note

2024.3.8

「夕星の導き」について


以下、作者による解釈語りのため別ページを設けさせていただきました。

幣夢「さかしきひと」シリーズのはじまりは、毒草に伸びた手を止める下りでは?という原点をひっくり返すようなお話で、もしがっかりされた方がいたら申し訳ないなと思いつつ・・・この設定は後付けではなく、最初からずっと私の中にあって、いつ出そうかと悩んでいたお話でした。
妓夫太郎の目線から見れば、夢主は危うく毒を食らうところから救ってくれた、なんでこんな自分に良くしてくれるのか訳がわからないところから始まった、眩しい幼馴染です。
そこには確かに、夢主の献身的な性分であったり、そもそもが妓夫太郎に寄り添える存在として生み出した夢主なので、その認識に間違いはないのですが・・・妓夫太郎もまた、自身は親から虐げられて愛など欠片も注がれなかったにも関わらず、自分より弱い妹という存在を虐げるのではなく慈しんで守る、「愛」と「優しさ」を誰に教わらずとも持っていた大変稀有な少年です。
妓夫太郎が夢主にばかり救われた訳ではなく、夢主もまた妓夫太郎の生まれ持った「光」に心を動かされたからこそ前向きになれて、あの日に繋がったという関係性を書きたかった、そんなお話です。

妓夫太郎は幼少期の夢主にとって、「初めて努力を認め讃えてくれた、一番欲してやまなかった存在」であり、同時に「大嫌いな町で初めて見つけた優しいひと」でもありました。
仔犬と接し、自分と同じ孤独な背中を見たあの瞬間から恋だったかと言われると少し違うのですが、恋へ繋がる何かが芽吹いた瞬間であったら良いなと思って書きましたし、そんな少年が危うく毒を喰らおうとした第一話は、夢主にとって是が非でも止めなければならない局面でした。
「助ける理由が1ミリも無くとも救ってくれた」という聖女的な夢主像をお求めの方には申し訳なく思うのですが、妓夫太郎という人間の善性や素敵な部分があったからこその、一方的じゃなく互いの救済のお話なんだ・・・ということが少しでも伝われば嬉しいなと思い、こんなものをしたためてみました。

作者ゆえ自分の頭の中でわかったつもりなことを読者様にお話するって必要スキルの筈なのですがあまり得意ではなく・・・お目汚し失礼いたしました・・・!