「先生、私この光景が見たかったんです」

麗らかな春の日だった。私は念願の場に立ち会い、隣に立つ師にそっと語り掛ける。でも、視線は正面から逸らせない。瞬きすら惜しいくらいに、目の前のふたりが眩しくて尊くて堪らない。
流れ着いた小さな山村で、典坐とヌルガイは今日遂に祝言を挙げた。

「どうしても見たくて、何が何でも叶えたくて」
「それで弟子入りに押し掛けてきたのか」
「感謝してます。あんな無茶で強引なお願いを聞いてくれたのは、きっと先生だけ」

私はこの世界の人間じゃない。でも、この世界を知ってる。理由も原理もわからず、ただ突然放り出されたパニックの真っただ中、盲目の先生―――推しを目にした瞬間、不安より興奮が勝ったのだから、私はやはり根からのオタクだった。同時にこの先起こる悲劇を回避すべく、頭を地面に擦り付けてこの優しい先生、山田浅エ門士遠を巻き込み今に至る。先生の理解力と指導力には一生かかっても返し切れないほどの恩を感じている。貴方を知ってる、未来を知ってるなどと得体のしれないことを口走る私を信じてくれた。更には腹筋十回で引き攣るようなひ弱な私を、根気強く鍛え上げてくれた。素晴らしき指導のお陰で今や私の腹は憧れの形になっているが、その話は割愛しよう。

典坐を死の運命から救う。彼の在り得た可能性を、ひたむきで真っ直ぐな無罪の少女と共に未来へ繋ぐ。それこそが私がここへ飛ばされた意味だと確信した。ほら、こんなにも二人はお似合いで、零れる笑顔が太陽みたいに眩しくて、素晴らしい祝言だ。やっぱり、無意味なんかじゃなかった。私が何をしたところで何も変えられないって不安は嘘じゃなかったけど、先生に頼み込んで出来る限りの鍛錬をしたことは、無駄じゃなかった。

「こっちが幸せな気分。本当に、良い眺め」
「ああ、目を奪われる」
「っあはは、先生ってば」

気の良い山民たちに囲まれた主役のふたりが、私と先生を見る。ヌルガイが元気よく手を振って、典坐が照れ臭そうに頭を掻きながら本当に良い笑顔を見せてくれる。私と先生は揃って手を振り返した。

「先生」
「何だい」
「私、諦めません」

ここまでの道のりは無駄じゃなかった。

「この光景を、夢じゃなく現実にしたい」

だからこれから先も、無駄にしちゃあいけない。
これは私の夢。私の目指す終着点。現実じゃない、未だ、今は。

「先生に、本物の祝言を“見せて”あげたい」
「ほう。なかなかやるな」

私は初めて先生に向き直った。先生も同じく、見えない目で私を見下ろしている。私の願いを汲んでくれた、優しいひと。このひとに典坐を失わせてはいけない。怒りと自責の念で苦しむだなんて、先生にはそんな辛い思いさせちゃいけない。私が、させない。

「行けるか」
「はい。私、負けません」

きっとこの光景を現実にしてみせる。私がここへ、先生を導いてみせる。

「先生の弟子ですから」



* * *



ふらついた足で踏ん張り、伸ばされた腕を斬り払った。頭を横殴りにされて失神したのは恐らく数秒。大丈夫、まだ立て直せる。

「はぁー。なんだよ、大人しくなったと思ったのに」

心底うんざりした様な溜息で嫌そうな顔をする天仙。こいつを、朱槿を何とか抑え込むことが私の存在意義だ。自分の知識と先生の教えから氣を学び、自分の属性がこいつの相克、土だと知れた時の思い。運命だと感じた。所詮は天才でも能力者でも何でもない、ただ先のことを知るだけの私に齎された、天からの贈り物だ。どんなことをしても典坐を殺させない。相克の好条件を持ちながら、殴られて一瞬でも気絶しているようでどうする。うんざりしてるのはこっちなんだよ、再生技はどの作品でも反則なんだってば。

「こちとら、推しの未来紡ぐって決めてんだ」

腹の奥から煮え立つ怒りを抑え込めているのは、先生の教えがいつも頭の片隅にあるからだ。普通に考えれば泣いて逃げ出したくなる気持ちを忘れてここに立てるのは、大事なひと達の存在が支えてくれるからこそだ。ほんの一瞬の間に垣間見た、眩しく尊い祝言を思い起こす。ありがとう、私の逞しい妄想力。これでまだまだ、戦える。

「オタクの底力を舐めんなよ、くそったれが」

口の中が切れて溢れた血を、暴言と同時に吐き出す。ひとつの瞬きと同時に、私と朱槿の距離が大きく広がった。

「言葉が汚いぞ、目に余る」

一陣の風と共に現れた先生は、お小言混じりに私をそっと地面へ降ろしてくれた。えっ今抱きかかえてくれた。極限状態でも私はやはりオタクなのでドキドキしつつも、二人並んで改めて刀を構え直した。正しい姿勢、いつでも冷静な目を。でも、今は確認すべき大事なことがある。

「先生、典坐は・・・」
「致命傷は避けられ、処置も済んだ。君の“先見の明”のお陰でな」

どうしようもなく心が揺れて、ほんの一瞬刀を持つ手が震えた。会敵は避けられなかった。典坐を無傷のまま逃がすことは出来なかった。でも、生きてる。あの悲しい別れから、運命は分岐出来た。三人を逃がして先生だけが戻って来てくれたということは、きっとヌルガイが典坐を見てくれている。良かった。ひとつでも、役に立てた。

「心から礼を言う。私は大切な弟子を失わずに済んだ」

ああ、嫌だな。今だって強敵を前にした大事な局面なのに、先生の声がこんなにも沁みる。途方も無い旅路はまだ半ばだけど、それでもこの優しい声に認められるだけでこんなにも胸が熱くなる。

「後は私に任せて下がっていなさい」
「だが断るってやつですね」

潤みそうになった視界を強引に擦り、私は半歩前に出る。まだ、安心して泣いて良い状況じゃない。私のやるべきことは、依然として目の前にある。

「典坐とヌルガイだけじゃない。私は先生も推しなんです。絶対、生きて返します」

訳のわからない単語ばかり並び立てる私を、先生は律儀に理解してくれようとしているのに。いつも無理ばかり言ってごめんなさい。心配ばかりかけてごめんなさい。でも、お願いだから。この島にいる間だけでも良いから、どうか。

「筋金入りのオタク魂、信じてください」

いつも静かで整っている先生の氣が、僅かな一瞬丸くなる。実際には隣合って抜刀しているのに、温かな手で頭を撫でられたような、そんな錯覚を覚えた。

「君は本当にぶれないな」

視点は目標から逸らさない。それでも、先生の柔らかな声が私をまたひとつ強くしてくれる。

「ならば心しろ。君もまた、私の大切な弟子のひとり。典坐を生かして君を失っては、目も当てられない」
「はー・・・尊すぎてつっこめません」

推し自らの供給が手厚すぎて、私はきっと今人生における全ての運を放出し続けている。いや、この島にいる間に使わないでいつ使う。ひとまず窮地はひとつ乗り切ったが、まだまだ島を脱出するまでの道のりは長い。覚悟しろ朱槿、私はあんたを大事なひとたちから遠ざける為だけにここへ来た。

「狙いは丹田。奴を斬るのは私が適任です」
「例の属性と相性とやらだな、承知した。私は裏から補助しよう、呼吸を合わせるぞ」
「はい、先生」

夢に見た祝言の席へ、必ず先生を連れて行く。私たちは同時に地を蹴った。