ら兄弟が生きる為に掲げた単語を、敢えて使う。弔兵衛は望みとは異なる私の返答に、黙って耳を傾けてくれた。
いっそ彼の読み通り、私が本当に能力覚醒の引き金になれていたなら。もっと皆の力になれていたら、どんなに良かっただろうと思うけれど。現実は願った通りにはならない。共に過ごす中で彼らの背景を知っているからこそ、はっきりとそれがわかる。

「仙汰は代々山田家に仕える家の生まれで、望みとは真逆のことでも仕方なく刀を握ってたんだよ。一番生き生きと輝けるのは絵を描く時間。だから・・・刀じゃなく絵筆で力を発揮出来るって聞いた時、心底驚きもしたけど・・・仙汰らしいなって、嬉しくもなった」

ひとを殺すことが嫌い。普通の暮らしをしていればごく当然の感性は、生まれた家に許されず擦り潰されていった。刀ではなく絵筆を握ることで仙汰は最も強く在れる。彼が心に嘘をつかなくなった証。魔境のような島だけれど、筆を手に堂々とした兄弟子の姿は眩しい。

「付知だってそう。解剖は山田家の中でだって全員に理解されてる訳じゃなかった。限られた資源と狭い倉の中で、黙々と自分の医学愛を掘り下げるしか無くて・・・それが今、この島で命や氣に直接触れて、探求心と熱意に改めて火が付いたんだと思う。凄いんだよ付知は・・・って、一緒に戦ったなら私が言わなくてももうわかってると思うけどさ」

皮膚と肉を切り、内側に触れて、そして本質を知る。付知の持論は確かに風変りではあったけれど理に叶ったもので。なのに彼への風当たりは厳しかった。孤高の研究は付知にとって苦ではなかったのだろうけれど、それでも窮屈な環境から一変し、この島で医学の可能性の広がりを前にした瞳の輝きは、どうしたって各段に違って見える。

「二人とも、心の制限を解いたことで元から持ってた才能が開花した。この島自体、空気中の氣が特別に濃いから、きっとそういう覚醒への導きが強いんだと思う。確かに私が来たことで生死の運命は書き変わったかもしれないけど、二人とも生きてさえいれば同じように力を発揮してた筈だよ」

そう、生きてさえいれば。何かがひとつでも違っていれば、十分に在り得た未来だ。心と氣が密接に繋がっているからこそ、抑圧されていた心が解放されたことで仙汰と付知は大きな進化を遂げた。あくまで彼ら自身の変容だ。そこに私の存在は紐づかない。

「だから悪いけど、私は今の弔兵衛の力にはなれないし・・・君がそれ以上ひとから遠ざかることを、桐馬は望まないよ」

その言葉に、弔兵衛の肩が僅かに反応を見せた。色の反転した眼球、花に侵された異形の如き形相。それでも根底から褪せない愛が読み取れるからこそ、彼はこれ以上人間を捨てるべきではないと強く感じる。

「私が言うことじゃないのは承知の上だけど・・・傍にいてあげて欲しい」
「・・・」
「桐馬にとって弔兵衛は・・・」
「わかってる」

私の言葉を遮るその声は、決して乱暴な響きではなかった。弔兵衛と私は、同時に窓の外へと視線を移す。いつの間にか桐馬が付知の隣に座り込んでいて、地面に何かを書き付けながら論議を交わしているのを、先生が一歩引いた位置から立って見守るという形に変わっていた。

「んなこと、俺が一番よくわかってる」

静かで、情に深くて、丁寧な声色。心の内が一層色濃く反映された、恐らく本来の彼らしさ。随分と貴重な瞬間に居合わせたものだと、私は小さく口端を緩めた。

「覚醒どうのこうのは置いておくが、やっぱお前はそれなりの影響力があるみてぇだな」
「え?」

不意を突かれて目が丸くなる。弔兵衛は変わらず穏やかな様子で眼下を眺めていた。

「再会して以来、兄さん兄さんてうるせぇのなんの・・・」
「いやそれは元からだと思う」
「そいつはお前が読んできた本とやらとの比較か」

すかさず突っ込みを入れたつもりが、鋭い反撃に言葉が詰まる。
確かに、兄さん兄さんと連呼する桐馬は、私が知る正史としての本の中の桐馬に過ぎない。現実として共に生きてきた兄である弔兵衛に対しては、不用意に使うべき言葉では無かったかもしれず。自分の浅はかさに狼狽える私の揺らぎを前に、彼は不敵な笑みを見せた。

「元からって表現を全部否定はしねぇけどな。声の出し方やら距離の取り方ひとつ、ま、ここ数年でとにかく別種だ」
「・・・そう、なんだ」
「何かあったかって直接問い質したらあいつ、渋い顔で何て答えたと思う?」

