視界は良好、構えも良好。気持ちだけならまるで天高くまで振りかぶった末に、私は手元の雪玉を力の限り投げた。
「くらえ典坐!」
「どわーっ!ちょ、さんなかなかやるっすね!」
大袈裟なくらい全力で避けて、雪溜まりに突っ込んだ典坐が明るく笑った。盛り上げ方を根から心得てる、推しは今日も太陽みたいに眩しい。あまりの尊さに、私は思わず合掌した。
「ほらっ!行きますよヌルガイさん!どんどん投げないと!」
キラキラ輝く銀世界で、典坐・ヌルガイ組と先生・私組に分かれて雪合戦。一体何のご褒美だろう。あれ、私何でこんな美味しい状況を堪能してるんだっけ。浮かれ過ぎて顔が弛みっぱなしの私はさておき、ヌルガイが典坐に向かって怪訝そうに小首を傾げた。
「いいけど、そんな緩い結び方じゃ素早く飛ばないぞ」
「え?結び・・・?」
「こう、ぎゅっと込めて、なるべく小さく固くするんだ」
ヌルガイが手本を見せて、小さな手元を典坐が熱心に覗き込む。距離が近いのは勿論、これはどう考えてもファン垂涎の光景で、私は敵陣ながら前のめりにならずにはいられない。この二人の遣り取りが控え目に言って最高過ぎる。今すぐ一眼が欲しい。
「ん?こうっすか?」
「違うよ。もっと気合い入れて」
最高以外の語彙が消え失せそうになった次の瞬間、私の目が二人の真ん中に精製されていく白いものを捉えた。単なる雪玉に違いない筈が、山の民の知恵によって密度と硬度を増したそれは、積み重なることでどうも物騒な雰囲気を醸し出している。
「・・・え。結構ガチでは」
「ふむ。あれは当たればなかなか痛いだろうな」
正直あれが顔面直撃することを想像すると脅威でしかない。恐る恐る顔を見合わせた末、先生は緩く笑って私を試す様な顔をした。
「今のうちに降参するか?私は構わないよ」
「いいえ!これは推しカプの共同作業を特等席で味わう大チャンスですから!オタクである以上そう簡単には引けません!」
「・・・?まぁ、君がそれで良いのなら」
私の先生、山田浅ェ門士遠は理解力と柔軟さ、状況適応力の塊のようなひとだ。常識の外から現れた私を傍に置いてくれただけでなく、気が昂ると止まらない私の横文字ですらわからないなりに受け止めようと努めてくれる。私の推しのひとりであり、どんなに感謝してもし足りないひと。
だからこそ私は先生の弟子として、折角組んだからには遊びだろうと彼に全力で勝利を捧げたい。例えそれが好きで好きで仕方の無い典坐ヌルガイ組と対峙する悩ましい立ち位置であっても、オタクとして見逃せない美味しい状況であっても―――
「・・・っ!!」
紙一重の反射で、私は飛来する豪速球を回避した。駄目だニマニマしてる余裕が一切無い。あれは本当にただの雪玉か。
「・・・マジか」
「さぁ、一本集中だ」
ぱん、と先生の手が鳴ると同時に私は気を引き締めた。勝敗の線引は予め決めてある。相手のどちらかひとりの首から上、つまり顔や頭に雪玉を命中させればそれにて終了だ。
こちらも応戦しようと雪玉を丸めて力いっぱい投げつけるも、何しろあちらから飛んでくる球は速度も硬度も凄過ぎて最早石礫と呼べるだろう。私も先生も慣れない状況で防戦一方になってしまう。
「うおお?!ヌルガイさん凄いっす!俺達このまま勝てるかも・・・!」
「まだだよ典坐!押してるだけでの隙を突けてない!センセイなんて掠る気配も無い!」
「確かに!自分まだまだっすね!」
「へへ。けど楽しいなこれ!」
「でしょう?!雪が積もったなら遊ばないと!」
典坐とヌルガイが仲睦まじく笑い合っている。無数の雪玉から頭を死守しつつもあまりのときめきで鼻息が荒くなる私だったが、本当に切り返しの糸口が見つからない。
その時だった。
「。冷静に」
先生の声は、降り頻る雪の様だ。静かに、確実に、私の内へと染み入る。
「君は知っている筈だ。何故私が、盲の身で全弾避けられているのかを」
