2024.11.2
「めでたし きみごよみ」後書き
鬼滅は人気コンテンツであるがゆえ、UFOさんがその手のイベントに力を入れる企業であるがゆえ、毎年各キャラのお誕生日が盛大で可愛くて楽しそうで・・・その度、「いいなぁいいなぁ・・・!!!」とぐぬぬな気持ちであったことを白状します。各推しの誕生日に愛を捧げるフォロワー様方に、素敵!いいね!と思ってた気持ちも勿論本当!誓って本当!同じオタクとしてお友達の推し活は元気を貰える気持ちに嘘は無いのです。ただ、ちくしょぉぉぉ妓夫太郎にも誕生日設定があればなぁぁ!!という嫉みがあったのも本当でして。
ふと、思い至りました。設定が無いなら自分で勝手にご用意すりゃあ良いんだよなぁ・・・という経緯で四作は生まれました。余談ですがタイトル「めでたし きみごよみ」は前日に決まりました。
そもそも私の夢だって妓夫太郎に何とか幸せな未来用意したくて捏造に捏造を重ねた産物なんですから、幸せなお誕生日を捏造したって良い筈・・・ひっそりと心の片隅でお祝いしたって許される筈・・・!さて、ではいつに設定しましょう?となった際、結論として選ぶことは出来ず、枝分かれしているシリーズにあてはめ四季の四本で書いてみました。それほど季節感強くもなく、拙作未読な方にもわかるようなわからないような曖昧な路線ではございますが、ここに其々のあとがきのような振り返りを残させていただきます。
春「尊き日に」(「続・さかしきひと」閑話)
ここのふたりはお互いに、これまでのことも全部覚えているうえでの現代謳歌組ですので、平和な今の尊さを一番わかっています。幣シリーズの作中でも少しだけしのぶさん目線で触れたことがありますが、「時に熟年夫婦のような、時に初々しいカップルのような」ふたりです。(個人的に後者がとても大事で、いつまでもお互い大好きな気持ちは大事・・・!)この夢主は前世少年時代より妓夫太郎が周りから疎まれていたことを知っています。彼の優しさが理解されないことに憤り、腐りきっていた遊郭という町そのものを嫌悪していました。それゆえ妓夫太郎が自然と周りに溶け込み、友人たちに好かれている状況がどうしたって嬉しい。「本心はちょっとむむむ、だけどね」と言ってしまうあたり彼女の根っこは妓夫太郎くんファーストで妓夫太郎くん好き好き、なのですが。そうして好意を隠さない彼女ゆえに今の妓夫太郎が出来上がっていて、更に言うならそうした好意をストレートに口にすることが出来るようになった状況も夢主は嬉しいのですね。そしてどんなに照れ臭かろうが、どんなに性に合っていなかろうが、夢主の願いは妓夫太郎の願いです。彼女が言うなら多分妓夫太郎は花の冠でも今日の主役襷でも王様マントでも顔面ケーキでも何でもします、明確に妓夫太郎が嫌がるであろうラインは夢主も弁えてますので望んだりしませんが。この夢主が笑っていれば妓夫太郎も幸せ。妓夫太郎がちょっと笑ってくれれば夢主はさらに幸せ。優しいループ。ちなみにケーキ買い出し組は幸太郎と佐伯です。イベント用の話だと夢主以外のオリキャラ出すの難しいので泣く泣く・・・絶対佐伯は調子に乗り過ぎて絞められますが一番盛り上げにいってくれるので個人的に動かし易くて好きな子です。ほんとは入れてあげたかったけど断念。
夏「光は地に墜つ」(「芥子の箱庭」閑話)
善子ちゃん潜入より前の京極屋でのお話でした。鬼なので明確に夏生まれという訳ではなく、じゃあ今日ということにしよう、という短絡的なお話ではありますが。何かを為さずとも生まれた日というだけで持て囃される人間が妬ましい、という感情に僅かな寂しさを感じ取った夢主の機転によりこの妓夫太郎は夏生まれということに。豪華な宴会よりも、どうでも良い者達からの殿様扱いよりも、ただ大事な存在の傍にいられれば良い。それは命より大事なふたりを守り切れなかった後悔、記憶になくとも刻み込まれた恐怖への裏返しのようなものですが。鬼である妓夫太郎の強さは大事な者を守る為の苛烈さ、だと私は感じているので、そのへんも組み込んでみたお話でした。彼らは人間だった時のことなど記憶に残っていない鬼です。ただ、確証は無いながら多分三人一緒にいたんだろうなぁという強烈な原点だけを軸に生きています。無惨様の支配下にある以上、本当の意味の自由は彼らにはありませんが、三人で一緒にいるだけで彼らは幸せです。ただ、この夢主は戦力的に劣ることでの劣等感に苛まれており、いつもどこか一歩引いた位置にいます。兄妹はそんなこと気にも留めていませんが、夢主的には「無惨にとって利用価値が無ければふたりから引き離されてしまう」という恐れがいつもあります。そのへんのところ、口下手な妓夫太郎ではなくずばっと言える堕姫に繋がせる、というのも書きたかったことでした。