瞬間、空気が優しく凪いだ。

「・・・“大嫌いな奴”から、誰にも遠慮無く正直な気持ちを示せと忠告されたんだとよ」


『合流出来たら、その時は・・・今度こそ、誰にも遠慮しないでお兄さんとの時間を大切にしてね』


『・・・忠告は、受け止めた』


心臓が熱く脈打つ。あの時口にした言葉も、願いも、紛れも無く私の本心だった。離れてしまった兄弟が再会出来るように。再び会えたなら、もう誰に縛られることもなく二人の時間を大事にして欲しい、と。
大嫌いだと言いながらも、桐馬が私の言葉を心に留めてくれたことが、今心の底から嬉しくて堪らない。思わず頬が紅潮する様な高鳴りに目を見開くと同時に、地上から微かに言い争う声が聞こえて来た。付知が淡々と何かを発し、それに対して桐馬が毛を逆立てる勢いで怒っている。仙汰が大いに焦りながら仲裁に入り、画眉丸は我関せずと云った具合で呆れている。流石に話している内容までは聞き取れずとも、容易く読み取れる光景だった。

「俺に対してもそうだが、周りにも遠慮が無くなった。生き抜く為とはいえ、これまで散々抑圧を強いて来た自覚はあったが・・・正直、弟にこういう一面もあんのかって驚いた」

怒る弟の姿を遠巻きに眺めて目を細める兄の横顔は、温かな情に溢れたもので。

「お前の言葉を借りるなら、あいつも心の枷が外れたらしい。礼を言うぜ」

彼が私を此処へ連れ出した理由。それは力尽くで覚醒を迫る為ではなく、これを伝える為だったのだろう、と。だからこそ頑なに弟の同行を拒んだのだと理解出来た途端、私の心に温かなものが満ちる。惚けることも肯定することも、どちらにしても圧倒的な兄弟の絆を前にしては野暮な気がしてならず、私はただ微かに笑うことで応えた。

そんな時だ。ずっとこちらに背を向けていた先生が、僅かに私を仰ぎ見る。まるでずっと視線を察知していたかのようなタイミングに驚きながらも、私は条件反射で手を振った。先生は小さく腕を上げることで応えてくれて、桐馬に勘付かれる前に自然と四人の輪の中へと入っていく。これだけ距離が開いても氣で私の居場所を感知し続けていたのだろう、流石は先生だ。後ろ姿を見下ろすだけでも自然と口角が上がってしまう、その折。ふと目線をずらした先で、弔兵衛と真っ向から目が合った。

「お前は俺と同類だと思ってたんだが、思い違いだったか」
「・・・そうだね」

本気で命を獲り合う中で感じ取った、どんなことをしてでも守るものがあるという共通意識。それは私の一方通行じゃなくお互いに通じていたという不思議な現象に薄い笑みが込み上げるものの、弔兵衛の言う通り今は違うと言える。

「この島がどれだけ過酷かわかってたから、上陸するまでは私が死んでも典坐や先生を絶対に守るって思ってた。でも今は、生きて守りたいって思いの方が強いかな」

強制的に送り返された向こう側の世界で感じた、途方も無い孤独と絶望。鉄心さんに連れられて垣間見た、私のいない世界で嘆く先生達の慟哭。命の安泰と引き換えに、別離の先に待つ虚無を知ってしまった今、私はもう前の自分には戻れない。今度こそ先生との約束を違えない。私だけじゃなく、先生だけでもなく、私たちは同じ未来へ共に進む。そう誓ったのだから。
しかしながら、これを他人に押し付けることは、筋違いだとわかってはいるのだけれど。それでも私は、今一時的にでも開かれた本来の彼を前に、言葉をかけずにはいられない。

「たとえ心臓が動き続けても、心が凍ったら・・・残す方も残される方も、どっちも辛いよ。大事な笑顔を守る為には私も生きなきゃ。そう、思えるようになった」
「・・・」
「出来れば、弔兵衛もそうして欲しいと思うよ」

弔兵衛の中の優先順位は依然として、桐馬の命が絶対的な一強だ。それ以外は、己の命も含めて迷わず切り捨てる対象であることがわかるからこそ―――考えを少しでも変える余地を残して欲しいと、願ってしまう。

「俺と離れても、あいつは“適応”すると思うがな」
「・・・甘いよ。桐馬がどんだけ君のこと好きだと思ってんの」
「気色悪い言い方をすんじゃねぇ」
「いいや言うね。気色悪くないし。事実だし。私はハッピーエンドを愛するオタクだし」
「なんだそりゃ」

押し付けがましくなるのが嫌で、熱量の籠もった早口で場の空気を若干緩ませる。互いに薄く笑い合う最中に、私はそっと本音を挟み込んだ。

「進む先が私たちとは別の道でも良いから。どんな形でも生きて桐馬を守ること・・・選択肢に入れてよ」

決断するのは弔兵衛だ。桐馬のことを最も理解しているのも彼だ。でも、だからこそ、私は二人揃って島を出る希望を持ち続けて欲しいと祈らずにはいられない。
命の儚さを痛切に感じながら、大局が迫る今。弔兵衛は私の問い掛けに遂に答えることは無かったけれど、暫しの間愛おしく弟を眺める時間の片隅に、私の存在を許してくれた。