畳敷きの一室で布団に横になり、虚ろな顔で天井を見上げていた男は、見舞いに来た私を目の端で捉えると、瞬間驚いた末に皮肉な笑みを浮かべた。
「一瞬誰かわからなくて焦ったよ。随分と男前に仕上がってんな」
「・・・ありがと」
私の髪は今、目の前の期聖よりも更に短くなっている。漫画で印象的な断髪でのイメチェンといえば、中忍試験のサクラちゃんとか、喧嘩に巻き込まれたあかねちゃんとか。ふんわり可愛らしいショートカットになると勝手に思い込んでいたのだけれど、ポニーテールの根本からばっさり断ったせいか、自然と整えるには随分と短くなり過ぎたというのが現実だ。
あれから数日。自分でも頭の風通しの良さに落ち着かないのだから、見知った間柄から二度見されるのは無理もないこと。市中を歩けば、男か女か判別しかねるような奇妙な目で見られることも致し方なし。女だと侮られることが問題だったのだから、この際男と見間違われるくらいで丁度良い。胸がほぼ平らなことはプラスに受け止めよう、それが良い。
「聞いたよ。大暴れしたんだって?絞られたろ」
「あー・・・そりゃあね、じっくりと」
あの後私は別室にて、衛善さんと先生から二重のお説教を受けた。怪我が無かったから良いようなものの、安全確保もせず頭すれすれを刃物で切り上げるとは何事か。いくら我を失っていたとはいえ言葉が汚過ぎる、クソは止しなさいクソは、などなど。正直返す言葉も無かった。正座で縮こまり粛々とお叱りを受け止め続ける時間は確かに苦行だったけれど、二人とも私の島行きを取り消そうとは言わなかったし、最後には侮蔑への健闘を讃えてくれた。勿論、それは羅芋からの強烈な煽りを耐え抜いた時点までの評価で、最終的に爆発してしまうあたりまだまだ未熟だと念も押されたけれど。
「羅芋の腰抜かす現場見たかったよなぁ。何でそんな面白ぇことを俺不在の時にするかな・・・」
愉快そうにケラケラと笑っていた期聖の表情が、起き上がろうとした途端に苦痛で歪んだ。今だって私が来たから普段通りを装っているだけの筈だ。虚偽を看破されない為意図的に作り出した体調不良は、自然に罹り治る風邪とはまるで別種のものだ。どんなに、辛いだろう。胸にチリと焼け付く様な痛みが走る。私は出来る限りそっと、兄弟子の身体を布団に押し戻した。
「無理に起きなくて良いよ、寝てなって」
「何、優しいじゃん。今夜あたり雪でも降るかな」
「真面目に心配してんの」
「へーへー、じゃ大人しくしてようかね」
先生の家に居候する私と違って、期聖は道場の敷地内で暮らす門下生のひとりだ。病人のため離れで休まされてはいるけれど、いつ誰が通りがかるかわからないこの部屋では本音の部分は話せない。軽口を装いながらも額に薄ら汗をかく、この苦しみを目の当たりにしながら、元凶である私は謝ることも許されない。
「今朝、期聖の代理として、私の名前が正式に幕府から認められたよ」
ごめん。私の為に毒まで飲ませて苦しめて、本当にごめん。何も聞かずに協力してくれて、心の底からありがとう。口には出せない思いを何とか違う形で伝えようと、私は正座の上についた拳を強く握り締める。
「・・・絶対、無駄にしないから」
無駄になんかしない。期聖が繋いでくれたチャンスを、絶対に一番良い形で活かしてみせる。
「期聖の代理、必ず全力で務めて来るから」
「・・・んな顔すんなって」
期聖の声のトーンがひとつ落ちる。ほんの一瞬見交わした視線に、揶揄いや誤魔化しの気配は無かった。誰に聞かれるかわからない会話で、こんな顔をすべきじゃない。感傷に揺れて、直接の被害を被っている相手から諫められるだなんて、私は未熟者だ。
何事も熱意が薄くて、ひとを皮肉ってばかりで。でも、こんな時でもぶれずに本来の目的を見失わない。目の前に臥せる兄弟子の聡明さを、私が今になり痛感したその時になり、期聖は見慣れた軽薄な笑みを浮かべた。