秋「リザーブノート」(「リプライズ・スコア」閑話)
気持ちが通じてから音大卒業までの間のお話でした。この時点でのふたりは気持ちは通じ合っても記憶は妓夫太郎の一方通行ですので、本当の意味では未完成です。ただ、それでも良い、もう一度巡り合えて近くにいられるそれだけで、その上気持ちが通じたなんて奇跡、という尊さを妓夫太郎だけが日々噛み締めてるわけですが。それゆえ、来年以降の約束なんてものは飛び付きたいほど嬉しいに決まってるんですがそんな簡単には言えない。しかしこの夢主は前世の苦い体験諸々が削ぎ落され、単純に「好き」だけを体現することに躊躇の無いピアニストですので、本当のところは伝わらずともまぁいっか、で収まります。我ながら相当に異質なパロであることは自覚していますが私は今作が結構好きなのです。クラシックでピアノマン、素敵。きっとこのノートは日々更新され続けいずれ一冊に収まりきらなくなるし、「謝花くんに喜んで貰う為にしたいこと」は彼女の中で尽きることが無いのでしょうし提案は続くと思いますが、妓夫太郎は律儀にそれを受け入れるのだと思います。ちなみに始まり方は本作の1話逆バージョンを少しだけ意識しました。日頃隣り合うパートナーが、ひとりピアノに向き合う姿。それは少し特別で、いつまでも眺めていたいような、やはり隣に行きたいような。妓夫太郎はとても優しい顔をしていたと思います。
冬「ことほぎ」(「さかしきひと 第一部」閑話)
ふたりが友情を結び直して初めて迎えたお正月。これは冬生まれというか、恐らくは時代柄「誕生日」という概念が上流の人間ならともかく庶民にはまだまだ薄くて、「正月に皆一斉に年をとる」文化だっただろうというお話です。末永い健康や明るい展望を願い迎える正月。今年も無事年をとれたのだと、自分事として嬉しく感じたことなどなかった妓夫太郎ですが、そこを正面から祝って貰えることへの戸惑い、半ば慣れてすらいた嘲りから全力で守られたことでの更なる戸惑い。明確な好意を自覚するには至らずとも、守られてばかりでは嫌だ、と子どもながらに決意の一歩なお話でした。大事にされるのは梅ちゃんばかりじゃなく、妓夫太郎も同じ。皆のめでたい日は、勿論妓夫太郎だってめでたい日。虐げられることに慣れ過ぎた妓夫太郎にとって、何事も最優先してくれる夢主は根本からして異質な存在ですが、日々戸惑いながらも優しい救いを見出していく過程のお話でもありました。ちなみに「夢主が石を投げ返す」は長編2話の回収でした。あの台詞は本心そのものでしたが、直接目の当たりにした許せない光景に、彼女の中で何かが確実に弾けました。本作夢主は基本妓夫太郎と一緒にいれば穏やかにこにこですが、彼女の本質にも怒りがあります。理解されることを諦めていた中で現れた、真正面から努力を認めてくれる優しいひと。妓夫太郎は考えもしないことではありますが、実のところ奇跡のような巡り合わせを尊く感じていたのは夢主も同じで、だからこそそれを害された時の怒りは普段の穏やかさと馴染みがなくともはっきりとしたものです。6話と最終話での反撃も然りですが。ここで書けて良かった。
時代やら設定やら異なる四編ではありますが、自分なりに妓夫太郎をお祝い出来たので、満足。そして四人の夢主はそれぞれの時代背景や設定に違いはあれど、元はひとりの夢主の分岐した姿なので根っこのところはやはり似ていて、自己満ではありますがこういうことが書けるまで続けてて良かった・・・!とも思っています。自分の書いたもので満足して健康でいられるならこんな良いことは無い・・・!これからも楽しく頑張ろう私!
たとえ推しに誕生日設定がなくとも自力でお祝いは出来ます。Xやここの拍手で励まして下さる、読んで下さる方がいることに改めて感謝です・・・!ありがとうございました!