未知の島に送り込まれて、三度目の夜が明けた。
見た目は人間だけど化け物以上に脅威な相手“てんせん”を倒す為に、皆疲れ切って、深い傷を負った。同等の敵があと六体、考えるのも放棄して泥の様に眠って。やがて太陽が昇り島を出る為の仲間が増えて、オレ達は隠れ拠を洞窟に移した。
はまだ目を覚まさない。凄い数の傷はくまなく塞いで、センセイの言う通り“タオの相生”を皆で作って消耗を補ったのに、閉じた瞼が開く気配は無い。
オレのことを、“推し”だと言ってくれる。よくわかんねーけど、心の底から好きで元気の源って意味らしい。少し変わってるけど、はすごく良い奴だ。ぎゅっと抱き締めてくれる腕も、絶対嘘じゃないってわかる好意も、が全力で向けてくれるあったかいものが、オレはすっかり好きになっていて。だから、今目の前にある光景がどうしようもなく辛いんだ。
「・・・センセイ。の様子、どう?」
目を覚まさないを心配して、皆入れ替わり立ち代わり此処へ来る。声をかけたり、脈や顔色を見たり、その度に静まり返った様子に少し淋しい気持ちを覚えて離れていく。でも、誰が近付いて来ても誰が立ち去っても、センセイだけはの傍を離れない。石みたいに固まって、息をしてるかも心配になるくらいじっと身を強張らせたまま、そこにいる。オレを振り返る表情は暗かった。
「そうだね・・・特段、変化は無いようだ」
「・・・そっか」
皆が此処に移動してきてすぐ、センセイはオレ達全員にこれまでの話をした。が何年も前から、今起きてる出来事を知っていたこと。避けられない役目だから、何とか一緒に乗り切ろうと鍛錬を積んでここまで来たこと。センセイだけがそれを知っていたこと。そしてそれを、口止めしていたこと。
オレは典坐と一緒に既に聞いた話だったけど、もう一度聞いてもやっぱり全部を理解は出来なかった。規模が大きすぎる。とてもじゃないけど、人間の手に負えることじゃない。
全部話した後に、センセイはオレ達皆に頭を下げて謝った。は悪くない。責めるならじゃなく、隠そうとした自分に向けて欲しいって、何度も繰り返した。センセイを怒る奴なんか誰もいなかった。勿論、に対してもそうだ。は此処で起きてる、現実とは思えないような厄介事から、どうにかして皆を救いたくて。センセイは、そんなが一人で無茶するんじゃないかって、守ろうとしたんだ。センセイもも悪くない。どうしようも無かったことだ。誰もふたりを責めないし、皆でこれから島を出る為に力を合わせなくちゃいけないのに。
どうして、は起きてくれないんだ。がいなきゃ、駄目なのに。が起きてくれないと、センセイが―――
「大丈夫っすよ、ヌルガイさん」
明るい声が降って来た。典坐がオレの頭を撫でて、笑顔を向けてくれる。目と目が合うと、少しだけ元気を分けて貰えるような気がした。
「今はまだ、起きる準備が出来てないだけっす。ほら、激戦だったでしょう。身体の傷は塞がっても、氣の方が追いついてないんだと思うっす」
「そっか・・・、たくさん頑張ってたもんな」
ムーダン。はあいつのことをそう呼んでた。一度助けた典坐を絶対に殺させない。仙汰のことも花にさせない。その為に倒さなきゃいけない敵だって、強く拳を握りながら繰り返す硬い表情を忘れられない。は奴を倒すことに全身全霊の力を使い切ったんだ。仲間を守って前に進む為に、自分が血だらけになることも構わないで。すぐには起きられなくて当然だ。典坐に言われてやっと、オレは少し心の余裕を取り戻した。
「センセイ」
センセイは小さくオレを振り返る。オレたちとは違う視界に、ずっと動かないはどんな風に映っているんだろう。傍で目覚めを待つしか出来ないのは、どんなに淋しい気持ちがするんだろう。だからオレは、なるべく明るい声を出そうとした。
「オレ、と約束したんだ。センセイと典坐と、オレと。四人揃って島を出るって。四人で守り合って、一緒に戦うって。典坐の言う通り、沢山傷付いたから、きっと起きる準備に時間がかかってるんだと思う。は約束を守るよ。もうすぐ起きてくれるよ」
