不釣り合いな陽だまり




陽はとっくに闇へと落ちた。
仕事に梃子摺ってしまい、今までに無く帰りが大幅に遅くなってしまった夜のことだった。
仕事を請け負う通りから寂れた家へと戻る道中、とうに閉ざされている筈の小屋から灯が漏れている光景に、妓夫太郎は怪訝な顔をして足を止めた。

薬草学に明るい、この街では風変わりとされる幼馴染が小さな仕事場にしている小屋だ。
普段であれば仕事後に立ち寄り、怪我や泥汚れを一通り世話焼かれてから帰宅する場所でもあるが、こんな遅くまで開いている筈が無い。
まさか。否、中は誰もおらず単に灯の消し忘れか。しかし彼女に限ってその可能性が極めて低いことを、妓夫太郎が最も理解しているのだ。
嫌な予感と共にそろりと開けた扉の、すぐ傍で何かが揺れた。

「・・・っ!」

咄嗟に両手を伸ばし、危うく土間に転倒しかけた華奢な身体を抱き留める。
瞬間焦った最悪の展開とは程遠く、は座ったまま舟を漕いでいただけの様だった。

心臓が痛い程暴れているのも、汗が唐突に噴き出したのも、全てこの呑気な幼馴染のせいだ。こんな遅くに戸口の近くで無防備に寝こける、警戒心の無さに苛ついたせいだ。
決して、柔らかな感触に頭が白くなった為では無い。

「あっ・・・妓夫太郎くん、お帰りなさい」

こちらの気も知らず、は普段通りおっとりと笑う。目を擦る仕草ひとつ、焦る様子がまるで無い。

「ごめんね、ちょっとだけうとうとしちゃったみたい。お仕事お疲れ様、怪我はしてない?」
「お前っ、この、ばぁか・・・!」

妓夫太郎はの薄い両肩を掴み、多少強引に板の間へ押し込んだ。
何故肩で息をする様な剣幕で責められているのか、まったく理解出来ていない黒い瞳が見上げてくる。呆れともどかしさが火の手を上げた。

「え?」
「暗くなったら帰れよなぁ・・・!」
「でも、妓夫太郎くんが怪我してたら、」
「俺なんか待つなって言ってんだ・・・!何かあったら・・・!」

に、もしも何かあったなら。
万一にでも、この幼馴染が何者かに害されることが起きたなら。

自分で口にした悍ましい続きを言葉にすることが出来ず、妓夫太郎は顔を顰めて口を噤む。
そんな内心を知ってか知らずか。板の間にぺたんと横座りになったまま、は気が抜ける様な笑みを浮かべた。

「待つよぉ。だって、私が妓夫太郎くんのお世話したいんだもん」

暗く澱んだ冷たい街で、醜いと蔑まれ忌み嫌われて生きている。
そんな中、こんなにも好意的な笑顔で見上げて来る存在が、何故自分の幼馴染なのか。全ての意思だと押し切る、強引でいて優しい眩さが、何故この様な自分に向けられているのか。
常日頃から根底に蠢く疑問でありながら、同時に頼りない足元を支える軸の様な現状を前に、妓夫太郎は今日も俯く以外の選択肢を持たない。

「迷惑かけてごめんなさい。次からはちゃんと奥にいるから心配しないで」
「まったく解決策になってねぇんだよなぁ」
「それに、傷だらけ泥だらけでおうちに帰ったら、梅ちゃんにも心配かけちゃうと思うなぁ」
「・・・」
「さ、見せて。膝、擦りむいてない?」

は、賢い。渋る妓夫太郎に対し、何を言えば切り抜けられるかを熟知している。
更には上辺だけでなく、この幼馴染が如何に梅を可愛がってくれているのか。それを痛いほど理解している故に、妓夫太郎は術中にはまり何も言い返せなくなる。

「ふふ。ごめんね、私がこの役目を、誰にも取られたくないだけなんだ」

膝に固くこびりついた泥土が、水で柔く絞られた布によってそっと剥がされていく。あくまで自分がしたくてしていることだと、の主張は今日も優しい。
苛立ちや憤りは、こうして世話を焼かれる内に溶けてしまった。

「・・・お前って奴は」

誰かに取られるだなんて、ある筈が無い。むしろそれを恐れるべきは、こちら側だろうに。

「なぁに?」
「・・・何でもねぇ」

擦りむけた膝小僧が、適切な薬と清潔な布で覆われていく。
ずっとこうしていられたら。それを正面から言葉に出来るほど、己に自信などある筈が無い。
変わることなく穏やかな幼馴染の表情を見下ろし、妓夫太郎は細い溜息を吐いた。


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