的確な導きが、私の視界を変えてくれる。単純な目ではなく氣で見る。素早い雪球がどの軌道で向かってくるか、二人の筋肉の動きに至るまで手に取るようにわかる。
「どこが勝ち筋か、君なら必ずわかる」
前衛と後衛に分かれ臨戦体制を取るふたりの間に、確かな隙がある。典坐とヌルガイの身体からじわりと溢れる氣の切れ目。間違いなく、そこを目掛けて振り抜けばヌルガイの顔を狙える。
勝ち筋は確かに見えた。
先生に、勝利を―――
「・・・っ」
狙いを定めて振り被る刹那、身体がぴくりと硬直したように動かなくなった。白熱する雪合戦の真っ只中、自ら的になることが何を意味するか、わからない私ではない。また、ヌルガイの優れた動体視力が間抜けな私を見逃す筈も無い。
仕方無いか。へらりと笑いたいような。
先生ごめんなさい。悔しくて天を仰ぎたいような。
どちらにせよ顔面で受け止めざるをえない衝撃に歯を食い縛った次の瞬間、私の視界は素早く影に覆われることとなった。
私の頭を正面から抱き抱える、強くて優しい手。
弔い鈴が、私の顔のすぐ近くでチリンと音を立てる。
「っ・・・せん、」
私の呼びかけは、雪玉の衝突する音に被さって言葉にならなかった。先生の後頭部は今細かい雪まみれになっているだろう。
「あちゃあ・・・」
「大丈夫っすか先生!」
「問題無い。今投げたのはヌルガイか」
呆然とする私の目の前で先生は背後を振り返り、心配顔の典坐とヌルガイに向かって頼もしく頷いて見せた。
「なかなかやるな。“見”直したぞ」
「・・・先生、また強引な」
「む。いまいちだったか」
「よくわかんねーけど褒めてくれたのか?ありがと」
心臓がバクバクと煩い。
先生に身を挺して庇って貰えて、嬉しいのか舞い上がってるのか。でもきっと、今口にすべきことはそんなことじゃない。
「先生。すみません」
「ん?」
「折角教えて貰った勝ち筋を、自分から捨てました」
遊びではあるけど、先生の期待を裏切った。申し訳ないことをした。
でも、どうしても出来なかった。
「その・・・二人の間に、何も投げ込みたくなくて」
私が投げたその一筋が、典坐とヌルガイの氣を繋ぐ薄い隙間を断つだなんて。勝つ為に必要なことでも、身体が言うことを聞かなかった。
だって、大好きなふたりだから。このふたりを離れ離れにしたくない。私の切実な願いのひとつだから。
お叱りは覚悟の上で正直な気持ちを話すと、ほんの数秒を空けて頭の上に手が置かれた。
「君らしいな」
優しい手だ。先生の手は、穏やかな夜の月明かりに似ている。こんな訳のわからない私にそっと寄り添ってくれる、有難くて大切な存在だ。
「ほら。そんなことより顔を上げなさい」
その声に導かれた先、私は眩しい光景を目の当たりにする。
「やりましたね!ヌルガイさんのお陰っす!」
「へへ。典坐もなかなかやるじゃん」
両手をパチンと合わせて、ふたりが笑っていた。楽しげで、仲が良くて、雰囲気が温かくて。
「君が見たかったものはあれだろう」
「・・・はい」
こんな二人が見たかった。これから先、典坐が生きて一緒に島を出られさえすれば、いくらでも機会はあった筈の尊い景色。私はツンと込み上げるものを強引に飲み込んで、先生を見上げた。
「さっきは庇って下さって、ありがとうございました」
穏やかな横顔が、私の声につられてこちらに向けられる。ありがとう。何回口に出しても足りない、私の最高の先生。
「先生、格好良過ぎです」
「なんの。女性の顔を雪玉から守れない様では、男としても師としても面目が立たないからね」
「えっ・・・まさか面“目”?!ひぇぇ高等技術・・・!」
いちいち細かく拾ってしまう私の反応に、先生が控え目ながらも可笑しそうに笑ってくれるから。私も嬉しくなって、一緒に笑う。
ああ、こんな日が来ればどんなに幸せかな。