がオレ達のことをこのまま放っておく筈が無い。はきっと目を覚ますから。だから、お願いだよ。
「だから、そんな顔しないでよ、センセイ」
悲しい顔をしないで欲しい。目を閉じたままで笑いもしないと、ひとりで辛さに暮れるセンセイの組み合わせは、見ているだけで心臓が痛い。
オレの言葉にセンセイの顔が一瞬固くなった。少しの間を置いて肩から溜息を吐くように、弱い苦笑で俯く。
「励ましてくれて、ありがとう」
「ううん、オレもが心配だから・・・」
「・・・典坐も、すまないな」
「何言ってるんすか、先生」
両手を腰に当てて笑う典坐は明るくて、力強くて。今ここで元気を無くしてるセンセイの分まで、ひとりで補おうとしてるんじゃないかって、オレは理由もなくそんなことを漠然と考えた。
「さんのこと、一番信じてるのは先生でしょう」
「・・・ああ、そうだな」
を一番に信じてる。の一番近くで、誰よりその目覚めを待ち望んでる。それはセンセイだって、オレにだってよくわかる。センセイは典坐の言葉に困った様な顔で弱く笑って、またの方を向いたから表情が読めなくなった。意識の無い手をそっと握る様子は優しいのに、センセイの背中は泣いているようにも見える。
お願いだよ、早く起きて。このままじゃ、センセイが可哀想だよ。
「ここは先生に任せましょう」
「うん・・・センセイ、が起きたらすぐ呼んでくれよ」
センセイは黙って頷いてくれたけど、もうこっちを振り返らない。典坐に促されて、オレたちはその場を後にした。
センセイはいつも冷静で、頼りになって、いてくれたらそれだけで安心出来るひとだって、は誇らしげに教えてくれた。
でも、は知ってるのかな。の目覚めを待つセンセイが、見ているだけでこっちが悲しくなるほど弱くなっていること。放っておいたら、消えてしまうんじゃないかってくらい、儚く見えること。の手を祈る様に握りしめるセンセイの手が、少し震えていたこと。
ふたりを取り巻く色んなことが、温かいのに淋しくて、オレはどうしようもなく不安な気持ちに駆られる。そんな時だった。
オレと典坐の前に、何処から出てきたのかわからないけど、杠が立っていた。
「今更だけど、あんたが典坐。“太陽”クンよね」
「はい?」
「んであっちの粋面先生が“花泉風月”っと・・・」
を寝かせた場所からは少し離れている。杠は目の前に指で丸を作って覗き込んで、不思議そうな顔で首を傾げた。カセンフウ・・・センセイのことを何て言ったのか、オレも一回じゃ聞き取れなくて、杠と同じ方向に首を傾ける。
「本で読んでたのと随分印象が違うわね」
「・・・本?」
「そ。暇潰しに読んでたけど結構ハマってさ。実物はどんなかなぁって思ってたんだけど・・・見た感じ、どっちかっつーと先生の方が愛激重で自壊しそうって感じ」
杠の言っていることの全部がオレにはわからなかった。でも、その後ニタリと浮かべた大人っぽい笑顔が、良い意味じゃないことはオレにもわかる。
「意外だけど面白いじゃん。ああいうオトコって嫌いじゃないのよねぇ。突っついてみよっかなぁ」
よくわからない。でも、本能的に嫌な感じがする。思わず止めようとオレが手を伸ばすのと、典坐が杠の進路を身体ごと妨害するのは同時のことだった。
「今はちょっかい出すの、止めて欲しいっす」
「あら。あんたはこの手のことはてんで初心だと思ってたのに」
「自分は確かに馬鹿っすよ。けど、大事なことは譲れないっす」
典坐は真剣な顔をしていた。
「上陸してから・・・いや、それよりずっと前から頑張り続けてきて、先生もさんも限界で。さんが目覚めた時、一番近くにいるのは先生じゃなきゃ駄目な気がするんすよ・・・お願いします、今はふたりをそっとしておいて欲しいっす。この通りっす」
