君は笑っていて



妹はひとしきり泣いて悔しがった末に、糸が切れたかのように眠りについた。火のついた状態から短時間で宥めるにはそれなりの労力を要したが、ひとまずの寝息を確認し、妓夫太郎は安堵した。

行商人一行が、上質な帯や反物を持ってこの街に現れると高札が出た。それ自体にはまるで興味を示さなかった幼馴染が、珍しい植物も大量に持って来るらしいという話に食い付いたのが、数日前のこと。ならばと当日になり仮設の店前で合流しようとしたところ、見るからに汚い身なりの兄妹は問答無用で追い返され、とは会わずにとんぼ返りする羽目となり今に至る。

いつものことだ。いちいち目くじらなど立ててはいられない。ただ、は目当ての植物を楽しめただろうかと。そうして妓夫太郎がぼんやりと思案したその矢先。

「・・・梅ちゃん、寝ちゃったんだね」

建付けの悪い戸口から顔を出したのは、今まさに案じていた幼馴染そのひとだった。

「・・・お前、なんで」
「お饅頭、こっそり持ってきたの。美味しいよ」

妓夫太郎たちが弾き出されてからそう時間は経過していない。追い返される現場を目にしたが、すぐさま自宅に引き返しこちらへ出直したことは明らかだった。
胸躍らせていた筈の機会を、何故自分ひとりでも掴みに行かなかったのか。妓夫太郎の内側でもどかしさが塒を巻いた。

「んなもんどうだって良い、さっさと戻れよなぁ」
「どうして?」
「あんなに楽しみにしてたじゃねぇか」
「そうだったかな」
「嘘つくなよなぁ・・・!」

寝ている梅が傍にいる手前、妓夫太郎はぎりぎりまで落とした声量で憤りを示した。
彼女は聡明だ。真意はきちんと伝わっている証に、取り繕うことを止め向かい合った表情は真剣だった。

「私ひとりで行っても意味無いって、わかったから」
「はぁ?お前、何言って・・・」

淡々と語る声は硬い。

「妓夫太郎くんと梅ちゃんと一緒じゃないなら、全然楽しくない。ふたりを追い返すような人たちから買いたいものなんて、何も無いよ」

こちらを見据える黒い瞳は、哀しみと憤りという相反するものを器用に携えており、妓夫太郎は困惑する。
何故だろう。にこんな顔をさせることに、途方も無い罪の意識が芽生えた。

「・・・お前」
「だからもう良いの。同じような機会はいつかまたあるかもしれないし、無くても全然困らないから」

は話はこれで終いとばかりに両手を合わせ、小さく微笑む。安堵していいものか、流しても良いものか、妓夫太郎は迷い子のような面持ちで俯いた。
この幼馴染はいつだって自分たちを最優先するが、本当にそれで後悔しないだろうか。本来なら叶うことを、彼女は万度願い下げだと何でもない顔をし続けるのだろうか。

「何で、わからねぇんだ」
「妓夫太郎くん?」
「俺たちのことなんか、いちいち気にすんなよなぁ・・・」

本来人並の人生を送れる筈のの、足枷になってしまうことが怖い。得難い友と理解しているからこそ、自分たちを理由に不幸になってほしくない。寂れたこの街でただひとり、外見を理由に忌避しなかった幼馴染だからこそ。

「俺はただ、ただお前に・・・!」

―――何も諦めることなく、幸せに笑っていて欲しい。

瞬間昂った感情とは裏腹に、思いは上手く声にならず胸中で絡まった。口下手さと照れ臭さが邪魔をして、頬が引き攣るばかりで何の音にもならない。
大事なこともまともに伝えられない、みっともない奴め。妓夫太郎がそうして己を貶め奥歯を食い縛った、その時。

「大丈夫だよ」

顔を上げた先に待っていたのは、普段と変わらぬ穏やかな表情だった。黒い瞳を細めて笑う、その優しい光景が己への嫌悪感を和らげる。柔らかな声が、表現しようのない不安を薄めていく。

「私が笑顔でいられる場所は、私が一番よく知ってるから」

何も語れずとも真意を汲み取り、考えもしなかった程の幸福な答えをくれる。尤も、それに対しても上手な返し方など心得てはいない。どうにもできない硬直の中、妓夫太郎の口に押し当てられたのは白い饅頭で。慌てて受け取り悪戯な笑みを小突いた頃には、胸に渦巻く自己嫌悪は形を無くしていた。


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