「俺の代理なら一蓮托生。“分け前”だけ期待して待ってっから」
上手い返しだった。一見すると、代理で就いた私の報酬は己にも分け前を求める権利があるという、少々無理はあれどこの兄弟子らしい言い分だ。でも実際のところ“分け前”とは“追加請求”のことだと気付けない私ではない。
私と先生が島から戻った後、期聖に途方も無い負担をかけた償いとして求められる後払い。未来への期待。生きて帰れという、遠回しな激励。私が、どうしても軽率に約束できないもの。
「・・・煩悩ばっかりだと、良くなるものも良くならないんだからね」
「わかってねぇなぁ。先立つものがなきゃ人生干乾びるっての」
優先すべきは普段通りの空気を装うことだ。私が逃げても深追いはしない。期聖の頭の良さを、今日も私は利用した。
その時だった。ミシ、と存在感のある足音と共に襖が開かれる。新たな見舞客は私の姿を認めるなり、小さく目を見開いた。
「・・・出直そう」
「いいよ源嗣、私が帰るから」
譲るなら私の方だ。席を空けようとすると同時に、布団の中から伸びてきた期聖の手が私の稽古着を捕まえた。病人の手を振り払うことは物理的には容易くとも、心情的にはかなり難しい。何事かと目を丸くする私と源嗣の二人を見遣り、期聖はわざとらしく盛大な溜息を吐いた。
「見舞いの定員は一人って誰が決めたんだっつーの。ゴリラもでかい図体で扉塞いでねぇでさっさと入ってこいよ」
「・・・邪魔をする」
このまま此処に居ても構わないということだろうか。私が多めに幅を取り横にずれれば、隣に源嗣の大きな身体が収まる。期聖の口端がニヤリと上向いた。
「聞いてくれよさん、こいつ毎日ここで今日はあれが出来なかったこれが出来なかったって、一人反省会。暇人過ぎて笑えるだろ」
「反省ばかりではない。軟弱者がこれ以上腑抜けていかない様、道場の様子は逐一伝えねばと」
「一切頼んでねぇっつーの」
「まったく口の減らん奴め」
期聖の憎まれ口はいつにもまして絶好調だし、源嗣は普段より少し多弁だ。毎日ここに通い詰めていることは本当だろうし、私と羅芋の件を詳細に話して聞かせたのはきっと源嗣なのだろう。穏やかな思いで、自然と笑みが零れた。
「優しいね、源嗣」
「何」
「期聖が淋しくないように皆の様子教えてあげてるんでしょ」
お互いに決して認めはしないだろうけど、この二人は同期で仲が良い。起き上がることも儘ならない期聖の為、毎日の出来事を余すことなく伝える源嗣の姿が目に浮かぶようだった。
「病気になると心細くなるもんね」
「俺は心細くねぇけど 」
「この期に及んでどんだけ強がりなわけ」
「褒めてくれてどうもありがとよ」
まったく褒めてないし素直じゃないものの、相手は病人だ。私は溜息をひとつ、改めて隣に座る大きな兄弟子を見上げた。期聖はゴリラなんて呼んでいるけど、どちらかというと熊を連想させる、相変わらずの巨体。私に対する視線も接し方も、三年前の入門当初と比べれば随分柔らかくなったように思う。
「でも本当にそう思うよ。源嗣は太刀筋は豪快だけど、心配りはすごく細やかだよね。前も寝こけてた私に上掛け用意してくれたし。ギャップ・・・あー、意外性っていうの?勿論、良い意味でね」
「・・・意外と言うならば、殿もそうだろう」
おや。思わぬ返しにきょとんと目を丸くしてしまう私に対して、源嗣が浮かべた表情は至って真剣そのもので。
「普段の様子からして、あの様な激昂を秘めているとは到底考えもしなかった」
「う・・・なるべく早く忘れて貰えると有難い」
真面目な調子で痛いところを突かれ、私は青い顔を掌で覆った。意外、そりゃあそうでしょうとも。私だってあんなキレ方出来るなんて自分自身にびっくりしてるんだから。どんどん小さくなるばかりの私を見遣り、期聖の愉快そうな笑い声が布団の中から水泡の様に浮き上がる。
「っははは、諦めろって。十年先まで語り継がれる大喧嘩しちまったんだから」