硬い声は、疑い様もなく先生とを思っていて。罪人相手に迷い無く頭を下げる漢気も、信じられないくらい真っ直ぐ過ぎるもので。オレは少しの間、瞬きも忘れてその姿を見つめた。
男が女に頭を下げることを、頭の固い侍連中は恥だなんて呼ぶらしいことは知っていた。でもオレは、目の前にいる典坐を恥ずかしいだなんて欠片も思えない。身体を張ってふたりの時間を守ろうとする姿勢が、ただひたすらに眩しい。
「・・・冗談だって。揶揄おうと思ったけど、そのマジな感じに免じて止めとこーっと」
「あざっす・・・!」
「勘違いしないでよ。その代わりあんたから色々答えて貰うから」
「えぇぇ?何すかその色々って」
「色々よ。ほら、私さぎりんのこと好きだからさぁ、本とあんたの実体験を比べてああだこうだって、作者さんに新鮮な感想を届けたい訳よ。ま、ついでだけど、仙汰にもね」
やっぱり杠の話すことのほとんどについて行けない。でも、少なくともセンセイとの間に入ろうとしたことは冗談で、進路が安全な方へ変わったことはわかる。オレはそれだけで、心底ほっとしていた。
典坐の言う通りだ。冗談とか、揶揄いとか、心配以外の気持ちで近付くならやめてほしい。の目が覚めた時、一番近くにいるのはセンセイが良い。あんなに辛そうな今のセンセイをどうにか出来るのは、きっと以外にはいないと思うから。
示し合わせた訳じゃなかったけど、典坐とオレは同じことを願っている。ほんの少し、指先が温かくなったような気がした。
「良いっすけど。話なら、ヌルガイさんも一緒に聞いて貰いたいっす」
「え?」
突然だった。完全に置いてきぼりだったオレを、典坐が力強く仲間に入れようとしてくれる。
「ヌルガイさん。佐切さんと仙汰くんが作った本、興味無いっすか?」
「本?」
「本土にいた頃のさんを中心にした、えー・・・ズイヒツ、って種類の記録っす」
「そこ突っかかんの?馬鹿って物理的に馬鹿って意味?」
「そうっすよ悪かったっすね・・・!」
佐切と仙汰が作った、の本。オレは目を丸くしながら、 考えもしなかったことに胸を躍らせていく。
「このひとが知ってるってことは、どうやらこの島に持ち込まれてるみたいなんすけど・・・ヌルガイさんの知らないさんの話、知りたくないっすか?」
「知りたい!聞きたい!」
「っはは、良い食い付きっすね!」
「あ。先に読んだ読者として付け加えるわ。主役はあのお姉さんだけど、かなりの頻度で同居のふたりも出て来るって感じ。割と平凡な話が多いけど、良い感じに笑えて良い感じに和むわよー。あ、あの男前な髪型になる下りもあったわね」
「ええっ?!見たい!見たい!」
オレの知らない、の本。典坐とセンセイが沢山出てくる、本土にいた頃の話。付き合いは確かに短いけど、オレを好きだって言ってくれるを取り巻く世界に、興味無い筈が無い。
センセイと典坐との三人暮らしはどんな楽しい光景だろう。この島に上陸する前のは、どんな様子だったんだろう。髪はもっと長かったってことなのかな。ありったけ、知りたいことばかりだ。
「さんはヌルガイさんのことも推しって言ってましたから。きっと、ヌルガイさんにこれまでのさんを知って貰うこと、喜んでくれると思うっす」
「そ、そうかな」
「間違いないっすよ。さんが目覚めるまでの間、一緒に見せて貰いましょう」
が、目覚めるまでの間。心細くて不安だった時間を、典坐が目一杯に明るく塗り替えようとしてくれている。それがわかった途端、オレは嬉しいような苦しいような、不思議な気持ちで満たされた。
オレは死罪人だけど、担当の処刑人が典坐で良かった。心の底から、そう思う。
「・・・ありがとな、典坐」
私の太陽。が典坐を時々そう呼ぶ理由が、今ならはっきりわかる気がした。
「やっぱりオレ、婿はお前しかいないと思うんだ」
「ちょ、その話今するっすか?!」
「おっとー?面白いネタはっけーん。詳しく聞かせなさいよぉ」
ああ、早く。とセンセイが笑い合う姿が見たいなぁ。オレは杠とじゃれあいながら、そんなことを心に思い描いた。