凍えて待つもの



「寒いーっ!!」

玄関先から悲鳴のような愛らしい声が飛んできた。ぐつぐつと煮立ち始めた鍋の火を一時止め、は呼び声に応えるべくキッチンを後にする。極寒の雪景色から無事帰還した、兄妹の姿が並んでいた。

「お帰りなさーい!」
「ただいまぁ!早く!早くあっためて!!」

荷物も下ろさず靴も脱がず、梅が玄関前で立ったまま背伸び混じりに催促するもの。心得ているとばかりに差し出した両手は、白い頬を包むと同時に強烈な冷たさに見舞われた。

「わっ・・・!つめ、たっ・・・!」
「はぁぁぁ・・・あったかい・・・」

美しい陶器の様な頬は、容赦の無い雪風に曝され冷え切っている。は求められるまま、労わる様に梅の顔中を代わるがわる手で覆った。刺す様な冷たさなど、可愛い梅がこの体温でほっとひと息ついてくれるのならばいくらでも我慢出来る。頬から始まり耳朶まで温かく揉みほぐされ、絶世の美少女はご満悦な様子だ。

「寒い中お疲れ様。お鍋もうすぐ出来上がるからね、コタツに入って待ってて」
「みかんは?」

大きな青い瞳が煌めき、甘えを全面に出して見上げてくる。これはどう頑張っても断れそうにない。念の為隣に立つ妓夫太郎に目で問えば、苦笑と共に肩を竦められてしまった。

「んん。一個・・・」
「えぇー?!」
「う・・・二個までね、ご飯前だから」
「やった!」

梅は放たれた矢の如く、横をするりと抜けていく。

「先に手ぇ洗えよなぁ」
「わかってるー!」

兄からの言葉を受け蛇口を捻るも、極めて短く水音は止み白い長髪は奥の間へ消えた。果たして本当にわかっているのやら。しかし、可愛さが何より勝る故にどうにも出来ない。玄関先に残されたふたりは顔を見合わせて小さく笑った。

「妓夫太郎くんもお疲れ様。寒かったよね」
「おぉ。まぁ、そこそこなぁ」

傘だけでは妹を守る盾には不十分だったのだろう。上着に付着した雪の量が彼の努力を物語る。荷を下ろし、大まかな雪を払い、温かな空気に緩く息を吐く姿は、口ではそこそこと言いながらどう見ても凍えたものだった。

「妓夫太郎くん、ちょっと」
「どしたぁ?」

具体的な指示をせずとも、屈んで欲しいことはすんなりと伝わった。構えること無く近付いた冷たい頬を包めるほど、両手はまだ温もりを取り戻していない。それならばと、は別の熱源を差し出した。

「・・・」
「っうぅ・・・やっぱり妓夫太郎くんも冷たい・・・!」

背伸びをすることでぺたりと触れ合ったのは、左側の頬と頬だ。手のひらほど柔軟さも小回りも効かないが、面積の上でならさほど変わりなく温められるーーーというのは苦しい建前であるが。
冷え切った頬にかかる髪が、呆れた様に柔く揺れる。好きで堪らない匂いがした。

「お前なぁ・・・顔ごと来るのかよ」
「両手は梅ちゃんを温めるのに使ったからちょっとまだ冷たくて。はい、逆のほっぺも出して」
「・・・出せってお前なぁ」

半目になりながらも逃げない妓夫太郎の右側に、は自らの右頬を押し付ける。僅かに左側より温かく感じるのは自惚れかもしれないが、なんだって構わない。背に回った腕に優しく支えられると共に、耳許に薄笑いとも溜息とも取れる息遣いを感じた。

「まぁ確かに・・・お前、あったけぇなぁ」
「ふふ。お役に立てて良かった。けどほんとに冷たいね・・・!氷みたい・・・!」

左の頬、右の頬、次は額を合わせるように背伸びを高めれば、妓夫太郎は苦笑混じりに屈み応えてくれる。じわじわと顔中が冷える様な、それでいて内から更なる熱を持つ様な、不思議な心地がした。鼻先を擦り合わせた際は流石にくすぐったく感じたのか、声にならない忍び笑いが吐息となって唇に触れる。

「・・・」

目と目が合うには、近過ぎる距離だ。
ただ、凍える寒さが熱を求める様に逸らし難い。

「・・・で、気は済んだのかよ」

囁かれた問いかけに対し、鼻先で戯れる様に首を横に振れば、期待通り薄い笑いが降って来る。

「私、一番美味しいところは最後に取っておくタイプだから」
「・・・さっさと食っちまえよなぁ」

されるがまま、眉を下げて苦笑する青い瞳は優しい。最後に残された柔らかな箇所は、すぐさま熱を取り戻した。

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