「いやいやいや・・・私他人にああいうブチ切れ方したの本当に生まれて初めてだから。あんなキレ散らかす人間だって語り継がれるのは不本意過ぎるっていうか・・・」
「へぇ。そりゃあ余計に直接見たかったわ」
お願いだから感心したように言わないで。あの日だって先生と衛善さんに対して、あれが素だと思わないで欲しい、あんな暴発は誓って初めてなのだと頭を擦り付けて懇願したものだ。二人は呆れながらも理解を示してくれたし、後々騒動を詫びて回った典坐や佐切たちも同じ様に戸惑いはあれど私の本気度合いに寄り添ってくれた。とはいえ、人の口に戸は立てられないものだし、何より羅芋本人の声の大きさを忘れてはいけない。ああ、漆黒の死神を打ちのめした化け物級に苛烈な女として私は山田家に悪名が残っていくんだ。不本意だけれど、道場中の人間に申し開きをして回る暇も気力も今の私には無い。諦めの境地で眉間に皺を寄せる私に対して、源嗣が向ける視線はそれでも真っ直ぐなものだった。
「あの烈火の如き啖呵と、その髪が示す潔さ。どちらも殿が御役目に対し真剣である証だと、拙者は捉えている」
「源嗣・・・」
潔い。源嗣の表現が暗雲を伴わないことははっきりと伝わってくる。あの源嗣が。女は剣の道に相応しくないことを根幹とする源嗣が、私が御役目に参加することを認めてくれた。それだけで、私にとっては大きな意味を持つ。
「だが、期聖から引き継ぐ殿の担当罪人はいがみの慶雲。手に負えぬ死罪人として、特別な牢に幽閉されている屈強な男だ。対して、拙者の担当はころび伴天連の茂籠牧耶。教祖として悪行を重ねた者ゆえ口は達者だろうが、体躯の面では慶雲と比べれば遥かに並寄りな男だ」
源嗣が私を認めてくれた上で、何が言いたいのか。ここに来て漸く見えた先行きに、私は思わず苦笑を浮かべてしまう。
「女の腕力で慶雲を御し切ることに不安があるのなら、拙者と死罪人の担当を交換することも今なら出来るのではないかと。拙者の一存では厳しいが、衛善殿に掛け合えば・・・」
「・・・やっぱり優しいね、源嗣」
いがみの慶雲。ころび伴天連、茂籠牧耶。どちらも知っているし、体格の視点でなら確かに慶雲の方が圧倒的に厄介だ。私を認めることとは別の話として、女の体躯との相性を考えるなら、事前に担当を取り替えようという提案は、源嗣らしい考えだとも理解出来た。
でもその気遣いは、私には不要のものだ。
「出来る、出来ないの話じゃない。やると言ったらやるよ、絶対に。私が女だからとか、担当罪人が手に負えないとか、そういうことを理由に一歩も退いたりしなくて良いように・・・今日まで、鍛えてきた訳だから」
源嗣の考えを否定はしない。女が筋力で男に劣ることなんて最初から承知の上だ。だからこそ私は先生のもとで鍛錬を積み、氣の学びで足りない部分を補ってきたのだから。
準備は出来た。期聖の代わりに慶雲を率いて島に上陸してからの動きも、皆の命を救う計画も、既に頭の中で組み立ててある。今からの変更は逆に難しい。
「気持ちだけ受け取っておくね、心配してくれてありがと」
「・・・殿」
「島ではお互い、ひとりの浅ェ門として最善を尽くそう。男とか女とか関係無しに、ね」
提案に乗ってあげられなくてごめんね。でも、きっと上手く立ち回って見せるから。私は言葉には出せない思いを精一杯浮かべた笑みを返したけれど、押し黙り俯く源嗣の胸中がうまく察せず、次の言葉を模索するのに時間がかかる。若干気まずい沈黙を破ったのは、呆れたような期聖の溜息だった。
「ったく・・・さんはこういうひとだってお前も知ってる筈だろ。鬱陶しいんだよ、言いてぇことはさっさと伝えろっての」
「言いたいこと・・・?」
担当の交換が本題じゃなかったってこと?別件で源嗣は私に言いたいことがあって、期聖はそれを知ってたから私を引き留めたってこと?まさかの流れに追い付けず、私は困惑の真っ只中だ。この妙に重い沈黙は何だろう、私が提案を蹴ったことと関わりが無いなら、どうして源嗣はこんな神妙な顔をしているんだろう。
「・・・拙者は、男と女は其々別の役割を持ち生まれてきたと考えている」
「うん、そうだね」
源嗣に根付いた考え方は知ってるよ。でも、努力や実力を無視するひとじゃないことも知ってる。だから、担当の交換を考えてくれたんだよね。私はそこで再度黙ってしまった源嗣の次の言葉を辛抱強く待った。
眉をきつく寄せ、 慎重深く息を吐き出し、自分自身の正しい言葉をかき集める。そうして彼が重々しく絞り出した、私に伝えたかったという本題、それは。
「だが先日、殿が山田家の女流御様御用として、佐切だけでなく妹の名を連ねた時・・・確かに拙者は、誇らしく感じたのだ」
思ってもみない告白だった。
羅芋から市中での騒動を咎められた、あの時。私は確かに、威鈴の名を出した。
『佐切や威鈴に続いて優秀な女流御様御用が増える訳だから、山田家も安泰安泰』
ただ、深く考えることなく、口から出た言葉。山田家の女流御様御用として名前を出すなら、佐切が一番なことは揺らがないけれど、二番手は威鈴だろうと。自然と認識していたからこそ紡いだことだ。なのに源嗣は酷く勇気を振り絞った様な顔をして、更には私に向かって頭まで下げた。
「あの場で妹を認めてくれたことに、感謝申し上げる」
「えっ・・・いや、そんな大袈裟な。顔上げてよ。私だけじゃなくて、威鈴のことは皆当然認めてると思うよ?」
本道場と分道場の確執は未だに根深く、多分この先もどうしようもない歪みだろう。でも威鈴が武芸指南役としてお城勤めをしていることも、裏許しとして名を馳せていることも周知の事実だ。彼女の強さは直接ぶつかり合って、私もよく知っている。特別なことを言ったつもりはないのに、こんなにも感謝されるとは思ってもみず、私はぐいぐいと半ば強引に兄弟子の頭を上げさせる。源嗣の表情は安堵と家族愛、そして自嘲が入り混じる、複雑な色をしていた。
「女は剣の道に不向きと考えながらも、妹の成長や成功は喜ばしく思ってしまう。我ながら大きな矛盾だ。笑って貰って構わない」
「別に何もおかしくないでしょ」
自己否定で切ない顔をするなんて源嗣らしくない。それに、大好きな家族の話をするのに恥じたりそんな切ない顔をする必要なんてどこにもない筈だ。私は精一杯、歳下の兄弟子の言葉を否定することを決める。
「威鈴は源嗣譲りの剛剣で強いし逞しいよね。でもふとした瞬間の仕草はすっごい可愛い。頑張り過ぎると泣いちゃうくらい一生懸命だし」
遡ること二年近く前になる、分道場での試合を経て、私と威鈴の関係は友達未満顔見知り以上のものへと変化した。特別仲良くお茶をしたりする間柄じゃない。でも、何となく意識し合って、お互いの領分で困ってたら手を貸す様な、礼節を持った関係だ。本道場とか分道場とか、下らないことは取っ払って尊敬できる女の子。少なくとも私は、威鈴のことをそうやって認識していた。あと、誰より高身長なのに時々めちゃくちゃ可愛いのは、あの子の内から滲み出る魅力としか思えない。おのれ珠現、あんな健気で分かりやすい好意をスルーし続けるとはなんて奴。これは兄である源嗣には内緒だけれど。
「あんな素敵な妹さん、考え方ひとつで収まらないくらい大切に思うことは、全然変じゃないよ。愛があるからこそ矛盾するっていうか・・・むしろ私が源嗣なら、毎日考えがコロコロ変わって威鈴を困らせちゃうかもね。あの高身長なら役者も夢じゃないし、綺麗な顔立ちだから派手な柄の着物も貢ぎ甲斐がありそうだし、でも本人の希望通り剣術極めさせてもあげたいし、心が二つも三つもあるー!!我が妹は日の本一ィ!!て感じ」
「・・・」
「源嗣ってば、考えが矛盾してるなんて、私がそんな意地悪なこと本気で言うと思った?男女の違いに重きを置く源嗣の考えはわかってるよ。でもそれは、家族として妹の成長を喜べることとはまったくの別問題でしょうが」
不思議。性別も性格も違うのに、兄妹だからかふたりは時々表情が似てる。今も戸惑ったような顔をする威鈴そっくりな源嗣に向かって、私は大きく頷き笑いかけた。
「源嗣は良いお兄ちゃんだよ。で、威鈴もひたむきに頑張ってる良い妹さん。ふたりは素敵な兄妹、それだけ。大事なひとを語る時は笑顔でいなくちゃ勿体ないよ、そうでしょ」
私が好きなことを語る姿を、先生は興味深いと、周りを照らす才だと認めてくれる。一時期オタクという呼び名で自分を貶めていたことを叱ってもくれた。私はそれから前向きになれて、格段に息がし易くなった。
だから、源嗣にも堂々と威鈴を誇れるお兄ちゃんであって欲しい。そう思うことは、私の我儘かもしれないけれど。
「殿は、拙者とはまるで違う枠組みを生きているのだな」
「はは。ごめんねぇ私変わり者でさぁ」
「へえ、自覚はあったんだな」
「うっさいよ期聖」
期聖との軽口の応酬で目を吊り上げる私を見遣り、不意に源嗣の雰囲気が緩む。
「・・・殿を見ていると、ひとは男女のふたつの分類で推し量れぬような気がしてくる」
ほんの一瞬の静寂。
私は信じられないことのように目を見張った。
「え・・・それって」
男女のふたつの分類で推し量れない。男と女は違うという、源嗣の考えの根底を覆す台詞だ。男も女も関係ないと主張する、歳上の妹弟子の言葉に理解を示してくれたことの証。私の動揺を悟り、気まずそうに咳払いをする源嗣の耳は僅かに赤い。
「・・・気がする、という段階だがな」
「うん!うん!全然良い、気がするでも全然嬉しい!」
「何もそこまで拙者の理解を求めなくとも・・・」
「嬉しいよ」
心の底から嬉しい変化に決まっている。
男女は別の役割を担った違う存在。あの島で、女である佐切は侍として不適格だというその頑なさが和らげば、凄惨な未来が変わる筈だ。もっと早い段階で歩み寄り、共闘が出来れば、きっと。
「源嗣も、勿論期聖も。私にとっては皆大事な兄弟子だから。私の考えを少しでもわかって貰えたら、嬉しい」
「・・・考えておく」
元より先回りしてそう誘導するつもりだった私の作戦が、想定外に磐石になりつつある希望に、気を抜けば涙ぐんでしまいそうになる程の喜びを懸命に飲み込んだ。
今は小さな変化でも、未来は大きく変わるかも。あれだけ強い固定概念を崩さなかった源嗣だからこそ、些細な予兆でもこんなにも嬉しい。思わずニコニコと頬が弛んでしまう私をよそに、期聖が意地悪く鼻で笑った。
「素直じゃねぇ奴。さんに礼を言うにはどうすりゃ良いかって毎日煩かった癖によ」
「期聖貴様・・・!」
「いやいや、素直じゃないって期聖にだけは言われたくない台詞だからね」
他愛もない談笑。それは、唐突に期聖が苦悶で顔を歪めたことで終わりを告げた。
源嗣が頭を起こすことを手伝い、私が水を用意して差し出す。程なく発作的な痛みは引いた様ではあるが、本調子には程遠い。当然だ、自ら毒を煽ってまで偽った不調なのだから。私はそっと布団の下で期聖の手を握った。
「・・・悪ぃ、少し寝た方が良いかもな」
「うん。ゆっくり休んで」
「軟弱者は余計な意地を張らず、静養に努めることだな」
源嗣の言葉は厳しさを装いきれない、優しさで満ちていた。
「あとの事は、拙者達に任せておけ」
「・・・ま、程ほどに気張って来いや」
源嗣の前向きな変化、その片鱗を感じた。彼がどんなに妹思いで、同時に仲間を大事にする男であるかも再確認出来た。期聖の為にも、源嗣をもう一度この部屋に返さなくてはいけない。同期であり大事な友を喪わせてはいけない。私は出発までのひととき毎に、こうして自分への戒めを刻み続ける。
「俺の代わり、よろしく頼むな」
「・・・うん。任せて」
布団の下で、期聖の手が私の手を握り返す。
出立は二日後に迫っていた。